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第二十九話

 オリエンタルホテル四十二階の一室にて。



「どういうつもりなのでしょうか?」

 そこには志燎真緒の姿があった。彼女の対面にはすまし顔をした小黒田薇がグラスに入ったワインを片手にこちらの話を聞いていた。


「何がだ?」

 薇は真緒の言葉に対して大袈裟に惚けた。真緒は下唇を噛む。



「誤魔化さないで下さい。昨日の事、私は知っているんですよ」

「セントラルホテルの一件の事かな」

「そうです。ココロ=エレクトールの一件は私に任せて貰えるという話だった筈です。それをどうして勝手に襲撃だなんて――――」

「勝手に?」

 こめかみがピクリ、と動く。薇は立ち上がり、真緒にグラスを投げつけた。


「……ッ」

 額に当たったグラスは衝撃に耐え切れず割れ、床に散らばった。真緒の額からは血が流れる。


「誰が貴様のような奴に支援していると思っている。勝手に、勝手にだと!? 呆けた事を抜かすな。俺は貴様の上だ。勝手も何もあるものか」

「……申し訳ありませんでした。言葉が過ぎました」

 怒りを飲み込み真緒は冷静に謝る。薇は息を荒くしながらも席に座る。


「しかしお言葉ですがこの件は私が担当の筈です。現状、薇様が手を出す必要は無いかと」

「真緒」

 小馬鹿にするかのような非難の視線が真緒へと飛ぶ。



「はい」

「貴様は現状を正確に確認出来ているか?」

「……はい」

「結構。だが俺は急いでいるんだ」

「存じて居ます」

「この件については既に時間を掛け過ぎているのだ。ココロ=エレクトールがこちらに来たのが一ヶ月ほど前。そして正規部隊から執行部へと護衛権限を移動させる工作に三週間以上掛け、昨日ようやく実現した。執行部の無能どもに守らせている今こそ絶好の機会なのだ。それを貴様は失敗した。それがどれだけの事かお前は分かっているのか?」

「……存じて居ます」

「そして改めて正規部隊に護衛権限が移るのが二日後。そうなれば手を出すのはまた難しくなる……分かるか、真緒? 俺達は追い込まれているんだ」

「……はい」

「ならば俺が動いて何が悪い? 無能のお陰で失敗はしたが貴様に非難される謂れは無い」

「申し訳ありません」

 真緒は深々と頭を下げた。それを数秒眺めた後、薇はようやく溜飲が下がったようだった。


「今日と明日――――それまでにココロ=エレクトールの身柄を確保しろ。分かったな?」

「はい」

 彼の度重なる念押しに頷く真緒は部屋を出て行く。


「…………」

 オリエンタルホテル四十二階の廊下を進みながら真緒は先程の電話の事を考えていた。


『話が違うんじゃない?』

 連絡用の携帯を通じて聞こえてくるのは恋ヶ窪花音の声だ。ただ、それは志燎涼穏の件についてでは無く、単純な抗議の電話だった。


「何の話かしら? それより例の件は――――」

『何言ってんのよ! あんた達のそれは出来る限り傷つけない、そういう話じゃなかったの?』

「……ちょっと、何言って」

『昨日。襲撃に遭ったわ。あんたは涼穏を巻き込むつもりなのね』

「だから、どういう――――」

『もうあたしはあんたを涼穏の姉だと認めない。あたしは涼穏を守る、それだけよ。じゃあね』

 それで先程の通話は途切れてしまった。真緒は昨日何があったかを調べ、セントラルホテルの件に辿り着いたのだった。


(薇はもう止まらない。私はどれだけ言ったところで聞かない。そういう奴よ。多分、明日にでも強攻策に出る……)

 そうなったら涼穏は――――真緒はそれを考え、表情を曇らせた。



「こうなったら……」

 真緒はそう呟き、ある決意を固めていた。









『課題、手伝ってくれ』

「…………」

 四月十日。明朝の事だ。花音の元に登録無しの番号から着信が届き、警戒して取らないでいると電話口から留守伝として聞こえてきたのは誰だろう新戸遊祉の声だった。


「……もしもし」

『お、良かった。繋がらなかったらどうしようかと思ったぜ』

「……、何であんたがあたしの番号を知っているのよ」

『会長、えっと……深義さんから聞いた』

「いや、あの人に番号なんて教えてないけど」

『あー、前に試験受けたんだろ? 確かそれに電話番号記載する欄が……』

「それ犯罪じゃないの!? 個人情報流出させてんじゃないわよ!」

 花音の頭に深義憩心の軽薄そうな笑みが浮かぶ。それを考え頭が痛くなった。


『まあまあ。深義さんも相手が俺だから教えてくれたんじゃねぇの? それに私的には使ったりはしてなかったんだろ?』

「これが私的でなくてなんだって言うのよ! それに相手があんただったら余計に嫌だわ!」

『そう言わずに、なあ?』

「切るわよ。……ったく、ただでさえさっき面倒事があったってのに」

 先程の真緒との一件が頭を過ぎる。これからどうしようかを考えるだけで鬱なのに馬鹿で落ちこぼれの手伝いなんかしてられない。花音はそう考え、電源ボタンに手を伸ばす。


『ちょ、ちょっと待て! お前、俺に借りがあったよな?』

 その言葉に花音の動きが止まった。数秒経っても通話が切れない事に確信を得たのか、遊祉は畳み掛ける。


『その借り、今使わせて貰う。課題を手伝ってくれ』

「あんたさぁ……。そう言うのすぐ使うのって格好悪くないの?」

『そんなの知らん。俺は縋れるものは何だって掴む』

「……それに、雨、降ってるし」

 外を覗くと小雨が降っている。天気予報でも今日はずっと雨が続くとの事だった。しかも雨は段々と強くなるらしい。


 何だって『借り』なんて事を口にしてしまったのだろう。花音はその言葉を軽く捉えてしまっていた事を今、心底後悔した。




「……分かったわよ」

 花音はしぶしぶ承諾する。それを受けて遊祉の喜ぶ顔が浮かぶようで、花音は酷く不快な気分になって地団駄を踏む。その際、タンスに小指をぶつけて二重に苛立つ事となった。

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