15 笑う花
火曜の夕方、杉原が仕事を終えて調剤室を出ようとすると、顔にガーゼを貼り付けた守口が、窓口から調剤室に手を振っていた。弟クンどうしたの、と残っていた他の薬剤師が心配そうな顔をする。
お先に失礼します、と急いで廊下に出た杉原は守口の後ろ襟を掴み、とりあえず食堂へ向かった。人目を避け、食堂の隅に座らせる。
「昼にいなかったから油断した。バイトはどうした」
「一度行ったんだけど、今日は休んでいいって言われた」
ガーゼを両頬につけた守口が答えると、だろうな、と杉原が呆れたように息を吐いた。
「で、それはなんの遊びだ? 傷なら昨日、水道で洗ったからそれでいいって言っただろう」
「そういうんじゃ物足りないから消毒して、本格的なお医者さんの真似してみたんだけど」
「その程度の傷に消毒薬は必要ない。ガーゼなんかつけてたら、傷に貼りついて剥がすとき痛いぞ。どうしても薬使いたいならオロナインでも塗っとけ」
「そんな。もっと薬剤師っぽさがあってもいいんじゃないの」
「適切じゃない処置は、却って治りが遅くなったり、痕が残ることもある。俺よりカワイイのが自慢なんだろ?」
そう言って杉原がガーゼを止めているテープを、守口の顔から剥がす。ひいぃぃ、と悲鳴が響いた。
「オーバーなんだよお前は。このバカ」
いたい、と泣きそうな声をあげるのも構わず、杉原はすべてのテープとガーゼを剥がした。
不意に、横から小高の声がした。
「いつも仲良しですね、守口君と杉原君」
小高さんこんばんは、と守口が頬を押さえながら涙目で言う。杉原も眼鏡を押さえて言った。
「……お疲れ様です。こいつが、本格的なお医者さんごっこをしたいというので」
守口の傷を見せながら杉原が説明する。微笑みながら頷く小高に、赤い頬をぺたぺたと触りながら守口が聞いた。
「小高さんは残業なんですか」
「決算が近いですからね。最近は帰りが遅めです。もうひとがんばりする前に、休憩しようと思いまして……おっと、その前に奥さんに電話しないと。ちょっと失礼します」
携帯電話を取り出しながら遠ざかる小高を見て、守口が呟く。
「大変そうだなあ。決算って、決算報告書ってのを作らなきゃいけないんでしょ」
「お、知ってるのか、その通りだ、すごいな」
「やった。でも決算報告書ってなに?」
「お前……。一年分の収支を集計して……簡単にいえば、税金の申告書かな。最終的には税務署に提出するから」
説明する気をなくした杉原が椅子に座る。守口が向かいの席で尋ねた。
「それってさ、不正はできないってこと?」
「そのためにあるんだよ」
「深見さんは不正の証拠書類って簡単に言ってたけど、会社で悪事を企むって、入って二年かそこらの女子社員が、パクったりちょろまかしたりできるものなの?」
「竹中さんのことか? 深見さんが言うには、あの人はただの女子社員じゃないかもしれないんだろ? どこまで本当の話はわからないけど、あんな過去があるらしいし」
杉原が声をひそめる。守口も一応控えめな調子で言った。
「仮にそうだとしても、あの人が不正とか犯罪とかって、ちょっとリアリティなくない?」
「何やら物騒な話ですね」
電話を終えて戻ってきた小高が言った。その手にはコーヒーがある。えへへ、と守口が気軽に言った。
「会社でする悪事とか不正って何がありますか? 脱税? 小高さんって、そういうのしないんですか」
「ちょっ、葉一お前、」
「ええもちろん、やりまくってますから……っていうのは嘘で、節税はしても脱税なんてしませんよ。バレたらあとが面倒ですから」
「じゃあ横領とかは?」
「すぐバレますよ。隠すだけならわかりにくいですが、偽装されているものは気付かれやすいそうです。守口君が花をこっそり売って、レジを打たずにお金をポケットに入れればバレにくいですけど、金額が改ざんされたレシートがあったら逆にヒントになるでしょう?」
ほうほう、と身を乗り出す守口の隣に腰を下ろし、小高が続ける。
「偽装は掴みやすいって、ウチに来た税務署の人がぽろっとそんなことを言ってましたよ。『こういうことにしておきたい』っていう意図がわかれば、本当に隠したいことのヒントになるそうです」
面倒な仕事ですよね、とコーヒーを飲みながら小高が遠い目をした。杉原も遠い目をして頷くと、守口も意味なく遠くを見た。
さてがんばりますか、と小高が立ち上がる。お疲れさまです、と杉原が頭を下げ、がんばってくださーい、と守口が手を振った。
あのなあお前、と杉原が言いたいことを整理しているそばから、おなかすいたね、と守口が持参したお菓子をテーブルに出す。チーズを挟んだ一口サイズの円い煎餅を剥がすと、あっ、と小さく声を上げた。
「占い、すごい結果が出た」
「……今度はなんだよ」
「知りたい? 驚くよ? 嫉妬するよ?」
「なんでもいいから早く話せ。そして食え。なんなら帰ってもいいぞ」
どうでもよさそうに頬杖をつく杉原に、守口は剥がした煎餅を見せながら、強気な声で言った。
「今からうれしいことがやってくる!」
「またか」
「こんにちはー」
突如、横から少女たちの声が割り込んできた。思わず守口と杉原が顔を見合わせる。守口は手にしている丸い煎餅を一瞬見てから杉原に言った。
「……どう? 杉原さん」
守口と杉原の前に現れたのは、学校帰りの女学生を装った乃梨子と杏梨だった。
杉原がセルフサービスのお茶を配り、守口がお菓子を勧めた。ありがとうございます、と乃梨子と杏梨が笑顔で手を伸ばす。ところで、と杉原が心配そうに尋ねた。
「まさか、今日もあれを探していたんですか」
「あ、違います。あれを集めるのは終わりだって深見さんが言ってました」
乃梨子が慌てて説明すると、杏梨も続いて言った。
「私たちはもう外に出られないんですねって深見さんに言ったら、杉原さんたちとなら遊んでもいいって言ってくれたんです。まだ病院に残っていて、暇そうならかまってもらえって」
「でも、お仕事の邪魔はするなって言われました。気安く話しかけるなって」
気遣うような乃梨子の言葉に、えらい、と杉原が感動したように頷く。
「素晴らしい。顔面で遊びながら調剤室に顔出すバカもいるっていうのに」
「いいじゃん今日は、お客っていうか患者なんだから」
「患者って言うならちゃんと受付してから言え。診察してもらったところで、顔洗えって言われるだけだろうけど」
杉原もお菓子に手を伸ばす。そういえば、と杏梨が一口サイズの円い煎餅を指差して聞いた。
「あの、こんなふうに平たくて、薄い黄色で、ガラスでできた円いものってなんだと思いますか」
「このチーズおかきみたいな?」
「……に似てるんですけど、一枚だけです。重なってない」
小百合の部屋で見つけた円いガラスを思い浮かべて杏梨が言う。じゃあえび満月、という守口を無視した杉原が、左手首に付けた銀色の腕時計を見せた。
「腕時計のガラスでしょうか」
「ちょっと似てます。大きさはそれくらいで、もう少し厚みがある感じで、レモンイエローっぽい感じのガラスです。……小百合さんのお部屋にあったんですけど」
「あ、竹中さんって小百合さんって言うんだった。竹中さんのなら、レモン味のべっこう飴とか?」
そういう感じでもないんだけど、と考え込む杏梨に、大体こんな感じかな、と守口がチーズおかきを二枚に剥がしてみせた。杉原が呆れたように言う。
「お前、昔っからそういう食いかた好きな」
昔? と乃梨子と杏梨が同時に首を傾げる。杉原は守口が従兄弟であること、子供時代は兄弟同然に育ったことを説明した。
「子供のころからウチにお菓子持参で遊びにきては、ビスコだのアポロチョコだのを分解してたよな」
ええっ、と少女二人が複雑な顔をする。僕、結構器用みたい、と守口は剥がした煎餅を得意気に見せてから口に入れた。杉原が困ったように言う。
「いばるな。……まさか薬でやってないだろうな」
「えっとね、カプセル外して中身をオブラートで包んでみたり、中の細かい粒々を同じ色同士で分けて味の違いを確かめたことはあるよ。あと、糖衣錠の甘いところだけ舐めてたらいきなり苦くなって、びっくりして吐き出したこともあったよ」
「薬屋の敵だな。捨てるなよ、肝心なところを」
「でも、杉原さんだって似たようなことしてるんでしょ? 錠剤を粉にしたりとか」
楽しそうな守口に、一緒にするな、と杉原が顔を顰める。乃梨子が湯呑みを両手で持ったまま尋ねた。
「杉原さんって薬屋さんなんですか」
「薬剤師ですよ」
杉原が紳士的な口調で説明しようとすると、すかさず守口が口を挟んだ。
「薬を袋詰めするのが主な仕事だよ」
「バケツ運ぶのが主な仕事のお前に言われたくない」
そう言って杉原が着たままだった白衣を脱ぎ、椅子の背もたれにかけて話を続けた。
「まあ、半分は当たってます。開発研究員じゃないから薬を作ったりはしません。医師の処方箋を元に正しく薬を出すのが仕事です。間違いがあったらいけないし、使った薬の数と、残った数が間違いなく合っていないといけない、細かい仕事なんです」
「大変なお仕事なんですね」
乃梨子が感動したように呟く。えー、と不満そうな声を出す守口を、杉原が親指で示した。
「あとはこういうバカに正しい薬の飲み方を指導するのも仕事です。なので、患者さんとお話しすることも多いです。先生が処方箋でミスすることだってありますし、併用している薬を聞き逃すこともありますからね」
そう言ってお茶を一口飲むと、杉原は続けた。
「薬剤師会とか、最新医療の講習会などで勉強もしています。制度も頻繁に変わるので、医療保険の仕組みもその都度勉強しています」
すごーい、と少女二人が尊敬のまなざしで杉原を見る。守口が不満気に呟いた。
「なんかおかしい。それ本来、僕が望んだポジションだったような気がする」
「では、外で待っていてください」
三人を促し、杉原は更衣室へ向かった。ロッカーに白衣を片付ける。中の小さな棚にはピンク色の乾いた花がまだ残っていた。杉原はほんのり笑ってロッカーを閉め、職員玄関から正面へ向かった。
深見に連絡を取っていた乃梨子が、携帯電話をポケットに入れながら言った。
「深見さん、まだ仕事が終わらないみたいです」
「そしたら、どっか行こうか。あんまりまともな大人じゃないけど、一応保護者もいるし」
「お前のことか」
「僕まだ大人じゃないもん。それに、まともな大人なら杏梨ちゃんと乃梨子ちゃんを帰しちゃうでしょ。僕たちは共犯だよ」
そう言って守口が歩きはじめる。それもそうか、と頷く杉原に、杏梨が試すような目をして尋ねた。
「私たちのこと、帰そうって思わないんですか」
「帰ることが誰のためにもならないみたいですからね」
敷地の外へ向かって歩きながら、杉原が言った。車の気配を確かめながら続ける。
「ただ、学校には行くべきだと思います。二人が一緒に過ごせなくなる可能性もありますけどね。どうすることが一番いいのかは、私にもわかりません」
「深見さんもそういうこと考えてるのなら、悪い人じゃないのかな。正義の人じゃないみたいだけど」
のんびりと言う守口に、そうですよ、と乃梨子が笑う。
「とってもいい人ですよ。私や杏梨を助けてくれたし、勉強も教えてくれるし、服も買ってくれたし」
「ええ、これだけきちんとした格好をしていれば、まさか行方不明の子供だなんて思いません。学校に通えるはずもないから、制服姿だとまず疑われません」
杉原が感心したように制服姿の少女たちを見る。杏梨も学生鞄を見せた。
「学校のある時間や夜中には、外へ出してもらえないですから。深見さんもいろいろと考えてくれてるみたいです」
「自分が捕まるからね」
守口がぼそっと呟くと、乃梨子が笑う。
「そう言ってました。『見つかったら、見知らぬ不法侵入者として叩き出すからな』って」
「寂しいとか、そういうのは平気なの?」
「杏梨がいるし、今のほうが楽しいです。このまま深見さんのお手伝いを続けたいです」
「私も乃梨子がいるし、戻るくらいならどこかに逃げます。今が一番いいです、私たち。……ただ、深見さんには言われてます。深見さんに何かあったら、全部が終わるって」
そう言って杏梨は、大人びた目をして笑った。
病院の敷地を出て歩き出す。そうだ、と守口がぱんと手を打った。
「ここから近いし、僕の店に寄ってく?」
お前の店じゃないだろう、と呆れた声を出す杉原に、まあまあ、と守口が少女たちを先導して歩きはじめる。まあいいか、と杉原も少し遅れて後ろを歩きはじめた。
橘フラワーに到着すると、みどりが花の手入れをしていた。母の日イベントも終わり、仕入れる花もがらりと変わっている。お疲れさまでーす、と守口が明るい声を出した。
「あんたもう顔治ったの?」
さっきのガーゼはなんだったのよ、とみどりが目を丸くする。続いて、こんばんわー、と少女二人がにっこり挨拶すると、守口は恐るおそる言った。
「知り合いの妹さんなんですけど、ちょっと見学に来ました」
「いつも守口がご迷惑をおかけしております」
遅れて入店した杉原が、みどりに深々と頭を下げる。配達で病院に出入りしていたみどりとは顔見知りだった。守口に関する苦労話が積もるほどある二人は、お互いを労うように話しこむ。
守口はそんな二人を放置して、少女たちに友人を紹介するように花を見せた。
「病院の近くだからさ、切り花が多いんだよ」
優しい色彩にあふれた空間に、二人が目を輝かせる。きれい、と乃梨子が呟いて、いい匂い、と杏梨が深呼吸した。二人は小さな紫色の花を咲かせた鉢を覗き込み、かわいい、と顔を見合わせた。
「それはイングリッシュラベンダー。富良野ラベンダーとも言うけど」
「花も可愛いですけど、これも可愛いです」
乃梨子が、鉢に挿してある飾り用のピックを指差す。ラベンダーの鉢にあるのは、飛んでいるミツバチの飾りがついたピックだった。
「クリスマスケーキの飾りみたいに、いろいろあるんだよ。えーっと、どこだったかな。ちょっと前までは鯉のぼりのピックもあったよ。ハロウィンにはかぼちゃとか」
そう言って作業台の周りをウロウロする守口に、ほれ、とみどりが引き出しからいくつかのピックを出してみせる。クリームイエローの星や、ピンク色のハートのピックを見て、杏梨も言った。
「魔法少女のステッキみたい」
楽しそうにはしゃぐ二人に、杉原も目を細める。店内を得意気に解説してまわる守口に構わず、みどりが言った。
「可愛いお二人さん、気をつけなよ。今の時点で言い寄ってくる大人の男は、ほとんど変態だから」
「おっしゃセーフ」
大人じゃなくてよかった、と勝ったような顔をする守口に、なんでこっちを見るんだ、と杉原が睨み返す。杏梨はにっこり笑いながらみどりに言った。
「お花屋さんって、誰かにプレゼントするために、みんなお花を買いに来るんですよね」
「そうね。自分のために花を買う人もいるけど、誰かに喜んでほしくて花を買うのかもね」
ターミネーター2はちょっと違う理由だけど、と小さく付け足す。クリーム色のバラを眺めながら乃梨子も言った。
「私も、お花をもらえたら、とってもうれしいと思います」
守口と杉原がうんうんと頷く。そんな二人に向き直り、みどりは残酷に笑ってみせた。
「でもね、世の中には『もらってもなんの足しにもならない』って、花束を捨てて帰る女もいるんだよ〜」
「ひどい。そんなことするなら、道路の隅に置いとくほうがマシですよね」
守口が真面目な顔で言うと、杉原とみどりが同時にため息をつく。ピックを片付けるためにみどりが引き出しを開けると、乃梨子が小さな冊子を見つけた。
「花言葉の本だ」
「一応、お客さんに聞かれたときのためにね。使ったことないけど」
そう言ってみどりが小さな冊子を乃梨子に見せた。守口が不思議そうに尋ねる。
「お客さんは花言葉って気にしないんですか? こう、女の人にプレゼントするときに、ちょっと教えてあげちゃったりとか」
「色男から花束をもらうのはうれしいけど、そこで『この花言葉はね……』ってねちねち語る男は個人的には苦手よ。あんたもやらないほうがいいわよ」
「そうなの?」
「花なんて、咲いてくれればそれでいいでしょ。花言葉なんて、いいものばかりじゃないんだから。花の善し悪しは、他人があとからつけた言葉で決まるわけじゃないの。変な謂れや言葉がついてるからって、この子たちがそういう本質を持って生まれたわけじゃないでしょ。花は悪くないの」
「花は悪くないんだ」
乃梨子が赤いカーネーションを見ながら呟いた。杏梨も同じ花を見つめる。
「うん。あと、生きてる花がいいな」
そろそろ、と乃梨子が携帯電話の時間を確かめると、ちゃんと送っていきなさいよ、とみどりが二人に念を押す。ありがとうございましたー、と頭を下げる少女二人に、みどりが手を振りながら言った。
「またおいで。次はこいつに花束作らせるから」
よっしゃ、と守口が密かにこぶしを握る。杉原はみどりに何度も頭を下げ、四人は橘フラワーをあとにした。
「あ、ユリ」
少し歩いた先の住宅地の庭で、ユリの花を見つけた乃梨子が足を止めた。
「深見さんは、ユリの花が嫌いなんだそうです」
「小百合さんもユリの花は好きじゃないって言ってた」
きれいなのに、と寂しそうに杏梨が言う。守口が冗談っぽく口を挟んだ。
「深見さん、まさか『さゆりさん』が嫌いだから?」
「深見さんは、俯いてるみたいな感じが嫌なのかもしれません。私もよく注意されます。俯くなって」
そう言って乃梨子が庭先のユリを見た。じっと動きを止めていると、独特の芳香が漂ってくる。風の止んだ夕暮れどきに、白い花が寂しげに俯いていた。
「ユリは下向きに咲くのが多いからね。カサブランカやテッポウユリ、あとスノークイーンも」
「お、さすが花屋だな」
「できればそこは女の子に言われたかった」
残念そうな顔をする守口に、杉原が鼻で笑う。再び歩き出した杏梨が、乃梨子の顔を見た。
「小百合さんが白いユリなら、私たちはなんだろうね、乃梨子」
うーん、と空を見上げる乃梨子のうしろで杉原も考える。
「小さいけれど力強い、野の花みたいなところもありますね」
「でも俯いてない。笑ってる花だよ」
そう言って守口も笑った。
迎えにきた深見に、乃梨子と杏梨を引き渡し、遠ざかる車に手を振る。そのまましばらく黙っていた守口がぽつりと言った。
「…………楽しかったね」
「あの子たちも楽しそうだったな」
必要以上のことを考えずに杉原が言った。守口は視線を落として考え込む。
「手伝いとか勉強とか、外を歩くだけでもすごく楽しそうだよね。でも、学校には行ったほうがいいよね、やっぱり。行けばいいってもんじゃないけど、あの二人なら、普通の生活をすごく楽しめると思う」
「今の二人は、社会的に死人みたいなものだからな。元気だけど」
「あの二人、どうなるんだろう。……どうにかできないかな」
「お前にできることなら、深見さんがとっくにやってるだろ」
未来はない。深見もそう言っていた。杏梨や乃梨子の判断や、深見のとった行動が、今に繋がっている。しかし、その先は行き止まりだ。
黙ってしまった守口に、杉原が冷静な声を出した。
「他人を助けるなんて、簡単にできると思うなよ。深見さんだって簡単だとは思ってないはずだ。教育も社会保障も受けられない状態のあの子たちを養うことはできないし、最終的には、警察に自分が出頭するつもりかもしれない」




