5-3. Drama on a Hill
全ての人が弱みと悪徳を抱えている。
だからこそ、政治が必要なのだ。
政治家 ジェームズ・モンロー
翌日からすぐに、所内の政治は始まった。暫定政府の首班たちは、広場に椅子を並べて議論をすることになっていた。傍聴人の数は多く、議会というよりは公開討論会に近い。
(これほど人が集まるなんて聞いてないぜ。どうすんだこりゃ……)
全囚人の七割ほどが集まったであろうという聴衆の中で、ケイシーは人知れず焦っていた。自分が「共和国初代大統領」に選ばれたのは、その場の成り行きのためであって、しかもその成り行きを作ったケイシーの立ち回りというのは、四十二番の受け売りだったのだ。いわばケイシーは四十二番の脚本を演じた俳優に過ぎない。このことを知っているのは本人と四十二番くらいで、他の連中は本気でケイシーが議長役に相応しいと思っている。これほど困ったことはない。見回しても、四十二番は来ていないようだった。
(くそっ、晩にでもあの先生にお伺いを立てときゃ良かったぜ)
時報代わりのラッパが鳴った。朝の八時、討論会の始まりだ。議題は多い。つまり、今日は長い一日になる。
「よし、早速話し合いを始めるとするか」
ケイシーは大統領らしく立派に振舞ってみた。肩書が人を作ると言うから、それを信じるしかない。
慎ましい開会宣言を受けて、とりあえずの代表として集まった十人が、顔を上げた。
「まずは、何から決めようか。何か意見のある奴は」
とはいえケイシーは、良いリーダーとは何かを知らない。彼が勤めていたのはマフィアで、完全に上意下達の構造で成り立っていた。それはそれで上手く組織運営ができていたのだが、だからといってあの怪物の模倣をすればいいのではない。ここは囚人たちの共和国で、理念上は、できるだけ全ての参加者の意見を聞かねばならない。話し合いなんて、意思決定の手段としては極めて非効率なのに、だ。
「まずは金の工面だろう。今ある食糧は一週間後には尽きる」
ケイシーに近いところに座った肥満体が、議論のたたき台を作ろうとした。
「そのためには、労働の分担や能率の上昇について考えなくては」
肥満体の向かいに座した猫背が言う。こいつを含め、そもそもこの刑務所には男しかいないから、むさくるしいことこの上ない。しかも、ただの男たちじゃない。不潔な男たちだ。何しろ、風呂がないのである。
発言は続く。
「でも、それは俺たちが決めていいことなのか? 俺たちみたいな暫定の代表じゃなくて、いずれは選挙で代表決める的なこと言ってなかった?」
「それはいずれの話だろ。食糧の問題はそんな余裕はないぞ」
「それもそうだが、建物が汚いし危ないから、掃除とか補修とかしなくちゃいけないぞ」
「そんなの独房ごとに好きにしたらいいだろ」
(うん、こりゃあなかなかきついぞ)
議論はしっちゃかめっちゃかだ。聴衆の囚人たちも好き勝手に野次を飛ばすから、秩序というものがない。
とにかく、ケイシーのやりたいことを提案できる雰囲気ではなかった。だからこそ、自分が上手く流れを作らなくてはいけないのだ。
「おい、お前らちょっと待て」
ケイシーも自分の役目は重々承知だ。一応議論を制してみる。でも、何を言えばいいかはよく分かっていない。
「え、えー、そうだな。何というか……」
止めてみたはいいが、言葉に詰まってしまう。
「えー、うん、まずは、名前。名前分かんねえと面倒だろ」
苦し紛れに何とか閃いた。実際、自己紹介くらいしておくべきだ。集まった奴らも、それもそうだという雰囲気。
「俺はケイシー・ディマジアーノ。つっても、昨日ので皆知ってるかな」
「おいどんはジョンだ。リトル・ジョンと呼んでくれ」
肥満体が腹太鼓を自慢げに叩いた。一体どこがリトルなんだか。
そこから全員名前を言い終えると、これまたケイシーが何か言わなきゃいけない番だ。しかし、一つ話を回した分、はじめよりは何かを提案しやすい空気になった。これならやっていけそうだ。
「うん、名前ついでに、俺らの国の名前とか決めよう」
しかし、ケイシーの淡い希望は打ち砕かれた。
「なんだお前、ふざけてんのか」
「一週間後には飢え死にするかもしれねえって時に、国の名前を決めようだ?」
「もっとマシなリーダーはいねえのか」
ケイシーはがっくりした。
「はあ、せっかくいい流れだと思ったのに」
がっくりしている間に、議題は金の工面に戻っていく。確かに、これは可及的速やかに解決しなければならない。
そもそも、囚人たちが刑務所を自治するという、オズ所長の理想からして無理難題だ。せめて金くらいは出してくれなければ、身動きが取れない。実験と言うくらいだから、結果がどうなるかはお楽しみだなんて意識なのだろう。どうせ文句を言ったとて、「働かざる者、食うべからずだよ」と得意げに言ってくるのが想像できる。あの立派な口髭が癪に障る。
ケイシーが心の中で独りごちているうちに、議論の方も袋小路に入り込んでいた。
「生産品を売るくらいしかないぞ」
出てくる案はこれ以外になく、それに対する反論も、
「それでは足りない」
という現実的なものだった。今までも、罰代わりの刑務作業で生産した物、例えば家具や服飾品の類は、所の財政を支えるために外部に売られていた。とはいっても、それは少しばかりの足しになる程度で、刑務所運営全てをそれで賄うには圧倒的に足りない。
「でも、他にないじゃないか」
だから頭を悩ませているのだ。
オズ所長は、上手くやれば刑期を短くする、そのために囚人たちの行動は逐一観察する、と言っていたから、今もどこかで見ているのだろう。だったら助け舟を出してくれても良いものを。
「外部の企業か慈善団体に頭を下げれば、出してくれないかな」
「無理だろ。俺たちは犯罪者だ。誰が俺たちの言い分を信用する」
「所長を通してもらえば」
「所長は何も協力しないと言っていたぞ」
議論が煮詰まってくると、代表たちの目線は自然と議長に集まる。つまり、ケイシーだ。これまでの議論を、分かったふりをして適当に頷いていたケイシーは、注がれる目力が強くなっていくのに耐えかねた。
「なんだ、俺に何をしろと。お前らに分からんことは俺にも分からん」
ケイシーの人生において確実に絶頂期にあった人望が、急速に失われつつあった。
こんな時、誰か助けてくれる人がいたら。半ば諦めて天を見上げたちょうどその時、聴衆の一人から声が上がった。
「おい、ここまでの議論を踏まえれば、外部の人間に金を出してもらえりゃいい、ってことか?」
「ああ、まあ……」
ケイシーが戸惑いながら答えた。
「ふふふ、だったら俺の出番だな!」
勝ち誇った軽い声だった。
もしかして今の答えは失敗だったかな、と後悔しつつ、ケイシーはまたもやその声に聞き覚えがあった。ジョーでも四十二番でもない。どうしてこうも、この刑務所には自分の知り合いが集まっているんだろう。これもあの所長の策なのだろうか。それとも、ベンド周りの環境が犯罪者を量産しているのか。どちらもあり得そうだ。だが、こいつの場合、類は友を呼ぶ、とは言いたくない。
「よーっし、結論から言おうか? 僕の家は金持ちなんだ」
その男はケイシーを覚えていないようだ。それもそのはず、子供の頃に一度会っただけなのだ。ケイシーにとっては鮮烈な記憶、それも嫌な記憶だったが、向こうにとってはほんの些細な出来事、出来事とも呼べない日常茶飯事だったに違いない。
「だから君たちがどうしても、と言うなら、助けてやらんこともない」
クリスの兄。憎たらしい、小慣れた口調だった。
「本当か? ありがたい、助かる」
リトル・ジョンが答えた。代表の十人を含め、ほとんど全ての囚人の意見を代弁した言葉だったろう。行き詰った議論に差し込む光明。提案したあの男の金髪が輝き、爽やかな風に揺れた。
だが、ケイシーだけが、その提案を疑問視していた。
「待て待て、そんなに旨い話があるか。自力で金を稼ぐ方法を考えるべきだ」
「じゃあどうするってんだ?」
「そんな方法ってもんがないんだろうが」
「それはそうだが……」
ケイシーは矢継ぎ早に反論されて、窮してしまった。ケイシーにも妙案は浮かんでいないし、感情的な反発を除けば魅力的な提案であることに疑いはない。だがその感情が問題なのだ。
「本当にあいつを信用していいのか。何か企みがあるんだろう」
あの金髪に聞かれないよう、小さな声で囁いた。つもりだったが、当の本人はいつの間にか会議の席に座っていた。
「何の根拠があってそんなことを言うんだ。悲しいねえ、せっかく救いの手を差し伸べているのに」
金髪が大げさに悲しんで見せると、リトル・ジョンをはじめとした代表者たちからも、ケイシーへの非難の声が上がる。
「そうだ、一体何が言いたいんだお前は」
「代案も出さずに文句だけ言いやがって」
端から見れば、まさにその通りなのだ。ケイシーは駄々をこねているだけ。
でも、ケイシーの中には如何ともしがたい疑念と敵視があった。根拠は子供の頃の出来事だけだが、それが重すぎるのだ。仲間と楽しく野球をしていたところに、邪魔が入った。それだけならまだいい。だが、まさにその日なのだ、ケイシーの母が帰らぬ人となったのは。こいつの存在が、それから始まった悲劇を連れてきた。だからここは、譲れない。
「お前もお前だ。何の見返りもなく金だけ出そうって言うのかよ。都合が良すぎるぜ」
「お前だなんて、お里が知れる。マシュー様と呼んでほしいね。このマシュー様は、優しさというものを知らない君と違って、素晴らしく寛大なのさ。僕たち皆で仲良く暮らしていくために、お金を出そうと言ってるんじゃないか」
「マシューだかマッシュルームだか知らねえが、皆のために、だと? 柄にもないこと言いやがって、この野郎」
「失礼な物言いだな、聞いてるこっちが恥ずかしいよ」
「てめえ、どうせ詐欺かなんかでパクられたんだろ、信用できねえってんだ」
「うるさいね、君は僕の何に不満なのさ。初対面なのに突っかかってくるなんて」
「初対面っ……」
察してはいたが、マシューは本当にケイシーのことを覚えていないようだ。それが分かってしまうと、なおさら屈辱的だ。
「だいたい、お前らもおかしいぜ。こんな奴の言うことすんなり聞くなんて」
矛先は他の囚人たちに向かった。だが、ケイシーの怒りのわけが伝わるはずがない。元来血の気の多い囚人たちのことだ。すぐに火がついてしまう。
「うるせえ、てめえこそ何が言いてえんだボケ」
「他にないだろうが」
「たまたま代表になったぐらいで偉そうにしやがって」
こうも言い返されると、ケイシーも歯止めが利かない。
「はあ? 勝手に選んだのはお前らだろうが」
「まあまあ、皆落ち着けって」
リトル・ジョンが静止するが、もう囚人服の袖を捲り上げたケイシーとその相手は聞く耳を持たない。拳を握り締めて、ゴングを待っている状態だ。周りを囲んだ囚人たちは、その見世物を楽しんで、囃し立てていた。
「畜生め、俺と拳で語り合おうってか。良い度胸だ」
「もうやめとけって」
今にも手を挙げそうだったケイシーを一声で止めたのは、ジョーだった。
「お前だって……」
「落ち着け。深呼吸しろ」
ジョーも同じ悔しさを抱えているはずなのに、いたって冷静だった。それを見ると、ケイシーも落ち着かざるを得なかった。大きく深呼吸する。
握った拳をほどいて、怒った肩の力を抜いた。
「ふう、ありがとな」
「どういたしまして」
ジョーは執事みたいな仕草をしておどけた。
その様子を見ていたマシューは、やれやれと立ち上がった。彼にとってみれば、面白くなりそうなところで邪魔が入ったのだ。
「さて、ショーは終わりかな。結論は決まったかい? 僕の提案を受けるのか、それとも受けないのか」
「うん、受けるしかないだろうな」
リトル・ジョンが言った。これは、もはやケイシーを含めた全員の総意だった。不満な者がいたとしても、他に手がないのだ。提案を受けなければ、来週にはみんな揃って飢え死にすることになる。
「だとさ。ご不満だった君はどうだい? 納得してもらえたかな?」
マシューは最後に、ケイシーへ水を向けてきた。
「……ああ、それしかないだろ」
不貞腐れたように、ケイシーはぶっきらぼうな答えを返した。その返答に、マシューはニヤッと笑う。
「あれ、そんな態度で良いのかな? 他に何か、言うことがあるんじゃないの?」
つくづく癪に障る野郎だ。こいつが何を言わせたいのかは分かる。ケイシーは、歯を食いしばった。
「……文句を言って悪かった。すまねえな」
満足げに口角を上げたマシューとは対照的に、ケイシーは固く唇を引き締めた。悔しいが、悔しくて仕方ないが、ここはこれしかないのだ。時には、負けを認めることも肝心である。




