雑炊後
私の眼は、疲れてなどいない。
たった今最後の一粒が揃えられ空になった茶碗から視線を外すと、眼球の重みが視神経に伝わった。
膨れ上がった胃の腑に脳の余力が注がれ、体温が上昇していく。
昨晩炊き過ぎた飯の残りを全て鍋にぶち込むと、えらく薄味の雑炊が出来上がってしまったのだ。
普段料理をしない私は当然溶き卵や塩の加減なども分からず、あるのはずっしりとした量的な充足感に過ぎなかった。
私の眼は、瞬きを渇望している。
休日まで及ぼされる眼精疲労など認められない。決して認めてなるものか。
雑炊後の仕事の適否は差し置いて、もう責任無き自由が許される歳ではないので、この分厚く肥えた資料に目を通さなければなるまい。
資料には一般的に重要であると認められる案件の進捗が詳細に記されている。しかし、だらだらと纏まりのない文章や無駄に挿入されているグラフは、結果として読み手の倦怠に拍車をかけるものである。
これは本当に必要な資料なのか。
疑惑の残る紙の束をテーブルの端に置き、温かいお茶を一口含むと、ささくれ立った気持ちが緩やかに解れていった。
私の眼は、ひたすらに紙片を見定めようとしている。
経費の削減により質の落とされた用紙の表面は徒に粗く、乾いた砂のようにざらざらとして見える。
ピントを調節する機能がシャットダウンされてしまったのか、ざらざらの上で、白く薄ぼけた文字の羅列が蝋燭の灯火のように揺らめいている。
元々内容の薄い資料が、皮肉ともに無味乾燥なものへと変貌を遂げている。
不意に、先程溶かずに鍋に落とされた卵の粘質と塩気の無い雑炊の味が思い出された。
ふっと眼球の裏が弛緩し、息を吸うだけ吸って鼻から逃がすと、鼻腔の奥が潤み、目頭に雫が溜まった。
私の眼は、混濁した意識のみを頼りに辛うじて開かれている。
上目蓋の辺りが、湯船に浸されているかのように、じんわりと温かくなってきている。
頬杖をつくと顔に火照りすら感じられる。
拍動が、脈が、血圧が、徐々に穏やかになっていく。
呼吸は大きく、ゆったりとしている。
辺りの静寂。
雲霞棚引く視界の中、白昼堂々もやもやと空想が膨らんでいく。
全く人間の欲望とは際限の無いものである。
私の眼は、脳に投影される取留めの無い幻燈を眺めている。
内へ内へとひたすらに流れていくモノクロームのようで色彩豊かな虚像を結び、恬然としている。
意識と無意識の境界――識閾を時間の感覚も無く、浮き沈みしている。
液体のように蕩けた自分をなぞる輪郭の外の事情には、もう気が付けない。
今は関心を持つことができない。
私の眼は、記憶にない移ろいを一心に見つめている。
どこまでもひろがっていく。
私の眼は――