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14 二年前

 二年前の五月。深見は、真夜中の山道を車で走っていた。

 峠を抜け、山のふもとの日辻ひつじ町に差しかかるころ、暗闇の中に突然少女が現れた。左にハンドルを切りながら急ブレーキをかける。

 慌てて深見が車から降りた。衝突は避けたはずだが、少女は青い顔をして足首を押さえている。ひねって痛めたのかもしれない。

「大丈夫か、怪我は」

 うずくまる少女に駆け寄ると、あんり、と暗闇から少女がもう一人現れ、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。深見が混乱しながらも携帯電話を取り出す。自分の事情はともかく、優先すべきは怪我をした少女だ。

「動くな、……今、救急に」

「待ってください」

 青い顔で足首を押さえていた少女が顔を上げる。足を庇いながらもゆっくりと立ち上がり、観察するように深見を見た。あとから現れた目の大きい少女に笑いかける。

「大丈夫だから、のりこ」


 立ち上がった杏梨は、携帯電話を持つ深見の手を押さえ、強い調子で懇願した。

「お願いします。救急車とか呼ばないでください」

 驚く深見の手を押さえたまま、杏梨は車内に目を走らせる。カーナビゲーションの画面にマークしてあったのは、峠にある製薬会社の施設だった。遠くのナンバーをつけた車は珍しくないが、この時間に、スーツ姿の男性が一人で下りてくるのは珍しい。

 混乱する深見を観察しながら杏梨が考える。救急車を呼ばれたら、今よりもっと面倒なことになる。それならいっそ、この状況を利用できないだろうか。

 すがるような乃梨子の手を握り、足の痛みをこらえながら、杏梨は深見に言った。

「誰も呼ばないでいいですから、お願いがあるんです」

 どういうことだ、と深見が不審そうな目を向ける。目の前にいる冷徹そうな男を、杏梨は注意深く見た。危険な選択だ。よく考えないと大変なことになる。でも、逆にこれは私たちにとっての、最後の手段かもしれない。

 書類がむき出しになっている後部座席。この人が何者なのかはわからないけれど、どことなく人目を避けたがっているのは、なんとなくわかった。それでも、とっさに救急へ連絡しようとしているところをみると、悪い人間とは思えない。

「私たちを、一緒に連れていってもらえませんか」

「待て。何を言っているんだ」

 携帯電話を押さえこまれて困惑している深見を、杏梨は必死に注視する。派手ではないスーツ。がっしりとした体格。気難しそうな顔。黒い革靴は磨かれているけれど、指輪はない。こんな時間の、こんなところに現れるくらいだから、家族との繋がりは強くなさそうだ。

 車のことはわからないけれど、車内にはストイックな清潔さがあった。女性を頻繁に乗せている風でもない。簡単に他人を信じるつもりはないけれど、私たちに危害を加える人間ではない。そんな気がした。

 それに、この人には、私たちと同じ『秘密』のにおいがする。

「お願いします。掃除でも洗濯でもなんでもしますから、連れていってください」

 無理やり、でも真剣に懇願する。誰が味方なのかわからない。味方がいるとも限らない。そんなふうにこの世界ができていないことは、わかっている。他人に一方的に助けを求めるのは、利口なやりかたではない。

「頭を打ったわけじゃないだろう!? それとも、はじめからおかしいのか」

 顔を顰めて再び救急に連絡しようとする深見を、杏梨は無理やり止めた。深見の目を直視しながら、にやりと笑ってみせる。

「あなたの顔と、車のナンバーは覚えました。そして私は、あなたの車で怪我しています。私たちはその気になれば、もっとあなたが困ることを警察に言えます。お願いします。あることないこと言われたくなければ、連れてってください。私たちは帰れないんです」

「ふざけるな、その年で家出か!? まだわからないだろうが、どこへ逃げても解決策にはならないんだ。だいたい、子供がどうしてこんな時間のこんなところにいる? 親が待ってるだろう」

「いいえ」

 冷静に否定する杏梨に、深見がぞっとしたように一瞬黙った。それでも手を振り払おうとすると、バランスを崩した杏梨がよろけて、片足を庇いながら顔を歪める。深見は唇を噛んだ。

「どういう事情だろうが、今は子供を保護して食事を与えるだけで犯罪者にされるんだ。子供の寝言を真に受けて、大人が言うことを聞くと思うな」

「でも、このままあなたを犯罪者にすることもできますよ、今は。救急車とか警察を呼ぶなら、私たち、あなたに誘拐されそうになったって言います」

 顔を上げながら、強気な目を向ける杏梨を、こいつ、と深見は憎々しげに睨んだ。

「いい加減にしろ! 俺は女子供を殴れないような善良な人間じゃない!」

「でも、私たちを殺して山に埋めるような人でもないですよね。人に言えないことがあるっていうだけで」

 まるですべてを知っているような顔で言い切る杏梨に、深見が怯んだ。当たっているだけに言葉が詰まる。子供相手にどう対応すべきか迷っていると、杏梨がすがるように言った。

「お願いします。なんでもするから、連れていってください」

「無茶を言うな。はいそうですかと見知らぬ子供を連れて帰る人間がいたなら、そいつはろくでもない人間だぞ。お前は俺に犯罪者になれと言っているんだ、わかっているのか?」

 そう言って深見が杏梨の手を振り切る。極めて不利な事態であることは確かだが、見知らぬ子供のいいなりになるわけにはいかない。保護するにしても、警察に自分の事情をどういつわるかを考えながら、深見が携帯電話を開く。

 やはり警察より救急が先か、と指を止めた瞬間、ずっと怯えたように様子を見ていた乃梨子が、突如深見の携帯電話を奪い取った。こいつ、と取り返そうとする深見をかわしながら、乃梨子も懇願する。

「お願いします。私たちを連れていってください。ご飯づくりもお掃除も、なんでもしますから」

「お前らは白雪姫のつもりか。まずは、人にものを頼む態度から勉強しろ」

「……ごめんなさい」

 俯いた乃梨子が、握っていた携帯電話を素直に差し出した。ほおを引きつらせていた深見が拍子抜けして動きを止める。

 乃梨子は深見の顔を見上げて、祈るように言った。

「でも、お願いします。……私をここから出してください」




「なんていうか……深見さん、今まですいません。……誘拐犯とか、クロロホルムで洗脳とか、本格的なお医者さんごっことか言って」

 守口が頭を下げる。後半に要領を得ない顔をしながらも、いや、と深見が頷いた。

「深見さんは、私のお願いを叶えてくれたんです。私たちを連れてってくれて、ご飯を食べさせてくれて、勉強も教えてくれて」

 そう言って乃梨子が笑うと、深見が吐き捨てるように言った。

「だが、未来はない」

「でも、違う人になったみたいで、私は今とっても楽しいです。服も買ってもらったし」

「中身は変えられなくても、外見は変えられるからな」

 どうでもよさそうな深見にかまわず、乃梨子はうれしそうに自分の着ている服を見た。杏梨もうれしそうに言う。

「でも、服のおかげで別人みたいになれたよね、乃梨子」

「別人といえば、深見さんもですね。守口が怖がっていたのがわかりました。杏梨さんたちは知らないかもしれないですが、仕事中の深見さんは、とっても丁寧で優しい人なんですよ」

 そうなの? と驚愕する守口を、お前が驚くな、と杉原が睨んだ。それはさておき、と深見に向き直る。

「深見さん、とりあえず私と守口は、このことを他言するつもりはありません」

「……感謝する」

「ですが、彼女たちを今後、どうするつもりですか。噂によると乃梨子さんの……桜井家は、転居しているようです。……家があるから帰れるという話でもなさそうですが」

 そう言って杉原は乃梨子と杏梨を交互に見た。桜井家は乃梨子を待つつもりはない。それは佐倉家も似たような状況だろう。

「帰せるものなら、とっくに二人とも日辻町の山のふもとに置いてきている」

「あ、そういえば深見さんは、なんのためにそんなところにいたんですか」

 守口が恐るおそる聞くと、表情を変えずに深見が答えた。

「竹中が出入りしていた、ウシタ製薬の施設を調べていた」

「……さらっと言ってるけど、忍び込んでなんか盗んでるよね、さっきの話だと」

「そう言うな。お前と一緒で、本当はいい人なんだから」

 どこか不満気に杉原が言うと、守口と深見が不思議そうに首を傾げた。気を取り直して杉原が尋ねる。

「ウシタ製薬といえば、河出さんの消息はわからないんですよね。ただ、一時的に身を隠しているとか、借金などの別の理由があったとか、そういったことではないんですよね?」

「本人にも実家にも借金はない。金で失踪する理由はなかった。失踪以降、河出の預金口座の入出金もないそうだ。残念だが、生きている可能性は低いと考えている」

「ということは、河出さんの失踪はプフランツェの一件と関係があって、それを竹中さんたちの仕業だと考えている、そういうことですよね? ……ただ、深見さんは、もっと前から竹中さんを追っていたようですが、あの人は?」

「……竹中小百合は、中学二年の夏、薬物中毒だった自分の母親を殺して、施設に入っている。そして恐らく、俺の母親の死にも関わっている」

 そう言って深見は、暗い目で遠くを睨んだ。




「男子高校生と眼鏡の男? 眼鏡の女学生と男子高校生じゃなかったのか」

 夜の八時過ぎ、自宅に戻っていた逢坂は、南雲からの連絡を受けて困ったような顔をした。それが、と先刻のやり取りを思い出し、南雲の声が憎々しげなものに変わる。

『なんだかよくわかりませんが、あの高校生みたいな男が問題なのかもしれません。プフランツェの中身については何も言ってませんでしたが、生意気で頭の悪そうなガキでした。ああ見えて、河出と何か関係があるのでは?』

「かもしれないな。一番密に行動していた竹中が、しらばっくれているとも思えない。考えられるとしたら、河出の友人のたぐいか。……河出の部屋にはたしか、釣り関連の雑誌が多かったな」

 逢坂は、脱いだ上着に執拗にブラシをかける。ごちゃごちゃとうるさい南雲の声を聞き流し、上着を収納しながらのんびりと続けた。

「奴らの行動理由の出所でどころが河出なら、もう一度、河出の親に話を聞いたほうがよさそうだ。『手がかりになりそうなものが出てきたから、わかりそうな友人はいないか』とな。なんなら適当に理由をつけて、ウチの施設におびき出してもいい」

『仮に呼び出したとして、誰が応対するんですか。今日の奴らがぞろぞろ来たところに、先日はどうもと俺が顔を出すわけにはいきませんよ』

「どうしてだ? 君が知ってる顔がいたら、そいつを徹底的に調べあげたうえで、対応を考えればいいじゃないか。ワイルドローズもそいつが持っている可能性が高い」

 携帯電話を肩に挟んだまま、逢坂はピンク色のシャツの袖口からカフスを外した。几帳面に仕切られた引き出しにそれを収納する。離婚してから十年以上経っているが、神経質な気質のせいで逢坂の部屋は整然としていた。

 緊迫感のない物言いに、南雲が苛立った声を出す。

『ちょっと待ってくださいよ、なんで俺がそんなヤバいことをしなきゃいけないんですか! そもそも、こんな大掛かりで面倒な話にするつもりはなかったんです。俺は一人でも上手くやれてたはずなんですよ?』

「だったら? それで利のいい商売が成り立つのなら一人でやればいい。私の下でうまい思いをしたくせに、今になって抜けるつもりなのか」

『うまいところを持っていこうとしたのはそっちでしょう。おまけにくだらない不手際で、尻に火がついているのもそっちじゃないですか!』

 怒りを隠さない南雲に、逢坂は声を低くして答えた。

「君の仕事にまったく火の気がないというわけでもあるまい? そういうものは、どんな仕事にも常に付きまとう。だからこそ、マメなケアが必要なんだよ。癌細胞だって常に生まれている。それでも人が生きていられるのは、それを片っ端から消す機能が正常に働いているからだ」

『こっちはもっとシンプルにやってたんです。手に負えないところまで大きくするつもりはなかったんだ』

 そう言いながらも、南雲の声がどこか弱々しいものになる。逢坂は携帯電話を持ち直し、優しげな声で言った。

「シンプルな単細胞、それはそれで結構だよ。シンプルが故に取り除くのも難しくはないからね」


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