サンチェル家のメアリ
―――サンチェル家のマルクにはお気を付け、優しい彼と話してはいけないよ。話せば口から魂抜かれちまうからね。
サンチェル家のリアナにはお気を付け、紅き瞳を見てはいけないよ。チラリと見られ紅き光で石にされちまうからね。
サンチェル家のヨハネにはお気を付け、彼のアリアを聴いてはいけないよ、聴けば気が触れちまうからね―――
―――――「痛い!」何かがメアリの目に入ってきた。おそらくクラスのだれかの仕業、風の魔法に砂を混ぜ込みメアリにぶつけて来たのだ。
(毎日、毎日、こんな事の繰り返し、家に帰りたい)
目を擦りながらメアリは辺りを見回す。学園の中庭に植えられてる木々の茂みから、クスクス嗤う声が聞こえる。
(やっぱり、私だって魔法さえちゃんと使えたら……)
ため息と共に彼らに背を向ける。
「痛い!」今度は背中にぶつけて来た。思わずその場でうずくまる。足元には小石が落ちていた。
(13才になるまで頑張りなさいって言われたけど、お父様、お母様、お兄様、無理かもしれません)
彼女の淡い水色の瞳から涙が溢れた。ここは限られた貴族のみ入学出来る寄宿学校。9才で入学し、5年間学び13才で卒業になる。
薄い金色の髪を持つメアリは、数日たてば13才の誕生日を迎えるが、学園の卒業式は半年後、もう少し頑張れば卒業なのだが、
彼女にとって、半年とは永遠と思う程に追い詰められていた。
―――――「メアリ-マチルダ-アンダーソン!貴方は何を学んで来たのですか!こんな初歩的な呪文も唱えられないとは!」
嘲笑するクラスメートの視線を浴びながら、魔法担当の教師の叱責を受けるのは、入学直後からのお馴染みの光景になっている。
メアリは決して愚鈍でも、暗愚でも怠惰でもなかった。勉強もきちんと学び、身の内に潜む魔力もわかっていた。
しかし何故か使えないのだ。どれ程努力しようが、呪文を学ぼうが、皆目ダメだった。
おまけに人前だと言葉が出なくなり、惨憺たる惨状になるのは何時もの事。
「落ちこぼれのメアリ」
教師までもが、彼女の事をそう呼ぶ。助けの手を差しのべる事もない。
クラスメートからは人間で無い「物」の様に扱われ、彼女は孤独だった。
(家に帰りたい。ここに来てからそれだけ)
毎晩、毎晩涙で枕を濡らさない日はなかった。後1日、後1日と指折り数えて暮らす毎日、
それと共に彼女の中に溜まり続けてゆく、どろりとした黒い冷たい何か……
それは何かは誰も知らなかった。時がくるまで……
――――「メアリお前卒業出来るのかよ」
クラスメートの1人が不躾に聞いてくる。何時もの事。皆の視線がメアリに集中している。クスクス、ヒソヒソ……嘲笑と共に、
(答えちゃダメ 何を言っても無駄だから)
きゅっと唇を噛み締めると、目の前のクラスメートを無視し、提出する宿題を鞄から取りだし机の上に置く。
「お前、落ちこぼれのくせして、返事も無しかよ!生意気なんじゃね?」
ニヤニヤと嫌な笑顔で彼は、メアリの机の上に手を置く。その瞬間、机の上に準備した宿題や教科書から火の手が上がる。
「あ!酷い」
慌てて制服のローブで叩いて消す彼女の様子を見て、クラスメートは高笑いをする。
「いけないわ、教室内は火の魔法禁止でしょう?消さなきゃ」
クラスメートの女子が寄って来て、手を机の上にかざす。
ざぁー、と大量の水が現れ、辺りはバケツをひっくり返したかのような惨憺たる有り様になった。何もかもがダメになり、顔の色を青くするメアリに
「あら?ごめんあそばせ?少し多かったかしら?」
しらっと言い放ったその言葉に、クラス中が大笑いした。
(無理、もう、無理)
彼等の前で泣けば、今迄こらえてきたものが、一気に崩れるとわかっていた。そして、それはもう元には戻らないということも……
うつむき、ぶるぶると体を震わせ、己と戦っていたが、もう限界だった。メアリは両の手で顔を覆うとローブを翻し、教室から逃げ出した。
「はははっ!っざねーな!」
クラスメートの嘲る声を背後に受けて。
―――――あのまま飛び出し、教室には戻らなかった。明日が永遠に来なければと宿舎の部屋で泣きむせんでいた。
(どうやって逃げればいいの?産まれた時からつけてるこれは、お父様は「鍵」だと仰ったけど、私をここから逃がす扉の鍵ならいいのに)
メアリは、胸に下げてる小さな淡い水色の魔石があしらってあるペンダントを握りしめる。涙が溢れ止まらない。
(帰りたい、お母様)
ベッドから立ち上がり窓を開ける。せめて家の方向を眺め無くては、心が壊れそうな程に張りつめていたメアリ………
窓の外に広がる空は既に夜の帳に覆われていた。漆黒の闇、月が出ない日。
―――――「新月の夜」
「私、今日13になったんだ」
ぽつりと漏らすと絶望が彼女を包み込む、両親も兄も13才になれば「何か」が起こると言っていた。それを唯一の心の拠り所だった。
人並みに、せめて人並みに魔法が使える様になると思っていた。しかし現実は残酷だった。
(何も、変わらない、変わらない、変わらない、此のままの私が続くんだ……)
ぽたぽたと床に涙の染みが出来る。両の手でこぼれる涙を拭っても、拭っても、床に広がる染みは大きくなるばかりだった。
――――――最悪の誕生日を迎えた翌日、メアリは重い足を引きずりながら教室へと向かった。
「え、これって……」
彼女の目の前には廊下に投げ捨てられる様に散らばる自分の私物。あまりの仕打ちに呆然と立ち尽くして居たとき、
「メアリ-アンダーソン、貴方は何をしに来たのですか?」
冷たい声に振り向くと、クラス担任が険しい顔で立っていた。ショックで言葉が出ない彼女の肩越しに、様子を見ると、クスリと嗤う。
「ああ、もう来ない生徒の私物を片付けておくように、と言ったのですがね。仕方ない生徒達ですね。ちゃんとゴミ捨て場に持っていかないと」
ドンっとメアリにぶつかりながら、担任は教室へと入り、わざと大きな音をたてて扉を閉める。
(私が何をしたっていうの)
唇を震わせ、肩を震わせながら理不尽な怒りがフツフツと湧いて来る。両親の教え通りに、他者に対しては失礼の無いように、穏やかに接するよう今迄頑張って来た。
しかし彼女がいくら頑張っても周りは、ただ魔法が使えない、それだけで嘲り、嗤う、無礼な扱いをされ、誰1人として助け様ともしない。
鬱々と今迄溜め込んで来た、黒く冷たい、どろりとしたものが魔力と共に彼女の中を満たし、それはやがて外へとあふれでてくる。
足元から広がる黒い霧、それはどんどん濃度を高めて行き、やがて彼女をも包み込んだ時、
―――――轟音と共に辺りは漆黒の闇に包まれた。一点を覗いて、それはメアリの胸元、ペンダントの淡い光が一瞬、鋭く輝く、突然の事それには気がつかず、目を閉じ息を飲んだ彼女そして足元から、密やかな声がかかる。
『ご契約を、サンチェル家の者』
その声にいぶかし気に目を開けると、黒い布を頭から被り、大きな鎌を持った者達が彼女に対して膝まづいていた。『死神』と言われる者達……
「私が呼んだ?貴方達を?」
信じられない思いで彼らに問うメアリ、彼等はさも当然とばかりに頷く。
『さぁ、ご契約を、そして今迄貴方様を見下げていた輩共に復讐をば!漆黒のメアリ様!』
彼等の言葉で気が付く、肩に流れる薄い金色の髪が、闇夜の漆黒へと色が変わっていた。
両の手を眺める、魔力が身体の内から溢れ出てるのがはっきりとわかった。
(13才になるまで頑張りなさい)
父の、母の声が頭に流れる。ふと気がつき、胸に下げていたペンダントをまさぐる。しかしそれは既に消滅した後だった。
(鍵、そういう事、私の鍵……)
メアリは髪と共に変わった黒い瞳に光を宿す。そして彼等と契約をかわした。先ずは奴等に私にしてきた事の償いをさせねば……
――――――突然の闇に包まれた教室では、慌てふためき、どうにかして出ようと足掻いている。
「光です!皆、光の魔法で浄化するのです!」
担任教師のうろたえる声、それに応じて目眩滅法に魔法を打ち続けるクラスメート、そんな姿を愉快に思いながら、メアリは嬉々として、唄を口ずさみながら、彼等の前に姿を現す。
暗闇に包まれている為、誰も彼女の姿を目にする事は出来ない。ヒヤリとした空間に、冷たいメアリの唄声が流れる。
―――――サンチェル家のマルクにはお気を付け、優しい彼と話してはいけないよ、彼と話せば口から魂抜かれちまうからね。
サンチェル家のリアナにはお気を付け、紅き瞳を見てはいけないよ。チラリと見られ紅き光で石にされちまうからね。
サンチェル家のヨハネにはお気を付け、彼のアリアを聴いたらいけないよ、聴けば気が触れちまうから。
「その声は?メアリ-マチルダ-アンダーソンか?」
処かほっとした担任の声が可笑しくて、フフと笑いながらふわりとどこかまがまがしい白い光を纏う。
闇夜に浮かぶ彼女の姿を目にした、元担任と元クラスメート達は即座に恐怖に身をすくませ、息を飲む……
別人の様な漆黒の髪、黒い瞳、全身から溢れでるまがまがしい気が混じった魔力、そして彼女の周囲に配下の如く控える、大きな鎌を携えている者達………
「メアリ-マチルダ-アンダーソン」
ガタガタ震えながら、担任が彼女に声を掛ける。彼女はにっこりと受け、
「はい、ああ、元先生でしたね。一応私の先生でしたから、お教えしておきましょう、私の本名を、私の名前は、メアリ-マチルダ-サンチェルです」
「サンチェル………」
その禁じ名を聞いた全て者達はその場に凍りついたかの様に誰1人として動けない。
「はい、ですから先程の唄には続きがございます」
にこりと微笑えむと、喜びのアリアの様に楽しげに歌い上げる。
―――サンチェル家のメアリにはお気を付け、漆黒の彼女の姿を見てはいけないよ。見ると全てが刈られちまうよ。体も命も魂も――
「さぁ!お前達、全て刈っておしまいなさい!」
『イエス、マイロード』
控えていた配下の者達が大鎌を振り上げる。逃げ惑い、生き残るべく足掻く者達……
(フフフ、いい気味)
目の前で繰り広げられる、阿鼻叫喚の世界を満足そうにながめていた。
―――――「只今帰りました。お父様、お母様」
学園を闇に葬り、家に意気揚々と帰ったメアリ、その姿を目を細めて喜ぶ父マルクと母リアナ、
兄のヨハネは「王家」からの「音楽会」の依頼で留守にしていた。
サンチェル家は古くから王家に仕える名家の1つだ。但し表舞台に出ることはない。密やかに、決してだれにも知られ無い様に……
―――――サンチェル家の仕事、それは、仕える王家に歯向かう者達を粛清する事、その類い希な「力」で……
そして、あの学園に集められてた生徒の一族、教師の一族、働く者達全ては、王家に対して、将来歯向かう可能性が有るもの達の身内、
親が何かを企めば、すぐに「粛清」される者達だった。そう、見せしめの為に……
そうと知らぬ見栄ばかり張りたがる特権階級の親達は「王立」と名がつき、陛下自らが「選びし家」の子供達
僅か10人にも満たぬ人数の特別な学園に、入学が出来たとなると自慢気に触れ歩くという。
…………己の行状が我が子の寿命と直結してるとは知らずに…
今回、メアリが全てを葬り去ってしまったので、
抜け目がない有能な国王陛下が、音楽会と称して関係者を王宮に呼び、
ヨハネがちょこっとアリアを歌い上げ、記憶を操作するという依頼だった。
まぁ中には気が触れてしまう者達もいるだろうが、王家が無事なら犠牲の一つや二つ、関係無い事柄、
――――――彼女の前には、優しい笑顔の両親、会いたくて、会いたくて、やっと帰ってこれた我が家、
「お帰り、メアリや、頑張ってくれたね」
「お帰りなさい、メアリ、さぁお母様に抱かせておくれ、可愛い我が子」
(ああ、やっと帰って来たのね)
メアリは、母の腕の中に飛び込んだ。
―――――サンチェル家のマルクにはお気を付け、優しい彼と話してはいけないよ。彼と話せば口から魂抜かれちまうよ。
サンチェル家のリアナにはお気を付け、紅き瞳を見てはいけないよ。チラリと見られると紅き光で石にされちまうからね。
サンチェル家のヨハネにはお気を付け、彼のアリアを聴いてはいけないよ。聴けば気が触れちまうからね。
サンチェル家のメアリにはお気を付け、漆黒の彼女を見てはいけないよ。見ると全てが刈られちまうよ、体も命も魂も―――
「完」