5-5. 「向こう半分」
全ての人が弱みと悪徳を抱えている。
だからこそ、政治が必要なのだ。
政治家 ジェームズ・モンロー
「それで、何か用があったのでしょう?」
四十二番が話を戻した。
「そうだそうだ、お前に、礼を言おうと思ってな」
「礼?」
「ああ。昨日は俺に議論の指南をしてくれただろ。おかげさまで大統領にまでなった。感謝するぜ」
「そうなんですか、私はなんだか疲れて帰ってしまったので、見ていませんでした。それは良かったですね」
「やっぱり帰ったのか。……まあ結局、今日の会議で俺は降ろされちまったんだけどな」
「降ろされた、とは?」
「辞めさせられたんだよ、大統領。俺はお前の筋書きなしじゃ議論できねえし、しかも俺と因縁のある奴がしゃしゃり出てきたからキレそうになっちまった。あーあ、せっかくやりたいこともあったのによ」
「そうだったんですね」
「まあ、別に気にしちゃいねえんだけどさ。一応お前に報告しておいた」
「なるほど。ケイシーさん、あなた、上下関係の厳しい職場に居ましたね?」
「え? ああ、まあそんなところだ」
「そうでしょうそうでしょう。些細なことでも謝意や報告を欠かさない。その職場で教え込まれたのでしょうね」
四十二番は流石の洞察力だ。この分だと、その職場とやらが犯罪組織だと見透かされるのも時間の問題だろう。見透かされたとて、何も問題はないが。
「それと、もう一つ」
今度は何を言い当てられるんだ、とケイシーは身構えたが、それは杞憂だった。
「礼を申し上げるのは私の方です。ケイシーさん、ありがとうございます」
肩透かしを食らったケイシーは、心の中で小さく膝を折った。
「何? 礼だと?」
「ええ。私の意見を代弁していただいて。あなたという存在がなければ、私は議論に参加することすらできませんでしたから」
先ほどのジョーの反応が答え合わせのようなものだ。黒人というだけで表情を歪める者が多い。ジョーだって殊更に人種主義を信奉しているわけではないのだろうが、それは心の奥底に根付いた意識だから、ちょっとやそっとじゃあ動かない。ただ対面するだけでこれだから、いわんや囚人たち全員の未来を決める議論となれば、どんな反応を呼ぶかは想像に難くない。
「いや、俺は何も考えてなかっただけだ。それにお前は、俺の心持ちを変えてくれた恩人でもある」
ケイシーはイタリア系だ。風貌でそれが伝わらないこともないだろうが、この刑務所にれっきとした白人、つまり彼らが自称するところの「正真正銘のアメリカ人」は少ない。ケイシーのように、貧しさや何かに耐えかねて罪を犯すのは、往々にして「向こう半分の」人間なのである。だから、ケイシーのイタリア譲りの血は大して目立たない。
だが、黒人となれば話は別だ。犯罪者同士気が合う、なんてことはまずない。自分の立場が追い込まれればこそ、人を踏みつけようとするのが人間の性だ。「アイツよりはマシだ」、と。
「あなたはどうして、そのような考えを持てるのでしょうね」
当然の疑問だ。あのジョーであっても、黒人への拒否感というのはいわば習慣化されて、逃れられない呪縛である。ジョーがまともな倫理観を欠いているのではない。むしろそれを持ち合わせているからこそ、自分が立ち去って場を済ませたのだ。つまり、人種主義というのは個人の優しさだとか信条とはほとんど関係がない。人間の自由や平等を守るために戦った本物の初代大統領、ジョージ・ワシントンすら、黒人奴隷を所有していた。
「何にしたってその目、たった一日ですが多少良くなりましたよ。やっぱり、軽蔑という感情は物事に向き合いたくないという精神性と表裏一体ですからね」
「はあ……」
「一応なりとも議論に参加して良かったですね」
四十二番は慇懃に頷いた。役人が書類を確認するようなその様子に、ケイシーは自分の仕事を思い出した。
「あ、そうだ。俺、囚人の名簿作りを任されちまったんだよ。ついでだから、お前の名前とか年齢とか、教えてくれよ。囚人番号は四十二番だろ?」
この話題の転換には、意味のある話をすることにいたたまれなくなったという側面もある。
「いやあ、昨日も申し上げましたが、私に名前はないのです」
そういえば、四十二番はそんなことを言っていた。
「はあ、名前がないってのは、どういうことなんだ」
「話せば長くなるのですが……。お時間がよろしければ、お話しましょう」
「ああ、なんだ。聞かせてくれ」
「話は、私が十歳の頃に遡ります。その頃私は……」
四十二番が話を始めたその時、ケイシーは背筋にもそっとした気配を感じた。振り返る間もなく、その気配は実体となった。
「ふむ、興味深い。私にも聞かせてくれたまえ」




