12 遭遇
翌日の昼休み、杉原はいつものように食堂へ向かった。間違いなくいるだろうな、と予想はしていたが、やはり守口が窓際で待っている。
「あのね杉原さん、実は昨日」
「バイトの途中で乃梨子ちゃんと遭遇して、公園で楽しくお話できたんだろよかったな」
一気に言いながら、杉原はアジフライ定食のトレイをテーブルに置いた。
「すごい。なんでわかったの」
「うちの病院に伝わる薬剤師占い。なんといっても薬師如来がバックについてるからな。今日、お前がここに来ることもわかってた」
マジすごい、と守口が感心して手を叩く。バカにしてるのか、と疲れたような顔で杉原が食事を始めた。守口も売店で買ったサンドウィッチを食べはじめる。
「ところでさ、玲兄ちゃん」
「兄ちゃんって言うな」
「んじゃ、杉原さん。あの深見って人、信用できる人なのかな」
守口が両手で持った玉子サンドをもぐもぐと咀嚼する。杉原はお椀の具を箸で押さえながら味噌汁を一口飲み、答えた。
「個人的な付き合いがないから聞かれても困るんだが、それぞれに事情はあるだろうけど、少なくともあの人が女の子を酷い目に遭わせるような真似はしてないよ、たぶん」
一部のプフランツェに、なんらかの問題があることを深見は知っている。杏梨と乃梨子に摂取しないよう命令しているし、本人もそれを摂取していない。
「……そうだよね。あの子も『嫌なことなんて何もない、毎日すっごく楽しい』って言ってた。仮に深見って人と生活してるんだとしても、あの子がとっても楽しいって言ってるのに、僕が嘘だっていうのも変だよね」
真面目に考え込む守口を見て、杉原も杏梨の言葉を思い出す。誰にも言わないで。内緒にして。秘密にして。なんでもしますから。
口止め料をもらったことだし、とアジフライをつつきながら杉原が言った。
「だからってわけじゃないが、人に言うなよ。まだはっきりした事情はわからないんだから。大体お前は深見さんを凶悪で鬼畜な人みたいに言ってるけど、真面目で丁寧な人だし、怖くないぞ」
「うそ!? めっちゃ怖いよ。俺の妹になんの用だ、みたいな感じで、思い切り睨まれたし」
「それはお前が不審だったからだろ。俺でもその状況ならそう言う」
そうなの? と守口が食べていたパンをごくんと飲み込み、続けた。
「でもあの子は、明らかにプフランツェのせいで妙な男に絡まれてた。事情はわかんないけど、絡まれるようなことをやらせてるのは、深見さんって人だよね」
「まあ、女の子達にプフランツェを集める理由があるとも思えないしな。それを言うなら深見さんもそうなんだけど、どっちにしろ深見チームが悪くないなら、絡んでたほうにも問題はあるんだろうな」
箸を動かしながら杉原が考える。杏梨は昨日、建物を眺め、表札を確認していた。あの時点では行動を起こしていない。ならば、プフランツェを手に入れるための下見と考えるべきだろう。
単純に考えるなら、守口が遭遇した妙な男は、ウシタ製薬側でプフランツェの回収に動いている人間。守口と桜井乃梨子は、その男に顔を見られている。そこに危険はないだろうか。深見はそれをどこまで把握しているのだろうか。
「そうだ、お前が彼女達を見たり、会ったりしたのは何時頃だ? 病院で見かけたのは昼過ぎだったな?」
「ええっと、初めて会ったのは先週の月曜で、薬もらった直後。火曜に二人を見たのは夕方っぽかったかな。おっかないお兄ちゃんがいたのは昼で、変な男の人に絡まれてたのは三時過ぎだったはずだけど、……午後が多いよ」
「午前中はお前も授業だからな、出会いようがないか。……それは、彼女達も一緒か」
「え、あの子達、学校行ってるの?」
「そういうことじゃなくて。制服着た女子中学生が、学校も行かずに午前中、その辺をうろついてたら目立つだろう? 彼女達が活動する時間帯は昼以降だ。仮に深見さんが二人を監督しているなら、それくらいのことは考えるだろう」
「でも、昼にもいたよ。公園とか」
「それって病院のそばにある公園だろ? 午前中や昼前後に、子供がいてもおかしくないのは病院くらいだからな」
「ね、深見さんって人が危険人物じゃないにしても、絡んでたヘンな男は危険人物なんじゃない? 目的はプフランツェみたいだし、もし本当に変な薬っぽいのが入ってるんだったらさ」
食べ終わったパンの袋を折りながら守口が言った。杉原も食事を終えて箸を置き、険しい目をする。
「回収の経緯も不自然だし、市販されていない商品のモニターのみにあの現象が起こってる。なんらかの事故によるものだとしても、俺には成分に問題があるとしか思えない。……そうなると、竹中さんも、何か隠してるのかもしれないな」
「あれ。こないだは『竹中さんなら隠しごとはしない』みたいに言ってたくせに、杉原さん性格悪くない?」
「かもな。お前はどうやら『いい人』らしいが」
杏梨の言葉を思い出した杉原が、眼鏡のブリッジを押さえて続けた。
「まあとにかく、絡んでた男がプフランツェを回収するウシタ製薬側の人間なら、それを邪魔する存在を敵視するだろう。深見さんが今も彼女達に自由行動を取らせているとしたら、深見さんは、その子が男に絡まれたことを、まだ知らない可能性がある」
「それってまずいじゃん。どうしたらいい?」
「どうもこうも、こんな確証もない仮説で深見さんを捕まえて、いきなりこんな話できないだろう。今の時点で見当がついてるのは、『二人が行動を起こすのは午後』ってことくらいで、深見チームがどこで何してるのかなんて……」
杏梨は昨日、あの建物の下見をしていた。動くとしたら今日の午後以降。もちろん今日とは限らないし、全く見当違いの考えかもしれない。
「どうしよう。午後からバイクで街中走りまわって探してみる?」
「バカが走りまわっても周りに迷惑だし無駄」
ひどい、と呟く守口を無視して立ち上がると、杉原は考えるような顔をして言った。
「あー、向こうの国道超えたところの、アクアって熱帯魚の店を知ってるか? 新しいショッピングセンターのあるほう」
「サイゼの近くにある、ちっちゃいビルの一階?」
「よし知ってるな。そしたら午後は、その近くのコンビニとか、つつじが咲いてる公園向かいのアパートあたりがラッキースポットかもしれない」
「なにそれ」
「薬師如来のご神託だよ」
夕方、つつじが咲く公園のそばに停まっているシルバーの車の中で、南雲が逢坂に連絡を入れていた。
「やっと先日のモニター本人と連絡がついて、確認が取れましたが、『紛失した』と言っています。もしかすると、先日遭遇したガキ共……」
『まあ待て、我々はビジネスマンだ、下品な言葉はやめよう。子供が持ち出して遊んでるなら、少なくとも警察ということはない』
「ただ、竹中が絡んでいないとも言い切れません。いくら竹中がマヌケな奴でも、当たりを一つも回収できないというのは」
『マヌケだろうが曲者だろうが、竹中に聞いてもムダなことには変わりはないよ。どちらにしろ、警戒されると厄介だ。あれを持ち出す悪い子供がいるなら、捕まえて聞くほうが早い。優先すべきは回収だよ』
逢坂の言葉に、南雲はリストを確認しながら車を降りた。目の前にある二階建てのアパートを眺める。
「回収できる可能性が残っているのはもう、ここくらいですよ」
そのころ、とあるショッピングセンターに到着した深見は、五階と四階の間の踊り場で、杏梨と乃梨子に指示を出していた。ガラス張りの踊り場からは、昨日下見をしたアパートが見える。
待機していた二人は時間を持てあましていたらしく、乃梨子の手には、カバンのほかにビスケットの青い箱があった。呆れたように深見が煙草を取り出すと、乃梨子がそれを取り上げる。
「駄目です。あの、ここ禁煙です」
「……ちゃんと監視してたんだろうな」
仕方なく深見がライターをしまうと、もちろん、と杏梨が笑った。その手には小ぶりの望遠鏡がある。
「五時過ぎに一度戻って、五時半に出かけました。上りの急行に乗ったので、ブログにあった今日の予定については、嘘じゃないみたいです」
「俺は『アクア』のそばに車を止めて待つ。杏梨はここから見張れ。乃梨子は油断するなよ」
「はい。行ってきます」
ビスケットの箱を杏梨に渡し、乃梨子は作ったばかりの合鍵をポケットに入れる。深見が念を押すように言った。
「暗くても電気はつけるな。携帯も開くな。二分探して見つからなければ部屋を出ろ。窓際には立つな」
「はい」
夕暮れのなか、アパートに到着した乃梨子は二階へ上がり、すみやかに『ホットアクアさん』の部屋へ入った。暗いながらも、雑貨や小物で埋め尽くされているのがわかる。
玄関、棚や机、台所や冷蔵庫にも、天使や妖精の雑貨が並んでいる。木彫りの大黒様や干支の置物もあった。
暗さに目が慣れてくる。キャンドルや香炉、マリア像や天使が並ぶ祭壇のような棚。ピンク色のガネーシャ像に、金色の招き猫。そこに、宝くじの束が立てかけてあった。
大事なものを置く場所かな、と招き猫と宝くじをそっと持ち上げる。その奥に、ピンクゴールドの蓋が見えた。
「あった」
慎重にボトルをつまみ、招き猫と宝くじを元に戻す。プフランツェをカバンに入れ、当たりますように、と金色の招き猫に頭を下げてから乃梨子は玄関に向かった。
外に出てすぐ施錠する。深見に報告しようと携帯電話を取り出そうとしたとき、横から囁くような声が聞こえた。
杏梨は、ショッピングセンターの踊り場から、アパートを監視していた。
目的の部屋へ乃梨子が入るのを確認する。その直後、公園のそばに停まっているシルバーの車から、スーツ姿の男が降りた。男は耳に当てていた携帯電話を懐に入れ、アパートへゆっくりと近付いていく。さらに、公園からも人影が現れ、アパートへ向かうのが見えた。
「え?」
望遠鏡から目を離し、杏梨が慌てて駆け出す。深見の位置からは今の動きが見えない。携帯電話を使うのも忘れ、階段を駆け下りる。全力で深見の車まで走り、窓を叩いた。
驚いてドアを開けた深見の袖を掴む。
「深見さん、何かおかしいです。乃梨子が危ない」
車を降りた深見が、弾かれたようにアパートへ走る。杏梨も必死に深見の背中を追った。
「乃梨子ちゃん」
囁くような声に、全身が硬直する。乃梨子がゆっくり視線を動かすと、階段のそばに守口が立っていた。
名前を否定する。なぜここにいるのかを問う。逃げる。どうしたらいいのかわからない。乃梨子が口を開きかけると、守口は人差し指を口元に当て、囁くように続けた。
「乃梨子ちゃん、反対側から出よう。あの時の男が表にいる」
「えっ」
「そーっと、反対側の階段から降りて」
言われるまま、足音を潜めて階段を下りると、守口は乃梨子に先に逃げるよう促す。でも、とためらっているところに、苛立ったような男の声が響いた。
「おい、そこで何をやってる?」
振り向いた守口が、向かってくる男の顔をじっと見る。先日、乃梨子に絡んでいた男であることを確認すると、守口は友人に偶然会えたような笑顔で言った。
「あ、またお会いしましたね」
「とぼけるな、お前達は何をしてた?」
苛立つ男に、守口はポケットから自分のプフランツェ取り出し、なんにもしてません、とボトルを振ってみせた。ふざけるな、と男が守口の腕を掴んで睨みつける。
「それだ! それはお前のものじゃないだろう。このまま警察に突き出されたくなければ、今盗んだそれを見せろ」
「えー? これただのラムネなんですけど」
からかうような守口の態度に、男が声を荒げた。
「何が目的だ? 兄妹ともども警察に行きたくないなら正直に話せ」
「えーそんな、僕がまるで悪い子みたいじゃないですか。お兄さんのほうがよっぽど悪者っぽいのに」
なんだと、と苛立った男に襟元を掴まれ、短気だなあ、と守口が言い返す。
「も、守口さん、」
慌てて駆け寄ろうとする乃梨子に、男は顔を歪めて言った。
「お前だな? 今まで邪魔してたのは」
びくりと乃梨子の体が震える。男は守口から手を離し、忌々しげに怒鳴りつけた。
「何が目的だ! お前はなんのためにいるんだ!?」
その瞬間、凍りついたように乃梨子の動きが止まった。慌てて守口が男の腕にしがみつく。
「ちょっと、僕と話してるんだから僕の妹にちょっかい出さないでくださいよ。僕でよければ一緒に警察行きますから、ぜひ僕と」
「ぼくぼくうるさい!」
男は苛立ちに任せて守口の頭を掴み、近くの生け垣に叩きつけた。いたい、と守口が顔面を押さえてうずくまる。ふざけやがって、と憤る男が、乃梨子の方へ向き直る。
「余計なことばっかりしやがって」
顔色を失って座り込む乃梨子を、男が睨みつける。その背後に、丁寧な男の声が響いた。
「私の弟が、何か粗相をしたんでしょうか」
杏梨達がアパートの敷地に入る。一階の廊下で、背を向けている眼鏡の男に、黒っぽいスーツ姿の男がわめいている。
「だ、誰なんだ、お前は」
「そちらこそ、どちら様でしょう。警察署なら私もご一緒します」
スマートフォンを手にしながら冷静に言い返す男の声に、ん? と杏梨が足を止めた。眼鏡の男が杉原であることに気付く。その脇にはもう一人、男が両手で顔を押さえてうずくまっている。さらにその奥で、座り込んでいる乃梨子が見えた。
「乃梨子!」
小さく叫んだのは深見だった。男達を突き飛ばしながら乃梨子に駆け寄る。
一方、突如現れた杏梨と深見に、男は混乱していた。
「なんなんだこいつら!」
自分の不利を悟ったのか、男は当てつけのように杉原を突き飛ばすと、毒づきながら車に乗り込み去っていった。
「乃梨子、大丈夫か」
跪いた深見が、乃梨子の顔を覗きこむ。怪我がないことを確認し、深見の表情がわずかに緩んだ。大きな目を見開いてぺたりと座り込んでいる乃梨子の手を、杏梨が握る。
「大丈夫、もうなんにも怖くないよ。怒鳴る人はもういないから」
なんにも怖くないよ、とくり返す杏梨に乃梨子は頷き、表情を取り戻して笑ってみせた。
「ちょっと、びっくりしただけだから」
よし、と杏梨が乃梨子をぎゅっと抱きしめる。乃梨子は、うずくまっている守口と、スマートフォンを内ポケットにしまう杉原を交互に見た。深見も杉原に気付き、呆然とする。
「君は……隈池病院の」
「お疲れ様です。調剤室の杉原です」
「どうして、ここに」
「弟の犯罪防止のために」
杉原が守口を見ながら答える。守口の頬には、生け垣の小枝でいくつかの小さな傷ができていた。
「れ……杉原さん、来てくれたんだ。でもなんでここだってわかったの」
さすがに薬剤師占いとは思わなかったらしく、守口が不思議そうに尋ねる。しれっとしている杏梨と一瞬目が合い、杉原が答えた。
「それは秘密。それよりお前、せっかく顔が治ったのに何してるんだ」
「いやもう、顔がムーンライトになるかと思った」
これ? と杏梨が青い箱のビスケットを取り出す横で、杉原が言った。
「ムーンフェイスな。そんなポーズしてるから、泣いてるのかと思ったぞ」
「だって痛かったし、顔が変になってたらと思うと復活できなかったんだもん。なんか元気が出るのあったらちょうだい」
「ブドウ糖とクエン酸でも飲んでろ」
「僕、玲兄ちゃんの冷たさに泣きそう」
そう言って守口が立ち上がると、杏梨がビスケットを差し出した。
「糖分でいいならどうぞ。そんなことで泣いてたら、この先辛いことに耐えられないですよ?」
いただきます、と素直にビスケットを受け取る守口に、杉原がため息をついた。隣では深見が乃梨子の顔を覗き込んでいる。
「本当に大丈夫か、乃梨子」
「はい」
「おかしな真似はされなかったか。具合は?」
「平気です。ごめんなさい」
「謝らなくていい」
俯く乃梨子の頭に深見が手を乗せると、乃梨子は笑って、恥ずかしそうに言った。
「でもちょっと、……お腹が空きました」




