3-2. 救いの手
人間はみな月である。
誰にも見せない暗い顔を持っているのだ。
小説家 マーク・トウェイン
ケイシーは一人になった。しかし、一人になったとて、楽に生きていけるわけではない。家族も仕事も放棄して、身軽になったかといえば、代わりに痛みと恨みの重さが増した。
ジョーが育ったような孤児院や、教会、救貧協会など、ケイシーのような立場の者を救おうという存在もなくはない。しかし、余りにも救いを求める者の数が多いので、その恵みを授かれるのはほんの一握りの幸運な貧民だけなのだ。だからケイシーは、行く当てもなく彷徨うしかなかったし、何より彼自身それを望んでいた節がある。生への執着が、頭の中にはほとんど存在しなくなったからだ。人間らしい情緒など保ちようもないのである。
けれども、それはあくまで頭の中での話だ。心や体の機能は未だに正常で、寒いとか、腹が減ったと感じるのである。この世に畢竟希望はないから生きたくもない、と考えても、空腹や苦痛と共に不安や孤独を覚える。それを割り切って脇へ捨て去るというのは、十三歳になったばかりの少年には難しい作業だった。
ベンドのイタリア人街を出て、マンハッタン島を舐め尽くすほどに這いつくばった。ゴミ溜めからわずかな食料の欠片を探し、あるいは慈善の精神を持つ初老の紳士に施しを受けた。そのような紳士の数は多くはなかったが、彼らの口の端には必ずキリストの教えが上った。対してケイシーは、信ずるべき神などいない地獄を生きていた。逆に、施しを乞うと「あの目」を向けられて、唾を吐きかけられることもあった。
そのように生きて半年ほど経ったある時、やはり施しを乞うて蹴り飛ばされ、屈辱と空腹に耐えかねて立ち上がれないケイシーに、手を差し伸べる者がいた。眼球だけを動かして見上げると、カラスのような黒いコートの細長い男だった。
「何だよ、憐れな俺に何か用か」
男の手には頼らず、力を振り絞って自分で立ち上がる。泥をはたきながらぶっきらぼうに、声変わりした低い声でそう答えた。蔑みの目も、憐みの目も、癪なことに変わりはない。
本音を言えば、足元に縋ってでも食糧をせがみたいほどの空腹だった。この二日、何も食べていなかったのだ。それに、また冬が来て、路上での暮らしは心底苦しかった。
しかし、その男の目は蔑みも憐みも宿していなかった。腕を組んで、ただ暗く沈んだ目でケイシーを品定めしているようだった。最後にケイシーと目を合わせると、軽く頷いて、
「良いものを持っている」
とだけ言った。戸惑って、答えるのにまごついているケイシーの腕を掴む。細身で力はさほどでもなかったが、容易に振り払えない迫力めいたものがあった。
「お、おい、何だ。離せ」
男は、狼狽えるケイシーを引っ張って、路地に連れて行った。ケイシーは、待っていたもう一人の男に担がれるや、気を失った。




