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第六話

 それからもココロは遊祉と涼穏を連れて、種々の販売ブース、屋台を見て回った。

 プリンにバームクーヘン、お団子、カステラ、クレープ等々、ココロは爺臭い言動とは裏腹に子供っぽく、甘い物が普通に好きなようだった。



 柔らかそうなほっぺたをもぐもぐと動かして、綻んだ顔で甘い物を次々と口に入れる様は例え遊祉でなくとも祖母が孫に沢山のお菓子を与えてしまうような、そんな気持ちになるだろう。



「志燎。すまんが、ちょっとトイレに行ってくるからエレクトールを宜しく頼む」

 遊祉は志燎にそう言った。当のエレクトールは今度は何を食べようかときょろきょろと辺りの販売ブースを見渡していた。


「分かりました。そもそも私は貴方なんて戦力に数えてません。一時間でも何時間でもお好きにどうぞ」

「いや、そんなに掛からねぇよ。ションベンだ」

「そんな下品な事を普通に言わないで下さい……」

「まあ、頼んだ」

 遊祉はそう言ってその場を離れる。


 後には当然ながら涼穏とココロが残される。


(そっか……エレクトール教授と二人きり、か)

 あんなにも憧れていた相手との二人きり。しかし、いざ二人きりになってしまうと涼穏はどうして良いか分からなかった。


「ユーシはどうした?」

 そんな風に気後れしていると、ココロがやって来てそう尋ねた。


「ニート、……新戸さんはお手洗いに行っています。すぐに戻ってくると思います」

「そうか。今度はココロが何かご馳走してやろうと思うたが。リオンは何か食べたい物とか無いのか?」

「いえ、私は……」

 謹んでお断りしようとココロを見ると、彼女の頬にはクリームが付いていた。

 恐らくは先程食べていたクレープのものだろう。


「エレクトール教授。こちらへ」

 涼穏はココロを休憩用のベンチに座らせると懐からハンカチを取り出した。


「何じゃ?」

 ココロは不思議そうな顔をでこちらを覗き見る。涼穏も彼女の隣に座った。


「動かないで下さいね」

 涼穏はココロの口元をハンカチで拭った。


「……むー、子ども扱いするでない」

「エレクトール教授。お言葉ですが、そういう時は言う言葉はそうでないかと」

「成程。これは失敬」

 そう言ってココロは恥ずかしそうに口にする。


「かたじけない」

「それ、少し変な言い方ですね」

「そうかの。ココロに日本語を教えたのは祖父じゃ。その影響かの」

「そうでしたか。失礼致しました」

「構わぬ。それよりリオンには妹は居るのかの?」

「妹ですか?」

 涼穏は何でそんな事を聞かれたのか分からず目を丸くした。


「いえ、……姉は居ますけれど」

「そうか。随分と手馴れているからてっきり、のう」

「それは、姉の影響だと思います。姉は面倒見が良かったですから」

「ほう。姉か」

「ええ。お姉ちゃんはとても優秀で、完璧な人でした。昔から何でも出来て、それを鼻にもかけず鈍臭い私にも優しかった。そしてそれはこの情戦特区に来ても変わりませんでした。ユーザー適正は最高のクラスⅤの【レッドユーザー】。中学一年生の頃には既に執行部入りしていて二年生に上がる頃には既に企業とは契約済みでした。しかも専属企業契約先は十大企業の内、シェア三位の『アイアース』です」

 『アイアース』は宇宙開発事業を専門に手掛ける企業だ。プログラム開発の分野としては運動エネルギーや熱エネルギーの操作プログラムなどを取り扱っている。

 企業によるシェアランキングで力関係を単純に表せる訳でないが、シェアが高い程資金が潤沢なのは共通していて、その分だけ開発力が高く、契約するのも比例して難しくなる。



「一方私が企業と契約を交わしたのは中学三年生に上がる手前で、執行部入りしたのは一ヶ月前くらいです。こんなんじゃお姉ちゃんには到底追い付けません」

「そうかの。十分頑張っておるではないか」

 涼穏はふっと破顔した。太股の上に置いた拳に自然と力が入るのが分かった。


「憧れなんです、ずっと」

「憧れ、のう」

「ええ。ずっとお姉ちゃんに憧れていました。あの完璧なお姉ちゃんに近づこうと、あの凄さにちょっとだけでも近づけたら。ずっとそう思って私はこの情戦特区に来たんですから」

「ふむ、そうか。お主は凄いの」

「凄い?」

 予想外の答えが返ってきた事で涼穏は驚いた。そんな涼穏をココロは見遣る。


「うむ、凄い。憧れと言うのは光を作るが、時に陰を作るものだからのう」

 碧い瞳は真っ直ぐに涼穏を捉えて離さない。涼穏は自分の頬が熱くなるのを感じた。



「それだけに心配じゃ。お主がいつか――――ぽっきりと折れてしまうのではないか、と」

 ココロはベンチから立ち上がる。そして振り返ってみせた。

 白衣がバサリと宙に浮かぶ。真っ白な髪の毛と合わせてそれは季節外れの新雪を思わせ、とても幻想的な一枚の絵画に見えた。


「しかし、リオンの姉上か。そうまで言うからには少し会ってみたくなってきたのう」

 その言葉に涼穏の表情が翳った。


「ええと、そのお姉ちゃん何ですけど――――」

「ちょっと――――宜しいですかな?」

 涼穏の言葉は突然表れた男によって遮られる。涼穏とココロは顔を上げた。


「貴殿がココロ=エレクトール博士、で宜しいですか?」

「誰ですか、貴方は」

 何事かと涼穏は男の言葉を聞いて警戒を顕わにする。それを見て男はにっこりと笑った。


「失敬。私は御堂みどう 正巳まさみと申します。字は御礼の御に聖堂の堂、そして正しきにヘビの巳です。以後お見知りおきを」

 丁寧過ぎて逆に胡散臭さを覚える慇懃無礼な男だった。深々と頭を下げる男は喪服を着て、顔には銀縁眼鏡。髪は短髪。行動は堂に入った年季の入った男性のようだが、よくよく見れば顔は若々しく、どう見ても涼穏とはそう幾つも歳が離れているようには見えなかった。


 そんなアンバランスな様子が一層、胡散臭く感じる、そんな男だ。


「では、改めて。貴殿はココロ=エレクトール博士で宜しいですかな?」

「……いかにも。ココロの名はココロ=エレクトールに間違いない」

「成程。では一つお聞きしたい」

 御堂は前置きをしつつ、こう尋ねた。


「貴殿は【ランクS】のプログラムを今現在お持ちですかな?」

「……ッ、お主、どうしてそれを」

 ココロの表情が目に見えて変わった。焦燥が浮かぶ少女に御堂は何の躊躇いも無く続ける。


「この度、私は【ランクS】のプログラムを譲り受ける為にここへ参りました。是非とも理解ある回答を戴きたい」

「貴方……一体何を言っているんですか!?」

 涼穏は御堂とココロの間に割って入った。


 それと同時に両手を祈るようにして組む――――これが彼女の『プログラム起動キー』だ。

 同時に左腕に着けられた『オートマトン』――時計盤の無い腕時計のような形をした小型機械――が駆動を始める。

 戦術プログラマーと称される人間を判別する手っ取り早い方法は『オートマトン』を携帯しているかどうかだ。


 『オートマトン』。正式名称は『プログラム格納及びプログラムの実行操作用携帯機』である。

 構築された戦術プログラムを保存、起動させる事の出来る小型機械であり、戦術プログラムを扱うプログラマーにとって必須のアイテムである。


「悪いですが……、貴方の好きにはさせません」

 静かな駆動音を走らせながら涼穏の戦術プログラムが起動した。


 オートマトンは小型デバイスによって操作する事も可能ではあるがプログラマーがプログラムの起動を行う際、一分一秒を争う状況によってはその操作すらも命取りになる場合がある。

 よって各種プログラムに任意の『プログラム起動キー』を設定する事により素早く戦術プログラムを起動させる事が可能である。


「そう言えば貴殿の名を聞いていませんでしたね。伺っても宜しいですか?」

「執行部第九支部所属、志燎涼穏です」

「ほう、あの――」御堂の目が見開かれる。


「知っていますよ。クラスⅤで在らせられる志燎真緒様の妹君だとお聞きしております。何でも姉には及ばないまでも高い能力を持ったプログラマーだとか」

「……お姉ちゃんは関係無いです」

「これは失礼。少々心配だったもので、つい。噂によるとどうやら最近失踪したとか」

 涼穏に衝撃が走った。何でその事を知って――――


「何でその事を知っているのか、とでも言いたげですね」

「そんな事……ッ、今は関係ないでしょ! 今すぐここから消えて!」

 声が震えた。涼穏は自分がその事を未だ引き摺っている事を知り、下唇を噛む。


「志燎涼穏様。そういう訳には参りません。私はエレクトール博士に用があるのですから」

「どうしても消えないなら力づくでも……ッ」

「出来るのですか、貴方に」

「舐めないで下さい。私だってクラスⅣのプログラマーなんですから」

 涼穏は拳を構えた。メインプログラムは既に起動している。


 彼女のプログラムであれば優男一人くらい片付けるのは容易い。

 だが、それは相手が何の力も持たない一般人であった場合の話だ。

 御堂の左腕にはオートマトンが不気味に光っている。


 彼の持つ得体の知れない雰囲気も合間って無闇に手を出すのは危険だと思われた。


「良いのですか? この人通り、貴殿のプログラムをここで使うのは不味いのでは?」

「――――ッ」

 プログラムが知られている――――涼穏の背筋に嫌な汗が流れる。


「私は話し合いをしに来たのです」

「貴方と話す事なんて何もありません」

「リオン、わッ!」

 涼穏は小さな悲鳴を上げるココロを抱きかかえると、高く跳躍してみせた。



 あっと言う間に十五メートルは遠くにあるエスカレーターの手すりに着地すると、吹き抜けである事を利用して次々と跳躍して天井近くまで上っていく。

 涼穏のメインプログラムは身体能力強化プログラム【憧憬武鎧(プログラムウェア)】である。


 プログラムが起動している間はユーザーの基本身体能力・能力数値のほぼ全てを自由に改竄する事が可能なプログラムだ。

 今涼穏が行っているプログラム処理は涼穏の身体能力数値に関する情報を取得した後に体重を擬似的に減少させ、各種筋力を強化改竄。逃亡に特化した身体能力値に変換している。


 但し【憧憬武鎧】の干渉範囲は涼穏の身体に限定される。よって人ごみの中で戦闘行為を行えば高い身体能力に巻き込まれて犠牲者の出る確率が高い。加えて敵のプログラムは未知数。



 涼穏の判断は極めて正確で、且つ冷静な判断だった。

 あっと言う間に涼穏は御堂の視界から消えて行く。



「……行ってしまわれましたか」

 端的にそう呟いた後、御堂は口端を歪ませた。


「しかしながら、どんなに速くとも私から逃れる事は不可能です」


 不気味な笑みを偲ばせながら御堂はその場から煙のように、その場から瞬時に消えてみせた。

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