10 乾いたバラ
土曜日の昼休み、杉原が食堂へ行くと、窓際の席で上機嫌の守口が待っていた。
「なんでここに来るんだ」
「玲兄ちゃ……杉原さんに報告があるから。あのね、なんかもう僕、本当に『ノリコちゃん』と縁があるのかも。僕のこと、よくわかってくれてるみたいなんだよね」
誤解だよ、と隅に座った杉原が、昼食のシーフードカレーをテーブルに置く。『杉原に可愛い弟がいる』という間違った噂をこれ以上広めないように、周囲に背を向けるように食べはじめる。
「にこって笑うんだよ、にこって」
それはよかった、と守口の話を聞き流しながら、杉原は食事を続ける。
「お手伝いするのも勉強するのもとっても楽しいですよって、本当に楽しそうっていうか、うれしそうに笑うんだよ。もうね、僕もそっちに混ぜてほしい」
混ざってこいよ、と杉原は食事を続ける。
「それに僕のことも真面目な花屋のお兄さんって言ってくれた」
「そうかよかったな。それで、真面目なお兄さんはお勉強でも教えてあげたのか」
「それは、あの子のお兄さんがやってるみたい。……でもさ、あの人似てないし兄妹じゃないよ。あの子も『ユキです』って名乗ってたけど、二年前にいなくなった、桜井乃梨子ちゃんだよ。僕はあの子を知ってる」
ふと真剣な顔をした守口が、日辻町にいたバス停の女の子の話をする。杉原はスプーンを置いた。
「その子はその子、昨日の子は『深見ユキ』じゃないのか」
「雰囲気は違うけど、あの子は乃梨子ちゃんだよ。本当のことを隠してるのは、深見って人の命令だと思う。あの人、犯罪に利用するために乃梨子ちゃんをさらったんじゃないかな」
「……あり得ないことだけど、仮に深見さんが女の子をさらったとして、なんでその子は深見さんに服従してるんだ? 外を自由に歩いてるんだろう? そのまま帰ればいいじゃないか」
「そこはそれ、何かうまいこと洗脳してコントロールしてるのかもしれない。クロロホルム症候群ってヤツじゃないかな。監禁されてた被害者が、思わず犯人の味方するみたいな話」
「ストックホルム症候群な。妄想もほどほどにしとけよ。深見さんにもその子にも失礼だぞ。前にも言ったけど、不健全、不健康な気配はないんだろう?」
「それは、そうなんだよね。昨日もすっごく元気だったし、足も速いし。あと前よりきれいできちんとした服着てるし、髪型も似合ってるし、笑った顔が可愛かった」
後半は関係ないな、と杉原が顔を顰めながら考えた。
「でも、少し気になるな。……逆に、バス停にいたその子は、汚い格好してたってことか」
「うん。あと、笑ってなかった。髪も長くて、ちょっとボサボサっぽかった」
「まあ、仮にその子が桜井乃梨子だったとしても、深見さんの妹さんとは別人だろ。なんにせよ、似てるっていうだけで相手の事情もわからないんだから、暴走するなよ」
「でも、行方不明で大ニュースだったんだよ?」
守口が上目遣いで杉原を見た。お前だって知らなかったくせに、と杉原が腕を組む。
「女子中学生のことばっかり気にしてると、あらぬ疑いをかけられるぞ」
「あらぬ疑いって、僕から見ればそんなにおかしな歳の差じゃないと思う」
「精神年齢に差はなさそうだな」
「白雪姫は七歳で家を出て、十歳のときに王子に見染められたそうですよ」
突如現れた小高が言った。昨日の会議の議事録です、と書類をテーブルに置く。童話とか詳しいんですね、と喜ぶ守口に、小高がにこやかに続けた。
「ちなみに原作だか初版だかでは、毒りんごに倒れた白雪姫を、王子がガラスの棺に入れて持ち帰ったそうです」
剥製にでもする気だったんですかね、と杉原が呟くと、守口が得意気に言った。
「花にもそんなのありますよ! プリザーブドフラワーっていうんですけど、花の剥製みたいなやつで、ガラスのケースに入ってるのが多いです」
「なるほど、観賞用なところも一緒ですね。白雪姫の亡骸を、王子はずーっと眺めていたそうです。食事も忘れて」
王子もそのまま即身仏ですね、と杉原も話を合わせる。首を傾げる守口に、小高が笑顔で解説した。
「生きながら仏になったお坊さんですよ。要するに、自主的にひっからびたミイラです」
「あ、そっちはドライフラワーですね」
明るく返す守口に、小高は感心したように頷いた。
「なんだか最近、守口君が花屋さんらしくなってきましたね」
「でしょう」
守口が嬉しそうに笑う。それでは、と小高が食堂を出ていくと、杉原がため息をついた。
「花屋がこんな話してたら客は逃げるぞ」
「そう? さすが花屋さん、花屋さんてすごい、守口さん素敵! って言われたくてがんばってるのに。次は恋愛運を高める花風水やってみようかな」
やめとけ、と杉原が息をつく。守口は身を乗りだしてて言った。
「でも『花屋さん』って感じでしょ? 花のパワーとかそういうの流行ってるし。プフランツェもそんな感じじゃない? ネットで見たんだけど、サプリっていうより、おまじないグッズみたいな扱いでびっくりしたよ」
「それは俺も、どこかで見たことある。一部の客層に人気があるみたいだ。瞑想の助けになるとかで、『自分を抑圧していたネガティブなものが取り除かれて、どこまでもがんばれるような気持ちになりました』みたいな感想を読んだ」
「僕が読んだのはもっと凄かったよ。なんていうか、天使とか宇宙人と交信できそうな勢いだった」
「いや、俺が読んだのもそんな感じだった」
文面を思い出した杉原がげっそりした顔で言った。瞑想ってすごいね、と守口が頷く。
「僕もタダでもらっちゃったよ、プフランツェ。これでネガティブが取り除かれて、どこまでもがんばれるならラッキー」
「普段からお前はハッピーに見えるが? ネガティブなもの……ストレスの緩和なら、セントジョーンズワートあたりが入ってるのか」
「なにそれ」
「抗うつ剤になるんじゃないかって言われてるハーブで、サプリメントも売ってる」
「玲兄……杉原さんが、含有量が低いとか意地悪言ったから、竹中さんが多めに入れちゃったんじゃないの?」
責めるような目を向ける守口を、そんなわけないだろ、と杉原が睨む。
「劇的に効果が出るほど配合したら、問題なんだよ」
「だから回収したんじゃん。名前のせいにしてさ」
「竹中さんなら、そういうことは隠さないよ。でも、中身に問題ないのに、ネーミングのためだけにサンプル品を回収するんだから大変だよな」
「中身じゃなくて、表示のほうに問題があったとか」
「サプリメントだから、効果や効能を謳うと薬事法的にアウトだけど、『プフランツェ』に病気が治るとか、シミやシワが取れるとは書いてなかっただろ」
たしかに、と守口がプフランツェをバッグから取り出し、『花開くような気分へ』と印刷されたラベルを見た。
「じゃあ、ハッピーになって瞑想がはかどります、とかもアウト?」
「薬事法以前にアウトだろ。あと、キャッチコピーでも『落ち込みやすい人に』とか『血圧高めの人向けです』とかは許可がいるし、『心が落ち着く』って入れて、問題になったこともある」
ふーん、と守口がプフランツェのキャップを開けた。普通においしいラムネじゃん、とサプリを口に放り込む。
杉原は少し考えたあと、ふと真面目な顔をした。
「……プフランツェ自体に問題はないはずなんだ。開運アイテムとして人気が出たのはわかるけど、あのレビューはやっぱり、ちょっと変じゃないか」
「一部の人達がちょっと変なんじゃないの」
「そうなんだけど……そうだよな、一部の人間だけなんだよな、他のレビューはいたって普通なんだ。でも一部では、常軌を逸しているようなレビューがある。おかしな薬物の作用を疑いたくなるくらいに」
杉原が考え込む。仮に、偶然そんな作用が生まれていたとしても、竹中をはじめウシタ製薬側が知らないはずがない。それも、一部のレビュアーだけの話だ。
守口がのんびり言った。
「一部の人達って、たまたま他の薬と一緒に食べたりして、その効果が出ちゃったんじゃないの。偶然、キュウリにハチミツかけて食べたらハッピー! みたいに」
「……薬物を、プフランツェと同時に摂取してる可能性か。だとしても、一部のレビュアー達が揃いも揃ってあんな……MDMAやLSDの類じゃあるまいし」
「玲兄ちゃんの言ってることぜんぜんわかんないです」
「MDMAは幻覚作用のある合成麻薬。LSDは半合成だったかな。それはそれとして、……あの妙なレビューのなかで、『ハイデローゼ』って単語は見なかったような気がする」
「みんな独自の名前つけてたよね。『プフさん☆』とか」
「そうじゃなくて、あのレビュアー達のプフランツェは、どれも『ワイルドローズ』じゃなかったか? そしてウシタ製薬が回収しているのも『ワイルドローズ』だ。これは関係ないのか?」
「いやいやいや、そんなんじゃなくて、あの人たちにとって『ワイルドローズ』って名前にアブナイ意味があったんじゃないの? だから製薬会社も名前変えちゃったとか」
守口が笑いながら手を振る。それでも杉原は真剣な表情を変えない。
ふと思い出したように、守口が声のトーンを落として言った。
「そういえば昨日、乃梨子ちゃんが持ってたのもワイルドローズだった。たしか月曜日も。カバンがあるのに、あれだけ手に持ってたから覚えてるんだけど」
「月曜……そうだ、三階のナースから聞いた話だけど、あの日、それを失くした患者さんがいたらしい」
「竹中さんが回収したんじゃなくて?」
「いや、竹中さんはそのあとにその患者さんと会って、ハイデローゼを渡してる。お前がぶつかった子は、三階から下りてきたんだよな? そのとき持っていたのが、そのワイルドローズ……」
さすがにそれはないか、と腕時計に目をやり、杉原がトレイを片付け始める。守口が複雑な表情で言った。
「たしかに、いつもあれを持って歩いてるって、考えてみれば変だよね。昨日は、明らかに乃梨子ちゃんの家じゃない家から出てきたし。絡んでた男の人も妙だったし」
「……たしか、その子ともう一人女の子がいたんだよな?」
「うん、年は乃梨子ちゃんと同じくらいで、ちょっと大人っぽいような、子供っぽいような、髪が長くてお嬢様学校風の制服の子」
「髪が長くて制服着てる、までわかった。ほかに具体的な特徴は? 眼鏡かけてるとか、太ってるとか」
「太ってない。ほっそりしてて、ちょっと竹中さんを幼くした感じっぽいかも。ネットで見た佐倉杏梨ちゃんに似てるんだよね。深緑色っぽい制服で、赤いリボンしてた。靴とカバンは黒」
あんな感じか、と杉原が水曜日に見かけた少女を思い出す。時間だ、とトレイを持って立ち上がり、ふと動きを止めて呟いた。
「……この付近に、そういう制服の学校はないよな」
「僕、お兄ちゃんと違って女の子の制服に詳しくないからわかんない」
夕方近く、杏梨は調査のついでに時間を作り、病院を訪れていた。階段を上り、ひょこ、と三階の廊下を覗く。特に警戒の必要な人物はいない。
廊下の隅へ行き、花台にある小さな花瓶を手にして洗面台へ向かう。もう片方の手に持っているのは黒いカバンと、ピンク色の小さなバラの花束だった。
花瓶に水を入れ、小さなバラの枝を挿し、それを持って花台のある場所へ戻る。花瓶を置いて花の位置を整えていると、不意に後ろから男の声がした。
「お見舞いにいらしたんですか」
驚いて杏梨が振り向く。立っていたのは、白衣を着た眼鏡の男だった。
「はい。ちょっと花に水をあげたんです」
「そうですか。どなたのお見舞いなのか、伺ってもよろしいですか」
眼鏡の男はのんびりと、ピンクの花を見ながら尋ねた。杏梨が思わず動きを止める。不審な点はないはずだった。見覚えがあるのだろうか、と表情を変えずに考える。下手な嘘を言うよりは、秘密のほうがいいかもしれない。
「……内緒、じゃ駄目ですか」
「……いいですけど、まるで人に言いにくい事情があるみたいですね」
男は丁寧な口調で、少し笑いを含んだ目をして言った。男の首にかけてあるIDカードをちらりと見る。『杉原玲 薬剤師』とある。若く見えるが、IDは新しいものではなさそうだ。すぐに目を逸らし、上目遣いに笑ってみせる。
「内緒にしたいことなんて、杉原さんにもあるでしょ?」
「……どこかで、お会いしましたか?」
「友達のお見舞いで、何度か来てるんです。時々見かけてましたから、覚えちゃったんです」
そうですか、と杉原が一応納得したように頷き、重ねて尋ねた。
「前にもここで、花を捨てていましたよね」
杏梨が驚いて杉原を見る。前回、つい花を捨ててしまったところを見られたらしい。うかつだった、と後悔しながらも納得して、小さく笑った。
「あの花は、好きじゃなかったから」
「それで、代わりを持ってきたんですか」
「勝手に捨ててしまったから」
そう言って杏梨は少しだけ恥ずかしそうに俯いた。杉原は白衣のポケットを探り、ピンク色の乾いた花首を見せた。
「なんとなく気になって、逆に私は捨てられませんでした」
目を見開いた杏梨が、何度か瞬きを繰り返してからぽつりと言った。
「もう枯れてる花ですよ」
「ドライフラワーは好きじゃないんですか」
「……私は少し苦手です。周りに生きた花が活けてあったし。水も栄養もとれずに乾いていく気持ちは解らないけど、それを隣で見てる生きた花の気持ちも、結構なものだと思うから」
そういうものですか、と杉原が頷く。それじゃ、と杏梨はカバンを持ち、会釈をして階段へ向かおうとした。杉原の肩書が薬剤師であることを思い出し、ふと尋ねてみる。
「ひとつ聞いてもいいですか」
「はい」
「PCPってなんのことか、聞いたことありますか」
「……ありますが、どこで聞いた単語かによります。病院?」
「はい。この病院です。病院の人じゃなかったかもしれないですけど」
「たしか、肺炎か何かの名前だったと思いますが、薬にもあったような……ちょっと調べてみないと」
眼鏡を押さえながら考え込む杉原に、いえ、いいんです、と慌てて手を振りながら杏梨はその場を後にした。
「そろそろ終わりだな。これ以上はもう無理だろう」
夜、机に並べたプフランツェを見ながら深見が言った。水槽を見ていた杏梨と乃梨子がくるりと振り向いて言う。
「えー、もう少しがんばりましょうよ」
「私ももっとがんばりたいです」
「お前達は面白がってるだけだろう。すべて回収する必要はないし、そもそも不可能だ。ツイートだのブログだのだけで情報を拾うには限界がある」
深見がパソコンの電源を入れると、杏梨と乃梨子が覗き込み、まだあるといいなー、と勝手に操作をはじめる。『プフランツェのモニター参加』に関する情報を検索しても、あたりさわりのないレビューが多い。乃梨子が画面を見ながら言った。
「すべてのサンプルに問題があるわけじゃないんですよね」
「恐らく、当たり外れがあるんだろう」
「当たりの人みたいな感じにならなくて、悩んでる人もいますよ」
そう言って乃梨子がミントグリーンのページを表示させた。杏梨が笑いながら言う。
「この人はもう、そういうのいらないんじゃないかな」
『プフランツェのモニターに参加しました! でも、リコリさんやホットアクアさんと違って、私のもとには花の天使が来なかったようです。きっと私のハイアーセルフは、それを私に与える必要がないと判断したのでしょう。
すでに私は光との完全な調和を果たし、関わりを持つすべての人々は、私の肉体を通じて発せられる言葉で、愛の力を持って、善きものを得ることができるのでしょう』
「どういう意味かな」
乃梨子が複雑な顔で画面をじっと見る。杏梨は少しだけにやりとして言った。
「要するに、ハズレだったんじゃない」
「この『リコリさん』と『ホットアクアさん』ていうのは、当たりを引いたってことだもんね」
「ふふ、『リコリさん』のブログのほう、『姿を消しました』ってあるよ。これって、このあいだのマンションの人だよね」
杏梨が笑いながら『リコリさん』のブログを読む。
『私のプフがふっと姿を消しました(>_<) でも、どんな事象も自分の内側から発せられる力により引き寄せられたものなので、きっとそれは私にとって必要なことだったのでしょう。私には次の使命が待っているようです』
乃梨子が困ったように笑いながら『リコリさん』の画面を消し、『ホットアクアさん』の画面を表示させた。
「とりあえず、このもう一人の『ホットアクアさん』はどうでしょう」
『プフさん☆が天使を呼んでくれたようです♪ 私の魂を引き上げて、この世界をはるかな高みから見せてくれました。天使の視点で世界を見ることと、レムリアさん……うちの水晶ちゃんの名前ですが、そこから覗いた景色は、本質的に同じものなのかもしれません』
しばらく黙って文章を眺めていた杏梨が、諦めたように言った。
「こんなの全然わからないよ」
「問題ない。俺にもわからない」
『職場から歩いて三分もかからないところに引っ越しできたのも、導かれたのだと思います。勤め先が高層オフィスビルだったり、今の住居が高層のマンションであるというのも、必然なのでしょう。
草木や花、大地から離れた場所で、それらの力を借りずにどれだけ自分を高次に保つことができるのか、試されているような気がします』
難しい問題に取り組むような表情で、乃梨子がブログの文章を読み込む。住所を特定するヒントになりそうな情報を探していると、さっと目を通した深見が、当該の地図と照らし合わせた。
「この辺に高層オフィスビルは存在しない」
「マンションっていう感じの建物もないような」
杏梨も首を傾げる。ちょっと待ってください、と乃梨子がコンパスで範囲を仮定する。ブログにある、事故で遅延した路線、駅から七分、近くにコンビニエンスストア。この条件が当てはまる地域は存在するのに、該当する建物が存在しない。
「画像は使えないな」
深見が呟く。窓からの景色があれば特定しやすいけれど、このブログにそういった画像はない。
「新しくできた結婚式場はここだし、ここから家まで五分の距離。そして駅から七分」
地図にある結婚式場から五分で到達する距離の円を描く。さらに駅から七分で到達する距離の円。この交差する範囲にある地域で、背の高い建物は存在しない。
乃梨子は少し考えて、深見のパソコンに向き直り、その地域の道路沿いの写真を表示させた。二階建ての古いアパートが表示される。
「この人、わざと言葉を置き替えているんじゃないですか。このアパートだったら、条件に当てはまります。高層マンションではないですけど」
ほんとだ、と杏梨が位置関係を確かめながら頷く。
「それじゃ、そこから三分もかからない高層オフィスビルって」
「ここじゃないでしょうか」
乃梨子が遠慮がちに別の画像を表示させる。深見が複雑な顔で言った。
「三階建ての雑居ビルだな」
「あと、この近くっていえば、ここにレストランがあるんですけど」
乃梨子がチェーン店のメニューを呼び出すと、杏梨が不思議そうに言った。
「それ、ファミリーレストランだよ」
「この人が『近所の行きつけのリストランテで食べた』っていうムール貝、このお店の季節限定メニューにあるんです。あと、ボロネーゼって、このミートソーススパゲティのことじゃないですか?」
深見が目元を押さえ、そのようだな、と疲れたように言った。杏梨がブログを読み直し、メニューの詳細を確認する。
「ほんとだ、ストロベリーのジェラートはないけど、ここ、イチゴアイスはあったよ。面白いねこの人」
「お気に入りの場所だから、隠してるのかな」
「近くの公園のことは、『秘密の花園』って書いてるよ!」
杏梨が笑いながら画面を指差すと、深見は目を逸らして言った。
「これだから、こういう世界は嫌いなんだ」
「深見さんって、嫌いなものばっかりだね」
杏梨がにやりと笑うと、乃梨子も深見をちらりと見て笑った。
深夜、杉原は、自宅の部屋でパソコンの画面を睨んでいた。もう日付が変わるころだが、明日は日曜なので急いで眠る必要はない。調べているのは、二年前に日辻町で起きた、連続児童失踪事件についての情報だった。
少女二人の失踪と、捜索願が出された時期に不自然なずれがあったことが報道されている。このことで実の親も捜査の対象とされているようだ。
初めは騒然となったが、様々な事情や可能性を考慮して、のちの報道は控えられている。その後、所在不明高齢者の遺体などが発見されたニュースが続出したことで、失踪事件の新しい情報はほぼなくなっていた。
桜井乃梨子と佐倉杏梨、ともに捜索願が出された七月当時は十二歳。画像は小学校で撮影された集合写真のものらしい。あまり鮮明とは言い難いが、髪が長く、痩せているほうが桜井乃梨子。大きな目が印象深い。
『可愛いんだよ。目が大きくて』と守口が言っていたのを思い出す。
一方、おかっぱ頭の少女が佐倉杏梨。表情のない写真に特徴を見つけるのは難しいが、黒い髪と整った眉の形は、病院にピンク色の小さなバラを持ってきた少女によく似ていた。
捜索願が出された時期と、彼女達が失踪したと思われる時期に、大きくずれがあったことについて、桜井乃梨子の母親は、『娘は家を出る癖があるから、数日で帰ってくると思っていた』と話している。
一方、佐倉杏梨の親は、娘が消えた時期を把握していた。五月十六日、日曜の深夜から朝にかけて失踪したと思われる。長女の杏梨だけではなく、四歳上の長男も、以前から姿を消していたことが発覚した。
長男は事件の二年前から中学校へ登校しておらず、いつからいないのかは解っていない。
自分の子供達が消えたことを外部に知らせようとしなかったことで、佐倉家は警察に事情を聞かれている。『家の恥なので言わなかった』らしい。
その後、双方の家庭に疑惑が残るまま捜索は続いたが、状況に進展はなかった。目撃証言も手掛かりもない。失踪した時期が偶然同じというだけで、それぞれ違う事件かもしれない。
ペットボトルの水を飲み干し、事件の続報を探す。小さな関連記事を見つけて表示させた。事件があった年の冬、年末の記事らしい。
『神隠し事件の日辻町で、失踪した女児の兄が遺体で見つかる。事件との関連は不明』




