9-1. It Ain't Over Till It's Over
運命の中に偶然はない。
人間はある運命に出会う以前に、
自分でそれを作っているのだ。
政治家 ウッドロー・ウィルソン
一四九二年十月十二日、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した。発見といっても、それはヨーロッパ人にとってのこと。以前から、新大陸に暮らす人々は多くいたのである。
四百数年後の一九一五年十月十二日、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースが、ノトリアス刑務所にやってきた。ケイシーたちにとっては、自分たちが積み上げてきた更生のための努力、その集大成とも言える晴れ舞台。比べて外の社会の方は、ようやく彼らを「発見」したのだ。そして、少しの好奇心と大きな不安の入り混じった面持ちで、ある新聞によれば、この「狂った場所(mad-ville)」へ足を踏み入れたのだった。
その「狂った場所」の囚人たち、千五百人のほぼ全員がこの試合に出たがったが、皆ケイシーたちに譲った。もちろん共和国リーグの現王者だから、所の代表として送り出すのはもっともだ。だがそれ以上に、ケイシーに皆感謝するところがあったのである。この試合をケイシーのための試合にすることは、自然の成り行きで決まった。その事実が、ケイシーが勝ち取った信頼と尊敬の大きさを表している。
「なあ頼む、僕を先発にしてくれ!」
向かいのベンチにいる弟クリスを横目で見ながら、マシューが懇願した。別にこの男も、決してケイシーへの信頼や尊敬がないわけではない。
「クリスの前で投げられるなんて、貴重な機会なんだ」
「えー、一番新参のお前がー?」
ジョーが眉を上げて、からかい混じりに言う。
「うちのエースは、このジミーと決まってるんだが」
「ジミーは今日のために、新しい変化球まで覚えてきたそうだぜ」
クーニーとフリンが続く。今日のためにわざわざ所内に戻ってきたジミーの背中を押して、一歩前に進ませた。
「ま、まあ、私はいいと思いますが……。マシューさんの方がいい球を投げますし、ヤンキースを連れてきてくれたのもマシューさんですし」
「あ、ありがとう」
「それに、マシューさん。先発してもスタミナが足りませんよね。打者が二巡目に入ったら私と交代しましょう」
「ははっ、それもそうだな」
「マシューはすぐバテるからな」
ジミーの歯に衣着せぬ物言いに、皆笑った。おかげで緊張がかなりほぐれた気がする。
「じゃあジミー、俺の代わりにセカンド守れよ」
「え、良いんですか。ジョーさんいつも、絶対セカンドがいいという感じだったでしょう」
「セカンドは、俺にとっちゃ、一番上手いやつのポジションだ。お前は俺より上手い。だから譲るってだけだ」
ベンドのダイヤモンドで野球をしていた頃から、ジョーはずっとセカンドに拘ってきた。それをよく知っているケイシーには、ジョーの決断の重さが伝わる。「お前は俺より上手い」という言葉には、素直な敬意が直接に表れているのだ。
「それはもったいないお言葉ですが……、ジョーさんはどこを?」
「俺はショートやるわ。お前と二遊間組む。ま、マシューがバテるまでだけどね」
「分かりました。ありがとうございます」
ジミーはいつもの丁寧な口調に、いつも以上の真剣な声音を乗せて返した。ジョーの気持ちに応えたのである。
「じゃあ、ポジションは決まりだな。打順はいつもの感じで」
と、まとめようとしたところで、ケイシーの脳天にボールが落ちてきた。
「おわっ、いってえなあ、誰だよ」
だが、見回してみても、ボールの主は現れない。さては観客の誰かがいたずらで投げたんだな、とケイシーは憤った。
「くっそ、これから大事な試合だってのに」
「おいケイシー、このボール、何か書いてあるぜ」
フリンが拾い上げた。クーニーと二人で覗き込む。
「えーと、ロン・バロウズ、だってよ」
「ロンって、お前が連れてきた子供じゃねえのか」
「ああ、そうだけど、何だってボールに……。まさか、外から投げ込んできたのか?」
「あ、裏にはお前の名前が書いてあるぜ」
つまり、ロンと最後にキャッチボールをした時のボールだ。ケイシーはもしかして、と思い当たり、所の門へ行こうと一歩踏み出したが、その必要はなかった。オズ所長が、そのロンと手を繋いで引いてきたからである。
「ケイシー君、この子がどうしても入れてくれと言って聞かなくてね」
「今日の試合、僕も出る。そのために来た」
ロンはオズの手を離れて、ケイシーを見上げた。
「相変わらずわがままだなあ、お前は」
「だってケイシー、今日でお別れでしょ」
「な、なんでそれを……」
そのことは、ロンには言わなかったはずなのに。
「今日の試合のことも、ケイシーが死刑になることも、外では皆知ってるよ」
「そういえば、外の新聞では大きな話題になっていました」
ジミーが補足した。
「それも、そうか……。で、来ちまったってわけか」
「うん」
ケイシーは考え込んでしまった。
「ケイシー君、この子が一度言い出したら聞かないということは、君もよく知っているだろう。もう全て知っているんだ。何も悩むことはあるまい」
「はあ……、ロン、どうしても試合に出たいって言うんだな」
「うん」
「俺はこの試合が終われば電気椅子に座ることになる。泣くなよ」
「うん、泣かない」
「分かった。ここで追い返しても意味ねえからな」
「ありがとう、ケイシー」
そんなこんなで、ようやくオーダーが決まった。
一番 ライト ロン・バロウズ
二番 レフト フリン・ホワイト
三番 セカンド ジミー・ブレイク
四番 サード ケイシー・ディマジアーノ
五番 ショート ジョー・エバース
六番 ファースト 〝リトル〟ジョン・ロス
七番 ピッチャー マシュー・ブラッドリー
八番 キャッチャー ブライアン・バーンズ
九番 センター クーニー・ホール
「それでは、私から一言、よろしいかな」
オズ所長がいつも以上に背筋を正した。観客席が今か今かと試合開始を待ちわびているのに比べ、大胆なほどの悠長さである。
「私自身は、特別野球が好きだというわけではないが……、とても面白いゲームだと思う点がある。このゲームは、試合時間が決まっていないのだ。よく言う『終わるまで終わらない』、とは言い得て妙ではないか。まさにケイシー君、今日のためにあるようなゲームだ」
この試合が終わる時は、ケイシーの命が終わる時だ。
「人生の終わりも、決して時間切れで終わるのではない。何かをやり切って終わるのだ。野球も同じだろう? だから、終わるまで粘り強くやって来なさい。例え今日が最後だとしても、君たちに失うものはないはずだからね」
口を真一文字に引き結んだのは、ケイシーだけではなかった。
「ありがとう、オズ。おかげで気合が入ったぜ」
体が熱を持っているのが分かる。そのエネルギーを落ち着かせるかのように、ケイシーは深呼吸をした。
「じゃあ、俺からも一言」
ナインは皆神妙な面持ちだ。最後の試合を前に、この男が一体何を言うのか、一語たりとも聞き逃していいはずはない。
だが、ケイシーは、始まってもいない試合の総括をする気はさらさらなかった。
「そんなに肩肘張るなって。俺の最後の試合でもあるが、何よりメジャーリーガーとの対戦だぜ。全力で楽しむしかねえだろ」
「ははっ、そりゃあそうだな」
ジョーがいつものカラッとした笑顔を取り戻した。
「よし、絶対勝つぞ!」
第9章です!
最終章になります。
長らくお付き合いいただきありがとうございました!




