第六十一話
「はぁ……はぁ……はぁ……はっ、は……」
暗い路地裏、人気の無い場所を進むのは黒髪のオールバックが特徴的な男だった。
乱杭歯をがちがちと震わせ 、悪態を吐きながら走っている。
「くそッ、クソがァ! あの高慢ちきな野郎め、俺にあんなボロを貸付やがって! なにが『期待している』だ! 畜生が! あッ」
焦っていた為か、路地裏に放置されていたゴミ箱に蹴躓いて転んでしまう。
「くそ、クソがァ! 俺はまだ、俺はまだ終わらない、そうだ『セフィロス』が俺を見捨てる筈がない! 復讐だ、そう、復讐を――――」
「――――小黒田薇、だな」
路地裏の出口、そこへと向かって走っていた男――小黒田薇は青年に呼び止められる。
「あぁ! 誰だ、お前は! どうして俺の名前を――」
「執行部第九支部の人間だと言ったら分かるか?」
青年はボサボサの茶髪に、イヤリングを耳に着けたいかにも不良然とした格好の男だった。着崩したシャツを風ではためかせながら、路地裏の出口を塞いでいる。
「執行部う? 知るか、ボケが! 俺は先を急ぐんだ!」
「悪いが俺はお前に用があるんだ」
青年――深義憩心は小黒田に向かって手を翳し、そして握り潰すように拳を握った。
「――――なッ」
その瞬間、小黒田の身体はうつ伏せに倒れ、地面に貼り付けられたかのように動かなくなる。
手を動かそうにも動かない、声を上げようにも苦しくて思い通りにはいかない。
「……あ、や、止めろォ! 止めてくれェ!」
「小黒田薇。俺はあんまり働かないんだ。面倒臭がりでな。しかしその俺が働かなくてはいけない時がある」
「何を、はぁ……はぁ……止めてくれェ! 謝る、謝るから、はぁ……お、溺れるぅ!」
「それはな小黒田薇――――俺の仲間が傷つき、倒れた時だ」
「はぁ……はぁ……悪かった。許してくれ。そんなつもりじゃなかったんだ」
その時だった。不意に携帯電話の着信が鳴る。
「……あ」
鳴ったのは小黒田の携帯電話だった。憩心は無言で出るように促す。
「……、もしもし、俺だ」
『――――やあ、薇君。元気そうで何よりだ』
通話先から聞こえてくる声に小黒田は強烈な怒りを覚える。
「……クレミア、トレイス」
『とは言え、君には失望したよ』
「失望、だと? あんなものを渡しておいて失望? 馬鹿も休み休み言え! 責任だ、責任を取れ! 今すぐ俺を助けるんだ!」
『――醜いなあ』
「……なん、だと」
『醜いと言ったんだ、薇君。君に今、電話したのは君に言っておきたい事があるからだ。僕はね、君の可能性が見たいと言った。なのに君は今回一体何をしたんだい? 高みの見物を決め込んで、それが失敗すれば逃亡。何処に君の可能性が見えると言うんだ。君のキャラクターは一体何処にある? ……君への『期待』はもう終わりだ』
「なにを……なにを言っている! 止めろ! 待て! 俺はこんなところで終わって良い男じゃない! 夢を、俺には野望が沢山あるんだ! 待って、助けて下さいお願いします何でもしますからぁあああああああああ」
それ以降、薇の呼びかけにクレミアは一切応じなかった。
その一部始終を見ていた憩心は泣き喚きながら投げ捨てた携帯を拾い、耳に当てる。
「……もしもし」
『ふむ、その声は――――深義憩心君だね。よくやってくれた。君もまた素晴らしい可能性でありキャラクターだった。期待した通りだったよ。僕は満足した、ありがとう』
「お前だな。さっき俺に対して小黒田薇の情報を流したのは」
『そうだ。まあ楽しいものを魅せて貰ったせめてものお礼と言う奴だよ。薇君は恐らくは僕が何もしなくとも正規部隊辺りに捉えられていたと思うが……、恐らく君は自分で引導を渡したいだろうとそう思ってね』
「ああ、それについては感謝している」
だが、と憩心は続けた。
「お前は一体何者なんだ。お前は一体誰だ?」
『悪いが今夜はこれで失礼するよ。楽しかったよ、またいずれ――――』
「おい! おい、待て!」
呼び止めようと声を荒げた時には既に通話は絶たれ、後に残ったのは空虚な電子音とそして耳を塞ぎたくなる小黒田薇の鳴き声だけだった。
何処か引っかかる、言い知れぬ何かを残し、【洗脳プログラム】に関する一連の事件は幕を閉じる事となる。
梅雨の間の一時。雨が上がる先に背筋を撫でる不安を残して。
明日、一気に更新(四話分)を行いますので宜しくお願い致します。




