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21 追跡

「竹中小百合さん」

 十三年前の八月十四日。昨日もらった指輪をつけて、いつものように少し早めに家を出ると、見知らぬ声に呼び止められた。振り向くと、脇に停まっているタクシーのそばに、きちんとした服を着た女性が立っていた。

「深見、けいの母です。あの子は都合がつかなくなって。竹中さんのお宅には電話がないそうですから、代わりに私がここにきたのだけど」

 すみません、と小百合が恐縮する。深見の母親は、止まっているタクシーを手で示して微笑んだ。

「よかったら、私とお話しない?」

 唐突な誘いと緊張で、何も言えないまま車に乗せられる。深見の母親はどこかに電話をかけたあと、運転手に車を出すよう命じた。

 深見の家に到着すると、リビングに通され、金の装飾が入ったティーカップで紅茶を勧められた。どこか圧迫感のある部屋と、目の前の女性のよく動く喉元に、逃げ場のない怖さのようなものを感じていた。

 深見の母親は、ほとんど一人で話しながらも、苛立ちをつのらせているようだった。緊張と怖さで、話が断片的にしか頭に入ってこない。それでも、自分が遠回りに非難されているらしいことはわかる。

「あなたが、お母さんゆずりで綺麗なのと同じで、性格や行動もそっくりになるのよ。あなた、前に泥棒してたでしょう」

 心臓を掴まれたように体がこわばる。どういう顔をしたらいいのかわからない。母の命令で、という言い訳はしたくない。深見の母親は、どこか異様な笑みを浮かべて続けた。

「そういうのって、遺伝するのよ。あなたに子供ができたら、生まれた子供もそういうことをするようになるの。怖いでしょう」

 深見の母親は、本当に怯えているような表情をしてみせた。声が出ない小百合とは逆に、その声は徐々にかん高く、大きいものになっていく。

「私はちゃんと真面目に育てたのよ。あなたのお母さんと違って」

 どうしてこうなったのかわからないけれど、目の前の人物の機嫌を損ねてはいけない。それでも、言葉は刺々しさを増していく。

「勉強に専念させてあげてほしいの。もう、うちの子に関わらないでもらえないかしら。私が産んだ、大事な子なのよ? あなたにはわからないと思うけど」

 責めるような口調の母親に、下を向いたまま頷いた。とにかく今の時間を耐えようと、小さく指を組む。それ、と深見の母親が小百合の手元を指さした。

「それだって、私のなの」

「えっ」

「あの子がなんて言ったのか知らないけれど、私のものを、けいが持ち出したのよ。あの子に、悪いことをそそのかさないでちょうだいね」

「あ……すみません」

 やっと言葉らしい言葉が出る。恥ずかしさと居たたまれなさに慌てて指輪を外し、テーブルに置いた。深見から聞いた話とは違うような気もするけれど、何か事情があるのかもしれない。

 深見の母親は、目の前に置かれた銀の指輪を手に取り、自分のものであることを証明するように指を通そうとする。憎々しげな表情でそれを無理やり押し込むと、その代金のように、一万円札を小百合の前に二枚置いた。

「これ」

「……どういうことですか」

 震える声で尋ねたとき、玄関の外で物音がした。その気配に、深見の母親が焦ったような声を出す。

「戻ってきたみたい、ちょっとそっちの部屋で静かにしていてね、すぐ済むから」

 カップを持たせた小百合を隣の部屋に促し、深見の母親が玄関へ向かう。靴箱を開け閉めする音が聞こえたあと、解錠する音と、扉が開く音が続いた。言われたとおりに息をひそめていると、ただいま、と知っている声が聞こえた。

 深見は、唐突に機嫌を損ねる母親に慣れているようだった。再び出かけようとする深見に、母親がさらに激昂する。嵐が過ぎることを祈りながら目を閉じた。禁断症状が出ているときの、自分の母親を思い出す。

 二階にいた父親を巻き込み、三人が外へ出ていく。静かになったことに戸惑いながらも安堵していると、玄関の扉が開く音がした。近付いてくる気配に再び息をひそめ、耳を澄ます。何かを探しているような物音と、低い声がかすかに聞こえた。

「……あいつのためにも、死んでもらうしか」


 再び取り残された小百合は、呆然としながら部屋を出た。帰らないと、とぼんやり考えながらカップを洗う。涙が止まらなくなる。靴箱に隠されていた靴を出し、鍵をかけることもできないまま、深見家を後にした。

 何も考えないようにしながら自宅まで歩く。鍵の掛かっていない扉を開けると、嫌な甘さを帯びた生臭さと、鉄を思わせる重苦しい匂いがした。

 息が止まる。集合住宅の狭い部屋の床が、大量の血液で汚れていた。その中心にいるのは、元の色がわからないほど服に血を含ませた、動く気配のない、自分の母親だった。

「……あ、」

 乱れている汚れた髪。首元の深い傷。手の甲や腕にある、無数の切り傷。争った跡。青や緑の破片。割れたガラス。深見からもらったガラスの百合。

 腰が抜けて座り込む。不意に、叩きつけるような強い雨音が聞こえてきた。関係ないはずの、耳に残っていた声が、雨音と重なる。

『なんとかするから』

『……あいつのためにも、』

 少し前まで指輪のあった指が、ガラスに触れる。まだ大人じゃないから、指輪なんて神様が許さなかったのかもしれない。

 ガラスの百合。これがあるから、いいと思うことにしたのに。

 その百合が今、血にまみれて割れていた。

 震える手でそれを拾い集める。目の前にある異常さより、割れたガラスに胸が痛んだ。

『死んでもらうしか』

 わたしのために、あの人は。

 鋭い傷と一致しているガラスのやいば。どうしてこれを、凶器に選んだのだろう。

 紺色のガラス。緑のガラス。血に汚れた欠片を集める。あの人の痕跡を残すわけにはいかない。与えてもらうばかりで、深見の役に立ったことはなかった。そのうえ、こんなことで深見の人生を壊したくない。

 来年も勉強を教えるからと、深見は志望校を近いところへ変えていた。わたしには、進学させてもらえる可能性はないのに。

 目の前の現実と、手のひらのガラスを見る。なかったことにはできない。このまま深見の重荷になるだけの未来より、別の未来を残したい。そう思った。

 ガラスを持って川原へ走る。激しかった雨は止んでいた。その代わりに、怒り狂ったような蝉の声が鳴り始める。

 ここから出たいとずっと思っていた。その先に何があるかわからなくても、それでもここから出たかった。この世界は何かおかしい。

 どうにもならなくなったら、水の中に逃げてしまおう。誰も知らない秘密の場所。緑の水辺。慈悲深い水の色。まるで別世界の入口のようだった。

 でも、そこに深見を連れてきてしまった。いつか世界を出るためのとっておきの場所は、ふたりの約束の場所になってしまった。ここで深見は、来年の話をしながら笑っていた。そんな未来はないのに。

 川原に立って水面を見た。水の中に逃げてしまいたい誘惑に駆られる。それでも今、自分が逃げるわけにはいかなかった。この先にやらなければならないことを考えながら、小百合は少しずつガラスを水に落とした。




「あのときの声は、深見さんの声によく似ていて、……本当のことを知ったあとも、もしかしたら深見さんだったんじゃないか、って疑問が消せなかったんです。だから聞かずにいられませんでした。『人を殺そうと思ったことはありますか』って」

「……俺と、父親の、声が」

 かすれる声で深見が呟く。申し訳なさそうに小百合が首をすくめた。守口が小声で杉原に囁く。

「僕も電話で親と間違えられることあるよ。……お母さんとだけど」

「お前のお母さん男前だもんな。……っていうかお前は今黙ってろ」

 杉原に睨まれた守口が、変顔をしながら口をつぐんだ。目の前に立っている小百合に、深見が問いかける。

「どうしてお前が、そこまでしなきゃならない。……どうして言わない」

「そのほうがいいと思ったからです。深見さんにも、深見さんのお母さんにも」

 笑いかける小百合に、深見が言葉を失う。

 乃梨子が控えめに口を挟んだ。

「ちょっと、わかります。お母さんのことを嫌いになりたくないし、役に立ちたいんです」

「私もわかるかも。『最悪を避けるため』って言っても、結局感情で決めてしまったから、ちょっと後ろめたいんです。だから言えないです」

 そう言って杏梨もにっと笑う。ありがとう、と小百合が二人に頭を下げた。深見さん、とゆっくり向き直る。

「また、私が助けてもらいましたね」

「……違う、それは」

「プフランツェのことは、私が明日確かめます」

 そう言って小百合は深見に背を向け、今日は疲れたので失礼します、と杉原たちにも頭を下げた。どこか急ぐように食堂を出ていく足音に、ん? と杏梨と乃梨子が目を合わせる。どしたの、と首を傾げる守口に、杏梨はカバンを掴んで言った。

「ちょっと深見さんをお願いします。女子はこれからトイレに行ってきます!」


 杏梨と乃梨子が慎重に一階へ下りると、その気配に気付いた小百合が振り向いた。あっ、と思わず立ち止まる杏梨に、そうだ、と小百合が小声で尋ねる。

「……杏梨さん、深見さんが持っている、河出さんの書類って、どんなものかわかりますか?」

「え、薬品の記録とか、お金の動きとかがが直してあるって……」

 天井を見上げる杏梨の横で、見ますか、と乃梨子がカバンを指差す。取り出した封筒の中身を見せようとすると、ここで出すのは、と小百合が慌てて制した。

「あの、お借りしてもいいですか? 私のほうで確認してみたいんです」

 でもこれコピーですけど、とためらう杏梨から、構いません、と小百合はなかば強引に封筒を受け取った。それではおやすみなさい、と夜間用の出入り口から去っていく。

「まっすぐ自宅に帰るかな。小百合さん」

 目で追いながら杏梨が呟く。乃梨子は静かに扉を開けた。

「まっすぐじゃないと思う。杏梨もそういうところあるし」

「私のは、先手必勝なだけだもん」

「たぶん、小百合さんもそうだよ」

 くふふ、と笑いをこらえながら二人で外へ出る。病院の敷地を出た小百合の足は、自宅へ帰るための駅ではなく、ウシタ製薬ビルがある方向へと向いていた。そのあとを慎重に追いながら乃梨子が言う。

「深見さんを助けるために、小百合さんは急いで『私がやりました』って言ったんだよね。十三年前」

「今も、こっそり急いでる」

 そう言って杏梨も前方を見る。小百合の歩みは次第に早くなり、急ぎ足というより、半ば走るようにウシタ製薬ビルへと向かっていた。




 小百合が三階へ上がると、逢坂おうさかがいた。照明が半分落とされたオフィスで、書類に目を落としている。

「逢坂さん?」

「竹中君か、お疲れ様。まだ仕事が終わってなかったのか」

「……お疲れさまです。逢坂さんこそ、残業ですか」

「いやいや、……これから必要なことを、いろいろと考えていたんだ。まだ南雲くんと連絡がつかなくてね」

「お具合、よくないんでしょうか。昨日の朝は、出社していましたよね」

「私にも状況がわからないんだよ。……あまり悪いことは考えたくないが、どうにも気になってね」

 そう言って逢坂は、手にしている書類をひらひらと振ってみせた。肩を上下させていた小百合が、息を整えながら近付く。バッグと封筒を小脇に抱え、書類を手にした。

「……嘆願書?」

 文書は二枚綴りで、宛名には『ウシタ製薬本社総務部長殿』とあった。文面は南雲の捜索、そして二年前に失踪した河出かわいでの再捜索を嘆願する内容がプリントされている。

「河出君の失踪は自主的なもの……事件性が薄いと判断されている。だが、もし南雲君にも同じようなことが起きているのだとしたら、本社も警察も関連を考えて、もう一度、河出君を探してくれるかもしれない。取り越し苦労で終わることを祈っているけどね」

 穏やかに話す逢坂に、小百合が思わず頭を下げた。

「……すみません、私はそこまで思い至りませんでした。お忙しいのに、逢坂さんは南雲さんだけでなく、河出さんのことも考えてくださっていたんですね」

「まあ、一日連絡が取れていないだけだから、大げさかもしれないけどね。私は嘆願者として署名するから、竹中君は二枚目の最後に、お願いできるかな。一応、河出君と南雲君の件は、我々にも責任の一端があるということも含めて書いてある」

 わかりました、と頷く小百合を気遣うように応接用の椅子へ促し、逢坂はペンを渡した。向かいに座り、小百合の脇に置かれた封筒を見る。

「新しい集計結果かな」

 どれどれ、とのんびりした声を出しながら手を伸ばし、封筒を摘まみあげた。署名を終えて一枚目の文面を眺めていた小百合が、違います、と慌ててペンを置く。

「すみません、それはまだ」

「あ、いやいや、済まなかったね」

 逢坂は何も見ていないような顔で封筒を閉じ、小百合に返した。同時に、署名された嘆願書を回収する。時計を見ると、針は九時を回っていた。

「ところで、その様子じゃ夕食もまだだろう。飯でも行こうか、私も食いそびれたんだ」

「いえ……まだ調べごとが残っているので」

「そうか。ではせめて何か飲もう」

 逢坂が立ち上がる。それなら私が、と立とうとする小百合を笑いながら制した。

「私は、肩で息をしている部下に、お茶くみさせるような人間ではないよ。隣の課で企画中のスポーツドリンク……じゃないな、ドリンク剤の試作品が来てる。ちょうどいいから一緒に味見しようじゃないか」

「あ、『エナジー系ドリンク』ですね、年末リリース予定の」

「そうそう。若い年代向けに、カフェイン多めのシャレたカクテルみたいな商品をリリースしていく予定なんだ。ちょっと前までは添加物がどうこうと、清涼飲料水を毛嫌いする向きもあったが、今後はケミカルなイメージがポジティブに作用する」

 そうなんですか、と恐縮しながら座り直す小百合に背を向け、逢坂は給湯室の冷蔵庫を開けた。グラスを並べる音と、炭酸入りのアルミ缶を開ける音が響く。そのあとに続く、かすかな物音をかき消すように逢坂が言った。

「最近の子は、試験勉強で集中やら覚醒やらのニーズが高まってきてる。それらに有効でちょっと魔法めいたアイテムの存在は、支持を得られる。君が集計してくれたアンケートから得られた結果だよ、竹中君」

 小百合の前に、鮮やかな蛍光グリーンの液体が入ったグラスが置かれた。逢坂も向かいに自分のグラスを置き、おもむろに一口飲んでみせる。小百合も遠慮がちに口をつけた。

「まあ、本当のところ、こんなものを飲むより、睡眠をとるほうが確実なんだがね。で、君はなんの調べごとでこんな時間まで?」

 それにしても腹が減った、と逢坂が緑の炭酸水を飲みほす。空腹なうえに喉が渇いていた小百合も、インパクトがありますね、と緑色の液体を怖々と飲みながら話す。

「実は、河出さんの携帯を、社内の誰かが持っているのかもしれないんです」

 なんだそれは、と逢坂が大げさに驚いてみせる。小百合は杉原たちから聞いた話を反芻はんすうしながら続けた。

「河出さんのご実家に、会社が持たせている河出さんの携帯から、電話があったそうです。その人物は警察を装ってご家族を呼び出し、そのあいだに河出さんの部屋を物色していたようです」

「その人物もなにも、河出君本人じゃないのか」

 逢坂が目を丸くする。小百合は奇妙な味の炭酸水をゆっくりと飲みながら言った。

「私の携帯にも、河出さんの番号から着信が何度かありました。私が会社にいて、席を離れているときです。私がすぐにかけ直しても、繋がりません」

「……ワン切りかな?」

「あと、勘違いかと思っていましたが、知らないうちに、私の携帯から河出さんに発信した形跡があるんです。私が社内で席を外しているとき、私の携帯を触っている人がいるとしか……。それに今日、南雲さんの番号から同じように着信があったんです」

「誰が、なんのためにそんな気持ちの悪いことを? 君を怖がらせたいのかな」

 空になったグラスを揺らしながら、逢坂がじろりと視線を動かした。緑色の水が残っているグラスに指を添え、小百合が話す。

「ほかにも変なことが……実際は逢坂さんが管理しているプフランツェなのに、いつの間にか周囲には、河出さんと私が企画したように話が通っています。まるで私を犯人にするために、誰かが画策しているみたいです。何か、あったときのために」

「何かって、何かな」

「……プフランツェに薬物が混入していたこと、それが密造された違法薬物であること、河出さんの失踪に、事件性があることが判明したときです」

「ちょっと、竹中君。言っていい冗談とそうじゃない冗談がある。ここは薬屋なんだよ。誰がそんな話を?」

 逢坂は困ったようにハンカチを取り出し、わざとらしく汗を拭いた。小百合は、杉原たちから聞いた話をそのまま受け売りしながら答える。

「……私です。プフランツェのワイルドローズと、河出さんから預かった書類との関連性について調べていました。河出さんは、身の危険を感じていたんです」

「君が持っている妙な書類は、その件で?」

「妙かどうかは、確認するまでわかりません。念のために伺いたいのですが、今まで回収したワイルドローズは、どちらに?」

 ためらいがちに小百合が尋ねる。逢坂はその目を覗き込み、ゆっくりと言った。

「君はどんな気持ちで、こういう行動に出たのかな? そこに私は非常に興味があるね」

「……どういう、意味ですか」

 問いかけながら、小百合は自分の感覚を訝しむように額を押さえた。手にしていたグラスの底には、蛍光色の液体がほんのり残っている。どうした、と逢坂は優しい声を出した。

「少し休んだほうがいい。大丈夫だよ、私は悪い人間じゃない。ちょっとした損失を埋めたいだけなんだ。私は毒屋じゃなくて薬屋だしね。……試作品の味見、と言っただろう? 南雲君ひとりでは、データがまだ足りないんだ」

「え……これ……?」

「今飲んだのは大丈夫だよ。味見は向こうへ行ってからだ。若い年代向けに、ゴメオやらPCPやらでいろいろ試作したんだが……ADMAっぽいモノが一番喜ばれるみたいなんだ。ケミカルなイメージ、魔法めいたアイテムの存在は、支持を得られる。君が集計してくれたアンケートから得られた成果だよ、竹中君」

 小百合が力を失い、椅子に沈み込む。やれやれ、と逢坂が呟いた。


 防犯カメラもいじっとくか、と面倒臭そうに呟きながら駐車場へ向かい、逢坂は社用車の白いセダンを通用口に寄せた。助手席のドアを開けたまま、三階のオフィスへ戻る。

 意識を失っている小百合を抱え上げ、エレベーターで一階へ下り、暗い廊下から通用口に出る。よっこらしょ、と呑気な声を出して助手席に乗せ、シートベルトを締めた。そうそう、とハンカチに包んだ錠剤のシートを取り出す。

「君が持っていることにしないとね。君は普段からいろんな薬を、いろんなところから入手していて、常用している。そしてとうとう、よくない薬にまで手を出してしまうんだ」

 小百合のバッグに錠剤のシートを押しこみ、小百合の膝の上に乗せる。逢坂部長、と正門の方向から呼びかけてくる男の声に、逢坂が急いで振り向く。

「おお、お疲れ様」

 バッグが転げ落ち、中身がこぼれ出る。逢坂はバッグを拾う間もなくドアを閉め、遅くまでご苦労さん、と部下である男の方へ歩み寄っていく。物陰に隠れていた乃梨子が、落ちた薬と携帯電話をとっさに拾った。

 部下を明るくねぎらい、正門の外へ送り出した逢坂は、車に戻ってバッグを拾い、小百合の足元に投げ込むように置いた。書類をダッシュボードに載せ、車のエンジンをかける。

「おっと、あと退出記録だな」

 再び逢坂は車を降り、早足で通用口の中へ入っていった。

「どうしよう」

 物陰で、杏梨が乃梨子の腕をきゅっと掴む。乃梨子は車に近付いてドアを開け、運転席の周辺を観察しながら言った。 

「……あとで、深見さんに迎えに来てもらおうよ」


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