第三十話
設定説明回。面倒だったら飛ばしても良い気がします。
花音が呼び出されたのは第六地区内にあるファミリーレストラン『デリーズ』だ。学業施設の多い区内にある事から学生の客が多く集い、勉強での長時間居座りもある程度黙認されている場所で平日、休日問わず多くの学生が詰め寄る。今日も今日とて学生らしき客がちらほら見られ、花音と同学年の子の姿もあった。
花音は彼女らに見つからないように店内へと入り、遊祉の姿を探した。
「お、来てくれたか。助かったぜ」
人に頼みごとをしたとは思えない気の抜けた様子で遊祉は花音を見つけるなり声を掛ける。
「来てやったわよ。まったく……、雨も降ってたし、もう最悪」
ガラス張りの窓から空を見上げると黒々とした雨雲が一面に広がっていて、ぱたぱたと小雨も降っている。昨日は天気が良かったが、今は梅雨真っ盛りなのだ。これが当然だと言えよう。
「悪かったな。取り合えず、好きなの頼めよ。奢ってやる」
「ふんだ、当然よ。これぐらいで得意顔しないでくれる」
「人の好意に対しての言い草か、それ」
「じゃあね、えっと、これ、お願い」
「……朝からステーキとか食うのか、お前。女の子なら普通デザートとか甘いもん食うんじゃねえの? それにメニューの中で一番高いもんじゃねえのか、それ」
「うるさいわね。お腹減ってんだからいいじゃない! それに課題手伝ってあげるって言ってんだから文句言わないでよ」
「へいへい」
「……なにその釈然としない返事。腹が立つわね」
遊祉の態度に一々腹が立つ花音だったが、怒りを飲み込みながらお冷を持ってきた店員に注文を頼む。
「それで。課題ってのは?」
花音の言葉に遊祉は手元にあったノートパソコンを立ち上げ花音へと見せる。
「『プログラムによる情報干渉』のレポートとそれらを示す為の簡易プログラムの作成、だと。期限は明日まで」
「明日って、なにそれ急過ぎない? どうせサボって手を付けなかったんでしょ? ったく、これだから落ちこぼれは……」
「間に合わせれば一緒だ。そんでレポートと簡易プログラムの作成は大体終わってんだが、文体がおかしいのか上手く起動しなくてな。これをデバック作業も兼ねて行うとなると人手が必要って事でお前に頼んだ訳だ」
「また面倒な作業残してるわね、あなた……ってちょっと!」
ノートパソコンに移るレポートと簡易プログラムを雑多に眺めていた花音は声を大きくする。
「どうした? もしかして俺のレポートに才能と可能性でも感じたとか……」
「……その逆よ」
花音はマウスを弄りながら段々と顔を強張らせていく。終いには大きく息を吐いた。
「あんた、本当に頭悪いのね。文体が滅茶苦茶なのは、まあ良いとしても、そもそもの理解が間違っている。情報干渉の定義についてどれくらい理解してる? 情報取得は? 範囲指定と任意指定の違いについて分かる? 情報改竄についてはどう? 改竄処理方法分類とか改竄内容分類とか改竄保護とか――――」
「…………まあまあ」
「ええ、確かにまあまあね。ほんの少し、素人に毛が生えた程度にしか把握出来ていないみたいだけど。こんなのデバック以前の問題よ」
「そんなに駄目なのか?」
「駄目ってもんじゃないわよ。こんなんで提出したら普通は落第ね。あんたの担当教諭って厳しい? 甘い? 甘いんならちょっと直すくらいでも良いだろうけど……」
「今度つまらないものを提出したら実験薬の被検体にするって言ってたな」
「どんな教師よ……。つまりこれを出したらマズいって事ね」
花音は溜息を吐くと、紙ナプキンを取って懐からペンを取り出し説明を始めた。
「良い? 情報干渉うんぬんよりあんたはまず全ての基本を理解した方が良いわ。
あんたのこの情報干渉についての理解を纏めたレポートはまず根本から間違っているものが多いもの。情報干渉ってのは戦術プログラムによって為される情報圏の改竄の事を指すの。
戦術プログラムの基本言語は『IERA』と呼ばれるプログラミング言語。そしてその処理は従来のプログラムと同様『順次実行』『条件分岐』『繰り返し』による三つの順序を合わせた構成で成り立っている。
そして戦術プログラムにはその扱い易さによってランクが決められていてそれぞれAからEで表されるわ。このランクの決定には『改竄規模』『処理項目数』『干渉限界』『干渉時限』で定められている。けどプログラムランクが高ければ質の高いプログラム、という訳じゃないわ。
例えば剣の情報を改竄するプログラムがあったとする。けどこのプログラムには干渉限界――つまり情報改竄出来る距離の事ね。これが五十メートル先まで干渉が可能なプログラムとなっているとする。
この場合、握った剣を改竄するプログラムであるならば情報改竄するのに支障は無いけれど、そこまで干渉限界を延ばす意味が無い。つまり不必要なメモリを使用するユーザーに負担が掛かる出来の悪いプログラムという事になるわ。
これがどういう事か分かる?」
「無駄にランクが高い割に使えないプログラムって事か」
「そういう事よ。要するに戦術プログラムってのはプログラムランクが高いからと言って使えるプログラムとは限らない。用途に合わせたプログラムを組む必要があり、それが質の高い情報干渉を生むって事。ここまでは良い?」
「多分……大丈夫だ。続けてくれ」
遊祉はこめかみを押さえながらも答える。花音は紙ナプキンを新たに五枚取りながら説明を続けた。
「一方でユーザクラスって言うのがあるわ。これは分かると思うけれど、あたし達戦術プログラマーの言わば指標ね。こっちはプログラムランクとは違ってランクが高い程、高い能力を持つプログラマーって事は間違いないわね。
これのトップがクラスⅤ、言わば【レッドユーザー】ね。これの下がクラスⅣ、【イエローユーザー】。涼穏がそうね。そしてその下に【グリーンユーザー】【ブルーユーザー】と続いて、その次があたし達クラスⅠの【パープルユーザー】」
「あれ? お前って【パープルユーザー】だったのか?」
「ええ、そうよ。言わなかったっけ?」
「……それでお前、俺の事を落ちこぼれ呼ばわりするっておかしくねぇか?」
「う、うるさいわね! あんたとあたしとじゃ同じ【パープルユーザー】って言っても十段階の一と十くらいの違いがあるのよ!」
「へー……」
「い、良いから続けるわよ! それでえっと……ユーザークラスの決定には『メモリ量』『改竄能力』『改竄応用力』が用いられる。とは言え『改竄能力』や『改竄応用力』は結局のところ『メモリ量』が高くなければ高めるのは難しいから実質メモリ量によるところが大きいわ」
情報力が段々と増えていく毎に理解が難しくなっていくが遊祉は何とか理解する。
花音は遊祉の様子を見ながら言葉を続けた。
「それでこの中で一番理解が難しいのが『改竄能力』ね。
とは言え、ここで言う改竄能力の殆どは戦術プログラムに依存するわ。
改竄能力を決定する指標は次の四つ、『改竄規模』『改竄速度』『干渉限界』『干渉時限』ね。
この内、『改竄速度』以外は戦術プログラムに依存して、残りの一つも『メモリ』に依存する。同じプログラムでも使う戦術プログラマーによって『改竄速度』が違うわ。
とは言え、戦術プログラムも結局はメモリが高くないと扱うのに制限が出ちゃうから……結局はメモリ次第って事」
遊祉は昨日聞いた御堂正巳の言葉を思い出す。
――――この情戦特区はメモリが高い奴が絶対。
改めてこの方式を聞くとその言葉に真実味が増す。
「ここまでが戦術プログラマーと戦術プログラムに対する基本の理解ね。情報干渉はまた別」
「もう俺は一杯一杯な訳だが……」
「じゃあその担当教師とやらの技術の発展、その犠牲になりなさい」
「……続けてくれ」
「言っとくけど、これ、基本理論よ。詳しくしたらもっと説明長くなるし」
その言葉に遊祉はテーブルに崩れ落ちるが、花音は構わず続けた。
「情報干渉の基本概念は『情報取得』『情報改竄』『改竄保護』の三点よ」
花音は紙ナプキンにその三つの言葉を書き、続けて一枚に『情報取得』と綴った。
「『情報取得』には『範囲指定』と『任意指定』の二種類があるわ。
『範囲指定』は座標指定後に範囲にある情報の取得を行う方法。一方で『任意指定』はプログラムに予め取得するべきデータ内容を読み込んでおき、それのみに情報を取得、読み込んでいた内容との齟齬を確認する取得方法。
『任意指定』の方が起動スピードは速いけど、その分使用するメモリ量が大きくなるって訳。まあプログラムによりどちらが良いかは決めた方が良いわね」
続いて花音は『情報改竄』と紙ナプキンに綴る。
「『情報改竄』にはまず『改竄処理方法分類』と言う二つの方法がある事を覚えた方が良いわね。
『追加』と『書換』。『追加』は予め存在している情報圏のデータに情報を新たに追記する処理方法。変数を改竄する場合は大抵この方法ね。
『書換』は情報圏のデータを一度、削除。改めてデータの書き込みを行う方法の事。こちらの方がメモリを多く使う上、起動スピードも差が出る。ただし色々な情報改竄を行うのに都合が良いわ」
「俺のプログラムは変数を改竄しているんだがこれはどっちだ?」
「それは『追加』じゃない? 昨日、あんたが使用していたプログラムって――」
「主に硬化プログラムを拳に使っていた。もう一つ、加速プログラムを使用しているが……」
「それなら多分、『追加』処理ね。多分、硬化プログラムの方は拳の硬度を『追加』処理で弄っているだけ。
加速プログラムも同様かしら。ただ簡単な変数処理するだけならこっちの方が良いし何より起動が早いわよ。クラスⅠなら妥当なプログラム」
成程、と遊祉は頷く。購入した基本プログラムを参考書を見ながら修正しただけだったが……、どうやら知らずに『追加』処理で構成していたらしい。
「続いて情報改竄には改竄内容分類と言って幾つかの分類に分けられるわ。
三系統五項目七種で三系統は『強化』『構築』『操作』。五項目は『物質強化』『事象強化』『物質構築』『物質操作』『事象操作』。そして七種は『性質強化』『性質変化』『能力強化』『物質構築』『想像構築』『物体操作』『運動操作』。
一つ一つ説明するのは面倒だから省くけど、まあそんな感じね」
「……これを全部纏めろと?」
「さあ。けどある程度で良いんじゃないの? あたしもさすがに全部詳しくは知らないし」
次に花音は『改竄保護』とナプキンに書いた。
「『改竄保護』はつまり情報改竄をしている間、その改竄が持続されるようにプログラムに処理を行う事を指すわ。
通常不可逆である筈の情報圏から現実への干渉を戦術プログラムで行っている訳だからこの処理を行わなければ現実からの干渉で情報圏に記載している情報は上書き、プログラムによる情報干渉はすぐにでも消えてしまうわ。よってそれらの処理は必要不可欠。この処理による限界時間の事を干渉時限って言って、この時間が長ければ長い程、メモリの使用量も増すわ。あんたのプログラムは一瞬で起動が終了していたでしょ? だからメモリへの負担も少なくて済むし、再起動に掛かる時間も短くて済む」
さて、と花音はペンを置いて一息吐く。
「こんなもんかしらね、情報干渉の触りは」
「触り!? アホほど長かった気がするが」
遊祉は今にも吐きそうとでも言いたげに眉を潜める。それを見て花音は肩を竦めた。
「当たり前でしょ。ちゃんと説明したらそれこそ本一冊分以上は使うに決まってるじゃない」
「……はあ。つうかお前、結構頭良いのな。俺と同じクラスⅠなのに」
「アホなの、あんた。クラスⅠだからでしょ。クラスⅠで能天気に居られるのなんてあんたくらいのものよ。他は皆努力しているんじゃないの?」
「それってお前もか?」
ふと疑問に思い聞いた遊祉に対して花音は目を伏せた。
「当たり前じゃない。あたしは執行部に入りたかったのよ? ユーザークラスが低いなら他で努力しないと駄目に決まっているでしょ」
「そうか。苦労したんだな」
「……何よ嫌味? あんたが執行部だからって」
その言葉に遊祉は少しばかり間を置いた後、花音へと視線を合わせた。
「俺に謝って欲しいのか? こんな俺が執行部に入って悪かったって」
「――それは」
「違うだろ、多分。同情が欲しいんじゃない。お前はその努力を認められたいんじゃないのか?」
「そんなの……、あんたなんかに言われなくても分かっているわよ」
花音は塞ぎ切らないぽっかりとした穴を抱えながら答える。
その努力は結局無駄になってしまったが、それが消えてなくなった訳じゃない。
「あたしは……まだ、諦めてないから」
「分かっているよ」
期待。彼女は自分に期待している。
逃げずに、期待という重圧に押し潰されないように戦っている。
それは遊祉にも容易に伝わる事だった。
「それよりさっきの話を元にさっさとレポート書きなさいよ。あと簡易プログラムも作成しないといけないんでしょ。さっさとしなさい。時間が無くなるでしょ」
「分かったが……、ちょっと待て。さっきの話全て理解するなんてすぐに出来るか。ちょっと手伝ってくれ」
「嫌に決まっているでしょ。それに――」
「それに、なんだよ」
「今からあれ食べるんだから。少しの間、あたしに話かけないで」
遊祉は花音が差した方法を見遣る。
そこにはウェイトレスに運ばれるステーキセットがあり、熱々の湯気を上げながら花音の元へと運ばれるところだった。




