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13 嫌いな花

 しかたがない、と深見は車を出し、近くにあるファミリーレストランへ向かった。大丈夫ですか、と一応尋ねる杉原に、まだいている駐車場へ車を入れながら深見が答える。

「この人数なら逆に怪しくない」

 二人の少女はこの状況にはしゃぎながらテーブルにつき、並んでメニューを開く。杏梨がうれしそうに言った。

「わーい、リストランテでムール貝だー!」

「ストロベリーのジェラートもあるー!」

 確かめるようにメニューを見ながら乃梨子も笑う。ミートソースもあるよー、と向かいに座った守口がメニューを指差すと、ボロネーゼなんだよねー、と二人の少女が声をそろえて言った。その隣では、深見が頭痛を堪えるような顔で、杉原と向かいあっている。

 注文を終え、最初に到着したミートソースのスパゲティに、守口が粉チーズをもっさりとかけながら言った。

「それにしても、夕方過ぎならそう言ってよ。ずっと外にいたから、さすがに寒かったし」

「しかたないだろ。俺だって知らなかったんだから」

「そうなの」

 いただきます、と守口がフォークを持つ。店員が持ってきたクリームスパゲティを杉原が受け取り、乃梨子の前に置きながら言った。

「深見さんが四時頃までうちの病院にいたんだよ。今日動くとしたらそのあとだろうから、一応俺も行ってみたんだ」

 ふうん、と守口がくるくるとフォークを回す。杉原は続けて受け取ったマルゲリータピザを杏梨の前に置き、どうぞ、と勧めた。乃梨子はフォークを持ったまま、心配そうに尋ねる。

「守口さん、ケガとか大丈夫ですか」

「ぜんぜん平気。あの人が警察警察って言うから、逆に暴行罪とかいうのを成立させてみようかと思ったんだよね。僕が持ってるのは普通のプフランツェだし、僕に妹はいないし、警察行ってもまったく問題ないし」

「よくわからないけど、そうなんですか」

 乃梨子が首を傾げながら頷く。イカとアンチョビのピザを受け取った杉原が言った。

「実際、警察に行ったら、困るのは向こうだったろうな」

 だよね、と口をもぐもぐさせる守口に、乃梨子も食事をはじめる。替えっこしませんか、と杉原が杏梨に自分のピザを勧めると、杏梨が杉原の皿に手を伸ばした。 楽しそうな四人が食事を終えるころ、黙ってコーヒーだけを飲んでいた深見がカップを置き、おもむろに杉原と守口を見た。

「君達は、どこまで知ってるんだ」

「どこって、こんなところで話していいの」

 そう言って守口がポケットからプフランツェを取り出し、からからと振った。杉原は周囲を窺い、ボトルを指差す。

「これは、ウシタ製薬が必死に回収しているものですよね。恐らく、特殊な薬物が混入しているせいで」

「どうしてそれを」

「回収については、ウシタ製薬の竹中さんというかたから聞きました。非常に好評で、モニターが返却したがらず難航していると聞いています。薬物の混入を疑ったのは、一部のプフランツェを摂取したと思われるモニターのブログです」

 ブログという単語に、杏梨と乃梨子がにやりとする。食器を下げにきた店員に皿を渡し、遠ざかるのを待って杉原が続けた。

「神秘的な世界に傾倒しているブログが多いので、すぐには気付けませんでしたが、よく読むと、自分が肉体から離れるような感覚を体験しているケースが多いです。幻覚の症状が出ていたと読める内容もありました。ほぼ共通しているのは多幸感です」

「幸せになる薬みたい」

 悪戯っぽく杏梨が笑った。杉原は水を一口飲み、おもむろに尋ねる。

「杏梨さん、PCPって、竹中さんが言っていたんですか」

「……それは、別の人が電話で話してたんです。竹中さんと話してたウシタ製薬の人です」

 深見が怪訝そうな顔で杏梨を見る。恐らく、と杉原が続けた。

「フェンシクリジンか、カリニ肺炎。どっちの略称もPCPですが、フェンシクリジンは幻覚剤にあたる薬物です」

「そういうのって作れるの? たとえば杉原さんみたいな薬屋さんでも」

 守口が頬をさすりながら尋ねると杉原が答えた。

「俺の仕事は調剤。薬の銀行みたいなものだから、造幣局のマネはしないよ。ただ、材料があれば俺でも作れるとは思う。実際、大学生が研究室で密造して逮捕されたって事件もあった」

 そういうわけで、と杉原は深見に向き直って続けた。

「最終的に、幻覚剤などの薬物を疑いました。もしそうであれば、このことと回収の話はセットになっているのではないかと」

 杉原が窺うような目を向ける。しばらく黙っていた深見が、息を吐いた。

「……去年まで隈池くまいけ病院の担当だったウシタ製薬のMR、河出かわいで康行やすゆきは、今、行方がわからなくなっている」

 杉原が目を見開く。険しい表情で深見は続けた。

「二年前、あの会社が合併した直後から、河出は自分が知らないうちにプフランツェに関連する不穏な動きに巻き込まれているのを感じていた。それが、違法薬物に関するものだと気付いた河出は、万が一のためにと、俺に証拠の一部を預けた」

 河出は身の危険を感じていた。それでも深見を巻き込まないために、最後まですべてを話そうとはしなかった。深見は暗い目をして続ける。

「河出がその薬物を見つけたのは、以前製菓会社だった施設に造られた、サプリメント製造ラインだ。河出はとっさにそれをプフランツェの容器にボトリングして隠し、首謀者を確かめようとした」

「それが誤ってモニターの一部に配布されてしまったということですか。『ワイルドローズ』として」

「河出は姿を消す直前、不正の証拠書類や薬物の密造に関係していそうなものをかき集め、隠した。竹中たちは薬物も一緒に持ち出されたと思い込み、河出の家まで行って家捜ししている」

 深見が言葉を切ると、杏梨が口を挟んだ。

「河出さんは、モニターの連絡先も隠しちゃったんです。竹中さんたちの回収が遅れてるのは、そのせいです。でも、それとは別に、一部の人たちは返却したくないみたい。花の妖精や天使が来てくれて、空の上まで連れてってくれるから」

 ねっ、と杏梨と乃梨子が顔を見合わせて笑う。深見は目を閉じながら言った。

「その隙に俺達が『ワイルドローズ』を集めていた。河出から預かった証拠だけでは、竹中を追い詰めるには足りない。しかし、あれは違法薬物密造の証拠になる」

 竹中さんがそんなことするかなあ、と守口が小声で言うと、深見は黙って視線を向ける。慌てて守口が言葉を続けた。

「そ、それにしてもさ、プフランツェの回収が進まない理由って、キョーシンショーの薬と同じだったね」

 杏梨と乃梨子が首を傾げる。杉原も怪訝な顔をしていると、忘れたの? と守口が得意気に続けた。

「杉原さんが言ってたんじゃん。狙ってたのと別の効果があって、モニターから薬を返してもらえなかったって話。……シルデなんとかってやつ」

「あー、狭心症で、シルデナフィル。あんまり人前で話さないほうがいいと思う」

 言いながら杉原が立ち上がり、人が増えてきました、と深見に告げた。伝票を持って立ち上がった深見が、車のキーを杏梨と乃梨子に渡して駐車場へ促す。

 会計に立つ深見の隣に、杉原も財布を出しながら立った。その横から守口が、ねえねえ、と何も出さずに聞いた。

「さっきのなんで? せっかく覚えた知識なのに」

 自分と守口の分を支払いながら、杉原は鬱陶しそうに肘で守口を押しやって言った。

「シルデナフィルはEDに効いたんだよ。バイアグラくらい聞いたことあるだろ、せっかく覚えたところ悪いが、すみやかにその知識は忘れていい」


 男三人が駐車場へ行くと、車に杏梨と乃梨子はいなかった。脇にある公園のブランコで遊んでいる二人を見つけて、守口が参加しようと走っていく。

 ガキですみません、と車を背にして杉原が謝ると、揺れるブランコに目をやりながら深見が言った。

「なぜ気付いた」

「こっちの……守口の個人的な理由です。他の人は気付きませんよ。守口に言われたところで、最初は私もまったく信じませんでしたから」

 杉原が笑うと、深見は観念したように小さく息をついた。二人で公園に近付くと、乃梨子がブランコからぽんと飛び降りる。すごいね、と守口が手を叩くと、乃梨子は嬉しそうに笑った。

 杉原は、隣のブランコに腰掛けている杏梨の前に立ち、その目を覗き込む。

「君は二年前に失踪した、佐倉杏梨さん、ですよね」

 杏梨は黙ったまま杉原をじっと見る。

「佐倉家には、行方不明者がもう一人いました。君のお兄さんです。それをどう扱うかに困り、君の家族はすぐに捜索願が出せなかった」

「……何を知っているんですか」

「君が嫌いな花を思い出しました」

 意志の強そうな杏梨の目を見つめて、杉原が続ける。

「あまり報道されませんでしたが、君たちが失踪した年の冬、佐倉家で長男の遺体がミイラ化した状態で発見され、このことで家族に疑いが向けられています。杏梨さん、君はこういう形で家族に報復するために、自分で家を出たんじゃないですか」

「どうしてそう思うの」

「君は、乾いた花を嫌っていました。たまたま見かけた病院の花を、捨てずにいられなかったほどに。君は、水も栄養もとれずに乾いて死ぬ気持ちはわからないけど、それを隣で見ている生きた花の気持ちはわかると言った」

 目を伏せる杏梨に、杉原は事務的な口調で言った。

「佐倉家の屋内で見つかった、長男のミイラ化した遺体は、外傷はなく、病死の可能性が高いとありました。それを繋げて考えたんです。佐倉家では、長男の死を認めず、ずっとそのまま暮らしていたのではないか、と」

 杉原に見つめられて、杏梨が頷いた。深見は黙って煙草に火をつける。

 守口も乃梨子に近付きながら言った。

「でも、君もだよね。桜井乃梨子ちゃん」

 再びブランコに腰掛けた乃梨子が、大きな目を見開く。

「カーネーション……っていうか、母の日の花を見たとき、凍りついたみたいになってたよね。あれ、乃梨子ちゃんが深見さんに誘拐されて、お母さんに会えないせいかもって思った。でも、今のほうが楽しそうだし、今のほうが笑ってる」

 乃梨子の前に立った守口が、真面目な顔で続けた。

「君の家族が捜索願を出したのは、かなり遅くなってからだった。いついなくなったのかを、君の親は言えなかった。いついなくなったのかを把握してなかった。君の家には、問題があった」

 守口が言葉を切る。乃梨子はぼんやりとしたまま、大きな目で宙を見ていた。

「乃梨子ちゃんは、あの花が嫌い?」

「そんなことないですけど……あの花は、よくないから」

「乃梨子ちゃんは乃梨子ちゃんで、家を出たかったんじゃないかな。そしてたぶん、母の日に嫌なことがあった。あの花を嫌いなるようなことが」

「…………お花も、私も、いらないって言われたような気がします。あんまり覚えてないけど」

 乃梨子は、どこか恥ずかしそうに言った。そっか、と守口が唇を噛む。杏梨がブランコから立ち上がり、乃梨子に近付きながら言った。

「考えないようにしているんです。乃梨子には新しい父親と弟がいて、母親はその弟ばかり大事にしてたんです」

「私はお姉ちゃんだから、しかたないよ」

 乃梨子は夢を思い出すように、ぼんやりと遠くを見ながら言った。杏梨が後ろに立ち、その髪に触れる。

「乃梨子は部屋も居場所ももらえなくて、乃梨子の勉強道具や服は、外の物置小屋にありました。だからあの家の人たちは、乃梨子がいなくなってもすぐに気がつかなかったんです。乃梨子は、近くのバス停にいることが多かったから」

「バス停は明るいから、本を読むのによかったよ。杏梨も時々来てくれたし。杏梨は私のこと、前からよく知ってたんだね」

 そう言って乃梨子は真後ろの杏梨に頭を預けた。

「観察してたもん。乃梨子は私の話を聞いてくれるけど、乃梨子は私になんにも話さないから。私と違って、すごく気を遣う子なんです。あんな扱いを受けて、いるだけで怒鳴られてたのに、いつも自分の気配を消そうとしていたんです」

 杏梨は乃梨子の髪に触れたまま、少しだけ暗い目をして守口を見た。

「でも乃梨子は、母の日に花を買おうとしたんです。私はどうでもよかったんだけど、せっかくだからカーネーションを買って、二人で分けて、綺麗な紙で包み直してリボンをかけて」

「でも、いらないって言われちゃったね」

「あの花がよくないんだよ。あの花はいらないみたい」

 深見は一瞬苦い顔をして煙草を消した。杏梨は、乃梨子の肩に手を置いて続ける。

「私が花を贈ろうとしたら、お兄ちゃんにあげなさいって母は言いました。乃梨子が花を贈ろうとしたら、いらないから外に行けって乃梨子の母親は言いました。私は干からびた死人以下の子で、乃梨子はいない子にされてる。勉強もお手伝いもがんばったけど、私のそれはいらなかったみたい。乃梨子も役に立ちたいのに、目立たないでいることだけを求められてたんです。私たち、似てるんです」

「名前もちょっと似てるから、何かの目印かと思った」

「そうだよ。私たちは一緒じゃないとダメだったんだよ。私たちは悪くないし……お母さんを……誰かを嫌いになっちゃダメなら、よくないものがあるとしたら、カーネーションの花なんです。そういうことにしてるんです」

 後半は守口を見ながら杏梨が言った。乃梨子は変わらず遠いところの話を聞いているように笑っている。

「乃梨子ちゃん」

 一歩踏み出した守口が、真剣な表情をした。座っている乃梨子の前に立ち、その目を見る。

「僕は、バス停にいた君を知ってた」

 困ったような目をする乃梨子に、守口が続ける。

「でも僕はあのとき、君に話しかけなかった。何かできたかもしれないのに」

 守口が乃梨子の小さな手をそっと握った。そのまま引き寄せようとしながら、掠れるような声を出す。

「……ごめんね、」

「ちょっと待て」

 杉原が守口を引き剥がし、その後ろ襟を掴んだまま言った。

「中学生相手に調子に乗るなよ」

「や、そういうんじゃないのに」

 小さな傷のある頬をぽりぽりと掻きながら、守口が泣きそうな声を出した。乃梨子の後ろで笑っている杏梨に、杉原が尋ねる。

「でも、失踪してどうするつもりだったんですか。小学生が消えたなんてことになれば大騒ぎになりますし、以外とすぐ連れ戻されますよ」

「私の家は、兄のことをよそに知られるのが一番怖いはずだから、私がいなくなっても他人に言えないんです。ひものみたいな兄を神様みたいに大事にしてて、生きているみたいにお世話してたから、私は気持ちが悪かった。何を引き換えにすれば兄の死を認めるのか、いつも考えてました」

 冷たい目をして宙を睨む杏梨に、杉原が重ねて尋ねる。

「なぜそれを、他人に話そうとしなかったんですか」

「話したのが私だってわかっちゃうから。親の困ることをする子だって言われるのは、泣きたくなるから嫌。でも、神隠しにあうのは、私のせいにはならないでしょ? 乃梨子も、親の困ることを他人に言いつける子にはなりたくない。いらない子になるのは嫌だから」

 杏梨は杉原をじっと見たあと、少しだけ笑って続けた。

「そんな乃梨子が、あのとき言ったんです。『ここから出して』って」


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