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フェンス・オーバー ―刑務所からの場外ホームラン―  作者: kunikida-evans
第9章 マドヴィルのナイン

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9-6. 最終回

 運命の中に偶然はない。        

 人間はある運命に出会う以前に、    

 自分でそれを作っているのだ。     

 政治家 ウッドロー・ウィルソン

 ケイシーたちが勝ち越して、二―一。試合はそのまま膠着状態に陥った。ジミーは時折ランナーを出しつつも、伸びやかな速球とチェンジアップでスコアボードにゼロを並べていった。ケイシーたちの打線も、流石にプロのピッチャーが相手。ブライアンのタイムリーで勝ち越して以来、チャンスを作ることもできなかった。


 そうして試合は終盤戦に突入した。残されたイニングは三つ。ケイシーたちにとってみれば、あと九つのアウトを取れば、大金星を掴み取れる。


 何とかそれを阻止しなくてはならないのが、ヤンキースの側である。一点ビハインドの七回表になって、いよいよ最後のカードを切った。

「ほらね、言ったでしょ」

 マシューの予想通り、クリスがジャージを脱いだのである。バットを握ると、現役選手に見劣りしない迫力がある。


「どんな選手なんだ」

「そうだなあ。ただただ、全てのレベルが高い」

「何だよそれ」

「だって本当にそうなんだよ。打者としてはパワーも、技術も高くて。流石にもうパワーは衰えてるかもしれないけど」

「そうですか。そんな方とお手合わせできて幸運ですね」

 マウンドに集まっていた内野陣が、それぞれの守備位置に散っていった。ジミーがピッチャーに入った時に、ジョーがセカンド、サードのケイシーがショート、空いたサードにマシューが入っている。

「よし、ど真ん中! 投げ込んでけ!」

 とジョーが気合を入れた。でも、当のジミーは慎重派だ。

(気持ちは真っ向勝負……。球は四隅へ)

 左打席に入ったクリスに対し、アウトローのチェンジアップから入った。一つ、見逃しでストライク。

(なるほど……。これはうちの選手たちも打ちあぐねるわけだ)

 クリスはその球を見て、感心した。

 次はストレートが見たいと思ったクリスだったが、ブライアンのリードも冷静だ。外角に全く同じチェンジアップを決めて、二つ目のストライクを取った。

 二つの見逃しでノーボール、ツーストライク。追い込んだはずだが、ジミーは首を傾げたくなった。打ち気がないのかと見紛う程、クリスがあまりに悠然と球を見送っているからだ。

 見たところ、速球を待っているに違いない。かといって、三球チェンジアップを続けたら対応してくるだろう。ならば。

 ブライアンは、内角のボールゾーンにミットを構えた。厳しいところに一つストレートを見せてやれ、ということだ。このゾーンなら、いくら速球待ちでもファールにしかならない。

 そこでそのリードに応えるのが、ジミーの実力である。表情一つ変えずに、指先にしっかりかかった速球を投げ込んだ。

(よしっ)

 ジミーが内心そう思うほどの、完璧な球が行った。


 が、痛烈。打球はファールにはならず、右中間を深々と破っていくライナーだった。センターのクーニーが後ろから追いかけて、ようやく内野に返球した頃には、クリスは三塁に立っていた。

「どう? まだまだ衰えてないでしょ」

 サードのマシューに、お茶目に笑いかける。

「ふっ、僕のときに出てこなくてよかったよ」

 マシューはニヤリと笑い返した。


 そのクリスが内野ゴロの間に生還して、二―二の同点。そしてその裏、マウンドに上がるのはもちろんクリスだ。

 まさに熟練あるいは老成したピッチングを見せる。先頭バッターにはロンが立ったが、そのストライクゾーンの狭さを全く煩わしく思うことなく、きっちり三振を取ってみせる。続くフリン、ジミーも全く手も足も出ず、七回の裏は三者凡退に終わった。


 八回の表は、ジミーもそろそろ疲れを見せながら、こちらも三人で片づけた。その裏、先頭のケイシーが食らいついてヒット、ジョーも続いて一、二塁のチャンス。しかし、クリスはそこでギアを一つ上げて、ジョンを三振。そして待っていたマシューの打席は、そのバットをへし折った。今日打点を挙げているブライアンも、あえなく内野ゴロに打ち取られてしまった。


 そうしてとうとう、試合は最終回の攻防を残すのみになった。九回の表、ヤンキースの攻撃は、四番から始まる打順だ。対するのは、もちろんエース、ジミー。

「まさか、あのヤンキース相手にこんないい試合ができるなんて」

「すげえよなあ、やっぱケイシーがようやっとるよ」

 観客の囚人がそんな会話を交わした時、打席の四番バッターがストレートを弾き返した。

「捕れ! ケイシー!」

 その叫び虚しく、打球はセンターへ抜けていく。打ったバッターは一塁ベース上でガッツポーズをして見せた。この試合、延長はないと決められている。つまり、囚人たちのチームはこの回を抑えれば負けが消える。

「先頭出たなあ」

「いやあ、あのピッチャーなら抑えるだろ。俺一回打席立ったけど、まじでエグい球投げるからな」

「それにしてもよ、あと三十分もすりゃあ試合も終わって、死刑になるってのに、ケイシーはよく普通にプレイできてるよな」

「ああ、夢中ってこういうことなんだろうな。ほら、笑ってるぜ」

「ほんとだ」

「大したタマだよな、アイツは。俺たち囚人の救世主だ」

「俺も早く外に戻ってさ、なんか、人の役に立ちてえな」

「何だよ、お前らしくもねえ、あっ」

 会話を中断したのは、五番バッターの打球が一、二塁間を破ったからだった。これでノーアウト一、二塁だ。

「この流れはまずいなあ」

 観客たちは心の中で腕組みをした。


 グラウンドに立っていればこそ、その切迫感はなおさら大きい。腕組みをしている余裕はない。そして、野球の常、回ってきてほしくない場面で、回ってきてほしくないバッターに回ってくる。同点の最終回、このチャンスで打席に入るのは、クリスだ。

「ジミー、落ち着いていけ。大丈夫、お前の球、二度は打たれねえよ」

 ケイシーはジミーの尻をグラブで叩いた。

 励まされたジミーの方も、元より逃げるつもりはない。

「ええ、ケイシーさんも、頼みましたよ」

「え?」

「この裏ですよ。同点で終わるつもりはないんでしょう?」

「ああ、もちろんだ」


 翻って、打席に立ったクリスは、そんなケイシーたちの様子を見つめていた。

(手加減なんて失礼なことはできない……。僕が決めよう)

 マウンドの輪が散って、ジミーがセットポジションに構えた。少し落ちてきた日差しを遮って、刑務所の高い壁が打席に影をかける。その影を、渾身の速球が切り裂いた。

(わっ)

 クリスは驚いて体を仰け反らせた。ストライクのコールが響く。

(……すごい、さっき打たれた内角のストレートで来るとは)

 ワンストライクのカウント以上に、ジミーがクリスを押し込んだ。こうなれば二球目、ストレートかチェンジアップか、どちらが来るか分からない。

 ブライアンはその迷いを見切った。内角低めのチェンジアップを要求する。それを全く同じ腕の振りで投げ切るのだから、クリスは膝を折って空振りを喫した。

「よし!」

(く……、でも、もうストレートもチェンジアップも見た。次はどっちが来ても必ず捉える)

 そして三球目、ジミーが浮かべた不遜な笑みに、クリスは胸騒ぎがした。

(どっちだ……?)

 ジミーの腕がしなった。放たれた球は、

(ストレートだ!)

 外角に甘く入ったストレートめがけて、クリスのバットが振り降ろされた。

 が、その球は、バットをかわすようにストンと落ちた。ここまで隠してきた、新球スプリットだ。

(なっ……こんな球持ってたなんてっ)

 クリスだって流石にプロだ。右手一本でバットを支えて、何とかその先端にボールを当てた。

 転がった打球は三遊間、ランナーは一、二塁。

(セカンド……、いや、サードだ!)

 ショートのケイシーは欲が出た。定石のセカンド、ファーストではなく、捕球の勢いそのまま、サードに球を送った。

 マシューが捕って一拍、塁審の両腕が水平に開く。セーフだ。マシューがファーストに送るが、もはや間に合わない。オールセーフ、フィルダースチョイスだ。

(ふーっ、危ない)

「っつー……、やっちまった」

 一塁ベース上のクリスと、グラブを外したケイシーは、違う理由で天を仰いだ。これでノーアウト満塁。


「悪い、せっかく打ち取ったのに」

「大丈夫、また次のバッターですよ」

 そう頼もしく言ったジミーだったが、ミスは必ず点に結びつく。一度手放した流れはそうそう取り戻せない。次のバッターの打球は、無情にも外野の前にポトリと落ちた。ランナーが二人返ってきて、二―四になった。

 観客席の熱狂が一気にしぼむ。代わりに、あの石壁が存在感を増して、影が長くなっていく。


 ジミーが踏ん張って、内野ゴロを一つ取った。しかしここもバッターランナーは残って、一死一、三塁。


 次のバッター、もう打順が何番か分からないくらい長く守っている気がするが、そのバッターが打席に入る。そして、甘く入ったストレートを、痛烈に打ち返された。センターへ打球がぐんぐん伸びていく。

 これはもう一点か二点、そうケイシーが覚悟した時、センターのクーニーの体が浮いた。打球がグラブへ吸い込まれる。

「おっしゃ!」

 飛び込んだクーニーが地面を叩いた。

 しかし、これでプレイは終わりではない。三塁ランナーがタッチアップでスタートを切る。

「おらっケイシー! 刺せ!」

 そんな叫びと共に、クーニーから返球が来る。ケイシーは今更ながらにハッとして、向かってくるボールを凝視した。パンっという音。グローブ越しに左手がしびれる。もう無我夢中でホームへ投げた。

「アウト!」

 勢いで倒れ込んだケイシーが、首だけ起こしてその声を聞く。その瞬間の歓声といったら、耳が潰れそうなほどだった。

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