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第五十話

 『壁』だ。目に見えぬ壁がそこにはあった。


「がはッ!」

 また一人、同僚が目の前で不意に吹き飛ばされる。振り返ると同僚は十メートル近く吹き飛ばされていて、握っていた拳銃が地面へと転がった。



「くそッ、撃て! 撃てェ――――!!」

 また一人が一心不乱に拳銃を撃つ。その先に居るのはまだ若い女性だ。警官が少女に向かって発砲するなど問題になってもおかしくは無かったが、今回は随分と状況が違っていた。



 聡明そうで美しい顔立ちの彼女は拳銃を握る警官達を前にして、驚くどころか絶えず冷静だった。澄んだ表情でにっこりと笑った彼女が一度右腕を振るうとまたも警官が一人吹き飛ばされる。まるで台風でも操っているかのような、黒い出で立ちをした彼女の姿はさながら死神でも見るかのようだ。拳銃の弾は目に見えぬ『壁』に阻まれ、その『壁』が次々と襲い来る光景を悪夢と呼ばずに何と呼べば良いのだろうか。


 最後に残った男は撃ち尽くした拳銃を手に震えながら彼女の裁断を待つしかなかった。







 そこで遊祉が見たのは気絶した十数人の警官だった。

 転がった拳銃と薬莢の数、そしてさっきまでここには恐竜でも居たのかと思う程の有様を見る限りに置いて、ここで警官達が何かと接触したのは明らかだった。


 ここはモノレールの駅前だった。いつもであれば多くの人で賑わうここも今は警官、十数人が転がっている有様だ。



「う、うう……」

 気絶していた警官隊の一人が唸り声を発した。遊祉は彼に駆け寄る。


「執行部だ。どうしたんだ? ここで何があった?」

「し、執行部、か……」

 髭を生やした中年の男は苦しそうに声を上げる。思わぬ方向に曲がっている彼の関節を見れば彼の痛みは相当なものである事が伺えた。


「君は一人か? ならば早く逃げろ。そして応援を呼べ」

「応援? 状況は?」

「アレ、には……。あいつのあの見えない『壁』には誰も適わない……」

「おい!」

 警官はそこで意識を失った。遊祉は彼を丁寧に寝かせると、辺りを見渡す。周囲には人など何処にもいない。警官の言った『あいつ』とは……。


 だが、ここで警官が倒れている理由は明らかだ。住人を退去させて爆発物を処理する筈の人員を減らした――――それはつまり爆発物を処理されたくない人物、即ち敵だ。



「――――選びなさい」

 その声に遊祉は後ろを振り返った。


「今すぐここから去るなら危害は加えないわ。けれどそれ以外なら貴方には眠っていて貰う」

「……お前は」

 綺麗な顔立ちの女性だった。


 一つ束ねにした長い黒髪を胸の前にそっと下ろしている。聡明そうな顔立ち、大きな目、女性らしい身体つき。黒いマキシワンピースを羽織り、人気の無い中で見るにはその姿はあまりに奇妙だった。

 だが、遊祉は彼女を見て、重なる部分があると思った。



 彼女に――――志燎涼穏によく似ているのだ。


「志燎真緒、か?」

「あら? 私を知っているの? ごめんなさい、基本的に人は覚える方なんだけど……」

「……一度だけ会っている。だがそれだけだ」

 遊祉は入学式の日を思い出した。彼女に助けられた、あの日を。


「そう、覚えていないわ。それよりさっきの質問の答えだけど」

「志燎真緒。俺は執行部第九支部の人間だ」

「…………」

 彼女の表情には明らかな動揺が走った。


 動揺と、警戒心。そして、恐れだ。


「志燎――志燎涼穏に俺は『期待』されているんだ。お前を止める事にな」

「――――そう」

 彼女――志燎真緒が言葉を終えた瞬間の事だった。


 ナニカが遊祉へと向けて飛んできた。遊祉はその場から飛び退く。


「……悪いけれど、私はもう戻れないわ」

「お前、自分が何をやっているのか分かっているのか?」

「…………」

「爆弾だ。ここへとやって来るモノレール、その車両に爆弾が積まれている。お前が爆弾の処理を邪魔すると言うのなら……、お前の所為で多くの人間が死ぬかも知れない。お前はそれを本当に分かっているのか」

「……え?」

 顔を声に明らかな動揺が広がった。それを見て遊祉は察する。


「知らなかったみたいだな。……もう止めろ。これ以上、妹を……志燎を悲しませるな」

「――――るさい」

「……何?」

「うるさい! 知らなかったから何!? それで私の意志は、私の目的は変わらないわ! この情戦特区は間違っている! それは確か、確かなのよ!」

「間違っていると言うのなら、この方法が間違っていないとでも言うのか!」

「そんな事……そんな事、もう分からないわ! 私はもうあいつに従うしか無いのよ! それでしか私の意志を貫けないのなら……そうするしかない!」

 遊祉の目――【干渉眼】が捉えたのは彼女を中心として取り囲む七枚の花弁だ。


 その花弁の内の一枚が遊祉へと向かってくる。遊祉は尚も後ろへと下がり、十メートル離れたところで止まった。


「その様子だと涼穏に、私の戦術プログラムの事は一通り聞いているのね」

「……まあな」

 三十分前の事だ。遊祉の携帯に一通のメールが届いた。


 恐らく千詠先生を通して聞いたのだろうが、涼穏から届いたメールには彼女が志燎真緒と対峙して得た情報が余さず記載されていた。

 最後に『期待はしています』と綴られた文章からは素直じゃない彼女らしさが篭っていた。


(だが、俺を滅法嫌いな筈のあいつから『期待』されてんだ。少しはヤル気出さねーと、あいつにもっと嫌われちまうな)

 自分なんかを頼らざるを得なくなった彼女の心情を思えば、情報を活用し、最大限の努力をしなければ。そうでなくとも志燎真緒との戦力差は月とスッポン程に違うのだから。


(一先ず、見えない『壁』である【七つの守護庭園】も俺の【干渉眼】なら見る事が出来る)

 志燎真緒。彼女の能力の最も恐ろしいところは、その見えない『壁』による鉄壁なまでの防御網とそれを応用した攻撃である。


 それが認識出来なければ全ての状況で攻撃を防がれる事、攻撃される事を警戒しなければならない。それはあまりに難しい。



 遊祉の【干渉眼】は情報圏に記載された情報、つまりは改竄した情報を直接目にする事が可能な能力だ。【七つの守護庭園】が存在、物質としての質量を持っている限りに置いて、色彩情報や可視変数をどれだけ弄っても遊祉の目を誤魔化す事は出来ない。


(ここが駄目だったら、志燎と同じ土俵にすら立てないからな)

 涼穏は【憧憬武鎧】による洞察力の底上げにて、【七つの守護庭園】が動く際に生じる微細な空気抵抗などを見切っていたと言う。


 それだけでも涼穏の能力の高さが伺えるが、その高い能力を以ってしても志燎真緒の【七つの守護庭園】を破れなかったのだ。目に見る事さえ出来ないのなら、より困難になってしまう。

 ただ、ここまでは何となく可能だろうと遊祉は判断していた。



 しかし、問題はここからだ。


「まずはこっちから仕掛けさせて貰うわよ」

 真緒の右手を合図として彼女が着けたオートマトンが駆動する。


 それを受けて花弁の一枚が遊祉へと向かって飛んでいく。

「――――『加速(アクセレート)』」

 遊祉はそれを見て、言葉を紡ぐ。『加速』――――それが遊祉の戦術プログラムの一つ、【初速補助】の起動キーだ。


 加速プログラムとして多少の速度変数の上昇が見込まれる戦術プログラムを駆使し、遊祉はすんでのところで花弁の一枚を避ける。

 だが、花弁は一枚ではない。逃げた先へと回り込むようにしてもう一方の花弁が遊祉へと飛んでいく。


「糞ッ、『加速』!」

 【初速補助】の優れた点はその起動速度にある。メモリの少ない遊祉は能力の高い戦術プログラムを運用させる事は不可能だ。


 だからこそ能力を多少犠牲にしても起動速度を最大限高めたのだ。その徹底的なまでに簡易化されたプログラムは例え遊祉であっても一秒経たずして情報圏の改竄を可能とする。



 しかし、その改竄結果は微々たるものであり、一流の戦術プログラムと比べれば無きに等しい――――自動車と三輪車を比べるようなものである。


 それでも遊祉は何とか彼女の追撃を凌ぐ。しかし、次の攻撃はそう上手くいかなかった。


「――――やばい」

 分かっていた事だが、彼女の【七つの守護庭園】――七枚の花弁は一度攻撃をかわされた程度では何の意味もない。彼女の干渉限界、射程距離内に存在する限りに置いて一つかわしたところで次が来るのは自明の事である。


 目に見えるからと言って、この壁から逃れる事は容易ではないのだ。


 避けきれない、そう判断した遊祉は戦術プログラムを起動させるべく両手を強く握った。

 硬化プログラム【硬質拳打】。拳を改竄対象として限定、干渉限界とした戦術プログラムだ。『拳を強く握り締める』事を起動キーとしてほぼノータイムで情報圏の改竄を可能としている。


「うおぉおおおおお!!」

 向かってくる花弁へと遊祉は気合と共に殴りかかる。【硬質拳打】によって多少の強化を施された殴打は花弁へとぶつかった。


 だが、その一撃は何の意味もない。少しでさえのダメージすら与えられず衝撃によって遠方へと吹き飛ばされた。



 空中へと打ちあがった遊祉の身体はセメントで補整された地面へと叩きつけられ、それだけで衝撃を吸収する事は出来ず、地面へと転がった。


 肺の中がパンクしたかのような衝撃、背中が粉々に砕けたかのような痛みに遊祉は地面を転がりながら呻いた。想像以上の痛みは遊祉に立ち上がる事を許さない。

 そんな様子を眺めながら真緒は悲しそうに溜息を吐いた。


「貴方、執行部って言ったよね。ユーザークラスは幾つなのかしら?」

 痛みで荒れた息を整えながら、遊祉は彼女の言葉に答える。


「クラスⅠの【パープルユーザー】だが……それがどうした?」

「……やっぱりね」

 真緒が右手を下げるとオートマトンの駆動が止み、それに合わせて【七つの守護庭園】――七つの花弁が消えた。


「もう止めにしましょう。貴方がどれだけ頑張っても、私には勝てないわ。クラスⅠとクラスⅤではあまりに差がありすぎる。私、弱い者虐めなんて趣味じゃないもの」

「そうかな」

 かたかたと痛みで震える足に鞭を打ちながら遊祉は立ち上がる。


 そんな様子を真緒は冷めた目で見つめた。


「貴方といい涼穏といい、どうしてこうも上手くいかないのかしら」

「そんなの決まっているだろ」

 遊祉は再び拳を握った。オートマトンが駆動し、【硬質拳打】によって情報圏の改竄が始まる。


「貫き通したい我って奴が、あいつにも俺にもあるからだ」

「知っているわ。私にもあるもの」

 【初速補助】によって『加速』する遊祉の体当たりを真緒は【七つの守護庭園】によって容易に受け止める。【硬質拳打】を用いた拳の一撃は蚊が鳴く程のダメージすら許してはくれない。


「諦めたら?」

 その真緒の言葉に遊祉は笑みを作る。すると握っていた砂を真緒に向かって振りかけた。


「……ッ」

 真緒は目を閉じ、顔を顰めた。それを確認した遊祉は後ろへと回り込み、一撃を食らわそうと拳を振り上げる。


 だが、しかし拳は真緒の身体を捉える事は無く、代わりに遊祉の身体が宙へと舞っていた。

 地面を転がりながら遊祉は再び苦痛の声を上げた。真緒は憐れみを彼へと向ける。


「随分と、姑息な手を使うのね」

「使うさ、何でも。でないとお前には勝てない」

「使っても勝てないわよ」

「……確かにな」

 彼女の言う通りだ。クラスⅤとクラスⅠの実力差はそんなものでは埋まらない。



 絶対的で、隔絶した差が遊祉と真緒にはあるのだから。


(やっぱりだ。志燎の言ってた通り、【七つの守護庭園】はオートでユーザーを守っている訳ではない。マニュアルでの運用を行っている。だが、その情報取得方法は決して視界に頼ったものではない……)

 何かが。何か彼女にはもう一つのカラクリが存在している。



 だが、遊祉にはそれが何か判別は付かない。


「『加速』!」

 遊祉は【初速補助】を起動させた。そして彼女に向かっていくのではなく、彼女へと背を向けた。


(まずは様子見でカラクリって奴を暴かないと俺に勝ち目はねぇ)

 そう考えた遊祉は彼女との距離を取る為に【初速補助】を連続で運用する。


「あら、逃げる気かしら」

 だが、真緒はそれを許す気は無かった。【七つの守護庭園】を用いて空中へと身体を浮かせた彼女は凄まじいスピードで遊祉を追う。


「うおおおおおおおお!!」

 悲鳴を上げながら遊祉は彼女から距離を取る為に走り続ける。時折【初速補助】も起動はさせるが、メモリへの負担を考えれば連続使用は不可能だ。


 何度となく間一髪で彼女のコントロールする花弁を避ける遊祉。だが、十メートルもの距離。走れば二、三秒もの隔たりを作る事が遊祉には出来なかった。


 そして遂には掴まり、背中から吹き飛ばされる遊祉。その身体はまたもや空中へと紙切れのように放り出され、駅前の噴水の中へと放り込まれた。


「あぶッ、やばい!」

 すぐさま噴水の中から這い出る遊祉。しかし次の瞬間、【七つの守護庭園】を噴水の中に叩き込まれ、間一髪避けられた遊祉だったが衝撃で上がる水柱の余波を受けてまたもや紙屑同然とばかりに吹き飛ばされた。


 嵐の中で遭難する船のように翻弄された遊祉は視界がぐるぐるとして判然としなかったが、見れば真緒は空中から遊祉を見下ろしていて、小雨に混じって降り注ぐ水飛沫も【七つの守護庭園】にて防いでいた。


「く……くぅ……ああ……」

 遊祉はと言うと彼女の姿を確認した直後には真緒との距離を取ろうと動かない身体を懸命に引き摺りながら、じりじりと逃げていた。



 その姿が真緒にはどうしても理解出来なかった。


「どうして?」

 真緒は訊いた。分からなかったからだ。


「どうして貴方はそこまでするの? もう良いじゃない。どうして諦めないの?」

「……諦める、……理由が、無い、……から、だ」

 息も絶え絶えにして答える遊祉だったが、その動きは止まる事が無かった。


 今も懸命に、身体を引き摺りながらも、ゆっくりと彼女との距離を取っている。


「諦める理由ならあるわ。私にはどうしたって勝てない」

 それは厳然足る事実であり、彼女の言う通り充分に諦める理由足り得た。


 だが、


「……俺は、諦めない」

 頑なに遊祉は歩みを止めなかった。その姿を見て真緒はどうして言いものか分からなくなった。そして少しばかり考えた結果、彼の脚の一本でも動けなくすれば、どうしようもなくなるだろうとの結論に達した。

 仕方ない、とそう考え、真緒は【七つの守護庭園】を彼の足に向かって振り下ろす為に右腕を振り上げた。


 そして振りおろす瞬間の事だった。


「――ある」

 遊祉から声が発せられた。真緒はそれを聞いて、「やっぱりか」と思う。


「何? 止めて欲しいなら応じるわよ。でもこれ以上邪魔しない事を約束して貰うけれど」

「違う、そうじゃない――――こう言ったんだ」

 遊祉は地面へと這い蹲りながらも、はっきりとこう言った。


「諦める理由はない。しかし諦めない理由ならある」

「……どういう事?」

「諦めたらお前と同じになるからだ」

 それを聞いて真緒は顔を顰めた。彼女には遊祉の言っている意味が分からなかった。


 そして遊祉は、言う。


「メモリの差、クラスの差、それを前にして諦めたら俺はお前と同じになってしまう。そうなればお前と、お前の意思を肯定する事になってしまう。そしてそれは彼女の、……志燎の『期待』を裏切る事になる。だから俺は諦める事が出来ない」

「――――ッ」

「過情報化識失症。お前、それに罹ったんだってな。確かに不幸だ、同情の余地もあるよ。けれどお前は妹を、志燎の『期待』を裏切ったんだ。確かに『期待』に答える事は難しくて辛い事だ。けれど、だからこそ、お前は遣り遂げなくちゃいけなかったんだ。逃げちゃいけなかったんだよ」

「……私だって逃げたくなかった。でもッ!」

 耐えられなかった。堪えられなかった。


 『期待』された自分になれなくて、それでいて応えられなかった。

 だからこそ、こんな事になってしまった。



「駄目だったのよ。私、『期待』されるような器じゃなかった。私、あの娘の『期待』した自分になんてなれない……」

「――――そうじゃないだろ」

「……え?」

「志燎が望んだ『期待』、お前に課した『期待』ってのは優秀な姉である事なんかじゃねぇよ」

「何、言っているの?」

「……まあ、良い。これから先は俺から語る事じゃねぇ。……それより、一つ、分かった。お前のカラクリって奴だ」

「カラクリ?」

「お前の戦術プログラムの仕掛けって奴だ。お前の戦術プログラムは【七つの守護庭園】一つじゃない」

「……何の話かしら」

「恍けたって無駄だ。俺の目――【干渉眼】は情報圏に記載されたあらゆる情報を直接目にする事が出来る。見つけるのに手間取ったのはお前のその戦術プログラムが情報取得に特化したプログラムだったからだ」

 そこまで聞いて真緒は観念したかのように押し黙った。


 遊祉はその先を確認するかのように、言った。



「ずっと疑問だったんだ。視界に頼らず、且つマニュアル操作で以って【七つの守護庭園】による七枚の花弁を統制する方法が」

 遊祉が涼穏から貰った情報では彼女の戦術プログラムは視認による判断を必要とせず、かと言ってオートではない。また涼穏の【憧憬武鎧】のスピードにすら対応出来る程の認識を持っている。これは生半可な判断では恐らく実行不可能だった。


「俺は逃げながらずっとその方法を考えていた。そしてずっと観察していた。だから分かった。さっき噴水の水飛沫を防いだ時、お前の制御する盾の一枚は水飛沫を上げる前にはお前の天辺にあった。お前は事前に知っていたんだ。あの水飛沫が起こることを」

「そんな事……」

「俺の【干渉眼】は情報圏に記載された情報を見抜く。そこに誤魔化しは利かない」

「厄介な眼ね」

 睥睨とする真緒を見ながら遊祉は立ち上がった。ゆっくりと。言葉を続ける。


「だから一つ仮説を立てた。お前の戦術プログラムの一つは情報を取得し、その情報を元にして次の行動予測を立てるプログラムじゃないかって。これなら情報の改竄は行わないから俺の【干渉眼】にも分からないし、今までの事に全て説明が付く」

 この方法であれば視界に頼らず情報の取得を行う事が出来、且つ涼穏の戦術プログラムへの対応も容易だ。


 必要なのは膨大なメモリと、それを制御する戦術プログラマー。


 その二つを志燎真緒は持ち合わせているのだ。



「――――【例外なき箱庭ワールドリミテッド】」

 真緒はそう口にした。


「情報予測プログラム。私はこの十メートルの範囲に限り、全ての情報を取得し、そしてその情報を元に解析、次の現象を予測する事が出来る。これと【七つの守護庭園】を組み合わせて完璧な防御を展開させた。これが私の戦術プログラムの全てよ。十メートルに限り私は世界を掌握出来る」

「ああ。志燎が戦った事で抱いた疑問を、俺が【干渉眼】で答えにした。あいつが居なければ分からなかった事だ」

「でも、それだけよ。分かったところで貴方にはどうする事も出来ない。分かったところで私のこの掌握した世界を突破する事は不可能よ」

 次の瞬間、真緒により操作された【七つの守護庭園】が飛んで来る。


 だが、

「――――回り込まれた!」

 真緒の【例外なき箱庭】は情報の予測プログラムだ。遊祉の動きを逐一把握し、次の動き、次の行動を予測する。その解析から導き出せる予測を元に真緒は最善の手を打ってくる。


 ここから逃れる術は無い。



「『加速』!」

 ただし――――それは通常の話だ。


 遊祉の起動キーを元に情報圏が改竄され、一瞬にして動きが「少しだけ」早くなる。


 加速プログラム【初速補助】はメモリの少ない遊祉の為の戦術プログラムであり、それは改竄結果よりも改竄速度を優先させている。つまり一瞬だけ【例外なき箱庭】で捉え切れない情報が生まれる。通常の改竄速度であれば捉えられる真緒のプログラムだが、改竄された情報圏のデータだけは一瞬後手に回る。


 そして――――【干渉眼】。彼の目は情報圏のデータを直接目にする事が出来る。

 それは視界の範囲の情報を把握出来る、一種の情報取得プログラムだ。


「……当たらない?」

 紙一重だった。紙一重ながら遊祉は真緒の放つ【七つの守護庭園】を躱していた。


「『加速』! 『加速』! 『加速』! 『加速』!」

 考えろ! 考えるんだ! 奴の次の手を! 俺の【干渉眼】で目に出来る情報を元にして奴が打つであろう次の一手を、最善手を予測して【初速補助】で躱すんだ!


 【干渉眼】で取得した情報を元に自らの判断で最善手を探し続ける。

 それは余りにも無謀で、しかし今の状況では最適且つ唯一の手段でもあった。


 メモリが悲鳴を上げていた。次の瞬間に『フリーズ』が起こってもおかしくはない。

 限界ぎりぎりの範囲で遊祉は戦術プログラムを使用していた。


(俺には真っ当な戦術プログラムなんて扱えない! 最弱なんて言われても仕方が無い! だが、その工夫が今も俺を突き動かしている!)

 こんな事は付け焼刃の戦法だと遊祉は分かっていた。


 だが、そうするより道は無かった。クラスⅠの最弱がクラスⅤの最強に一時、一瞬だけでも肉薄する事が出来るのは、こんな方法しか無かった。


 勝つ方法ではない、生き残る方法だ。


 なんて惨めな事なのだろうか。



 ――――だが、遊祉はそれでも諦めることは無かった。



「『加速』だ! 『加速』しろ! もっと、もっと速く! 疾く!」

 だが、そんな無理はそう長くは続かなかった。


「! フリーズ!?」

 戦術プログラムの起動が遅れ、不意にオートマトンの駆動が止まる。


 その瞬間、遊祉の身体には【七つの守護庭園】が突き刺さっていた。



「がァ!」

 風船から空気が漏れるように気合が悲鳴に変わる。遊祉の身体は独楽のように回転しながら地面を勢いよく転がった。


「随分と頑張ったと思うわ。でも」

 転がった後を辿るようにして真緒がゆっくりと歩く。


「クラスⅤとクラスⅠの差は絶対なのよ。これが分かるかしら?」

「ぐ、くぅ……」

 そうだ。差は歴然だ。どうしようもない隔たりがある。そんな事は分かっていたのだ。


(まだだ! まだ、考えろ! 俺は本当に奴に勝っている事は何もないのか! 全てにおいて俺はこいつに負けているのか!?)

 そんな事は考えるまでもない事実だ。負けているのは当然だ。


 何故ならユーザークラスに差が有り過ぎるのだから。

 しかし、今回遊祉が挑んでいるのはその差だ。その差を認めない事こそが遊祉の絶対的な条件に他ならないのだから。



(考えろ、次の一手を! 無様でも、格好悪くても良い! 俺がこいつに勝つ為に利用しなきゃいけないものは一体なんだ!)

「もう諦めてくれないかしら。貴方の戦術プログラムでは私には適わない。十メートルだけだけど、私の掌握する世界は無敵なんだから」

(……無敵? 十メートル?)

 遊祉は彼女の言葉を聞いて、その言葉に引っかかるものを感じた。


 そして、



(分かった。ただ、たった一つだけ俺があいつに勝っているモノが)


 その考えを持って遊祉の目は『期待』を手放さなかった。

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