六話 宅配業者の男性
「ひとまず午前の配達は完了っと。さすがにきつかったー....一人でこの量の荷物配達するってなんて無理ゲーだよ....」
小さい頃から体を動かす事は好きで、学生時代は柔道にひたすら打ち込むまさに体育会系一筋だった俺。では柔道の名のある選手になって目覚ましい活躍を遂げているのか?と言われれば答えはNOだ。
当たり前ながら上に行くには血の滲むような努力、運、才能など様々な要素が絡んでくるわけで。俺には目覚ましい才能も、必要以上の努力をする卓越した根性も、ここぞという時の運も、道から外れたことをする悪い意味での覚悟もなく。ずっと平々凡々。芽が出ず絵に描いたような挫折を経験し。かと言って体を動かす楽しみだけは忘れられず。結果希望し、無事就職が叶った先は宅配業者。
毎日それなりにやっているけれど愚痴をこぼしたい日だってあるというもの。
ましてや今日は配達しなければいけない荷物が多すぎるのだ。鬱憤を吐き出さなければ心が死んでしまう。
「昼飯食ったらまた荷物配達地獄なのは勘弁だけど、オアシスがあるからまだ救いはあるな」
サンドイッチをぱくつきながら一人ごちる。俺にとっての心のオアシスとなる宅配先を宅配リストに発見出来たのは幸運だった。今日を乗り切る力の源、心の拠り所になること間違いなし。自然とサンドイッチを食べるペースも速くなり、最後の一口。
「ご馳走さまでした。....よっし、もうひと踏ん張りやったりますか!」
雑貨屋【みずいろめがね】。オアシスに到着、配達時間調整に問題なし。多少世話話しても許される時間は有る。予定通りだな。
「すいませーん、宅配便です」
「はーい。今行きます」
今日も声まで麗しいな。
早くお姿を拝見したい。
もうすぐだ。もうすぐ。ほらきた。
「お荷物こちらです。判子お願いします」
彼女こそ、この雑貨屋がオアシスたる由縁。誉 佐和さん....容姿のみならず名字も名前も気品に満ちている事に毎度感嘆の溜め息を漏らさずにはいられない。
おまけに気立てもいい(初めて配達に来たとき、真夏のぎらつく日射しが大変に堪えて汗だくになりながら荷物を渡すと冷たい飲み物を下さった。心のみならず文字通りのオアシスの役割も果たして下さったのだ)
とくればもはや彼女を構成する全てに欠点などないだろう。
ヴィーナスは、ここにいる。
「いつもありがとうございます。判子、こちらに」
「はい、確かに。ありがとうございました。今日は随分と冷えますね」
「本当に。お互い体調に気をつけないといけませんね。良ければポケットカイロをどうぞ。荷物を運ぶ際に指先は特に冷やすといけないでしょう?」
「宜しいんですか?ありがとうございます!助かります」
「どういたしまして。世の中持ちつ持たれつ、ですから」
「有り難いです。では、これで」
「お疲れ様です。お仕事頑張って下さいね」
「も、もう今日は手を洗えない....いや、断固として洗いたくない、なんてどこぞの女子みたいな台詞を吐く日がくるとは」
絶えずどもりそうになるのをなんとか堪えて佐和さんと話すことが叶い。更にはカイロを渡して下さった手が。手が。
「――暖かくて、柔らかかったなぁ....」
触れた時の感動は簡単に言葉で言い表せるものではない、例え触れた時間、触れた範囲がほんの僅かだったとしてもそんなもの俺にとっては痛くも痒くもない事実。重要なのは【偶発的であれ、佐和さんに触れることが出来た】ということ。今日という日に万歳。貰ったカイロも大切に取っておこう。肌身離さず持っていたい所だけれど汚したくないからな。帰宅したら部屋にしまっておくか。
――それからも佐和さんとは配達時他愛のない会話を少しづつ交わす日々。話をする度に佐和さんのことが好きになっていく。
――佐和さんを、また一目でいいから見たい。最初は、自分でいうのもなんだがまだ可愛い範囲に収まっていた。収まったままなら――良かったのに。
――佐和さんと付き合いたい
――佐和さんとずっと一緒にいたい
――佐和さんとデートしたい
――佐和さんとキスしたい
――佐和さんと....xxxしたい
一度爆発的に膨れ上がった欲望はとどまることを知らずまた理性で抑えることも許してはくれず。ついに――爆発した。
「....何やってるんだろう、俺」
口には出すもののとっくに理性は壊れている。止めるという選択肢は存在しない。
ここは雑貨屋【みずいろめがね】の前。今夜俺は――夜這いを決行する。
雑貨屋の二階が佐和さんの自宅であることは配達に何度も向かううちに調査済み。(ついでに言うと、雑貨屋から二階が一部見えるのだが、寝室のドアも見えており鍵がついていない造り....夜這い決行を決意するのに拍車をかける理由には十分過ぎる)計画はこうだ。
まず、事前に通販で頼んでおいたピッキング道具でドアを開ける。次にこれまた通販で頼んだ暗視スコープを装着、慎重に移動。寝室まで到着したら後は――
「....いくぞ」
まずはドア。ピッキング道具で難なく開く。次に暗視スコープを着けてから、慎重に移動。わ、と。この暗視スコープ、思った以上に慣れないな。眼鏡だとつけにくいから裸眼の状態でつけたからか。くそっ、装着テストぐらいしておくんだった。眼鏡をかけて暗闇に慣れてから二階に行くことにするか。暗視スコープを外し――
――カタンッ
「――!」
商品陳列棚にうっかり肘が触れてしまったようだ。まずい。抜け過ぎだろう、俺。
「さっきの音で佐和さんを起こしたかもしれない。としたら長居はまずいな....明日、出直すか」
素早く移動、施錠。大慌てで帰宅。ミッション....失敗だ。
「――生きた心地が、しなかった――」
暴走した感情が強制的に治まった後に訪れたのは、強烈な後悔。
無数の人々に痛烈な批判を浴びせられる妄想が、止まない。
「うう、明日出直すかとか思ったけど....冷静に考えたら今日やったことって普通に犯罪だよな....バレなかったのは奇跡かもしれない」
決めた。夜這いはやめよう。その代わり、佐和さんに正々堂々告白するんだ。ありったけの思いを込めて。振られたら――佐和さんを忘れられるように、一度だけ酒を浴びるように飲んでやろう。そして新しいオアシスを見つけるんだ。
「当たって砕けろ、やったるぞー!」
ポロリ。
「ん?上着のポケットから、何か....これは.... 種?」
うっかり商品棚に肘を当ててしまった時にポケットに紛れ込んでしまったか。かといって返しにいくのは犯罪がバレるしな....
「育ててみるか」
反省はしている。が、種を育てることで佐和さんと繋がっていられるのでは?などと意味不明で支離滅裂な考えと誘惑に、未練タラタラな俺はあっけなく敗北してしまうのであった。
道具を揃え、種を植え、育てると充足感が心を満たしていく。呼応するように植物はすくすくと成長し――
「佐和....さん?」
佐和さんそっくりの姿に見えるのは気のせいだろうか。現実的に考えるとあり得ない。では目の前にある光景は一体何なんだ?これは夢か?夢なのか?夢、なのか....
いや。
確かに佐和さんはいる。それも――俺の部屋に。
「ああ、そんな所にいたんですね――佐和さん。もう離しません。ずっと、一緒ですよ――」
――おい、あいつ今日も来てないのか?
――ああ、無断欠勤らしいぞ。さすがに見過ごせないから部長が自宅に行くってさ。
――そうか。なあ、知ってるか?あいつの家に関する噂。
――なんだよ。
――家中、植物が覆い尽くしてるって――
数ヵ月後、雑貨屋【みずいろめがね】にて。
「こんにちは、お届けものです。」
「はーい。....」
「あの、どうかされました?」
「ああ、不躾に見つめてしまってすいません。いつも荷物を配達してくれていた方と違ったもので、つい」
「なるほど。この地区の配達してたあいつなら、今入院していますよ。いつ退院出来るかわからないとかで。僕はその代わりに担当になった者です」
「そうなんですね。お大事に、とお伝え下さい」
「――伝えられれば、いいんですけどね――」
「え?」
「ああ、いや、失礼しました。判子、こちらにお願いします」
「はい、これで宜しいですか?」
「ええ。ありがとうございましたー」
「お疲れ様です。お仕事、頑張って下さいね」