8-9. キャッチボール
もし野球をしていなければ、
私は刑務所か墓場にいたことだろう。
プロ野球選手 ベーブ・ルース
所内で作業をしたり、ロンのいる孤児院に行ったり、また別の所外作業に行ったり、そしてその合間に野球をしたりしながら、七月になった。この時期になると、ニューヨーク州の高緯度とはいえ、だいぶ日が高くなる。野球をしていると汗ばむほどだ。だがおかげで、試合の熱気はさらに高まり、所内のグラウンドは興奮のるつぼという様相を呈する。
その七月、ジミーの仮釈放が決まった。ケイシーの仮・仮釈放とは異なって、これからジミーは普通の生活を送ることになる。多少の行動制限や、たまに職員との面談をする必要があるが、問題を起こさなければそのまま社会復帰できる。
「よかったな、ジミー!」
「ええ、これもケイシーさんのおかげです」
「おいおい、またそれか? お前はもっと自分を誇りに思っていいんだぜ」
「ところで、身元保証人は何とかなったのか?」
ジョーが問うた。身内のいないジョーは、仮釈放を受けるのに必要な身元保証人、つまり生活の当てを用意するのに困っていた。
「オズ所長の関係の方を紹介していただきました。事情が事情だということで」
そんな会話をしているうちに、もう出発の時刻だ。
「ケイシーさん、どうかお元気で。この所での体験は、必ず記事にして、多くの人に伝えたいと思っています」
「お前には本当に世話になった。もう二度と会えないのは寂しいが、あんまり寂しがってちゃあ、行きづらいもんな。元気でやれよ」
そう言ってケイシーは、他にも言いたいことが山ほどあるのを自重して、握手の手を差し出した。
「もう二度と会えない、なんてことはありませんよ」
その手を握り返しつつ、ジミーは不思議なことを口にする。
「ん? どういうことだ?」
「まあ、それはお楽しみということで」
意味深な笑みを浮かべて、背を向けたジミー。ケイシーは、要領を得ないままだった。
「面会とか来てくれるってことかな」
「まあいいじゃん。それより、今日はあの院に行く日だろ。俺たちもそろそろ出なきゃ」
「ああ、もうそんな時間か」
ジョーとケイシーは看守の運転する車に乗り込んだ。所長に事情を説明して、服装は囚人服ではなく、普通の服装になった。
そのおかげか、それとも既に何度も顔を見たからか、前ほど明らかな警戒心を抱いてはいないようだった。それでもルール上直接彼らと触れ合うことはできない。近づこうとすると、看守が静止するからだ。看守の方もそれが仕事なのだから、甘んじて受け入れるしかない。
しかし、ただ眺めているだけでは、せっかくここに来ている甲斐がない。最初は久しぶりの所外に目を輝かせていたジョーも、次第に倦んできてしまったようだ。ケイシーも同じ気持ちである。
「何か、僕たちにでもさせてもらえる仕事はないですか」
食事時に、施設の職員に聞いてみた。
「掃除でも片付けでも、何でもやりますから」
所外に出たからには、何か人の役に立ちたい、そう思うのが今のケイシーであった。
「仕事……、そうだなあ……」
何とか頼み込んで、やっともらったのは、グラウンドの草むしりだった。七月にもなると、確かに草が伸びてきている。孤児の数に対して、人手が足りていないのだろう。草だけでなく、色々な部分の管理がおろそかになっているようだった。
「うん、これも必要な仕事だよな」
ケイシーとジョーはそう自分を納得させて、仕事に勤しむ。やってみると案外夢中になるもので、何もしないよりは余程退屈しのぎになった。
とはいっても限界がある。
「これじゃ所内と同じだぜ」
ジョーが抜いた雑草を手すさびに結びながら嘆いた。
「つっても、他に何かさせろと言うわけにもいかねえしな」
ケイシーは膝をついて草を抜き続けている。せっかく支給された新品のシャツが、土に汚れてしまった。
「あー、こんな感じなのかなあ」
「何が?」
「いや、出所してもこんな感じなのかなって」
「うーん……」
「前科者が良い仕事に就くのは無理だから、結局こういう単純作業でさ。コネもないし。そしたら結局、外に出ても貧しい暮らしだぜ」
「まあ、だから戻ってくる奴が多いんだもんな」
「はあ、何か悲しいぜ。内の方がかえって自由がきくんだもんな」
ジョーは結んだ草を適当に投げ出した。青臭いにおいが手に染みついている。
「そう言うなって。希望を持てよ」
「そりゃ、そうだけど。諦めてはねえけどさ」
と、そんな会話をしているところに、てんてんと白球が転がってきた。二人は顔を見合わせる。
「希望! 来た!」
すぐに転がってきた方を見ると、少し離れてロンが立っていた。
「キャッチボール。これならいいでしょ」
ロンは当てつけのように、看守の顔を見る。その意図を理解して、看守が何か言う前にと、ケイシーは拾ったボールを投げ返した。キャッチボールなら、直接の接触にうるさい看守たちも何も言えまい。いや、言えるのだろうが、そこまで彼らも鬼ではないのだ。
「グローブもある」
ロンが古いグローブを投げて寄越した。院の備品だろう。
「ありがとな、ロン」
「いいよ」
言葉の調子もぶっきらぼうなら、投げる球筋も粗削りだ。ついこの間野球に触れたばかりだということ以上に、本人の性格ゆえだろう。照れ隠しみたいなものだ。
「どうだ、ここの暮らしは慣れたか?」
ケイシーはそっと投げ返す。いつもの調子で投げれば、怪我をさせてしまう。
「慣れた」
「そうか。よかったよ」
言葉はそれで途絶えたが、ボールはずっと往復する。ケイシーとロンの間には、刑務所を出てもなお、見えない壁があった。野球だけが、この壁を越えられる。そして、越えさせてくれるのだ。
「そろそろ俺にも代わってくれ」
さっきまでのため息は風が洗い流してくれたようだ。ジョーの目が分かりやすく輝きだした。なんだかんだ、こいつなら、どこへ行っても楽しくやっていけるだろう。
「他の子も呼んでくる」
「おう、頼んだ」
それからは、この院に行くたびに、キャッチボールをするようになった。もちろん、ロンだけでなく、他の子供たちも交えてだ。ケイシーにとって、これ以上の喜びはなかった。




