5-2. 意志の力
全ての人が弱みと悪徳を抱えている。
だからこそ、政治が必要なのだ。
政治家 ジェームズ・モンロー
騒動めいた議論が終わると、囚人たちは各々の独房に戻っていく。その足取りは軽く、以前のような苦痛の氷室に向かう様子ではない。
ケイシーも同じだった。
「まずは、今後の食糧の手配と、金の稼ぎ方……。これまでも刑務作業で作った製品は出荷してたから、それを収入にできるか……?」
乱雑に生えた顎髭を撫でながら、ぶつぶつと呟いて歩く。悩ましいけれども、決して苦しい悩みではない。
「なんだかなあ。こんなん俺の柄じゃねえよ、くそっ」
「まあそう言うなって。別にお前が何でも決めるわけじゃない。千五百人で知恵を絞るんだ」
キング・メイカーのジョーが肩を叩いて励ました。
「そうだよな、俺の仕事は議論の調整であって、決定じゃない」
分かってはいても、役職とは人を縛るものだ。「自由の実験」の成否は、実質的にケイシーの手腕に懸かっている。少なくとも、本人にはそんな気がするのだ。
「調整ったって、元は血気盛んな暴れん坊たちだぜ。殺されちまうかもしれねえな」
他人事のようにジョーはからかった。
「そう言うなよ。ただでさえ重いんだからよ」
ケイシーが大げさに肩を落としてみせる。しかしその落とした肩をすぐに跳ね上げて、手を叩いた。
「そうだ、せっかく大統領になったからにゃ、やりたいことがある」
「お、何?」
「それはお楽しみだ」
「おいおい、焦らすくらいなら言うなよ」
「はっは、楽しみにしておけよ」
そんなやりとりをしているうちに、独房棟の一番奥、ケイシーの部屋に着いた。軽い足取りに反して、独房の中は暗かった。人の生気を奪う闇だ。今までなら、それが永遠にのしかかっていたのだ。でも今は。
「今日は天気が良いのにこれじゃあな。窓は金がかかるが、壁に穴を開けて、日差しが入るようにしよう」
こうして自分で解決できるのだった。ケイシーにとっては、そしてほとんどの囚人たちにとっても、初めての感覚だった。
「やりたいことってそれ?」
「なわけあるか。もっとでかいことだ」
「ほーん。ふう、よっこらせっと」
軋む鉄格子の戸を開けて、二人とも冷たい床に胡坐をかいた。
「ところで、ジョー」
「ん?」
改まって話を切り出したケイシーに、ジョーは間の抜けた返事をした。それも、わざとらしさが鼻につくほどだ。
挨拶もできずに別れた親友と出会えたのは、もちろん嬉しいことだが、よく考えると素直には喜べない。四十四歳、二人は人生の折り返し地点にいる。これまでを語ることになると、どうしても行きつく先はこの刑務所、すなわち何かしらの罪にぶつかるはずだ。
「ジョー、これまでお前、何してた?」
「んー、そうだなあ、どこから話そうか」
何を気にした風も見せないジョーを見ると、少し希望を抱きたくなる。友達のジョーが、少年のままでいてくれるんじゃないか、と。
いや、思い出して見ると、ケイシーたちが使っていたあのボールは、ポロ・グラウンズから盗んだと言っていた。そもそも、あの初めての試合もタダ見をしていたのである。人の頭とは恐ろしいもので、過去の記憶は美化され、無垢な少年時代として描かれていた。けど、冷静に振り返るとそんなことはない。ケイシーたちは幼い頃から悪事に手を染めていたのだった。
そう思い至ると、ケイシーは心の準備ができた。
「結論から話せ。何をやったんだ」
不躾な発言だが、ジョーとの間柄はこれでいいのだ。
だが、向かい合って天井を見上げているジョーの方は、未だ覚悟が決まらない。
「いや、やっぱいいよ、俺が先に話す。その方が楽だろ」
見かねたケイシーが助け舟を出すと、ジョーは小さく頷いた。
「俺の話は長くなるぞ。まず……」
マフィアにいたこと、盗みから殺人まで様々な罪を重ねたこと、そして、今は死刑囚であること。そして、ケイシーにとって一番重い罪、弟たちを見捨てたことも、包み隠さず話した。
普通、人に自分の業を話すというのは、一種の救いである。しかしながら、これほどの重荷から解き放たれることはない。死刑囚であるケイシーは、文字通り一生解放されないのだ。刑務所内に国をつくるといったとて、罪は罪だ。自由を与えられたとしても、いや、むしろそれゆえに、自分が背負っている十字架からは逃れられない。
つまるところ、今後ケイシーは、自分の罪と向き合って、自覚していなければならない。心を閉ざしてしまえば楽だが、望みを持ってしまうと苦しみにも向き合わねばならない。これも全て、オズ所長の思う通りなのだろう。
「……ざっと、こういう顛末だ」
「……そうか。死刑か」
互いの目を見つめるのは辛い。独房の隅の、影になった部分に焦点を合わせて、ジョーは口を真一文字に引き絞った。
「これからは、もう一度やり直す気でやってみる。犯した罪の償いにはならなくても、自分が自分の選択をできるなら、きっと間違わなかったはずだと、証明したい」
ふと、四十二番の顔が浮かんだ。彼のことは恩人と言ってもいい。独房に帰りかけたケイシーを彼が止めなければ、ジョーに会うのはもっと後だったかもしれない。まして、囚人たちのリーダー役になるはずはなかった。彼は一体どこへ? 議論が始まって、いつの間にやら見失った。礼を言いたいところだったが。
「うん、そしたら、他人のせいにできなくなるだろうからな。……じゃあ、次は俺の番、かな」
と、ジョーが語りを始めたから、四十二番のことは後で考えることにする。
ジョー・エバースは、いよいよ覚悟を決めて、息をついた。ケイシーの青い目を、じっと見据える。
「俺は、親の人生を狂わせちまった」
「……そうか」
「何も聞かないのか」
「……俺が何か言うことじゃない」
強いてまで聞く必要はない。話したくなければ話す必要もない。罪の重さは比べるものではない。そして、互いの事情など分かりもしないのに、そんな素振りだけ見せるのはずるいことだ。
だが、想像くらいはできてしまう。ジョーの父が病気で先立った後、母は家を離れたと言っていた。でも、想像しないようにするのだ。
「そんで」
うん、とリズムをとって、ケイシーが話題を変える。
「これからどうするか」
もちろん、いい方向に。
「じゃあ、さっき言ってた通り、窓を作ってみようか」
ジョーもそれに乗らなきゃいけない。どうしたって、逃げ場はないのだ。
「よし、そうと決まったら、日が暮れる前に作業だな」
影を振り切るように、二人して立ち上がる。
「何か工具がないとな。俺探してくる」
ジョーが何かに追われるように出て行った。涙を隠すため、と解釈するのは、ちょっと感傷的過ぎるだろうか。
もしそうだとするならば、ケイシーは後を追うわけにはいかない。手持無沙汰で、どこに穴を開けようかと壁に当たりをつけてみた。ちょうどこの角度なら日が入りやすいかな、と手で触れると、触ったところに小さなヒビが入った。
「なんだこりゃ、もしかして」
同じところを軽く押すと、蜘蛛の巣のようにヒビがみるみる広がった。もう少し押すと、割れ目から弱い光が差し込んできた。じゃあ、もっと強く押すと……?
「こんなに脆かったのかよ。どうなってんだ」
この落胆は、別に所の管理が杜撰なことに対してではない。自分に対してだ。
「だからといって……」
ケイシーの悪い癖で、今にも思案に陥りそうだったその時、ジョーが戻ってきた。
「おい、あったぞ」
「おう、ジョー」
「どうした? 何かあったか?」
「ふっ、ははっ。いや、穴を開けるどころか、むしろ補強が必要になっちまった」
囚人が自分の檻を修理する。なんと滑稽なことだろうか。




