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フェンス・オーバー ―刑務所からの場外ホームラン―  作者: kunikida-evans
第7章 二つの勝利

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7-2. 名前

闇が闇を払うことはできない。

光だけがそれを成せる。

公民権活動家 キング牧師

 四十二番の書いた内容を、つらつらと引き写す必要はあるまい。その素晴らしさは、原稿を見た囚人たちの反応が証明している。

「いやあ、やっぱすげえよお前は。初めて文章を書くってのに、まさに俺たちの言い分を代弁してくれてる」

 ジョーが感嘆の声を漏らした。囚人たちは宝物を目にした海賊のように、我先にと読みたがっている。

「あんまり騒ぐなよ。マシューの一味に見つかったら面倒なことになる」

 囚人たちがこうやって集まることは、禁じられていたのだった。とはいえ仮に見つかっても、この場にはオズ所長がいるから、マシューも手出しはできまい。所長はそれも考慮してここまでついてきたのだろうか。

「これはすごいね、これだけの立派な文章を書けるとは思いもよらなかった。失敬失敬」

 そんなオズ所長は珍しく驚いた素振りを見せている。

「いえいえ、ケイシーさんにご指導いただいた賜物です」

 こんな時でも謙遜を怠らないのが四十二番らしさだ。

「字もまだ下手ですし、ケイシーさんが教えて下さらなければ綴りの間違いもたくさんありました」

 こうして彼が書き上げた原稿をリトル・ジョンがタイプして、共和国新聞に載せる算段だ。多くの囚人たちに共感してもらえれば、連帯してマシューたちと対決できる。

「四十二番」

 ケイシーが呼びかけた。

「記事の最後に、名前を書いておけよ。お前が書いた証になる」

「名前……ですか。しかし私は……」

 当然ながら、四十二番は困惑した。彼は自分の本名を知らない。だから囚人番号の四十二番で通っているのだ。それを知っているケイシーがこんなことを提案したのには、もちろん理由がある。

「いずれ社会に出たら名前は必要だ。それなら、今日、新しい人生の船出の日に付けちまうのが相応しいだろ」

 そう言うと四十二番は納得した風だったが、腕組みをして考え込んでしまった。

「そんな、気楽に考えたらいいんだよ。これからどうなりたいか、スローガンみたいなもんさ」

「うーん……。そうだ、それなら」

 ハッと閃いた様子で、手近な紙に書きつけた。

「先ほど、黒人は黒人の力を最大限発揮するように戦って、自分の尊厳を守るのがいいと、ケイシーさんに言いましたね。まさしく、黒人の新しい力。それには、他人から言われる黒人ニグロというのではなくて、新しい言葉が必要だと思います」

「というと?」

「この肌の色は、暗い(ダーク)と言われてネガティブなイメージを持っています。ですが、これからはもっと、肯定的な言葉で私たちを表現したい……。そこで、この言葉です」

 決意を新たに、一つ息を吸う。

「ダークではなく、ブラック。ブラックの力です」

 そう宣言しながら、四十二番は紙を掲げた。

「ブラックか、良い言葉だと思うぜ。しかし……」

 ケイシーは紙を注視した。そこに書かれていたのは。

「B-L-A-K-Eの綴りじゃあ、読みはブレイクだぞ」

「えっ、間違ってました?」

 何だか可愛らしい綴り間違いだ。今日初めて文章を書いてみた四十二番なのだから、無理もない。ケイシーを含めて誰しもが、微笑んでしまった。

「ブラックは、B-L-A-C-Kと綴るんだ」

「使い慣れない言葉は使うものではありませんね……」

 四十二番はひどく赤面する。その照れ笑いが、彼の人柄を象徴していた。

「おいどんがタイプするときは、しっかりブラックに直しとくな」

 そう言ったリトル・ジョンに、四十二番はこれも彼らしい言葉を返した。

「本当にありがたいですが……、それには及びません。初心を忘れぬようにとの意味を込めて、ブレイクと名乗っていきます」

「そうか? うん、自分がいいならいいけど」

「それで、名字はブレイクとして、名前はどうする」

「ジミーにします」

「おお、それまたなんでだ?」

 名字と比べてえらく即決だったから、ケイシーは驚いた。

「ジミーといえば、皆さんもご存知のように、強盗用具ですね。ドアをこじ開けるためのてこ。私たちは、この境遇を突破していかねばなりません。それも、ただこじ開けるんじゃない。犯罪者として、こじ開けるんです。そういう意味で、ジミーにします」

「おう、それは面白いな」

 言っていることは分かるが、犯罪道具の名前を付けるなんて、不思議な感覚の持ち主だ。

「まあ、そう言いつつ、単に私が名乗っていた名前の中で、一番気に入っているというだけなんですけどね」

 四十二番は笑った。

「ジミーか、いいじゃないか」

 この命名に一番喜んでいたのは、なぜかオズ所長だった。小柄だが威厳のある体を揺らして、感心している。

「いやね、私の尊敬する心理学者に、ウィリアム・ジェームズというのがいてね。ジミーはジェームズの愛称だ。『人は心構えを変えることによって人生を変えることができる』なんて言葉は、ほとんど私の座右の銘だよ」

 この胡散臭い所長には、座右の銘が一体いくつあるのだろうか。そんな顔をしたケイシーを見てか、オズは言葉を継ぎ足した。

「そうだ、せっかくだから、もう一つウィリアム・ジェームズの良い言葉を伝えておこう。特にケイシー君、よく聞きなさい」

「えっ、俺?」

「そうだ。『人生の最も優れた使い道とは、自分が死んでも残るもののために費やすことである』。どうだ、響くだろう」

「お、おう……」

 この所長のことだから、何でもお見通しか、とケイシーは苦笑した。まさかこれを言うために教室までやってきたのだろうか。

 難し気な話に辟易したジョーが、会話をまとめにかかった。

「まあ固いことはいいからさ、これからよろしくな、ジミー」

 四十二番改め、ジミー・ブレイクの第二の人生は、まさに今日から始まるのであった。

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