二位
高校生になってからこれまで定期試験で一番をとったことがない。人並みの努力をしてきた自信はあるがそれでも僕の上には必ず水野がいた。中学生の頃は黙っていても一位がとれたから自分は頭がいいとうぬぼれていた。さすがに地方の進学校にも突出してできる奴はいる。今までの自分の世界の狭さを痛感した。
世の中には才能という越えられない壁がある。僕がどんなに努力したところで限界があって、それは努力していない彼女にも及ぶまい。生まれもったものが違うんだ。一方的に不平等な条件の下で僕は戦わされ、そして当事者でない先生や両親は「また二番か。悪くはないんだが」とため息をつく。それでいて当の彼女はいかにも一番でいるのが当たり前で、格下の僕には全く興味がないかのようにいつもすましている。僕は彼女のような天才でないことを恨めしくも悔しくも思った。
三年生になって初めて水野と同じクラスになった。もっとも恐れていたことだった。最初の試験の成績が掲示板に張り出されたのを聞いて僕は友人と見に行った。群がる物見高い生徒をかき分けて見上げるとやはり僕は二位だった。席に戻り込み上げる悔しさを笑って誤魔化し、友人のもはや恒例ともなった二位祝いを受け流していると近くを通った水野が微笑んだ。
「高橋君、本当は努力すればできるのにね」
なんて嫌味な奴なんだ。僕は頭に血が上るのを感じた。
「努力してもできないからずっと二位なんだろ!? いいよな、水野みたいに才能があって努力しなくてもできる奴は」
意図したよりもかなり大きな声で怒鳴っていた。教室は水を打ったように静まりかえり、その原因である僕にすべての視線が集中する。さっきまでからかっていた友人は気まずそうに後退りで僕から離れ、水野は静かにごめん、と謝って顔を歪めながら教室を出て行った。
「そうか。高橋もA大か、なら水野と同じだな」
夏休み前の面談で、担任は志望校調査票をいかにも初めて見たかのように話す。水野という言葉にドキリとした僕に先生は気づいていないようだ。
「水野君は大丈夫だろうけど、高橋は気を抜かないようにな。しかしB中学の生徒はみんな優秀だな」
「B中からうちの高校に来たのって、僕のほかにも……」
言い終わる前に妙な考えが頭をよぎる。
「あれ、知らなかったのか? 水野だよ。中学生の頃から優秀だったんじゃないのか」
そう確かにB中にも水野という人がいた。努力もせずにトップをとり続けていた僕が一度も顧みることのなかった“二位”、それが水野だったのか。そういえば受験の直前に急に次席との差が詰まって当時の担任に警告されたっけ。僕が努力していなかったときも人並みの努力で満足していたときも、彼女はそれ以上の血の滲むような努力を続けて辛うじていまの成績を保っているのだろう。そしてなによりも僕の努力が足りないことを知っている。彼女はどんな気持ちで努力しない僕を見てきたのだろうか。恥ずかしさで顔が赤くなる。同時に今までとは全く違う種類の悔しさを覚え、そのまま面談を終わりにすると水野の所へと走った。