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1 真昼の光

『正しいかたちでなくても、救いのある世界。

秘密を抱えている子が、ささやかな冒険を経てちょっとだけ強くなれる、楽しい小説』が好きです。


楽しいと感じてもらえるように、少しでも上達したいと思いながら書いています。


 遠くに、白い鳥が飛んでいくのが見える。やわらかな光に満ちた景色が眩しい。

 明るい時間に外を歩けることが、うれしかった。普段は外に出られないから、住宅街を歩いているだけでも楽しい。

 真昼の光のなかで、少女は目の前の壁一面に咲いているクリーム色の花に目を細めた。記憶している文章の断片を思い出す。

『五月に入って桜は終わったけれど、窓の外には今、もっこうばらが咲いています』

 マンションの外構を覆っている淡い黄色の八重花を眺めて、ふんわりと少女が笑った。これが、もっこうばら。その淡い黄色は、真昼の世界によく似合う。

 エントランスに入る。ガラスのドアに映り込む自分が見えた。茶色のブレザーにベージュのプリーツスカート。紺色の靴下に、学生用の靴とカバン。

『俯くな。不審に思われないためにも、堂々としていろ』

 注意された言葉を思い出し、姿勢を正す。変装のために掛けている赤い縁の眼鏡を直し、エレベーターと階段の位置を確認する。早く済ませなくてはいけない。

 マンションの階段を駆け上がる。走ることは苦にならなかった。動き回るのは楽しい。

『十階建て』『駅から五分もかからない』『近くにアイスクリーム屋さんが開店した』

 目的の部屋は、このマンションの十階にある。さらにいくつかの情報の断片から、部屋の位置も確定している。苦労したのは、部屋の鍵を手に入れることくらいだった。

 肩までの髪をふわりと揺らし、最上階である十階へと到着する。ふっと息をつき、遠くの景色を見ているような顔で廊下を確認した。人の気配はない。

 五月の連休最終日。八重桜も散り、遠くには新緑の木々が見える。

 目的の部屋の前に立ち、手にしている鍵ですみやかに解錠して中へ入る。靴を脱ぎ、携帯電話を取り出しながら真っすぐ窓際へ向かい、窓からの風景を撮影する。記憶していた画像と、撮影した画像は一致していた。

 画像を送信すると、すぐに着信音が鳴った。部屋を見回しながら通話する。男の低い声が耳に響いた。

「間違いないな。見つかったか」

「探しています」

 携帯電話を耳に当てたまま、机の引き出しや戸棚を探す。一人暮らしの二十代女性の部屋。窓際や机の上には、小さなぬいぐるみやアロマオイルなどが並べてある。

「アロマオイルはありました」

『化粧品や薬と一緒に保管しているかもしれない。引き出しの中や部屋の物は動かすなよ』

「化粧品も見当たりません」

 慎重に部屋にある物を確認する。持ち出してはいないはずだから、絶対この部屋のどこかにある。

 電話の向こうから、やわらかな少女の声が割り込んでくる。

『化粧品がないのは変だね。口紅やファンデは持ち歩くかもしれないけど、化粧水とかをどうしてるんだろう……あ、冷蔵庫は? 気温が上がると冷蔵庫に入れる人っているよ』

 電話の声に従ってキッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると、ドアポケットに化粧水や美容液のたぐいと、手のひらに収まるサイズの蜂蜜色のプラスチックボトルがあった。よく冷えたそれを手に取って報告する。

「見つけました。部屋を出ます」

『よし。そこを出たら踏切の先にあるスーパーへ向かえ。俺達は屋上の駐車場にいる。施錠を忘れるな』

「はい」

『今マンションに女の人が入っていったよ、乃梨子のりこ。何階に行くかわからないけど、一応気をつけて』

「うん」

 割り込んできた少女の声に応え、早足で階段へ向かう。十階に到着したエレベーターのドアが開くころ、乃梨子は階段を駆け下りていた。


 指示通りにスーパーの屋上駐車場へ行くと、小ぶりの双眼鏡を手にした制服姿の少女と、体格の良いスーツ姿の男が白い車の中で待っていた。

 乃梨子は鞄からひんやりしたプラスチックボトルを取り出し、少女に見せた。

杏梨あんりのおかげで見つかったよ」

「なんでも冷蔵庫に入れちゃう人っているみたいだよ。ブログに書いておいてくれればよかったのにね」

「でも、今回の人は書いてあることがわかりやすくて、よかったよ」

 はい深見ふかみさん、と笑う乃梨子から、男は黙ってプラスチックボトルを受け取った。車に乗り込み、サングラスを装着してエンジンをかける。

「明日は病院だな。俺は普段から仕事で出入りしているから、下手に動けない。近くで降ろすから、学校帰りの見舞客を装え。無理なことや目立つことはするなよ」

「はい」

 乃梨子が頷く。車を発進させながら深見が続けた。

「乃梨子は特にだ。俯くな。堂々としていろ。人からすぐに目を逸らしたり、怯えたような顔はするな」




 ゴールデンウィーク明けの昼過ぎ、病院の調剤室には薬剤師の男性が二人残っていた。もう終わりかな、と太り気味の主任が伸びをする。

「外来はあと一人です」

 もう一人の薬剤師である杉原が、眼鏡を押さえながら処方箋を確認する。サクシゾン注射用とケベラSは処置済。あとはアレグラにセレスタミン、と作業を続けた。午前中の作業はこれでほぼ終わりだ。

 病院に勤めて四年になるが、白衣を着ているあいだは気を抜けない。患者に限らず、接するすべての人間に優しく、丁寧に。それが本来の自分と違っていても、白衣を着ているあいだは別の自分。そんなふうに考えていた。

 あと一人分、と薬袋を用意する。調剤を終えて主任に監査を頼み、ふと窓口を見た。赤く腫れあがった顔をした青年が調剤室を覗きこみ、自分に向かって手を振っている。

「助けてくださーい」

 主任が何か言いたそうに自分を見る。杉原は仕方なく窓口へ向かい、目を合わせないようにしながら言った。

「どちら様でしょう。薬のお受け取りなら、あちらでお待ちください」

「そんな。僕だってば、ぼくぼく。他人のフリしないでよ、レイ兄ちゃん」

 レイ兄ちゃん? と眉を寄せた杉原は、銀縁の眼鏡を押さえて冷たく言った。

「そんな顔の身内はいないし、俺に弟はいない。次に病院ここでそう呼んだら、従兄弟いとこの縁も切るからな、『モリグチヨウイチ』さん」

 守口葉一もりぐちよういちと打たれた処方箋を確認しながら、杉原玲すぎはられいが腫れあがった顔を睨む。

 目の前にいる守口は、大学生になったばかりの従兄弟だった。いつもの気楽そうな顔が、今はアレルギーで腫れあがっている。

「いいかげん、大人になってくれ。こっちにとって、ここは仕事場なんだ。待合室でおとなしくしてろ」

「はあい。わかりました、杉原さん」

 守口がとぼとぼと去っていく。シャツの右袖は捲り上げてあり、点滴を済ませた腕には脱脂綿が透明なテープで留めてあった。

 やれやれ、と息を吐く。のんきな身内にうろつかれると、演じている自分が揺らいでしまう。守口を相手に親切丁寧な対応ができるほど、まだ杉原にはプロ根性のようなものが培われていなかった。




「もうそろそろかな」

 病院近くの公園で、ベンチに腰掛けていた乃梨子が携帯電話で時間を確認する。

 十二時五十五分。病院の面会時間は昼の一時から。ブレザーのポケットから取り出した眼鏡を掛けると、カバンを手にして立ち上がる。

「行ってくるね」

「いってらっしゃい。深見さんが来るのは二時過ぎだから、早く終わったらコンビニ行けるね」

 ベンチに座ったままの杏梨が小さく手を振る。乃梨子は笑って頷くと、病院へ向かって軽やかに歩き出した。


 病院の見舞客に紛れて、乃梨子は目的の病棟へ到着した。いつもなら深見と連携を取りながらの作業だけれど、今回は一人で動かなければいけない。

『病院のお庭にあるこいのぼりが立派でびっくりしました。といっても、私のベッドからは尻尾だけがひらひら見えるだけですが』

 個人のブログやツイッターなどによる情報の断片から、目的の女性患者の病室は把握していた。ベッドの位置もわかっている。

 俯くな。笑っていろ。不安そうな顔はするな。深見に言われたことを反芻して、乃梨子は顔を上げた。

 目的の病室は、女性四人の相部屋だった。『重病人はいないので気が楽』とあったとおり、ベッドに寝ている患者はいない。四人のうち二人は部屋にいないし、手前のベッドに腰掛けた女性はスマートフォンを操作している。

 窓際には、カーディガンを羽織っている、パジャマ姿の女性が見えた。窓の外には鯉のぼりの尻尾だけが風に揺れている。

 廊下で携帯電話を覗くふりをしていると、カーディガンを羽織った女性が財布を持って部屋を出た。入れ替わりに、乃梨子が身内のような顔をして病室へ入る。窓際のベッドに歩み寄り、コンソールの上にある蜂蜜色のプラスチックボトルを手に取って部屋を出た。

 事前に指示されたとおりに、人の少ない階段へ向かう。今回は簡単だった。鍵を開ける必要もないし、他人が出入りしても目立たない。

 病院なんて珍しいし、動き回れるのは楽しい。

 そんなことを思いながら、乃梨子は跳ねるように階段を駆け下りた。




「もうこれ、僕の顔じゃない。泣きたい」

 会計を済ませて薬を受け取った守口は、ぶつぶつと文句を言いながら人目を避けて階段へ向かっていた。顔を見られたくないなら帰ればいいのだが、守口はこの病院の食堂を気に入っていて、入りびたるのが常だった。

 食堂を目指し、とぼとぼと階段を上がっていると、上から軽やかな足音が下りてきた。 元気でいいなあ、と腫れた顔を伏せた瞬間、どん、と衝撃を受けた。

「ひゃっ」

 悲鳴のようなかよわい声を出したのは、ぶつかった男の顔に驚いた少女ではなく、守口だった。手にしていた薬袋から錠剤のシートがこぼれ落ちる。少女もバランスを崩して床に手と膝をついた。

「あの、ごめんなさい!」

 赤い縁の眼鏡をかけた少女が、散らばった薬のシートを慌てて拾う。顔を上げた守口も慌てて薬を拾う。

「いやいや、僕こそごめんね、大丈夫?」

「私は大丈夫です、ごめんなさい」

「あ、これは?」

 拾ったプラスチックのボトルを守口が手渡すと、少女がそれを慌ててカバンに入れた。俯いた面立ちに、ふと守口が目を止める。

 知っている子のような気もするけれど、思い出せない。着ている制服は高校っぽいけれど、中学生のようにも見える。

 顔を上げた少女と目が合う。その瞳に一瞬怯えがよぎる。次の瞬間、何かを思い出したように少女がにっこりと笑った。つられて守口も笑顔で尋ねる。

「あのさ、どこかで会ったことない?」

「え……いえ」

 少女が不安そうに眼鏡のフレームに触れる。自分の顔が赤く腫れあがっているのを守口は思い出した。

「あっ、いやこれは、本当の僕じゃないから!」

「はあ」

 よくわからないという表情のまま少女が頷く。プリーツスカートを手で払い、もう一度にっこり笑うと、ぺこりと頭を下げた。

「本当にすみませんでした。……顔、お大事に」




「ここに置いといたサプリ、誰か知らないですか」

 不思議そうな女性の声に、三階西病棟の廊下を歩いていたスーツ姿の女性が立ち止まり、病室を覗いた。

 この病棟は、若い女性の入院患者が多い。みんな小物やぬいぐるみを病室に置いたり、ラブリーな自前のパジャマを着たりしている。

 おっかしいなあ、と首をかしげている声の主も、ピンク色の可愛いパジャマにワイン色のカーディガンを羽織っていた。売店に行ってきたのか、手にしている小袋にはチョコレート菓子の箱が見える。

「あの、なくなったサプリって、どういうものですか」

 えっ、と振り向くパジャマの女性に、ごめんなさい、とグレーのスーツを着た女性が遠慮がちに続けた。

「私、仕事でサプリメントを扱っているもので、ちょっと気になってしまって。美容系ですか?」

「あー、そうなんですか。私のは美容系っていうより、癒し系かな? 黄色っぽいボトルにフタがピンクゴールドのやつで、『プフランツェ』っていうんです。まだ市販されてないサプリだから、ちょっとずつ大事に飲んでたのに」

「あ、モニターさんだったんですね、『プフランツェ』の」

「あれっ、なんで知ってるんですか?」

 目を見開いているパジャマの女性に、スーツ姿のほっそりした女性が名刺を差し出す。

「私はウシタ製薬の商品開発部・企画第五課で『プフランツェ』の担当をしております、竹中と申します。新作のサンプル版のモニターさんには、メールで回収のご連絡をさせていただいたのですが、入院されていたんですね」

 竹中のほっそりとした指から名刺を受け取り、パジャマ姿の女性はばつが悪そうに頭をかいた。

「……すみません、メールは読んでたんですけど、その、すっごいお気に入りだったから、できれば返したくなかったんです」

「そうだったんですね。とりあえず、こちらをどうぞ。パッケージのマイナーチェンジ版ですから、成分は同じですよ」

 黒い鞄から取り出した蜂蜜色のプラスチックボトルを手渡すと、パジャマの女性が明るい声を出した。

「ありがとうございます! すみません、うちのお母さん、ラムネもサプリも薬と同じだと思ってるから、たぶん持って帰っちゃったんです。『入院してるんだから他の薬は飲むな』って言ってたし」

「プフランツェも、サプリとラムネの中間みたいな商品ですからね。それにしても、『美容系より癒し系』というフレーズは参考になりました。これからもよろしくお願いします」

 ご返送のほうもよろしくお願いします、と竹中が深く頭を下げる。新しいプフランツェのパッケージを眺めて、パジャマ姿の女性が笑った。

「これって、お花のサプリなんですよねー。でも香りが優しくて癒されるし、前向きな気持ちにになれるんですよ。いい意味でサプリっぽくないっていうか。竹中さんみたいな人がプロデュースしたなら、ちょっと納得かも」

「そんな、うれしいですけど、私は雑用ばかりでプロデュースなんて言えるようなことはしてないんです。それより、早く退院できるといいですね。どうぞお大事に」


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