第十四話
遊祉が部屋に入れたのはそれから二十分後だ。遊祉がノックする度に涼穏の「うるさいです!」という怒号が飛び、何度目かの後に入室を許されたのだった。
「不潔です、変態です。ニート先輩はこれだから……」
涼穏は顔を真っ赤にしながらも小言をぶつぶつと呟いている。
「いや、これは俺の所為じゃないだろ」
「責任の所在なんて知りません。ただ、私はニート先輩の所為だと確信しています」
「すげー理不尽さだな、お前」
「ふむ。リオン、一つ訊いても良いかの」
ぷりぷりと怒る涼穏へとココロが尋ねる。
「どうして裸で居る事が悪いのかの?」
「え、どうしてって……」
「ココロとて人間は服を着るモノじゃと、文化としてそう定められているのは知っておる。だが、こう釈然としないものがあっての。それにユーシを追い出したのも不思議じゃ。何故じゃ」
「そりゃあ男性が女性の肌を見るのはちょっとあの……不健全ですから」
「不健全、か。ふむう、そんなものかの」
困り顔を浮かべる涼穏に対してココロはちょこんと首を捻っている。
「ココロ君。私は一言で不健全だと断ずるのはどうかと思っているぞ。個性は無限大だ。むしろ天才とは自己の拡張、個性の認識に始まる。かつて誰かが言ったそうだ。『裸で居る事の何処が悪いのだ』と」
「て、天上院教授もエレクトール教授に変な事を教えないで下さい!」
「変な事? 変な事とはどういう事かね、志燎君。私にも分かるように教えてくれ」
「ふぇッ!? え、えと……その……」
「ほら、堂々と大きな声で……」
「そ、それはその……え、えっちな……」
「ふむ、ほらもっと大きな声で」
「なにエロジジイみたいな事やってんすか、千詠先生」
見るに見かねて遊祉が止めに入る。千詠は楽しそうに笑っている。
「なーに、ちょっとした遊びだ。思春期の女子中学生は私にとってもからかい甲斐がある」
「そんなんだから変人扱いされてるんですよ……。つうかお前も何言ってんだ」
「に、ニート先輩には関係ないです!」
「関係無いって……目に涙まで浮かべて言う事かそれ……ったく」
「うるさいですよ!」
涼穏の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。そんなに嫌なら嫌って言えよ、ホント。
「いやいや君も楽しんでいるんだろう、新戸。くくッ、何を興味ない振りしているのか」
「……何を言っているんですかね」
「ニート先輩変態です!」
「え、それ酷くねえ」
「まあ遊びはここまでにしておこう。私が天上院千詠だ。歓迎しよう。ココロ=エレクトール君に志燎涼穏君」
そう言って千詠は不健康そうな青白い顔で笑う。白ワイシャツに黒のタイトスカートはいつも通りだが、その病的な顔は朝よりも若干だるそうで、その笑顔はともすれば不気味にも移るが、これが彼女なりの笑顔に相違ない。
「ココロ=エレクトールじゃ。お主の噂は聞いておった」
「……ええと、志燎涼穏です。このような機会を得られた事、光栄に思います」
ココロと涼穏はそれぞれ千詠に挨拶する。その意外とまともな対応に遊祉は疑問を抱く。
「なんか普通に常識人っぽいですね」
「この二人は私が招いたんだ。それはそれなりの対応をするに決まっている。普段、君が見ているのは招かれざる客に対する私の対応だ。断りもなしに部屋に来る者を客とは呼ばない」
「……でも先生は断りのメールやら電話を徹底的に無視するじゃないですか」
「知ったことではないな」
千詠は少しの興味も無いとばかりに言う。連絡付かずにわざわざ研究室に来て罵倒とか、それもう人としてどうかしているレベルだ。
「時にココロ君。君の祖父、ヴィリヨ=エレクトールは息災かね」
話を切り出す千詠。成程、ココロの祖父と知り合いだったのか、と遊祉は思う。
幾らココロが有名な研究者であるとは言え、千詠が呼び出すのは何か理由があると思ったがそういう訳か。遊祉は納得した。
しかし彼女の質問に対しココロは顔を曇らせた。
「ドクターチエ。残念ながら祖父は二年前に他界しておられる」
「なんと。それは残念だ。奴と会えばそれはもうお互いの研究を批判し、口汚く罵り合える実に気持ちの良い爺であったのに」
(それは喧嘩友達的な意味だろうか。それとも単に嫌いなだけか?)
千詠の事だ。仲の良い相手を褒めるような、普通の神経を持ち合わせているとは到底思えないから彼女にとってココロの祖父は良き友人であったのだろう。
「全く……。この世界は何故万人に死が用意されているのだろうか。優秀な者が死に愚か者が跋扈する。この世の心理は私にはどうも度し難い」
「そう言えばプライエル=マクガイヤー教授も行方不明でしたね」
涼穏の言葉に対し千詠はあからさまに嫌な顔をする。
「え、あの……」
その反応に涼穏は動揺した。千詠は溜息を吐く。
「いや、良い。あの糞爺のいやらしい顔がよぎってどうしようもなく吐き気を催しただけだ。志燎君、君の所為じゃない」
「いえ、すいません……あの、マクガイヤー教授とは仲が宜しくないのですか?」
その疑問に千詠はにっこりと笑顔を浮かべた。
「そんな事は無い。奴を見ればあの禿頭に硫酸をぶっ掛け、残り少ない髪の毛を溶かしたくなるくらいには愛しているつもりだ」
「愛が屈折していますね」
遊祉の言葉に千詠は舌打ちをしてみせる。どうやら相当仲は険悪なようだ。
「【バベルの末席】などと揶揄されてはいるが、奴に教わった事は非常識で突拍子のない空想と世界への呪詛を振りまく方法くらいのものだ。あの糞爺と最後に会ったのは私が研究所の一角を爆破した時だ。知っているかい? 発泡スチロールをガソリンに浸すだけでナパーム弾が作れるそうだ。それだけじゃない。日用品は危険物のオンパレードだ」
「…………」
彼女の口振りはいつも以上に気持ちがこもっていて、どれだけプライエル=マクガイヤー、かつての師匠が嫌いかどうかが伝わってきた。
子供が親に似るように。親が子供に似るように。師弟関係も似たようなものなのだろう。
「つうかあっちが怒っているんじゃないんですか? 謝罪とかしなくても良いんですか」
「知らんな。青かったとは思うが、私は今でもあの事を悔いてはいない。そもそも奴が今何処にいるのか、そもそも生きているのかも分からん。とは言え、あの偏屈爺がそう簡単に死ぬとも思えないが。今も何処かで蚤虫のようにみみっちい事を真剣に考えているのだろう」
「……先生って人に謝った事とかあります?」
「あるに決まっているだろう。生涯になんと二回も謝る機会があった。十三年前と五年前の計二回もだ。実際に謝ったのは一回だが。あれは私の完璧な生涯に置いて僅かながらの汚点だな」
凄い神経だ。間違いなくあんたはその偏屈だと言う師匠とどっこいどっこいだろう。
「新戸。天才とはそもそも失敗をしない生き物なのだよ。故に私は謝らない」
「その言い分こそ間違いだと言う事に気付くのはいつなんでしょうか」
「無論。私は間違っていない。永久にその時は来ないな」
「…………」
傲慢を通り越していっそ呆れてしまう。遊祉は彼女を見て改めてそう思う。
「ところで君達は【洗脳プログラム】と呼ばれる一連の事件に遭遇したらしいな。時にココロ君。君は【洗脳プログラム】についてどう思うか?」
「どうもなにも実現不可能じゃ」
ココロは執行部の時と同じ答えを千詠へと返す。
「情報圏への干渉についてお主も知っておるじゃろうが……、未だ精神分野について分からない点が多い。ココロから見ても実現不可能じゃと考えておる」
「成程。正論だな」
「まあ一つあるとするならば……」
ココロはそう言ってから顎に手を当て、再度口を開く。
「お主【バベルの末席】、もしくはそれ以上の天才達がこの事件に介入しているか、もしくはそれに特化した専門分野の持ち主が秘密裏に研究を進めたか」
「有り得ないな」
千詠はココロの意見を否定した。
「私以上の天才など早々居ない」
「【バベルの末席】がこの事件に介入していないと言う事かの」
「どうだろうな。ただ、少なくとも事件の中心には居ないだろう。この事件が明るみに出始めてから一ヶ月。この一ヶ月もの間、事件が目立つ。故に【洗脳プログラム】だと騒がれている。この時点で我々のような者の介入は有り得ない」
「何故、そう言い切れるのじゃ」
「私のような天才なら明るみには出ない。もっと上手く事を運ぶ」
「ふむ、成程」ココロは頷く。
「ただ、この事件に何者かの介入があるのだとすれば一ヶ月、既に機は熟しているだろう。そろそろ具体的な動きが見える筈。さてそこから先は志燎君。君達、執行部や正規部隊の出番だ」
「は、はい! 必ずや期待に応えられるように頑張ります!」
千詠の視線が涼穏へと移る。それを受けて涼穏は敬礼してみせた。
「ああ、こりゃ頼もしいな。精々俺の分まで頑張ってくれ」
「……何言っているんですか、ニート先輩。貴方にも出来る事があるでしょう」
欠伸交じりの遊祉を涼穏は睨みつける。眠そうに遊祉は口を開く。
「いや、俺見習いだし」
「見習いでも出来る事があるでしょう!」
「ボランティアにそんな事を言われてもなあ」
「私もボランティアですよ!」
がるる、と涼穏が唸り声を上げる。それを見て遊祉は柳に風と受け流す。
「志燎君。馬鹿と鋏も使いようだ。役立たずのゴミも爆弾括り付けて特攻させるくらいの役には立つ。このまま社会の雇用指数を下げる要因になるよりも土の栄養へと還った方がずっと利用価値もあるだろう。精々利用してやってくれ」
「いや、それ俺死んでるんですが」
「はい。喜んでお引き受けいたします」
「……人権とか尊重されてねぇな、俺。最低限の生活うんぬんはどうなってるんだよ」
「新戸。憲法では最低限の生活を保障されていると言うが、一方で働かざるもの食うべからずとも言う。それに準ずるならば働かないものは人間扱いをされないと言う事だ。人間様に昇格出来るよう働け、新戸」
「そうです、ニート先輩は怠け過ぎなんですよ」
「何その驚きの解釈」
「ユーシ。お主も大変じゃのう」
「……ありがとう。何だか泣けてきたよ、エレクトール」
早く人間になりたい。嘗て何処かで言われていた台詞が遊祉の頭の上を飛び交っていた。




