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第十一話

 執行部に到着すると、涼穏は慣れた手付きで入口の認証機の前で何やら操作を始めると暫くしてロックを解除した。どうやら胸元のワッペン――盾をモチーフとした執行部を象徴する紋章――を翳す事でロックを解除出来る仕組みのようだった。


 事務所の扉を開けると、奥から何やら騒がしい声が聞こえていた。

 甲高い声。どうやら女の子のようだが、どうにも興奮しているようだった。



「だからですね! 涼穏に用があるんです、あの娘にええと……伝えたい事があって!」

「ええとね、だから涼穏ちゃんは用事で少し席を外していて……」

「何時に帰って来るんですか!」

「ええと……もう少しで戻ると聞いているけど……」

「もう! じれったいわねぇ!」

「……花音?」

 涼穏が訝しげに声を発した。すると女の子はくるりと振り返り、こちらに視線を寄越す。


 コケティッシュな見た目の女の子だった。身長は比較的高め、栗色のハーフアップの髪に大人びた顔立ちの少女は涼穏を見つけるなり、ぱあっと笑顔を露わにした。



 その反応を見る限り涼穏の友人なのだろうが、涼穏と比べて非常に大人びた顔つきだ。どちらかと言えばギャルっぽい見た目と言えば良いのだろうか。比較的ツリ目に近い気の強そうな雰囲気や、マスカラやチーク、口紅など濃く見えない程度だが化粧もしている事やネックレスなどを着けている事から悪く言えば『遊んでいる』風にも見える。制服を着ているのだが、それも却ってそんな様子に拍車を掛けていた。左腕にはオートマトンが着けられている。


「あ、涼穏。あー、ようやく会えた!」

「花音は何で執行部に居るの? 今日は補修だって言ってなかった?」

「ええと、意外と早く終わってね――じゃなくて! 実は涼穏に言いたい事があって来たの」

「言いたい事? 携帯で連絡してくれれば良かったのに。それとも何か大事な……」

「そうとっても大事な話で……えーと」

 花音と呼ばれた少女はそこで少しばかり躊躇するかのような、そんな表情を浮かべた。


 泳いだ目が彷徨う内、ココロ、そして遊祉へと焦点が移っていく。

 その途端、少女は素っ頓狂な叫び声を上げた。


「あんたは――――あ、新戸遊祉! 何であんたがこんな所に居るの!?」

「え、花音、ニート先輩と知り合いなの?」

 涼穏は少女へと尋ねるが、その前に遊祉が疑問に対して首を振る。


「いや、初対面だと思うが。誰だお前」

「そりゃ初対面よ。でもあたしはあんたを知っているわ。だってあんたって嬰堂学園高等部一年の新戸遊祉でしょ!?」

「その通りだが……何だ、俺のファンか?」

 遊祉のそんな冗談に対して少女は身の毛もよだつとでも言いたげに身を竦めた。


「気持ち悪い事言わないでよ! あたしがあんたを知っているのはあんたが中等部でも有名な落ちこぼれだからよ!」

「中等部?」

「ああ。ニート先輩。花音は貴方と同じ嬰堂に通う生徒ですよ。まあ中等部ですけど」

 遊祉の疑問に対して涼穏のフォローに回る。対して花音はそれについて肯定した。


「そうよ、新戸遊祉。あたしの名前は恋ヶ窪花音、嬰堂学園中等部に通う三年生。だからあんたの事はよく知っているわ」

「知っているって。中等部に通っているくらいで俺の事を知っているとか、どんだけだよ。幾ら俺が落ちこぼれだからと言っても」

「ただの落ちこぼれじゃないわよ。あんたはぶっちぎりの落ちこぼれじゃないの!」

 心底駄目な奴を見るかのような目つきで花音は遊祉を見遣る。


 一方で遊祉はそれに関して首を捻った。


「……。そうなのか?」

「自覚が無いの!? さ、さすがね……。知っているわよ、前回の中間考査の話。全部不可を取っても平然としていたって!」

「え、それって……ニート先輩……」

「ユーシ……お主……」

 花音の言及を聞いて涼穏とココロも可哀想なモノでも見るかのような目つきへと変わる。


「いやいや、さすがに全部不可はねーよ。確か一つくらいは赤点じゃなかったような……そうじゃなかったかのような気が……。うーん、どうだったか……」

 試験結果が散々だった事は記憶にあるものの、その点数が何だったかどうかはもう既に過去の事として忘れてしまっていた。言われてみればとんでもない点数だった気もする。



「殆ど覚えてすら居ないじゃない! それにまだまだあるわよ、講義に出ては一度も起きる事なく夕方を迎えたらしい、とかお手洗いに行くと席を立ったまま帰って来なかったとか、式典に参加した所を見た事が無い、とか……挙げたらキリが無いわ!」

「……そんなに酷い事か? 良いじゃねえか、誰かが困る訳じゃないし」

「困るわよ! 馬鹿じゃないの!」

 花音の罵りに涼穏も頷いた。


「不良生徒まっしぐらですね、ニート先輩……。言っておきますけれどこの情戦特区は優れた人材の輩出所として期待されています。故に不真面目な生徒なんてそうは居ない筈なんですが。貴方はどうやってこの情戦特区に入ったんですか」

「こう見えて俺は中学の成績は良かったからな。情戦特区へ来たのは高校からだが、試験は大して難しくは無かったぞ」

「うわ……。その発言は私でなくてもムカつきますね。死んで下さい」

「辛辣だな」

 まるで他人事かのように言う遊祉に対して花音は尚も糾弾を続ける。 


「そんな駄目で落ちこぼれのあんたがどうして涼穏と一緒に居るのよ!」

 その問いに遊祉は平然と答えた。


「ああ。色々あって手伝う事になったんだよ。正式じゃないけど」

「……はあ? ここって……何処よ?」

「ここ。執行部」

「……え、あんたのユーザークラスって」

「クラスⅠだ」

「は、…………はぁあああああ!?」

 まるで信じられないものでも見るかのような反応を花音は見せた。


「な、なっっっっとくいかないわ! どうしてよ!? どうしてこんな奴が執行部に!? あたしは駄目だったのに!」

「何だお前執行部に入りたいのか?」

「そうよ! なんか悪い!?」

「ちょ、ちょっとニート先輩!」

 涼穏が背伸びをしつつ、遊祉の口を塞いだ。そして耳元にて小声で囁いた。


「花音は執行部へ入る為の試験に落ちているんです。少しは察してあげて下さい! 本当にデリカシーがありませんね!」

「いや、だって知らなかったし」

「知らなかったじゃないですよ! 馬鹿! 馬鹿ニート先輩!」

「何で、何でよォ! もう!」

 花音は心底悔しそうに地団駄を踏む。


「ちょ、ちょっと花音ちゃん。落ち着いて……ね?」

 ずっと様子を見ていた真理も花音の怒りを抑えようと宥める。

 しかし花音の怒りはそれでは収まらなかった。


「でも真理先輩! おかしいじゃないですか! こんな人が執行部入り出来てあたしが執行部に入れないなんて……そんなのおかしいです!」

「遊祉君は正式な推薦があったから……それに……」

「それに……それにって何よ!」

「遊祉はプログラマーの中でも特殊な【固有干渉者】だからだよ」

 花音の疑問に答えるようにして奥から執行部会長である深義憩心が姿を現す。


「正式で無いとは言え、遊祉は会長である俺が役に立つと判断したからここに居るんだ」

「でもクラスⅠじゃない!」

「ユーザークラスなんて単なる指標にしかなんねぇよ。クラスⅠでもやれる事はある訳だ。花音ちゃんの評価、俺も見せて貰ったが、もう少しってとこだな。ま、悪いけれど次に期待だ」

「…………」

 花音は悔しそうに歯噛みしつつ、遊祉を睨みつけた。


「あたしは認めないからね! あんたが執行部なんて、涼穏の助けになれるだなんて!」

 そう言い残し、花音は執行部事務所から出て行った。

 その後姿を心配そうな表情で見つめた後、涼穏は遊祉を睨みつけた。


「ニート先輩、貴方の所為で花音が怒っちゃったじゃないですか。どうしてくれるんですか!」

「どうするもこうするもなぁ……。あれは俺の所為なのか?」

「当たり前ですよ! ……花音は、花音はあれでずっと頑張っているです。それを……もう、本当に最低です、ニート先輩!」

「分かった、分かった。今度会ったら謝っとく」

「絶対ですよ! ……まったく」

 涼穏はようやく溜飲が下がったようだが依然として不機嫌そうに口を真一文字に結んでいる。


「仕方ねぇよ。あそこで変に言い繕ったって仕方がないじゃねぇか。……それより報告だ」

 憩心のその言葉に対して涼穏は頭に来たようで少しの間、憩心を睨みつけていた。

 だが今は執行部としての仕事を優先した方が良いと判断したようでやがて報告に入った。


 涼穏の報告を聞いた後、真理は口を開く。


「報告ありがとう、涼穏ちゃん。大変だったわね。本当にお疲れ様」

 優しく涼穏の頭を撫でる。涼穏は恥ずかしそうに目を泳がせていた。

 どうやら涼穏も真理には頭が上がらないらしい。


「成程。お前らの話とあと正規部隊を通しての報告で事情は大体分かった。この件はどうやら最近の事件の延長にどうやらあるらしいな」

「――――【洗脳プログラム】ですか?」

「洗脳、プログラム?」

 涼穏の言葉に遊祉は首を傾げた。


「……またですか。最近話題になっているじゃないですか。何でそんな事も知らないんですか」

「俺は興味のある事にしか脳みそを働かせないんでな。節約だ」

「何を偉そうに……」

 呆れたかのように涼穏は肩を竦めた。


「【洗脳プログラム】と言うのはね、ここ最近起きている事件で使用されていると噂になっている特殊なプログラムの事なのよ」

「洗脳って。そもそもそんな事が出来るんですか?」

 代わりに説明してくれた真理に対して遊祉は疑問を浮かべる。


 【洗脳プログラム】と言うからには精神に作用するプログラムである事は予想出来る。

 しかしながら現在の技術で『精神的階層』の情報取得は不可能、と言うのが一般的な解釈だ。


 従ってそんな事が噂になっている事がそもそもおかしい。

 その遊祉の疑問に対してココロが口を開いた。


「有り得ないじゃろう。ココロの研究で得た技術を以ってしても精神に影響を与え得るプログラムを運用するのは未だ不可能だと言って良い」

「それが、どうしてまた?」

「ここ最近、一連の事件に関わっている人物が事件を起こすとは思えない人物だったからだ」

 憩心は【洗脳プログラム】の事件について説明を始めた。


「今日、お前らを襲った御堂正巳について正規部隊から報告があった」

「御堂正巳の事ですか」

 遊祉はその名前を繰り返しながら、件の人物について思い返す。


 瞬間移動プログラム【瞬間旅行】を使用する戦術プログラマー。


 【干渉眼】は彼のプログラムと相性が良かったが、それが無ければ、いやそうでなくとも危険な相手には違いなかった。憩心はこくりと頷く。


「奴は元々、情戦特区の高校に通う生徒だ。ユーザークラスはクラスⅢ、【グリーンユーザー】だ。学校の成績は真面目一辺倒な生徒で、こんな事件を起こすような奴では無かったそうだ。一ヶ月前に行方を眩ませていたのだが、こうして見つかったという訳だな」

「それがその……【洗脳プログラム】の所為だと?」

「それは分からん。しかし、そうでなければ事件など起こさないような真面目な生徒がここ最近、傷害事件を起こすケースが多発している。こうして個人をさらいに来るようなケースは初めてだそうだけれどな。その事は生徒間やネットでも噂として飛び交っている。それが回りに回って【洗脳プログラム】などというモノを生み出した、のかも知れない」

「……どういう事ですか?」

 遊祉の問いに会長は分からない、とばかりに首を振った。



「さあな。しかし実際にこうして事件になっている事は確かだぜ。一連の騒動についてはこっちも手を焼いているしな。だから天上院先生を通じてお前に声を掛けたんだよ。あの人から聴いていたんだよ。『面白い奴が居る』ってな。どうやら想像以上の働きをしてくれたようで、こっちとしては大助かりだよ」

「そりゃ、どうも」

 一応とばかりに頭を下げる。涼穏はその様子について気に入らないように口を尖らせていた。


「……とまあ、こんな具合で【洗脳プログラム】については情戦特区全体の問題になりつつある。正規部隊も動いているらしいが、たかが執行部のしがない会長である俺に詳しい事は下りてきてないな。俺らに出来る事は暴動や傷害事件の鎮圧くらいのものよ」

 一通り会長の話を聞いて、遊祉は今回の件について思い当たる事があった。


 もしかすれば【クラスS】のプログラムを保有し、精神的階層の発見に至った研究者であるココロが狙われたのはこの【洗脳プログラム】に協力出来る可能性があるからでは。


「深義さん。ココロが狙われたのって……」

「どうだろうな。そこまでは分かんねーよ。ただ、今回の件が俺達の手には負えない事は確かだ。既に正規部隊にはココロ教授の護衛引継ぎをお願いしている」

「え、そんなッ。一度引き受けた仕事です。私達でどうにか出来ないんですか?」

 それを聞いて涼穏が不満そうに訊いた。しかし憩心はかぶりを振る。


「駄目だ。言っただろう、俺達には荷が重過ぎるって。それに一連の騒動で事件を起こすのは御堂正巳を始め元々真面目で成績の良かった生徒だ。幾らお前がクラスⅣの実力者であった所でどうなるか分からん。それになあ――――」

 会長はその言葉の続きについて言い淀んだが、結局は言葉を続けた。


「それにお前の姉、志燎真緒もこの一連の事件に関わっていないとは言い切れないんだぜ」

「深義会長」

 真緒の声によって事務所内の空気が張り詰めた。


 いや、それ以上に涼穏の表情が凍り付いていた。

 憩心は一度咳払いをする。ただ、彼はその言及を止めなかった。


「一連の騒動を起こした奴らは皆、一、二ヶ月程前に突如として失踪している。それは志燎真緒にも当て嵌まる事だ。お前、姉を相手にして戦えんのか?」

「…………」

 涼穏は凍りついた表情のまま視線を下ろした。唇が震えているのが見て取れた。


「憩心君。そのくらいに」

 ゆっくりと、しかし有無を言わさない真理の静止によって憩心はそれ以上、涼穏への追求はしなかった。

 ほっとしたように息を吐くと今後についてを話す。


「正規部隊への引継ぎですが、三日後になる予定です。こちらでも出来れば早めが良いと言ったのだけれど、あちらも立て込んでいるらしくてね。申し訳ないけれど、遊祉君、涼穏ちゃん。三日の間、引き続きココロ博士の護衛をお願い出来るかしら」

「分かりました」

 遊祉はその言葉に返事をする。涼穏はこくり、と頷いただけだった。


「ココロ博士にもご苦労を掛けます」

「いや、元々はココロの為じゃ。お主らには迷惑を掛けるが、もう少しの間、宜しく頼む」


 碧眼の瞳が心苦しそうにしているのを見て、遊祉はさすがに断る事など出来る筈も無かった。

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