第四十話
「憩心君。何で涼穏ちゃんにあんな事、言っちゃったの?」
執行部第九支部。過去の書類を貪るようにして眺めている憩心に向かって真理はそんな事を言った。
「その話は良いだろ。それより……」
「それよりって何なの? 憩心君はいつもそうよ。一人で何でも抱え込む癖に話してくれない」
「つうか真理、『憩心君』って呼び方は止めろって言ってなかったか」
「……はあ」
真理は溜息を吐いた。そして憩心を恨めかしい目付きで見遣る。
「どうしてそう意地っ張りなの? 貴方が副会長だった時、私はずっとそう呼んでたじゃない。それが何? 会長になった途端、それは止めろって。理解に苦しむわ」
「かか。二人の時は遠慮がねぇな、全く」
「憩心君がそうさせてるんでしょ? 私は皆の前だってこんな態度で良いんですからね。それより質問に答えなさい。どうして涼穏ちゃんにあんな事を?」
その質問に憩心は書類を閉じたファイルを仕舞い、彼女へと向き直る。
「必要な事だからだ」
「……必要?」
「お前も気付いているんだろ? セントラルホテルの一件」
「……。そうね。あの一件は何処からか情報が漏れていなければならない。その点、正規部隊が下した『ココロ=エレクトールの身柄拘束』は的外れな判断では無いと思うわ」
セントラルホテルの一件にてココロ=エレクトールがあの場に居た事を公的に知っていたとされるのはココロ=エレクトールとその助手、あとは執行部第九支部のみ。
つまりあの場面では情報が誰かから流れている必要があった。
「でも貴方は昨日の夜中から寝ずに書類を眺めている。認めてないんでしょ? その事実を」
「……会長である以上、俺は責務を果たすだけだ」
「憩心君。貴方のそういうところ、私は嫌いよ」
真理はそう言って憩心を真っ直ぐに見つめた。だが、憩心は視線を外す。
「貴方はいっつも自分で自分を卑下する。『俺は仕事はしねぇ』とか何とか訳の分からない事を言ったり、その癖汚いところは自分で抱え込んでしまう。本当は人一倍努力家の癖に」
「……そうだっけか?」
「そうよ」
真理は頬を膨らませて、憩心を睨みつけた。憩心は未だそっぽを向いたままである。
「それに遊祉君に何で正直に言わなかったの?」
「なんかおかしいこと言ったか?」
「言ったわよ! 何で真緒先輩を憩心君が辞めさせた事になっているの? 真緒先輩は『自分はもうここに居られないから』って自分から辞めたんじゃない」
「……そうだっけか?」
「惚けないでよ、憩心君。それに貴方が一番、真緒先輩を尊敬してたでしょ?」
「……。そうだな、そうだよ。志燎会長は俺の目標だったよ。ずっとああなりたいって俺はそう思って、この執行部に入った」
「じゃあ何で遊祉君に、いや――涼穏ちゃんには真実を伝えなかったの?」
「……あいつが志燎会長を目標として自分に『期待』していたからさ」
「どういう事?」
疑問の声音を上げる真理に対し、憩心はまた書類を取り出し眺めながら答える。
「志燎会長はな、過情報化識失症に罹ってからと言うもの変わったよ。ここを去る最後まで気丈に振舞ってはいたけどな。何ていうかさ、眼に覇気が無くなってた。何処か大事なものがあの人の中で消え去っていたんだ。その姿を見て俺は思ったんだ。『あの人も人の子だって』」
「……だから涼穏ちゃんに真実を伝えなかったの?」
「あいつはきっと強くなる。執行部の中の誰よりも。多分、志燎会長よりも。その可能性を消したくなかった。目標が消えてしまった事を知って、自分に期待しなくなったらあいつは潰れちまうんじゃないかって、そう思ったから」
「そんなこと……」
話を聞いて肩を竦める真理。
「ならもっと伝え方があったでしょ。何で悪意ある伝え方をしたの? 涼穏ちゃんに『俺が辞めさせた』なんて言えば彼女が反発するの分かってたでしょ?」
「俺はよ、あいつに『期待』してんだ」
「どういう風に?」
「目標が居なくなったあいつに必要な事は何か? それは敵だ。あいつに敵が必要だった」
「だから憩心君がその敵になったってわけ?」
憩心は黙ったまま書類のページを捲る。
「……呆れた。貴方、自分の事はどうでも良いの?」
「組織の長になるってのはそういう事だ。俺は志燎会長のように正しいリーダーにはなれない。なら間違ったリーダーになろうと思った。それだけだ」
「バカね」
真理はそう言ってくすりと笑った。
「間違ってなんかないわよ。だって貴方は誰よりも仲間想いで、誰よりもそうやって頑張ってるじゃない」
「そんなことねぇさ。これも会長として当然の責務だ。これが終わったら雑務は全部、お前らに押し付けて俺は寝る予定だからな」
「ふふっ、そうね」
真理は微笑むと彼と同様に書類を眺め見る作業へと戻る。
それからぱらりぱらりとファイルを捲る音が執行部を空気を揺らす。それ以外は外に降っている雨音が遠くから聞こえてくるくらいだ。
「……涼穏ちゃん、大丈夫かしら」
「さあな」
「手、止まっているわよ」
「…………。あいつにはこの件は関わらせない方が良いのかも知れないな」
「真緒先輩が関わっている、ね……。遊祉君の言っていた事は本当だったのかしら。私はあの先輩がそんな事をしているなんて信じられないわ」
「俺は可能性はある、と思っている」
「何故か聞いても良い?」
「あの人は――――」
少し言い淀みながらも憩心は続きを口にした。
「あの人は多分、執行部を辞める前日に何かあったんだろう。過情報化識失症に罹っても、それでも負けずにメモリ開発を行っていたあの人が心折れる何かが……」
「それは一体何なんでしょうね」
「さあな。そればっかりはもう俺に知る機会は無いだろうよ」
それより作業を進めるぞ、そう言って憩心はファイルを読み進める手を早めた。
「――――なあ」
またも静寂が木霊する執行部内にて憩心が唐突に言った。
「何ですか? 何か見つかったんですか?」
「……いや、ただな。ココロ=エレクトールが拘束される理由の一つがおよそ一ヶ月前からこの情戦特区に居て、それから事件が起こるようになったって話だよな?」
「ええ、そうですね。そう伝え聞いていますが」
「それで情報圏に置ける精神的階層の研究に携わっていたから、だとも」
「それが何か……」
真理の言葉には答えず、憩心は何事か考える素振りを見せる。
そして、はたと何かに気付いたように頷くと、憩心は真理にこう言った。
「今から言う書類の確認と、あと一つ――――」
「一つ?」
首を傾げる真理に向かって憩心は神妙な顔つきを見せた。
「エレクトール教授に連絡を――――危険だ」




