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フェンス・オーバー ―刑務所からの場外ホームラン―  作者: kunikida-evans
第7章 二つの勝利

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7-11. 勝負球

闇が闇を払うことはできない。

光だけがそれを成せる。

公民権活動家 キング牧師

 この世には、「持っている」男、というのが存在する。普通の野球の流れを越えて、願ってもみない場面を迎えられる男。そして、そんな場面で最高の結果を出してみせる男。そういう選手を、人はスターと呼び、憧れるのだ。


 人から憧れられるなんて縁のなかったケイシーだが、今日という今日ばかりは、自分は「持っている」と感じてしまう。四番に座ったケイシーは、ネクストバッターズサークルで引き締まった顔をしている。目線の先には、ジョーが打席に立っていた。ケイシーが何とか説得して、今日だけはと四番の打順を譲ってもらったのである。


 囚人たちお手製のバックネットを見やれば、これまた間に合わせのスコアボード。九回裏、二―五でメトロポリタンズのビハインド。ノーアウト、ランナーは二、三塁。絶好のチャンスだ。


 そんな中、ケイシーはバットを強く握りしめていた。

(満塁だ。満塁で俺に回ってくる。今日の俺たちは何か起こせる)

 理由はない。でもそんな気がするのだ。数えてみれば、三点のビハインドというのも、神様がまさに自分に決めろと言っているようなものである。


 ジョーもそれを分かっていた。自分が主役という気持ちを捨てて、ケイシーに繋ぐ一心でバットを短く持って打席に立つ。

「よっし!」

 そんなジョーとケイシーの声が重なった。ファウルで粘って、最後は四球をもぎ取ったのだ。これで、満塁。ジョーがこちらを指さした。「さあ、お前の番だ」と言うのである。

 ケイシーはそれに応えて頷き、ゆっくりと打席へ歩き出した。バットを見つめて、はやる気持ちを抑えながら。


 マウンド上のピッチャーは、そろそろ限界だった。汗が囚人服を濃く染めている。ジョーへの最後の一球が外れるとすぐ、バックネット裏の高みを見やった。


 目線を向けられたのは、他でもない、マシューその人である。取り巻きの一人をマウンドに送り込んで、自分は高みの見物と決め込んでいたが、もはやそうはいかなくなった。


 足も腕も組んだマシューは、ため息を一つ吐いて、沸き返る観客席を見回した。ただでさえ、ノトリアス刑務所初めての共和国リーグ、その優勝決定戦だ。最終回、ノーアウト満塁でサヨナラのチャンスとなれば、沸かないはずはない。だが、贅沢な観客たちは、さらにもう一人の役者の登場を待っていた。

「マシュー、男を見せろ!」

「マウンドに上がれ!」


 その当人は野次を耳に受けつつ、やれやれという風に首を振って、傍らに準備していたグローブを見つめた。

(ここで立たなきゃ、僕は八百長を仕組んだ上に勝負から逃げたチキン野郎……。マウンドに立って抑えれば、一躍拍手の嵐だ。だったら、行かない手はない、のか。やっぱりやり手だね、あの男は)

 打席の手前で、大きく素振りをするケイシーに視線を移し、マシューは覚悟を決めた。


 立ち上がったマシューを見た観客のどよめきで、ケイシーは自分の算段が成ったことを知った。あとは、自分が決めるだけだ。

「よう、出てこねえかと思ったぜ」

 グラウンドに降りてきたマシューに、ケイシーは軽く挑発の一矢を射った。

「君の方こそ、三十年前と同じ結果を迎えてもいいのかい?」

 自前のこぎれいなグローブを手にして、マシューが応戦する。観客の声が騒がしいはずだが、二人の間には割り込めない。

「なに? 何だよお前、覚えてやがったのか。あの日のこと」

「覚えてるさ。あんなお子ちゃまに投げたのは、後にも先にもあの時だけだからね」

「そうかい。そういや、お前の弟、クリスはどうしてるんだ」

「ああ、クリスはメジャーリーグに入ったよ。今は引退して、監督だ」

「へえ、クリスがなあ。流石だ」

「それに比べて僕は刑務所のマウンド。哀れだろ?」

「珍しいな、お前がそんなことを言うなんて」

「いいから。ほら、打席へ入れ。もう一度、三振に取ってやる」


 肩慣らしに投げている球は、その自信に違わない球威と球速だ。やっぱり、マシューの球は凄い。三十何年前、あのベンドのダイヤモンドで見た時と変わらない、のけぞってしまうような力がある。あの時は、この速球と膝元に消える変化球で、手も足も出ず三球三振だった。でも、

「今度はそうもいかないぜ」

 虚勢にも近い言葉を返して、ケイシーは悠然と打席に入った。あの時とは確かに違うはずだ。何が違う? そう、覚悟が違う。ケイシーはこの打席で自分の人生の革命を起こそうとしていた。そしてその、転覆するべきこれまでの人生の重みも、相当のものだった。

(だから、絶対に打つ)


 審判が、プレイのコールをかけた。ケイシーは一つ深呼吸をして、マウンドに向き合った。


 しなやかなワインドアップに、マシューの金髪がひらめく。左足が地面に着いた次の瞬間、伸びきった右腕から第一球が投じられた。

(速いっ!)

 胸元を突かれたケイシーは、ピクリとも反応できなかった。打席に立つと、肩慣らしの球より数倍は速く見える。


 だが、ケイシーが待っているのはその球ではない。何よりもまず、驚かされてはいけないのだ。後手に回ればあいつの思う壺。

(来い、お前の一番自信のある球!)


 二球目も、風を切る速球だった。これも見逃してストライクが二つ。ケイシーは追い込まれた。


 三点ビハインドの九回。ノーアウト満塁。ピッチャーはあのマシュー。ノーボール、ツーストライク。


 次の球しかない。そう思うと、途端に心臓が高鳴った。ついさっきまで少しも耳に入らなかった観客の声援や野次が、急に場を支配したように感じられる。

(やばい、押されてるな、俺)

 打席を外して、一つ間を取った。その時、一塁ランナーのジョーと目が合ったのが、ケイシーには幸運だった。大丈夫、自信を持て、とジョーが言ってくれている気がした。


 打席に入り直して、いざ、勝負の一球だ。バットを握る手に、より一層の力を込めた。

(あいつは……、マシューは必ず、あの球で勝負してくる)

 三十年前に三振に取られた、あの消える変化球だ。膝元に鋭く沈む魔球は、マシューにとって伝家の宝刀。一番自信のある球のはずだ。なら、あの球で三振を取りに来る。


 さあ、三球目。マシューの方も、ボール球で遊ぶつもりは毛頭ない。渾身の一球を投げ込んだ。

(来たっ!)

 決して投げ損じではない。あの時と同じ、いやそれ以上にキレの増したその球は、完璧なコースに決まったはずだった。


 が、ケイシーのフルスイングが、気迫がそれを捉えた。一閃。真芯に当たった白球は、野球日和の五月晴れを貫いていった。マシューが思わず右手を伸ばしたが、到底届く距離ではない。弾道の後を追ったのは、打った瞬間に上がった歓声、ただそれだけだった。

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