04 森の魔法使い
遠慮する余裕は微塵もなかった。休憩にビスケットを齧った程度で、ずっと歩き通し。においに誘われて一階へ下りてきたのも空腹のせいだ。
「うん……食べたい」
アランは素直に女性の申し出を受けることにした。ただし、先に確認するべきことがある。
「ねぇ、僕のケガを治してくれたってことは……あなたが森の魔法使いなの?」
アランの問いに彼女の表情がわずかに動いた。
「たしかに、私は魔法使いよ。正確には、この森に来た三人目の魔法使い」
「三人目? まだ他にも魔法使いがいるの?」
森に魔法使いが三人もいるなんてアランは聞いたことがない。狭い地域に魔法の使い手が三人もいれば村で話題にのぼるはずだ。
「それは、ちょっとちがう」
タルトを切り分けながら、美しい魔法使いは苦笑した。
それから彼女はアランにわかりやすく説明してくれた。
三人というのは、ここ百年の間に星屑の森で生活することになった魔法使いの数だという。不定期的に魔法使いが介入しなければならない状況が生じるらしい。
「あなたはどうして星屑の森にやってきたの?」
「……この森を守るためよ」
魔法使いは微笑みながら答えた。
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見た目以上に魔法使いお手製の木苺タルトは絶品だった。腹ペコだったアランは二切れタルトをご馳走になり、空腹を満たしたことで不安も解消されつつある。
「この森は昔から、豊富なきのこや薬草が収穫される土地なの」
食後の紅茶を飲みながら、魔法使いはアランに自分の仕事について話してくれた。
「でも、収穫には限度があって、次の年の収穫量を維持するためにも必要以上にとってはいけない決まりがあるのよ」
昔は森できのこがよくとれたと聞いていたが、今ではきのこの収穫期である秋になっても森に入りたがる者は少ない。
アランがそう伝えると、魔法使いはすでにその状況を知っているようだった。
「理由はひとつ。森の精霊たちが、人間たちの立ち入りを拒んでいるから」
「え……」
「森のなかで迷う人間が増えたのは精霊たちが抵抗しているせいなの」
アランは自分の頭上を羽ばたいている案内役の妖精……もとい、精霊を見上げる。愛らしい精霊は子供の視線に困ったように肩を竦めた。
「どうして? 精霊たちが人間を嫌っているの? 僕には優しくしてくれたよ!」
森を案内してくれる親切な精霊もいるというのに、人間を毛嫌いしているものもいるのだろうか。本当なら悲しい。
「それはアランが子供だからよ。子供は森を傷つけたりしない。戯れに花を摘んでも森に痛手を負わせるほどの量を摘み取ったりはしないでしょう?」
魔法使いの言葉にアランはこくりと頷いた。欲張ったところで花はすぐに枯れてしまう。きのこや野草だって自分の手に収まるほどの量で充分だ。
つまり、子供が森から持ち帰る収穫は許容範囲内で済むのだろう。
「でも大人はちがう。自分で食べるだけのきのこや木の実を収穫するならまだしも、お金に換えて商売にしようなんて考えたら数日で森の実りは奪いつくされてしまう」
「それ、密猟とか言うんでしょう? お父さんたちが悪い人たちの話をしているとき聞いたことがある」
思い出した。村の住人でも周囲の目を気にして夜に森へ忍んで行く人間がいると。魔法使いの言うとおり、隠れて森の恵みを過剰に奪い取っているのかもしれない。
そうでなければ精霊たちが人間を拒絶するとは思えない。
「森に入ってほしくないってこと……あ!」
アランは頭のなかに入り込んできた声を思い出した。
「さっき頭のなかで声がしたんだ。僕のこと、私腹を肥やすやつだって……耳を塞いでも声は止まなくて怖かったよ」
「それが精霊たちのしかけた罠なの」
魔法使いの話では、精霊の多くは人間に自分たちの姿を見せたがらない。人間たちのほうから逃げ出すように精霊の力を駆使するのだという。
「でも、今回はやりすぎたみたいね。ケガ人を出してしまうようでは、この森はいずれ自分たちの寿命を縮めることになる」
「どういうこと?」
アランはすぐにでも答えを知りたかったが、魔法使いはその問いには直接答えてくれなかった。
「私は、森と人間が共存するための調整役としてここへやってきたの」
穏やかな笑みを浮かべた魔法使いは開け放った窓際に立った。
窓の外は、夏の生命力にあふれた緑で満たされている。
――え……?
次の瞬間、窓から吹き込んできた風がアランたちのいる部屋のなかを駆け巡った。
アランを襲ったあの恐ろしい声の断片や、村人のコソコソした話し声など、さまざまな音が紛れ込んでいた。
――今のは……?
「手の甲の傷痕」
「え?」
窓を閉じた魔法使いがまえぶれなくつぶやく。
「手の甲に傷のある男が、あなたを探して森に入ってきた」
「お、お父さん! 僕のお父さんだよ!」
傷痕の話ですぐに誰なのか察しがついた。だが、畑で作業をしていたら夕方まで帰ってこないものと思っていたのに。
「お父さん、どうして僕が森に入ったのがわかったのかな……ひとりで入っちゃだめだって言われてたのに」
アランがどれくらいの間気を失っていたかわからないが、太陽はだいぶ傾いてきたようだ。
「日暮れまでに自力で戻るのは無理か……あぁ、それ以前の問題だわ!」
魔法使いは別の部屋からランタンを持って戻ってきた。
「アラン、あなたも自分の荷物を持って私についてきてちょうだい!」
「外に出るの? ど、どこに行くの?」
思いついたことを矢継ぎ早に尋ねるアランに、魔法使いは簡潔に答えた。
「森のなかを移動するの。あなたのお父さんがあぶない……!」