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第十五話

 第四地区のとある喫茶店。緊張を押し殺すように花音は運ばれてきた水を飲み干す。


 店内には流行りのポップソングが流れている。時間は十六時を回ったところ。周囲を見渡すと席は空いている。格好を見る限り学生もちらほらだがいる。

 本当にここに真緒さんが来るのだろうか。花音は入口の方を凝視しながら水の入っていないグラスから氷を頬張りがりがりと噛み砕く。


 それから五分が経過した後の事だった。



「お待たせ」

 挨拶もそこそこにやって来た真緒は花音の対面に座った。

 格好も先程と同じだ。真っ黒のワンピースに首からネックレスをぶら下げた異質な格好。


「久しぶりね、花音。随分とまあ、垢抜けて可愛くなったわね。昔は涼穏と一緒にそこら中を駆け回って、それこそ子供っぽかったのに。ねえねえ、もしかして彼氏とか出来た?」

「えと……まだ、だけど」

 花音は若干言い淀みながら答える。


「へー……まだなんだ。なんか意外だな。その雰囲気ならてっきりいるものかと。うちの涼穏ちゃんなんかその辺真面目だからまだまだって感じだけどね」

「あの!」

 花音は真緒の話を遮る。真緒の目がすうっと細くなる。


「そんな事を話に来たんじゃないでしょ、真緒さん」

「……まあね」

 真緒は一先ず店員を呼び、ストレートティーを注文する。


「涼穏、どうしてる?」

 唐突に真緒はそう尋ねた。花音は静かに言う。


「心配してるよ、あんたの事を」

「そっか。まあそうだよね」

「戻ってあげないの?」

「……。今はちょっと難しいかな」

「何でよ! 涼穏があんたの所為でどれだけ……、どれだけ傷ついたと思っているか分かる?」

 花音は声を荒げた。堪え様の無い怒りで手が震える。

 しかし真緒は飽くまでも冷静だった。とても静かな口調で返す。


「分かるわ。だって私の妹だもの」

「だったら……ッ」

「でも戻れない。私にはやるべき事があるもの」

「情戦特区を壊すとか言うの!? それは涼穏を放っておいてまでやること!?」

「やっぱり聞かれてたのね」

 冷たい雰囲気が声となって現れた。その捉えようのない感情は花音の背中にまるでナイフでも突きつけられたかのような、そんな悪寒を与えた。


「……あたしをどうする気よ」

「どうもしないわ。だって涼穏のお友達だもの。それどころか私は誰一人として無意味に傷つけるつもりはないわ」

「じゃあさっき言ってたことはなに? あんたは一体何をするつもりなの!」

「…………」

 真緒はその問い掛けに無言を返した。更なる追求をしようと口を開いたところで店員がやって来て真緒の注文していたアイスティーが置かれる。店員は「ごゆっくり」と言って去った。


「具体的な事は言えないわ。当たり前だけど」

 そう言って真緒はアイスティーを口に含んだ。


「貴方。この情戦特区にどうしてやって来たの?」

 唐突に。真緒は花音へそんな事を尋ねた。


「え、それは……」

 花音がこの情戦特区へとやって来たのは中学からだ。今通っている嬰堂学園の中等部に入ったのが切っ掛けだった。


「私は何となくだったわ。別に大した目標なんて無かった。けれど何故か才能があったみたいでね。【レッドユーザー】になるのもそう時間は掛からなかったわ。だから別にそれを誇りに思えるなんて事も無かった。私にとっては当たり前の事だったから」

「……羨ましい話」

「そうね。だからこそ私は全てを失った時、最終的に耐えられなくなってしまったのかも知れないわね」

「え?」

 花音は疑問の声音を上げた。真緒は肩を竦める。


「私はこの情戦特区の現状に不満があるわ。だから行動する。とは言っても誰も傷つけるつもりはない。無いけど……身に降りかかる火の粉は払わないといけないわ」

「……どういう事?」

「貴方をここに呼んだのはね。一つお願いがあるからなの」

「お願い?」

 その言葉を繰り返す花音に対し、真緒は「そうよ」と答えた。


「涼穏について、よ。再来週の週末だけで良いわ。あの子が執行部に顔を出さないようにして欲しいの」

「それはどうして?」

「再来週の週末、あの娘が執行部に居れば私は場合によってはあの娘を傷つけなくちゃいけないから。それは出来れば避けたい」

「……ならそんな事しなければ良いじゃない」

「それは無理。私はもう引き返せないところまで来ている。これでも犠牲を減らす努力はしているつもり」

「私が拒んだら、どうするの?」

「その時はその時。別の手を打つだけよ。けれどね――」

 からん、とアイスティーに入っている氷の動く音が花音の耳に届く。真緒はゆっくりとアイスティーを口に含み、そして飲み干した。


「貴方はきっと断らない、そう思っているわ」

「どうかしらね。何であたしがあんたの言う事なんか聞く必要があるの?」

「だって貴方、あんなに執行部に入りたがっていたじゃない。それはどうして?」

 その言葉に花音は息を呑んだ。口に手を突っ込まれ心臓に触れられたような、そんな嫌悪感を覚える。


「どうしてって……」

「貴方の申請、最終的な決断を下したのは当時、執行部第九支部の会長だったこの私よ。その志望動機も察しはついているわ」

 花音は心の奥底を探り当てられたような気持ちになる。


 そうだ、二ヶ月前の事。当時の彼女、志燎真緒は執行部第九支部の会長を務めていた。

 それが一ヶ月半前、突然執行部を辞めたのだった。そして入れ替わるようにして一ヶ月前程に涼穏が執行部へと入った。


 その理由を花音は知らない。涼穏もどうやら知らないようだった。

 それはそれとして。二ヶ月前まで会長を務めていたのであれば花音が執行部を志望した事を知っているのは当然で、その審査にも深く関わっている事だろう。


 しかし、志望動機について本当の理由は恥ずかしくてぼかして書いたつもりだ。


(何で知っているのよ……もしかしてあてずっぽうで言っているんじゃないでしょうね!)

 真緒を睥睨とする。その事で真緒は笑みを零した。


「分かるわよ。志望動機くらい。貴方、きっと涼穏の助けになりたかったんでしょ」

「……何でそれを」

「そりゃ涼穏と一緒に志望してきたくらいだし。それに何となく気持ち、分かるもの」

 真緒はそう言ってふっと息を漏らした。


「好きな人の役に立ちたい気持ち。私には痛い程分かるわ。他人の『期待』する自分になりたいって気持ちは誰にだってあるものだもの」

「……、だからあたしが涼穏を止める筈だって、そう思うわけ?」

「そうね。期待、しているわよ」

 彼女は連絡先のメモを花音へと渡す。そして立ち上がり伝票を持ってその場を去っていった。


「…………」

 そうだ。きっと彼女の言う通りだ。花音は涼穏の役に立ちたい。

 だからこそ彼女の言う事を実行してしまうやも知れない。


(確かに涼穏には怪我なんてして欲しくない。況してや真緒さんと、お姉ちゃんと戦わせるなんて。けれど……それが本当に涼穏の役に立つって事なの?)


 それを考えながら、氷から水に変わってしまっている自分のグラスの中身を飲み干した。

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