第十三話
執行部第九支部での話し合いの後、遊祉は涼穏、ココロと共にモノレールに揺られていた。
目的地は第七地区にある千詠の研究所だ。急に電話が掛かってきたかと思えば、
「聞いたぞ、ココロ=エレクトールと一緒だそうだな。彼女には興味がある。連れて来たまえ」
などと言って一方的に通話を切ってしまったのだ。
ココロにこの事を話すと快く了承してくれた。
しかし、問題は涼穏の方だ。ただでさえ遊祉に嫌悪感を抱いている涼穏だが、今は憩心との言い争いですこぶる機嫌が悪い筈だ。
とは言え、彼女無しでココロの護衛は難しい。
どう説得するべきか、遊祉は悩みながら話題を切り出した。
しかし、彼女の反応は遊祉が思っていたのは少し違っていた。
「行きます! 必ず行きます! 行きたいです!」
涼穏はさっきまでの不機嫌など意に介さずとばかりに興奮した様子でそう言って見せた。
その理由はどうやら天上院千詠にあるらしい。
「天上院千詠教授と言えば、戦術プログラミング理論の生みの親であるプライエル=マクガイヤーの直接の弟子【バベルの末席】の一人! 一度で良いからお会いしたいと思っていましたが、よもやこんな機会に恵まれるなんて!」
「【バベルの末席】? あの人、そんなに凄かったのか」
「……自分の担当教諭でしょうに何でそんな事も知らないんですか。全く理解に苦しみます」
てっきり自称天才なだけの毒舌教師だとばかり思っていたのだが。
「ニート先輩はずるいです。どうして先輩ばかりがこんなに良い思いをしているのですか」
「いや、俺に言われても……」
「それに【バベルの末席】の指導を受けて尚、何故そんなにも落ちこぼれで居られるんですか」
「指導なんて受けた事無いし」
千詠から指導を受けた記憶は無い。あの気分屋は暇さえあれば遊祉を詰ってばかりなのだ。
担当教諭と言えば普通は生徒の研究のサポートや、戦術プログラミングの監督、指導、監修、その他様々な連絡が主な役割であるが、千詠はその全てを放棄しているように思えた。
「例えそうであっても、天上院教授のお近くに居れば触発され、それだけで成績など上がりそうなものです。結局はニート先輩の怠慢ではないですか?」
「……お前ってさあ。実は結構ミーハーだよな」
「え、何を根拠にそんな事を言っているんですか! 私はそういう浮ついた気分はありません」
「だってココロと会う時もそんな感じだったじゃん」
「あ、あれは粗相が無いようにと緊張していただけで……」
「お前もそういう年齢相応で可愛い所があるのな。そう考えると少し見方も変わるな」
ただただ、生意気な後輩だとばかり遊祉は思っていたのだが。
その一方で涼穏は火を吐く寸前かのように顔を真っ赤に染め上げていた。
「か、かわ……かわいい……」
「あ、どうしたよ。そんなぶつくさと」
「う、うううるさいですよ! いきなり話しかけないで下さい!」
「お、おう、悪かった」
急に怒鳴り声を上げた涼穏に遊祉は怖気づく。
千詠先生のお陰で機嫌が良くなったかと思ったが、まだ不機嫌な様子だ。
やり取りもそこそこに遊祉は他二人を連れ、千詠の研究所がある第七地区へと移動する。
大学の研究施設を一棟諸々借り切っていると言う千詠の研究室は一階の西側、雑木林に隠れて陽が当たらずジメジメとした様子の場所を選んでいる。梅雨であるこの時期は湿気が溜まり、遊祉は一時間と長く居たい場所ではないが、千詠曰く「暗い雰囲気の方が調子が良くなる」そうだ。研究者の中でも飛び切りの変人と名高い千詠の言う事だ。理解に苦しむ。
入口をノックした後、いつも通り返事を待たずに入る。涼穏とココロも一緒だ。
研究室の中はジメッとしており、電気すら着けていない。幾ら言っても片付けどころか換気すらもしない散かり具合はまるでダンジョンに迷い込んだかのような不気味さがある。
アトランダムに置かれた机の上には猥雑に資料や紙が置かれており、タワーを形成している。
その様は崩れる寸前のジェンガを彷彿とさせる。
「せんせーい、せんせーい」
飽き性で堪え性の無い千詠はこの広く雑多な部屋の中で活動場所を転々とさせている。パソコンは無駄に八台もあるし、机は大中小合わせて二十二台に達している。ちょっと常人じゃ考えきれない数だ。
「せんせーい、エレクトールを連れて来たぞ」
「あ、ああ……来たか」
棚の奥から千詠の気だるそうなハスキーボイスが聞こえてくる。
そしてのそりと腕が見えたかと思うと徐々に姿を現す。
「どうやら気を、失っていたようだ」
その姿に涼穏が軽く声を漏らす。千詠は気にせず喋り続けた。
「意識を閉じるのはあー……およそ三十三時間ぶり、と言ったところか。君のその間抜け面を見ると冷や水をぶっ掛けられるより尚、目が覚めるから助かるよ」
「……先生。格好」
遊祉は頭を抱えた。千詠の姿の所為だ。
髪はボサボサ、目はほぼ閉じきっていて、人に見せられるようなモノでは決してない。
ただ、そんな事よりも大変だったのは彼女が下着姿であった事だ。紫色のひらひらした露出面積の多い下着が遊祉のみならず涼穏、ココロの眼前にも露になる。
「格好……ああ、これは失敬。どうも服が邪魔臭かったのでそこらにほっぽり出したのだったな。服を着るという文化は私には少々肌に合わないな」
「下手な冗談を飛ばしている場合かよ」
「ニート先輩こそちゃっちゃと部屋から出て行って下さい!」
そんな理不尽な怒りが飛んできた後、遊祉は部屋から暫く追い出される事と相成った。




