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フェンス・オーバー ―刑務所からの場外ホームラン―  作者: kunikida-evans
第9章 マドヴィルのナイン

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9-4. 攻防

 運命の中に偶然はない。        

 人間はある運命に出会う以前に、    

 自分でそれを作っているのだ。     

 政治家 ウッドロー・ウィルソン

 その裏、ケイシーたちのリードオフマン、ロンがバットを握った。

「おい、流石にプロのピッチャーだから当てられることはねえだろうが、気をつけろよ」

「分かってる」

 様子を見ていたジョーが吹き出す。

「ははっ、ケイシー、まじで親代わりだな」

「だってよ、怪我させたりしたら洒落になんねえぜ」

 まだ十歳のロンが構えると、バットが大きく見えた。それに、野球を始めてまだ日が浅い。本人は何の気なしに打席に入るが、見ている方は気が気でない。組織にいた頃の、「家族」という言葉を思い出した。血ではない、何かで繋がっている。


 相手のピッチャーは、その年十八勝を挙げた選手だ。対するロンに、遠慮のない速球を投げ込んだ。

 投げたマウンド上から意外に思われたのは、ロンが驚いた素振りもなく悠然と球を見送ったことだった。そして二球目には、タイミングは全く遅れているが、しっかりと振ってきた。

 子供ながらにすごい胆力だ、と感嘆すると同時に、少しは驚かせてやりたいと思うのが大人の心理だ。インコースに大きく曲がるカーブを投げて、仰け反らせてやろうとした。

 しかし、そのカーブの遅さゆえ、ロンは何とかバットに当てた。一二塁間にボテボテと転がった打球を、セカンドがライト前まで引っ張られて拾い上げる。そしてファーストに送球して、悠々アウト、のはずだったが、ロンは一塁を駆け抜けていた。

「速え……!」

 その疾風には、ケイシーでなくとも目を見張った。観客も歓声というより驚きの声を漏らす。


 そうなると俄然、ケイシーたちの勢いは増してくる。

「よーし、行け行け!」

 打席には二番のフリンを迎えて、その初球、ロンは走った。キャッチャーからは白い矢が飛ぶ。その球がセカンドのグラブに収まった瞬間には、ロンはまだベースの三歩、四歩手前でスライディングを始めたばかり。やっぱり悠々タッチアウト、かと思ったが、意表を突くのがロンの持ち味。左手で地面を突いて、体を宙に浮かせた。そのまま空中で一回転して、差し出されたグラブをひらりとかわし、野手の後ろから右手をベースに残した。

 セーフの判定が出た時の、観客の沸き具合といったら、言いようもないほどだ。その歓声が止まぬうちに、フリンは送りバントを決め、これで一アウト三塁のチャンスができた。続くジミーが粘ってフォアボールを選び、ケイシーの打順に回った。


 そんな場面にもなれば、考えることは何一つない。ケイシーは一つ、二つと大きく素振りをして、打席に入る。キャッチャーはインコースに構えたが、速球がほんの少しだけ甘めに行った。あとは、バットをフルスイングで合わせるだけ。ケイシーは本能で反応し、引っ張り込む。そして、鈍い音。詰まった打球が、ショートの頭の上を越えた。


 まさかと言っては失礼だが、ケイシーたち囚人チームが先制点を取ったのである。仲間たちは皆お祭り騒ぎだ。


 表にマウンドに上がったマシューも快調で、スコアボードには二つ目のゼロが刻まれた。二回の裏を終えて、ケイシーたちが一点リードだ。


 しかし、そのまますいすい行くほど、野球というゲームは甘くない。九回の内、たった二回を終えただけなのだ。


 ここまで一人のランナーも出していなかったマシューの球が、甘めに入りだした。数十年単位のブランクは、ケイシーとの勝負以降の数か月ではなかなか埋まらない。何より、ケイシーの四歳年上に当たるマシューは、その体で初回から全力投球してきたのだ。

 この回先頭の七番バッターにフォアボールを出し、続く八番にはライト前へクリーンヒットを浴びた。これでノーアウト一、三塁。

「そろそろ代わりますか」

 セカンドのジミーが、マウンドに歩み寄って声を掛けた。

「いや……、このバッターだけ投げさせてくれ。必ず抑える」

 マシューは汗を拭いながら答える。

「分かりました。……必ずと言ったからには、必ずですよ」

 焚きつけるような言葉を付け加えたのは、マシューの性格を分かってのことだ。


 ヤンキースの九番バッターにはピッチャーが入っていたが、代打が出た。元よりこれはエキシビションマッチだ。代打と言っても、囚人たちの方はいちいち名前を知っているわけではない。マシューにとっては誰が出てきても同じことである。やることは一つ、ミットめがけて全力で投げ込むのみ。


 幸い、はじめの二球でツーストライクに追い込めた。もうマシューには、遊び球を投げる余裕はない。となればここは、決め球のスクリューを投じるだけだ。

 観客が後押ししているのを感じながら、腕を振り切った。

(曲がれっ!)

 マシューの念は、しっかり球に伝わった。スクリューボールが刃のように鋭く落ち曲がる。


 しかし、流石にプロの方が何枚も上手だ。決め球を読んでいたか、しなったバットがボールの中心を捉えた。一瞬の静寂。そして、猛烈な勢いで跳ね返ってきた打球は、マシューが声を上げる間もなく、その股の下を抜けた。


 そのままセンター前に抜けていくかと誰もが思ったその時、ボールがマウンドの膨らみに当たって、少し跳ねた。そこへ上手く回り込んだのはジミーだ。二塁ベースを跨いだ打球に、セカンドから猛ダッシュで打球に突っ込んで、グラブに収める。土煙と共に体はそのまま倒れ込み、しかし、左腕を二塁方向へ素早く伸ばすようにして、ベースカバーのジョーへボールをトス。このプレイも完璧だった。頭から滑り込んできたランナーをジャンプでかわすのと、一塁へ正確に送球するのが、一つの動作で行われたのだ。

「すげえ……」

 そのプレイを見たマシューは、思わず他人事のような感想を呟いてしまった。


 これで、一点は許しながらも、ツーアウト無塁だ。

 砂を払いながら、ジミーはマウンドへ寄って来た。その途中、ジョーとグラブを突き合わせる。

「同点になってしまいましたね。必ず抑えると言ったのに」

 笑顔でマシューの背中を叩く。

「君、案外意地悪だね?」

 マシューはニヤリとしてマウンドを降りた。この回最後のアウトを取って、ジミーは肩慣らしを終えたのだった。

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