9-7. ピンチの後にチャンスあり
運命の中に偶然はない。
人間はある運命に出会う以前に、
自分でそれを作っているのだ。
政治家 ウッドロー・ウィルソン
「俺にも見せ場があってよかったぜ」
九回裏の打順は、そう誇らしげにベンチへ戻ってきた九番のクーニーからだ。五点目は劇的に防いだとはいえ、二点のビハインドを負ってしまった。
しかし、チームの雰囲気は明るい。
「よーしクーニー! やってこい!」
「おうよ!」
バットを高く掲げて意気揚々と打席に向かった。ケイシーたちに残されたアウトは、たったの三つ。
そう、あと、たったの三つ。人生も野球も、時間切れで終わるのではない。何かをやり切って終わる。そんなオズ所長の言葉を思い起こしてみる。まだやっていたい、いつまでもこのグラウンドに立っていたい。ケイシーは、迫り来るゲームセットへの恐怖からではなく、純粋に野球を楽しむ気持ちから、そう思えた。
九番から始まる打順、最低二人は塁に出ないと、ケイシーには回らない。それでも、必ず回してくれるはずだと信じるしかない。回ってきたら、マシューとの対決と同じ、確実に一打サヨナラの場面だ。あの時の再現を、皆願っている。
「振っていけ! 俺たちやれるぞ!」
ケイシーの声は、打席のクーニー以外にも向けたものだ。周りを見渡せば、千五百人の囚人たちがいる。皆、程度の違いはあれど、ケイシーと同じく罪を犯してきた者たちだ。つい一年前まで、将来に何の希望も持たず、ただ時が流れるのを見過ごしていた。そんな彼らの目には今や、希望が宿っている。いずれ、社会に戻っていくのだ。もはや決して、不幸を起こす者はいない。
だが、これは真剣勝負だ。クリスの多彩な変化球に、クーニーは三振に倒れた。
入れ替わって、ロンが打席に向かう。
「怪我するなよ」
「うん」
短いやり取りだけを交わした。この子もいつか、ケイシーの見ないところで大人になって、このアメリカに自分の居場所を作る。その手伝いが、少しはできただろうか。
ツーボール・ツーストライクからの五球目、ロンのバットは空を切った。目に涙を湛えて、戻ってくる。
「おいおい、泣かないって言ってただろ」
「だって、もう最後の攻撃なのに」
「大丈夫、これからだ」
ケイシーはロンの頭を優しく撫でた。
「野球はな、最後までどっちが勝つか分からないのが、面白いところだぜ」
いつだかジョーに言われた言葉を、ロンにも教えておいた。
打席にはフリンが立っている。
(ケイシーと俺たちは家族みてえなもんだ……。ここで見せ場を作んなくてどうする)
フリンは初球を振り抜いた。バットの先端に当たった球は、ふらふらっと内野の後方に上がる。クリスが打球を指さした。
「くそっ」
万事休すか、と思われたその時、風が一吹き。ボールは流され流され、ライト、センター、セカンドの間に落ちた。
「えっ? まじかよ」
また一段と大きな歓声が上がったが、一番驚いているのは打ったフリン本人だった。
「よし、繋いだ繋いだ! まだ終わらない!」
ケイシーたちのベンチは大盛り上がりだ。二点ビハインドで、ツーアウトからたった一人ランナーが出ただけなのに、まるで勝っているかのような大騒ぎだ。
「次は、私です」
ジミーは一人、冷静さを失わない。
「ああ、頼んだぜ」
「必ずケイシーさんに繋ぎます。失点したのは私ですから」
皆の期待と信頼を背中に感じつつ、打席へ歩みを進めた。
(ケイシーさんが私たちのためにどれほどのことをしてくれたか……、どれほど成長したか……。私が一番分かっているつもりです)
しゃがんで、両手に土をなすった。ここの土は湿り気があって、滑り止め代わりになるのだ。
(であれば、ここで打つしかありません)
バットを握る手に一段と力を込めた。
(考えたら負ける……。反応するしかない)
その一心だったから、覚えていない。クリスの初球が何だったのか。気が付いたら、打球が左中間を割っていた。
ジミーは猛然と走った。走路が下り坂に感じられるくらい、足が軽く回る。二塁ベースまではほんの一瞬だった。
(さあ、ケイシーさんの番ですよ)
土煙から体を起こして、ベンチを見やると、ケイシーと目が合った。もう、歓声は聞こえない。




