8-3. 我に自由を!
もし野球をしていなければ、
私は刑務所か墓場にいたことだろう。
プロ野球選手 ベーブ・ルース
メトロポリタンズの仲間たちは、いつもの教室に持ち帰ったトロフィーに顔を映したりして、色めき立っている。子供のようにはしゃいでいるのはジョーだけではない。無理もないことだ。ケイシーにとって初めての経験だったように、他の囚人たちにとっても、もしかしたら人生で一番の喜びなのかもしれない。
まして今度の優勝は、ただの優勝ではない。罪を犯して刑務所に入り、何の希望も成長もない日々を送っていた彼らが、自らの手で獲得した「自由」そのものだ。そして皆それぞれ、この「自由」に大きな意味を見出していた。
「ケイシーさん、ありがとうございます」
筆頭は、四十二番改めジミー・ブレイクである。
「ありがとう? 何のことだ」
「私がこうして仲間を得ることができ、人種を理由にトロフィーに触れることを拒まれなかったのは、ケイシーさん、あなたのおかげです」
ジミーはいつにもまして丁寧な口調だ。
「やめてくれよ、こっぱずかしいな。お前はお前の実力で、自分自身を認めさせたんだ。むしろ俺が感謝しなきゃなんねえぜ。お前がいなけりゃ、俺は今でもこの刑務所の底の底に沈んでたはずだ」
「いえ、そんな。それこそケイシーさん自身で成したことです」
「な? お前もそう言いたくなるだろ?」
「ふふっ、それもそうですね」
「持つ者と持たざる者のコンビ」、というのは、こうして笑い合う二人をよく言い表している。
「ま、強いて言うなら……、野球のおかげ、かな。こうして皆で野球やるってのが目標になったし」
「ええ。私も野球を通して、こんな仲間たちに恵まれました」
ケイシーは、今や国民的娯楽と言われる野球の力を改めて実感していた。初めてポロ・グラウンズに行った時に見た夢、野球で皆が繋がるんだというアメリカの理想を、一番体現できているのが今この時である。この教室にいる仲間たちだけでなく、マシューが象徴しているように、これからは野球が囚人同士を繋げる。ケイシーが描いた「皆で一つのグラウンド」は、現実のものになりつつあった。
「でも、その先が大事だと思うんだ、俺は」
「その先?」
トロフィーを掲げるジョーを中心に、仲間たちは歌い始めた。それを遠くに見つめながら、ケイシーは語る。
「囚人同士一つになった。マシューも改心して、共和国の運営は良くなっていくだろう。でも、その先だ。俺たちの目標は、ここを旅立って、社会に戻ることだろ。ここで満足しちゃいけねえ」
邪悪と決別したケイシーは、壁の外を見据えていた。
「今、外はどうなってんだろう。俺がここに来て十年、色々変わってんだろうな。ほら、『自由の実験』の始まりのとき、オズ所長が言ってたじゃんか。『外で生きていけるという見込みのある者は刑を軽くする』って。これから皆、外に戻っていくんだ」
「壁の外、ですか……。戻りたいですね」
「まあ、つっても俺は死刑囚だからな。流石にむずいんじゃねえかな」
悲観的なことを言いつつも、その声色に決して諦めはない。
「ケイシーさんはここまで『自由の実験』を成功させた立役者なのですから、減刑や仮釈放など、十分認めてもらえるのでは?」
こう思うのはジミーだけではないだろう。ケイシーが外に出ずして、誰が出られるのか、というのがきっと囚人たちの総意だ。
「ああ、そうだといいな。よし、ここはいっちょ、オズ所長に直接掛け合ってみるか」
ケイシーは所長室に出向こうと、一歩足を進めたが、その必要はなかった。
「うむ、何を掛け合うって?」
「うわっ! また急に、いつの間に来たんだよ」
神出鬼没のオズ所長が、わざわざ現れてくれた。
「呼ばれた気がしたのでね。それで、私に何を掛け合うって?」
何でも言ってみなさい、と得意満面の笑顔で言うオズには、ケイシーの考えなんて見透かされているのではないかと思われる。
「えー、叶うかどうかは分からないんだが……」
「うむ」
ケイシーは一つ息を吸った。
「外に出たい」
その言葉に、浮かれ騒いでいた仲間たちがこちらを向いた。
「ほう」
オズ所長の頷きに、虚を突かれたという色はない。
「段々ここで『自由』を実現してきて、マシューとの因縁も清算できた。こうして刑務所とは思えない仲間たちにも恵まれてる。でも、ここで居心地よくいちゃダメだろ」
「……」
「外に出て、社会に出て、何か一つでもいいから人に役立つことをしたい。それが罪を償うってことだし、ほんとの『自由』だよな」
「うむ、その通りだな……」
オズはそう言ったきり、腕組みをして考え込んでしまった。はっきりものを言わない所長の姿は珍しい。
「刑を軽くしろとは言わないから、一度だけでも、させてくれないか」
「うーむ……。私自身の考えを言うなら、大賛成だ。むしろそうさせてやりたいと思っていた。それに、今日のことで、上から『自由の実験』の許可も得られたところだ」
(今まで許可も得ずにやってたのか……?)
そんな疑問はともかく、オズ所長の調子はいつになく歯切れが悪い。所長はケイシーを信頼しているだろうが、死刑囚を壁の外に出すというのは、そういう個人的な問題ではない。そのことはケイシーもよく分かっている。
「俺が無理でも、せめてこいつらは……」
「ふう、うん、分かった。君の願いを聞き入れよう」
「え?」
「私は、君の脱獄に目をつぶることにするよ」
「本当かよ……?」
ケイシーには、オズの含意が伝わった。
「もちろん。君の更生ぶりを認めて、本当は正式に仮釈放ということにしたいところだが、死刑囚にその制度を適用することはできない。まさしく法外なやり方だが、正式な手続きはどうしても取れないのでね。いわば、お忍びの外出だ」
「そんな、いいのか?」
「いいのかと問われれば、ダメに決まっている。死刑囚を解放したことが公になれば、私の首が飛んでしまう。だから、君の仮・仮釈放は、一週間だけとさせてくれ」
「一週間だけでもありがたい、ありがとう、オズ」
ケイシーは身震いする思いがした。オズ所長の懐の深さには、感服するばかりだ。
(これで何か、人の役に立つことができる)
と考えて、自分自身の変化に驚くばかりだった。まさか、自分がこんな思考をするようになるとは。
「では、日にちは六月一日としよう。それまでに私を通して、行く当てをつけておくように」
そして、ケイシーにはもう一つ、去来する思いがあった。
(きっと俺は、これが終われば……)
根拠はないが、そんな予感がするのだった。




