第四十一話
第五地区。ココロ=エレクトールの情戦特区内借受研究室にて。
「…………」
真っ暗な中、研究室内を動き回る不審な影があった。
不審な動きは機械の配線やら書類やらで隙間無く埋まった空間を雑多に掘り返している。その必死な姿から何かを探している事はすぐに伺えた。
そしてその姿を見ていた者は真っ暗だった部屋に明かりを点した。
「何か探しモノかの?」
ココロ=エレクトールは不審な影に向かってそう訊いた。
影はうろたえた様子を見せると、それを声色に乗せる。
「な、なんで……。貴方は今、外に出ている筈……」
「少々、罠を張らせて戴きました」
ココロの横には彼女の助手である水瀬銘も控えていた。彼女の左腕にはオートマトンが電灯に照らされて光っている。
「先程、執行部第九支部より連絡が入りました。そして彼らのデータベースに記載されている行動とは逆の行動を取らせて戴きました。記載されたデータでは今、我々は正規部隊に出向いている事になっていますが……、それはデタラメです」
「…………」
「今、第九支部の者達がこちらに向かっておる。どうか諦めてくれるか――執行部第九支部顧問、紫苑寺メメ教諭」
ココロに名前を呼ばれた不審な影――紫苑寺メメは諦めたように項垂れた。
「なんで紫苑寺先生が……こんな事を?」
軽自動車の助手席に座った真理は運転席に座る憩心にそう尋ねた。
「第一に俺達しか知りえない情報が外部に漏れていた事。ただ、これらはデータベースとして保存して執行部がどう言った行動を行っているのか、報告の意味も込めて記載している。今回、閲覧権があったのは俺とお前、そして顧問であるメメちゃん――紫苑寺メメ教諭だけだ。当初は他から情報が漏れたのかとも思っていたが、そんなものより正規の手順でデータを覗きみた方が当然ながらに安全だ」
「確かにそうだけど……。でも、それで紫苑寺先生が怪しいなんて……ッ」
「悪い。少し曲がるぞ」
「え――――きゃあ!」
車体が急ブレーキを掛けながら曲がる事で自然身体が折り曲がる。
「あ、危ないでしょ、憩心君!」
「悪いな、俺は運転が苦手でな」
「そりゃあ免許取立ての貴方に運転任せたのは私だけど。でも……飛ばしすぎじゃない? これ大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。何とかなるって。それよりだ」
「それよりって……。まあ良いわ。続きは?」
先を促す真理。憩心はそれを受けて話を続けた。
「第二にはメモリの件だ」
「……メモリ?」
「ああ。涼穏と遊祉が捕また御堂正巳のユーザークラスは【グリーンユーザー】。だがあいつらの話を聞く限りに置いて奴はそれ以上の能力を保持していた。次にセントラルホテルを襲撃した籠橋由形に至ってはあれだけ大規模な戦術プログラムを仕掛けたにも関わらずユーザークラスは御堂正巳より下の【ブルーユーザー】。幾ら『複製』処理を用いた起動であったとは言え、これはおかしい。【ブルーユーザー】程度であれだけの規模の人形を製作、操作を行うのは丸っきり不可能だ」
「確かに……それらは不可解であると、正規部隊の報告者にも記載があったわ」
「この疑問を解決するのが紫苑寺メメだ。彼女の専門は何だ?」
「……メモリ開発、ね」
「そういう事だ。しかも四月からこの情戦特区の講師に赴任するまで研究室にて行っていた研究は【大脳の未使用領域を利用した処理領域の拡張】だ」
「だからさっき私にそれらに関する書類を調べさせたの」
真理は先程の憩心の指示を思い出す。彼はココロ=エレクトールに連絡を入れた後、紫苑寺メメの研究書類を物凄い速さで読み終えた後、真理を連れて第九支部を出たのだ。
「これらを総合すると【洗脳プログラム】に関する一連の事件が見えてくる」
「どういう事?」
「お前、メモリ開発は?」
「いきなりなに? ……まあ人並みには」
「じゃあメモリの向上を目指しているって訳か」
「ええ、まあ。それがどうかしたの?」
「メモリ開発ってのは難儀なものだよなあ。毎日毎日講師の下に通って、面倒な事して……」
「それはそうだけど……。けどそれはメモリ開発じゃない。仕方ないわ」
「それがもっと簡単で、且つ手早くメモリを向上させる方法があるって言ったら、お前ならどうする?」
「それはその方法についてまずは詳しく聞いてみるけれど……。あの、それって――――」
真理の言葉に憩心は前を向いたまま頷いた。
「そういう事だ。紫苑寺メメはメモリ開発を『餌』に使った。彼女にしてみればそれはもう簡単だっただろうな。なにせ紫苑寺メメの担当はメモリ開発だ。学生に話を持ち掛ける立場としてこれ以上のものは無いな」
「それで御堂正巳と籠橋由形を?」
「多分な。例え優秀な者でもこの情戦特区に不満を持っている者は大勢居る。そしてメモリ開発に関して伸び悩んでいる者も。それらをメモリ開発担当として『選定』し、話を持ちかけた。もう暫くすればあいつらの口から証言も出るだろう。ただ、一方で先生としてではなく、違う立場で色々な者達に話を持ちかけた筈だ。戦術プログラマーにとってメモリの向上は死活問題だ。これに関しても実験相手には困らなかっただろう」
「……実験相手?」
その言葉を真理は反芻する。憩心はそうだ、と肯定した。
「彼女の狙いは最初っからココロ=エレクトールだったんだろ。ココロ=エレクトールがこの情戦特区に来る事は半年前から決まってた事だし、シンポジウムの出席も同時に決まっていた。つまりこの情戦特区に赴任する前から紫苑寺メメは計画していたんだろう。それで四月に赴任してから最初の一ヶ月は足固め。次の一ヶ月はメモリ開発を利用しての実験。その実験により正規部隊の人手を減らし、ココロ=エレクトールの護衛権が執行部に移行するのも想定済みだったんだろう。それをわざと押し付けられたかのように護衛権を入手、執行部第九支部、つまり俺達に仕事を降った」
「そう言えばエレクトール教授の護衛の仕事を『押し付けられた』のは紫苑寺先生だったわね」
「そういうこったな……。つまり俺達はその実験を【洗脳プログラム】だと誤解するばかりか手の平の上で踊らされてたって事だ。まったく面倒な話だぜ」
憩心は深い溜息を吐く。
「じゃあ動機は何だったのかしら?」
「動機? さあな」
「さあなって……。紫苑寺先生の経歴は何処もおかしいところは無かったわ。研究室に居た頃から優秀で、それでここに来てからの仕事も評価されていたって話よ。ならこんな事をして何の意味があったの?」
「そんなもんはな――――」
「きゃあッ」
憩心はアクセルを思い切り踏みつける。その衝撃で身体を椅子に縛り付けられた。
「――――今からメメちゃんに直接聞けば良いんだよ!」
「憩心君! 法定速度! 私達執行部よ!」
そんな叫び声を残し、運転する車は最高速度でココロ=エレクトールの研究室へと向かっていた。




