第1話 「さらば甲斐無き日々よ」
不定期更新。
─────序────
鬱蒼とした森を抜けた先にある巨大な湖。
現代日本に於ける、最後の秘境と呼んで良いその場所の、湖底の更に地下深く建設された【秘密結社】インパクターの本部最奥。
そこには、大聖堂と呼称される広大な空間が拡がっていた。
豪奢な造りの、その全てが邪悪なオーラを放っている。
ドッゴォォォォォン。
轟音が広大な空間を揺るがし、五十メートル程の高さにぶら下がっている巨大なシャンデリアが振動で振り子運動を始める。
「カイッザァァァァ‥‥ツイン五段返しぃ!!」
二人の男性の声が、仄暗い空間を切り裂く。
直後、一つの影が大理石の床に激突し、破片と粉塵が勢い良く舞い上がった。
≪オガァァッ≫
叩きつけられた影は、衝撃と激痛に耐えきれなかったのか、悲鳴混じりの空気を、顔を全て覆った頭巾らしき物の内部で盛大に吐き出した。
「よしっ!今だ、左文字!!トォッ!!」
「応っ!元郷!!トォォォーッ!!」
二つの人影が掛け声を地上に残し、高々と舞い上がる。
頭巾の人物が漸く上半身を起こそうと蠢き藻掻く。漸く片膝をついてヨロヨロと立ち上がりかけた時には、既に彼の命運は決していた。
「カイザーァァダァブルキィィィーック!!」
急角度で降下して来る二つの影。
ズゴォォォン!。
頭巾の男は頭部と胸部に同時に蹴撃を受け、大きく吹き飛んだ。
「グゥ‥‥お、おのれ‥‥鉄面カイザー‥‥ディメンションシフト‥‥後少しだったものを‥‥」
再び、力無くヨロヨロと立ち上がる頭巾の男。
震えるその腕は、悔しげに鉄面カイザー1号と2号に向けられる。
「インパクターの首領!その正体を見せろ!!」
そう言うと、鉄面カイザー2号・左文字右京はインパクター首領が被っている頭巾を、来ていたローブを毟り取った。
「ぬぅ!」
「何っ!」
頭巾とローブに隠されていたのは、異形の骸だった。
顔の中央にぽっかりと空いた、一つ目の眼窩。
身体は人間とは異なる骨格の骸骨。
その胸骨らしき部分に覆われた内部には、明滅鳴動する赤黒い水晶の様な物体が浮かんでいた。
その水晶の様な物体の鳴動が徐々に弱くなり、明滅のスパンもゆっくりとしたものになっていく。
「ふ‥‥ふはははは‥‥最早あちらには帰れぬこの身‥‥儂と共に死ねい、鉄面カイザー!!」
断末魔にそう叫んだインパクター首領は、仰向けに倒れると業火に包まれる。それと同時に大地震の様な振動に見舞われるインパクター本部。
「何だ!?」
「ヤツの死と同時に、アジトが自爆するように設定されていたんだ!脱出するぞ、左文字!」
「応!」
──────────
男は息を切らしながらも懸命に走る。
病的なまでに青白い顔色。
白衣の袖から伸びている枯れ枝の様な指が、脇に抱えたファイルの束を、獲物を捕えた猛禽の爪が如くに掴み込む。
(だ、誰が諦めるもんか‥‥ディメンションシフト‥‥まだインパクターの資産は凍結されてないはずだ!!‥‥首領がくたばろうが‥‥インパクターが壊滅しようが知った事か!‥‥私は、私は研究を続けるぞ!ディメンションシフトを完成させれば‥‥私は神にも悪魔にもなれる。世界を手玉にとってやるのだ)
アジトの崩壊から必死で逃げる白衣の男は、ファイルの間に乱暴に挟んであったメモリーチップの幾つかが零れ落ちた事に舌打ちしながらも、走る事を止めなかった。
─────1─────
闇の組織、秘密結社インパクター壊滅から一年。
鉄面カイザー1号・元郷毅は、生き甲斐を無くしていた。
生きる意味を喪っていた。
改造人間の素体としてインパクターに拉致され、意識を奪われ、覚醒する度に身体の部位が人工的な物にすげ替えられていき、やがて生身の部位は脳だけとなった。
インパクターの協力者でもあった、恩師・井鳥川教授の手引きで脳改造を施される前に脱出し、人間の自由の為にインパクターと人知れず戦い続けて二年。
鉄面カイザー2号・左文字右京と交代で海外を転戦しながら、インパクターの支部を潰して廻り、ついにインパクターを滅ぼした。
世界の闇に潜む脅威を消し去った後に残ったのは、何の役に立つかも判らない機械の詰まった身体だった。
健康診断を受ければ、改造人間だとバレる。
まともな就職先も見つからず、健康診断もしない様な仕事を転々とした。
フリーカメラマンの左文字を、これ程羨ましく思った事は無かった。
大学院生時代に拉致された元郷は、潰しの利かない自分に呆れ、やがて精神を澱ませていたのだった。
「‥‥はぁ‥‥」
夜遅くに日雇い派遣の肉体労働を終え、その程度では全く疲労しない筈の機械の身体に深い疲労を感じ、24時間営業のスーパーで値引きの札が貼られた弁当を買って帰る日々。
(機械の身体なのに、腹は減る‥‥か)
今にして思えば、戦い続けていた日々が、如何に充実していたかが理解る。
あの二年こそが、自分の人外の身体に意味を持たせてくれていた。
そして、何時しか毅は願うようになっていた。
再び、この身体を使って全力で戦える敵の出現を。
機械の身体に再び意味を持たせてくれる敵との戦いを。
‥‥そして、その願いは、今夜叶う事になる。
「ん‥‥悲鳴だ!」
夜の街の喧騒に掻き消される程の、女性の微かな悲鳴を毅の聴覚が拾う。
(もしかしたら、新たな悪の組織の暗躍かもしれない!)
既に半年以上続けた、悲鳴の元に駆けつける行為。
(頼む!女性が怪物に襲われていてくれ!)
それは最早、渇望と言えた。
そんな歪んだ感情に突き動かされ、毅は走る速度を上げる。
誘われるように、雑居ビルの立ち並ぶ人気の無い路地裏へと足を踏み入れた毅の口元が歪む。
毅は笑っていた。
喜悦の表情が顔面を支配する。
彼が目にしたのは、頭部を砕かれて脳髄の破片を撒き散らした白衣を着た男の死体と、恐怖に震えて地べたに這いつくばる女性。
そして、その女性を取り囲んで奇妙な叫びを発する、明らかに人間では無い醜悪な黄土色の皮膚をした、粗末な腰布を巻いただけの奇怪な生物だった。
(遂に‥‥遂にインパクターに続く、悪の組織が現れ、活動を開始したのか!)
毅は喜びの感情を顔に貼り付かせたままで、女性を救う為に駆け寄ると、大柄な体躯をした黄土色の生物の一匹に、背後から回し蹴りを入れた。
ごぐん。
毅の耳に届いたのは鈍く重く、くぐもった破壊音。
頭部を蹴った脚に感じるのは、頭蓋骨を砕いた手応え。
吹き飛んだ怪物が占有していた空間が空き、女性を庇う為に怪物の輪の中に飛び込む毅。
怪物の女性に対する視線導線を遮る様にポジション取りをすると、怪物から目を反らさずに女性に声をかける。
「大丈夫か!?ここは任せて、早く逃げるんだ!!」
「は、はい」
逃げる女性を追いかけようとする怪物の腕を背後から掴み、関節を砕きながら投げを打ち、頭頂部をアスファルトに叩きつけ即死させる。
その醜悪な顔は、まるで豚の様だった。
残りは二匹。
「お前達、新たな悪の組織だな!?」
「フゴォ」
「ブキィ」
仲間を二匹失った為か、明らかに戦意を喪失し、毅に背を向けて逃走する怪物達。
その行く手は袋小路。
「待てぃ!!」
逃げる怪物を追う毅が見たのは、陽炎の様に揺らめく空間。
その空間に吸い込まれる様に、怪物達は消失した。
「空間の歪み‥‥テレポートか!?トルネード!!」
毅の叫びに応えて瞬間移動して来たのは、鉄面カイザーの相棒、大型エアバイクのマシントルネードだ。
「逃がさんぞ!!」
毅はトルネードに跨がると、陽炎の様な空間の歪みに飛び込んで行く。
その目は、日々の生活に疲れて濁っていた先程迄と違い、活き活きと力強く輝いていた。
──つづく──