一話 冴えないサラリーマン
大失敗だ。
取引先へ渡す書類を無くすなんて。
しかも(本当は良くないが)社内の中で無くすならまだしも外出先で、取引先へ向かう途中のどこかで無くすなんて。駅、休憩したファミレス、交番。あらゆる所へ問い合わせたものの、見つからない。
当然のごとく俺は上司から大目玉をくらった後、即刻クビ。自業自得にも程がある。妻や子どもがいれば慰めてくれたりして幾分か心の傷も癒えたかもしれないが、生憎俺はしがない独身。傷は広がるばかりだ。おまけに先ほど某SNSで友人から結婚報告がきて塩まで塗り込まれる始末。絶望とは、現在の状況を表すのにぴったりな言葉かもしれない。
「どうしろってんだ....」
満身創痍で仕方なく帰路につく。ああ。何か。何かチェス盤をひっくり返すような出来事が。目の前が明るく開けるような出来事が起こってくれれば。
おねがいしますかみさま。チャンスをください。
都合の良いときだけ神頼みする自分を見て神様は呆れるだろうか。それともちっぽけな人間に同情くらいはしてくれるだろうか。
雑念が渦巻く中、普段なら気にも止めなかったであろう雑貨屋が目に入る。まだ夕刻になって間もないのもあって店は営業中。気分転換にいいかもしれないな。俺が雑貨屋へ入店を決めるのにそう時間はかからなかった。
――カランコロン
寂れた喫茶店にありそうな小気味いい入店音がこだまする。
ドアチャイムの音なんて久しぶりに聴いたな。
昔は当時付き合ってた彼女とよく喫茶店に行って、他愛のないお喋りをしたっけ。懐かしい。
店内に陳列されている品のいいアンティーク雑貨の数々が昔を思い出すのに拍車をかけているらしい。柄にもなく涙が出そうになる。
「いらっしゃいませ。.... 何かお探しですか?」
店主の声かけに慌てて顔を上げ
「あ、いえ、特に探し物はなくて....気分転換に来たんです。」
と返す。危ない危ない、店にきていきなり泣くなんてことになったら思いっきり不審者確定だったろう。
「気分転換ですか。でしたらこちらなんていかがです?植物を育てるのも良い気分転換になるかもしれません」
「これは....種、ですか?」
もう少し詳しくいうとカラフルな種、だろうか。数色が綺麗に混じりあった、形はひまわりに似ている種が手渡される。
「ええ。ただし普通の種じゃありません。これはフォーチュンシード。いわゆる【運試しの種】になります」
「はあ....?」
怪しさ満点なものの、運試しという言葉は今の自分には魅力的だ。なにせ明日から無収入。どんなに小さなことでも現状打破の為には藁にだってすがりたい。
「この種、どうするんですか?運試しって一体....」
「まずは普通の植物と同じように植木鉢に土を入れ、種をまき、水をやって育てます。運試しというのは、育てた結果何ができるかはお客様次第だからですね」
「というと?」
「常識的にありえないものも出来たりします。例えば....そうですね、前にいらしたお客様の報告ですと亡くなった人そっくりな赤ちゃんとか、前に無くしたと思っていた宝物とか」
「種から赤ちゃんですって!?そんなことが起こりえるんですか!?そんな....信じられない。それに、そんなことがあればマスコミなどが報じるはずでは」
「ふふ、うちのお客様は口が堅いんですよ。後、信じられないようなことも起こすのがこの種なんです。胡散臭いと思われるのは自然なことですが....どうです?運試し、してみますか?」
本当にありえない。ありえない。が。
「....お願いします」
目の前に美味しそうな人参をぶらさげられておいて食べようとしない馬はいないだろう。それと同じさ。うん。
「かしこまりました、どうぞ。お代はお客様が次回も来てくださるように、サービスしておきますよ」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
「はぁー」
帰宅して早々に深々と溜め息を吐く。なにやらとんでもないものを貰ってきてしまったな。フォーチュンシード。さて、あの店主さんが言ったように育ててみるかどうするか。運試しという言葉には飛び付いたものの胡散臭さは未だに拭えない。
説明された通りに奇妙奇天烈なことが起こるのか。はたまた店主さんが俺をからかうためについた真っ赤な嘘なのか。
現実的に考えると圧倒的に後者だが、はたして。
「ええい、ままよ!」
何かが起こったなら起こったとき対処すれば良い。起こらなかったらそれまでだと腹を決めることにした。(起こらなかったら貯金を崩しつつ堅実に就職活動することにしようか....溜め息が出るが最善の手だろう)とにかくやるしかない。
というわけで。
フォーチュンシードなるものを育て始めて日にちが経つと芽が出て、伸び始め、あっという間に実ができたわけだが。ここまでなんら変わったことはない。
拍子抜けしつつも育て続けたある日。実は弾け、数個何かが転がっているようだ。
「ん....なんだこれは?キラキラして....宝石みたいな」
そうだ。宝石のオパールに、似ている。いやそんなまさか。
半信半疑で宝石店に冷やかしはお断りだと怒られるのを覚悟で見せに行ってみると、宝石店のオーナーは見せた途端に顔色を変え、慌て始めたので何事かと聞くと「これは極めて純度の高いオパールです。かなり高額になりますよ」と興奮冷めやらぬ様子。
――どうやら俺の運試しは、良い方向に転がったらしい
(今度菓子折りでも持っていかなきゃな。あの店に寄ってみて良かった)
数ヶ月後、雑貨屋【みずいろめがね】にて。
「お、あのサラリーマンさんがTVに出ているじゃないか!ふむ、起業に成功した社長の素顔、ね。サラリーマンさんの運試しは大成功か。神様に想いが通じたのかもしれないな。良かったなー、ルピ」
「ニャー」
「ん、その顔は前にサラリーマンさんが持ってきてくれた猫缶を思い出しているな?」
「ニャー」
「今は駄目だ。あの猫缶は高級品なんだ。ホイホイ買ってたら雑貨屋が潰れてしまうぞ」
「ニャー」
「はいはい。またいつかな。....む、猫缶のことを話していたら猫缶と一緒に持ってきてくれた高級お菓子の詰め合わせの事を思い出してしまったじゃないか。アレは絶品だった....」
「ニャンッ!」
「ん?あいたたたっ!こら!私の髪留めを取るな!!返しなさい!ルピ!まちなさーい!」