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フェンス・オーバー ―刑務所からの場外ホームラン―  作者: kunikida-evans
第3章 金メッキの裏側

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3-1. 独立記念日

人間はみな月である。

誰にも見せない暗い顔を持っているのだ。

小説家 マーク・トウェイン

 ケイシーが俯きながら家に帰ると、父が泣いていた。弟たちが泣いていた。まだ幼い長男が帰ってきたことにも気が付かないほど、取り乱していた。

 母が死んでいたからである。


 ところが、ケイシーは泣くことができなかった。

息が浅くなりながら、頭の中には思考の渦ができていた。自分が母の負担を減らしてやれれば、せめて、体が苦しい時は働かなくてもいいくらいに家に余裕があれば、金があって、医者にかかれれば助かったかもしれない、そもそも、鬱屈としたこんな家でなければ、体を壊さなかったかもしれない、あるいは……。


 とどのつまり、金がない、というところに行きつくのだった。今までだって散々目にしてきた世の中の不平等を、社会の歪みを、これほど恨んだことはなかった。

「……仕方がない、……仕方がないんだ……」

 と首を横に振りながら父がつぶやく言葉が、呪文のように耳に残った。


 ベンドのテネメントでは、人が死ぬというのは珍しくもなんともなかった。だから、ケイシーの一家を心配したり、気の毒に思ったりする者は誰もいない。

 その代わりに、次の朝、どこから聞きつけたのか早くも葬儀屋がやってきた。

「さ、寄越してください、ほら」

 彼らもここの住人であることに変わりはない。すなわち、自らが生きるために、人の死を仕事にしているのだ。だから、そこいらの商店で手をすり合わせて値切ったり、ゴミを漁ってペニー硬貨を探したりするのと同じように、必死になって葬儀を引き受けようとする。

「ほらと言われても、払えませんよ、そんな金額」

 父が答えた。悲しいが、嘘はない。

「いやあ、こっちは死体の処理から埋葬まで引き受けようと言ってるんですよ、安いくらいです」

父が何も言えないのを見て、商機とばかりに畳みかける。

「払えませんって、じゃあどうするんです? 死体はきちんと扱わなければ犯罪ですよ」

「……じゃあ、これを使って」

 やりとりを見かねたケイシーが、わずかながらの金を差し出した。これは、いつか母にプレゼントを、と思い、ひそかに貯めていたものだった。それをこんな形で差し出すのは不本意だったが、これ以上このやりとりを見ていたくなかった。

 葬儀屋はその金を手に載せて勘定する。

「はいはい、少し足りないですが、まあよしとしましょうかね」

 満足なのか不満なのかは分からないが、母の亡骸を引き取って葬儀屋は去って行った。多分、あれは葬儀屋ではない。引き取った死体から、まだ使()()()()()部分を売る。それが彼らの生業だろう。


 ケイシーの一家には、悲嘆に暮れている余裕はなかった。その日も働きに出なくては、飢えが待っているのだ。

 その年の冬は一段と冷え込んだ。元より寒い石造りのテネメントだ。結局その冬を越えられず、一つ下の弟が死んだ。白い下痢と脱水、ベンドで度々流行したコレラの典型的な症状だった。不衛生な水や食料が感染源となる、貧民街の風土病のようなものだ。治療を受けなければ、致死率は極めて高い。


 運よく感染を免れた十二歳のケイシーだが、もはや何を思うこともなくなった。六人だった家族は、父、ケイシー、六歳と三歳の弟の四人になった。


 それでも生きるために地面を這いまわらなければならない苦境に絶望したのは、ケイシーだけではなかったのだろう。父は、母の死以来二セント酒場に入り浸るようになり、家庭を顧みることは無くなった。ある日父が仕事に出る間際、あの「仕方がない」と呟いていた時と同じ、悔しさと諦めの混じった表情で、ケイシーの頭を撫でた。ケイシーが覚えた悪い予感の通り、父が家に戻ることは二度となかった。


 とうとう三人になった。弟たちに対して、ケイシーができることは何一つなかった。自分の命を守ることすら覚束ないのだから。


 一八八三年のこと。七月四日はアメリカの独立記念日だ。ケイシーはその祝賀行事がセントラル・パークで行われているのを見た。風にたなびく星条旗には、コロラドまでの三十八個の星が輝いていた。人間の自由と平等を高らかに謳う独立宣言を、アメリカ人は皆誇らしく思っていた。


 その夜、空腹に泣き疲れて眠る弟たちを見つめるケイシーの目には、以前のような輝きはなかった。その暗さの理由は無論、テネメントに明かりがないため、だけではない。

「……、……」

 静かに首を振って、家を出た。


 弟たちのその後を、ついぞ知ることはなかった。

第3章突入です!

ちょっと雲行きの怪しい話が続きますが、だいたい10話くらいです!

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