第四十二話
「――――動機を訊いても良いかの?」
助手である水瀬銘の後ろに控えるココロは焦燥を浮かべながらもこちらを睨みつける紫苑寺メメへと尋ねる。
「……どうだって良いでしょ」
「やはり五年前の一件について、かの?」
「ッ! ……どうしてそれを」
ココロの言葉に動揺を浮かべるメメ。その所作を粒さに眺め、警戒しつつ姪が言う。
「少しばかり調べさせて戴きました。貴方だけではありません。執行部第九支部に関わる人員の全てを」
「……酷い人達ね」
「護衛を頼んで置いてこれ程までに失礼な事は無いとは思ったが……、しかしココロはお主らを信用したかったのじゃ」
「それが免罪符になると思うの?」
「思わぬ。じゃがココロの立場ではこうすべきと思ったからこうしたまで。これ以上の言い訳はせぬよ」
そう言ってココロは視線を落とし、息を吐いた。
「貴方に教授を咎める権利は無いのではないでしょうか? 貴方とて執行部第九支部を騙していたのですから」
「……そうね、何でもやったわ。信頼を得る為に手を貸し、疑われぬようドジで泣き虫、なんてキャラを作って、その他にも色々と。目的の為にね」
「そうする程の目的だったのかの?」
「こうする程の目的だったのよ」
メメは自身の行為を肯定した。はっきりと。
「五年前。わたしの友人は殺されたわ。戦術プログラムによってね」
「――――戦術プログラムを使用した手術による医療ミス、か」
「その通りよ。随分と調べたようね」
ココロを睨みつけるメメ。それを見て竦み上がるココロと一層警戒を務める銘。
「五年前。わたしは脳内処理領域の研究を進める純朴な一研究員だったわ。情報圏を発見した事で生み出された技術は人類を良い方向に導いてくれるものだと信じて疑わなかった。わたしの友人もきっと助かる――――そう信じていた」
しかし、と吐き捨てるようにメメは続きを口にする。
「手術中に起こったのは戦術プログラムの暴走……。理由は一個のバグを見落としてしまった事による不慮の事故、だそうよ。その時、深夜だったが故に戦術プログラムの使用最終確認を行うデバッカーが不足していたそうで、臨時のデバッカーが急遽作業を行った。結果、医療ミス……世間は情報圏の技術を受け入れ始めていた矢先の事。わたしも当然その一人。裏切られたと、わたしはそう思ったわ」
「それでこんな事を……」
「ココロ=エレクトール教授。確かにそれが一つの理由ではあるけれど、決してそれだけではないわ」
「……どういう事じゃ?」
眉間に皺を寄せるココロに対してメメは言った。
「メモリ開発を専門にしているとね、戦術プログラマーの憤りなんかが分かってくるの。メモリなんて所詮は才能、メモリ開発で増やせるメモリもたかが知れている。そしてその努力に見合った対価が払われるかどうかなんて分からない。
いや、それだけじゃないわ。戦術プログラム――情報圏による技術が生み出されて普及が始まった今、このまま放置していればきっとこの技術に蹂躙される人達は沢山居る。
モノレールのように乗り物の運転が戦術プログラムに取って代わられればバスやタクシーの運転手はきっと職にあぶれることでしょうね。その他にも戦術プログラムによって影響を受ける人達も大勢居る。それが果たして便利だと言ってしまって良いのかしら」
「一概には言えん。じゃが、きっと世間は良くなるとココロは思っている」
「そうかしら。わたしは逆だわ。きっと五年前のように裏切られる。この技術はトロイの木馬よ。普及すればきっと数え切れない被害を生むわ。今、この瞬間、私達は情報圏によって生み出された技術が普及し始める転換期に来ている。今ならまだ取り戻せるわ。こんな技術、無い方が良いのよ」
「それでこんな事を起こしたと?」
「ええ、そうね。ただ、貴方を拉致したいのは私の依頼先の方。私が依頼したのは『先のシンポジウムを台無しにすること』。このシンポジウムには世間的な注目が集まっている。これが上手くいかなければきっとわたしのように不信感を持つ者が増える」
「そんな事……ッ」
「教授、下がってください。これ以上、話をしても拉致があきません」
銘はココロを後ろに下がらせるとメメを見据え、構えた。
「――――待ちなさい」
その動きに反応したメメは懐から拳銃を取り出した。
「……、そんなもの、私には通用しませんよ」
「そうね、貴方には通用しないかしら」
そう言ってメメが拳銃の照準を合わせたのはココロ=エレクトールだった。
「それ以上、動かないで。貴方が動けばココロ=エレクトールを撃つわ」
「撃ったところで絶対に当たりませんよ」
「……試してみる?」
メメは拳銃の引き金に掛けた手に力を込める。
「くッ……」
その動きに銘の額に汗が滲んだ。
銘は例え拳銃の弾が射出されたところで九割九分九厘、防ぎきる自信があった。
しかしながら例え小さな可能性とは言え、ココロが傷つく行動を起こす訳にはいかない。
「ふふ、そのまま動かないでね」
そう言ってメメはもう一方の手で注射器を取り出した。
注射器の中身は【未使用領域拡張試験薬】。水色の液体が中には入っている。
「これはわたしが開発した試験薬でね。今まで領域として未使用だったメモリを一時的にではあれ強制的に利用出来るわ。あとは注射するだけ……どう、今からでも降参してくれない?」
「知れた事を……、教授に害のある事を私が許す訳にはいかないわ」
そう言って機会を伺う銘。それを見てメメは溜息を吐いた。
「……残念ね」
そう言った次の瞬間、メメは注射器の握った手に力を込めた。と同時に銘はメメに向かって飛び掛かる。
銃声がココロの研究室に響き渡った。二発。鋭い火花と共に放たれた銃弾は真っ直ぐと音速を超え、飛んでいく。
そしてそのまま銃口を向けた相手へと突き刺さった。
一瞬の静寂が場を支配した。
「…………う」
うめき声を上げて倒れたのは銘だった。瞬く間に撃たれた腹部から血が滲んでいく。
「メイ!」
ココロは倒れた銘へと駆け寄った。
「教授……逃げて、下さい」
そう言って意識が途絶えた銘の身体の下には血がどんどん広がっていく。
――――だが、倒れたのは銘だけではなかった。
「……なんで」
床に突っ伏し掠れる眼をどうにか開きながら右肩を貫いた銃弾の行方を追う。
「なんで貴方がここに――――小黒田薇」
「ククク……なんで俺がここにってぇ?」
研究室の入口からゆっくりと歩いてくるのは国際テロ組織『セフィロト』から派遣され、且つ紫苑寺メメの依頼主である小黒田薇だ。その手には拳銃が握られており、倒れたメメを見下ろし、にやりと笑った。
「そりゃテメェの仕事が遅すぎるからだろ、こののろまァ!」
小黒田は拳銃で負傷しているメメの右肩を蹴り上げた。
「がァ!」
焼けるような痛みに更に鋭い激痛が走る。頭の中にナイフでも突っ込まれたかのような痛みにメメは床を這い蹲りながら呻いた。
「ほんっとーにお前らは使えないなァ。あまりに情けないから俺が直々に動かなくちゃいけねぇじゃねえか。ふつー偉い奴ってえのはよお、椅子で踏ん反り返って部下に命令するだけで良いってのによお! こんの役立たず共が!」
小黒田はもう一度メメの肩を蹴り上げた。メメはあまりの痛みに声を上げる事すら出来ないでいた。
「おい、そこの者! もう止めるのじゃ、死んでしまう!」
「……あぁ?」
じとり、と。制止するココロを小黒田は睨みつけた。
「誰がそこの者だぁ? 俺には小黒田薇っつー、立派な名前があんだよ!」
そう言って小黒田は拳銃を構え、ココロより数センチ下へと向かって撃ち込む。
鋭い銃声が聞こえ、研究室の床を弾が抉った。
「お前は黙ってろ。後で相手してやる。それよりお前だ」
「…………う」
小黒田はメメの髪を掴み、上へと引っ張り上げる。虫の息のメメは抵抗する気力すら残っていなかった。
「てめぇらは仕事がおせぇんだよ。俺は結果を求めている。どんな方法を使ってでも結果を残せなかったら意味がねぇんだ。お前は俺にココロ=エレクトールの開発した【クラスS】プログラムを持ってくる、そんで俺は代わりにシンポジウムを滅茶苦茶にする。そういう約束だろうが。なあ、聞いてんのか?」
「…………」
「ああー、駄目だ。もう聞いちゃいねぇ。ま、心配しなくても大丈夫だ。俺が徹底的にこの情戦特区を滅茶苦茶にしてやるからよお。あ、どうした? だーめだ、こいつ気絶してやがる」
メメが気絶しているのを確認した後、小黒田は彼女を放り投げた。そう大きくない身体のメメは容易に浮かび上がり、ココロのパソコンに当たって止まった。
「さて、まあ、しかしだ。依頼主にこんな事をしたってのが上にばれると俺は困る訳だ。んーん、どうするか。依頼主である紫苑寺メメは正規部隊の攻防で死んだって事にでもするか。まー、俺が言えば上も納得するだろうさ」
そう言って小黒田は拳銃をメメに向かって構えた。だが、
「……止めるのじゃ」
彼女の前にココロが立ち塞がる。
「ココロ=エレクトール。クククク、脚、震えてんぞ」
小黒田は彼女の脚を見て笑った。確かにココロの脚はぶるぶると震えていて、彼女が恐怖を押してその場に立っている事は明らかだった。
「無理をするな。お前は後で相手をしてやるんだからよぉ」
「……。お主、自分が今どんな顔をしておるか知っているかの?」
不意にココロは小黒田にそう尋ねる。小黒田は何やら分からずに黙っているとココロはこう言った。
「今のお主の顔は宝くじが当たったかのような降って沸いた幸福に歪んだ顔をしとる。それはつまりお主にその行為を働く才覚と器が無いのではないかの?」
「お前……」
小黒田は怒りで歪んだ表情をココロへとぶつけながら拳銃の引き金を引いた。




