8-1. Turnaround
もし野球をしていなければ、
私は刑務所か墓場にいたことだろう。
プロ野球選手 ベーブ・ルース
三塁ランナーが返ってくるのに気が付いて、止まっていたケイシーの時間がまた動き出した。チームメイトと観客たちの歓喜が突然耳に入り、足が自然と一塁方向に進み始める。それとは対照的に、マシューはマウンド上で膝をついていた。
外野の後方にスタンドがあるわけでもないから、打球が野手の頭上を抜いたとしても、ホームランと決まったのではない。普通の打球と同じく、野手が打球を追い、バッターランナーとの競争になる。しかし、この時の外野手は誰一人として打球を追わなかった。そうさせないほどに、ケイシーの打球の飛距離がすさまじかったからである。
だからケイシーは、グラウンドになだれ込んだ観客たちの手荒い祝福を受けながら、ゆっくりとベースを周ることができた。中でも一番の祝福は、もちろん、ホームベースを囲んで待ち構えたチームメイトからだ。
ひとしきりの歓喜が落ち着いて、もみくちゃに抱き合っていたケイシーたちがほどけた頃になっても、マシューはうなだれたままだった。敗者には誰も目を向けない。彼のチームメイトたちも、いつの間にか引き下がってしまっていた。元より心からの仲間ではなく、「権力者」マシューの取り巻きたちが集まっただけのチームだった。全囚人の面前での勝負に負けた以上、もはや権力の抜け殻に用はないのである。
ケイシーはマウンドまで歩みを寄せて、そのマシューに声を掛けた。
「良い勝負ができた。お前のおかげだ」
決して情けや憐みからではない。ケイシーの人生で一番の大勝負は、それを受けてくれたマシューという男の粋によるものだった。仕事をやり切った今となっては、あれほど敵視していたマシューへの敬意すら芽生えていた。だから、続ける言葉は一つだ。
「また一から、一緒にやり直そう。このグラウンドで、な」
言いながら差し出した右手を、マシューは弾くことなく、握り返した。それは、彼に起こった少し意外な変化に思われた。
「感謝するよ。こんな僕を見捨てないでくれて」
ようやく顔を上げたマシューの声は、憑き物が降りたようにさっぱりしていた。
「覚えてるかい? 強いのが正義だと、僕が言ったのを」
「ああ、覚えてる」
あの日のことだ。ケイシーを軽く三振に取った後で、マシューがそう言い放ったのである。グラウンド上では誰もが平等という、幼いケイシーが抱いていた理想を、無慈悲に打ち砕いた瞬間だった。忘れるはずはない。
「強ければ何をしても許されるっていうのを言い訳にして、僕は物事に泥臭く向き合うなんてことをしてこなかった……。でも、もうそんな言い訳も成り立たない。これからは、真っ当に地道に、こんな自分を変えたい」
「自分を変える、か……」
そう訥々と語る様を見ると、マシューにはマシューで、思い悩むことや重圧があったのだろう。いつだかの、「ここにいるのは皆訳あり連中」という自分の言葉を思い出した。
「それなら、やらなきゃいけねえことが山ほどあるな」
ケイシーはマシューの手を引っ張って、立ち上がらせた。
第8章、突入です!
終わりが近づいています……!




