朝露もろこし奇談
偶然ワイドショーで幻のトウモロコシ「あまひげ」の存在を知った孤独を友と掲げる陰気な主人公「私」は仏頂面で無口な友人「O」と一緒にあまひげを買いにいくことに。しかし、そこに放置されていた一本の傘を調べていく内に物語は思わぬ展開へ。
早朝の街で起こる、トウモロコシを巡るドタバタ喜劇!
「——危ないっ!」
強烈な力で襟首を掴まれ、前方に引き寄せられると同時。世界が回転して、鼻腔にはトウモロコシの匂いが広がった。
何故こんなことになったのか。それは昨日の夕方まで遡る。
講義を終え、次の講義まで時間が空いてしまった私はふらふらと学生食堂を訪れた。特に腹も空いていないのだが、ここならばお茶をただで飲める他テレビィなども設置されていて中々に時間を潰せるのである。そこで私は講義に隙間が出来る度にここへ顔を出し、誰といるともなく何をするでもなく茶を啜っているという訳だ。あくる日もあくる日も食堂の片隅で茶を啜っているその姿はもはや茶飲み妖怪として大学の七不思議の一つとして数えられん勢いであったといっても過言ではないだろう。
そんな折。
「なんとあの『あまひげ』が、こんな街中で見られるんですねぇ。」
夕方のご当地ワイドショーでアナウンサーがはつらつとした笑顔で言った言葉が私の聴覚を刺激した。
あまひげといえば、糖度が18以上あるというフルーツのようなトウモロコシで、その味はどんなトウモロコシも及ばないらしい。らしい、というのは私自身そのトウモロコシを食べたことが無いからだ。あまひげの生産数は非常に少なく、滅多に市場には出回らない。その為、幻のトウモロコシとも呼ばれている。
番組はよくある繁華街の店を紹介する構成である。その中の露点でトウモロコシを売っている店をアナウンサーが見つけて、はしゃいでいた。私はトウモロコシを生で食する彼女を食い入るように見つめた。糖度が高いため、茹でていなくても食べられる、と説明されている。番組が終わると、お茶はすっかり冷めていた。私は立ち上がり、熱冷めやらぬ足取りで講義へと向かった。
さて講義が無事に終わり、その夜のことである。私は孤独を友と掲げる陰気な男であるが、この驚くべき事実を誰かに伝えたくてたまらなくなった。学生寮の角部屋で悶々とすることに耐えきれず、唯一の友人であり隣人であるOの家のドアを叩いたのである。
扉を開けてくれたのは全身を四角で表現したような大きな男。彼はいつものような生真面目な顔でひとつ頷くと部屋の中へと入れてくれた。
「あまひげが売っているらしい。」
開口一番でそう告げると、その四角い眼鏡の奥の瞳が興味深げに光った。
「我々は、なんとしてでもそのトウモロコシを手に入れなければならない。」
いつも無口な彼は、やや熱のこもった声でそう言った。
結局昨日の番組では、あまひげが「朝から売っている」ということしか掴めなかった。それから話に熱と酒が入り、明日が休みという楽観的事実も手伝って私はOの家で寝入ってしまった。
起きた時にはOの姿は見えなかったが、彼がどこにいるのかはすぐに分かった。
「まずいことになった。」
それは私がOからの着信で目が覚めたからである。時計の針は6時を指すところであった。間違ってはいけないのは、今が夕方では無く早朝の6時だということである。
「早く来てくれ。このままだと通報される。」
まさに、一つ返事をして駆け出す。唯一の隣人である友人を社会的に失うのはこの上なくまずい。
私は寝ぼけた頭を振りながら、少ない荷物を抱えてOの家の玄関を出た。そして玄関先にぽつんと置かれ、明らかに何も植える予定が無いであろう鄙びた植木鉢の土を右手で掻き雑ぜた。いびつな植物の種のような、鈍色の鍵がのっぺりと現れた。
それをつまみ上げ、養分の枯れ果てた土を払い落した。幾分綺麗になった鈍色の種が、本来あるべき場所へと埋まっていく。ガチャリと小気味よい音が施錠を知らせた。それを再び、干からびた土の中へと無造作に埋めた。
かくして。場所は近くの商店街。昨日、件のアナウンサーが歩いていた商店街である。
といっても、私達の住む街は朝が遅い。そのためどの店も9時ないし10時にならないと開かないので、今はシャッター街のような様相を放っている。
そして、朝の6時にはトウモロコシは売っていない。
「……何故5時半なんだ?」
私は神社の鳥居の横に立つ、仏頂面をした四角の巨人を尻目に6時を15分過ぎた腕時計に目をやる。
「サイトに、あまひげのサイトに記載があった。有名なトウモロコシで、早い人は5時半には並んでいるらしい」
「それは、産地直売の話じゃないのか……?」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。季節は春の終わりを告げ、鳥が軽やかに鳴いている。いい朝だ。
こんないい朝に仏頂面の巨漢が長い間、鳥居の横にじっと佇んでいるとする。さぞ恐ろしいことだろう。私が近隣住民なら間違いなく通報する。
すると、
「何かご用でしょうか?」
私たちの話し声を聞いてか、善良な市民がついに通報したのか。誰かが声をかけて来た。その柔和な声に振り返れば、白い着物のようなものを着た男性がいる。歳の頃は60に差し掛かったといったところで、整えた髭を蓄えている。その手には竹ぼうきを持っており、その出で立ちからどうやら神社の関係者のようだ。
「トウモロコシを探しているのです。」
Oの言葉に男性は困惑したようであった。私は警戒心を与えないためにも精一杯の笑顔で不審者の後を引き継いだ。
「昨日この辺りに、屋台のような形でトウモロコシを出している店があると聞いたもので、ウォーキングがてら場所を確認しに来たのです。何時頃販売が開始されるかご存知ではありませんか?」
私の爽やかさなど微塵もない不気味な笑顔と、説明のおかげか。はたまた滲み出る必死さに気圧されたのか、男性は困惑顔から思案顔へと表情を変えると答えてくれた。
「それなら、朝の10時くらいから色々販売していますね。」
男性の話によると、神社の一部をフリースペースとして貸し出し、古本市や骨董市が開催されているようだ。トウモロコシもそのスペースで販売するらしい。
私は男性にお礼を言って時計に目をやる。あと15分程で7時になるという時間であった。
「少し歩こう」
3時間も待つには場所が悪い。
しばらく歩いただろうか。街並みが次第に変わり、洒落たドーナツ屋などが消え失せ、饅頭屋などが台頭してくるようになった頃。
休憩用のベンチに一本の傘が放置されているのを見つけた。不思議なのは、石突きをこちらに向けて傘が開かれていることだ。
「あの傘についてどう思う?」
突然Oは隣にいる私に尋ねてきた。
「ふむ。女物だな。それに下の骨が一本折れている。ハンドルは、ここからだと確認できないな」
私はしたり顔で答える。
これは私とOがたまにやる遊びで、放置された自転車や壁に描かれた落書きなどから持ち主やその過程を推理するのだ。
しかし、実際は推理などとは程遠く、連想ゲームなどに近いかもしれない。
気分は小説の中の探偵や刑事であるが、ママチャリの持ち主を40代の気難しい主婦と予想した時など、チェーンロックを外し颯爽と乗っていったのは金髪の青年であった。
私は時計を確認する。7時30分を回ろうとしていた。まだ「あまひげ」の販売には時間がある。この辺りで時間をつぶすのも悪くない。