妖精仕立屋は辞めたい
「はあ…はあ…もう無理…」
体長わずか15センチの妖精、ティンカは針を落とし、布の上に倒れ込んだ。時刻は深夜3時。周りでは仲間の妖精たち20人が、必死にドレスを縫い続けている。
「ティンカ!サボるな!明日の朝までにあと50着仕上げないと!」
妖精長のオベロンが小さな声で叫んだ。
「で、でも…もう3日間寝てないんですよ…」
「文句を言うな!これが妖精の仕事だ!何百年も続いてきた伝統なんだぞ!」
ティンカは立ち上がった。体がふらふらする。もう限界だった。
妖精仕立屋。それは人間が寝ている間に服を作る、という古くからの仕事だった。
しかし、現実は童話のような美しいものではなかった。
妖精仕立屋の労働実態:
労働時間:夜9時〜朝6時(休憩なし)
週7日勤務(休日なし)
給料:人間が置いていくミルクとクッキーのみ
ノルマ:一晩で50着以上
残業代:なし
有給休暇:概念すら存在しない
「オベロン先輩、これって完全にブラック企業ですよね…」
若い妖精のピクシーがつぶやいた。
「何を言ってるんだ!伝統ある妖精の仕事を『ブラック』だなんて!」
「でも、最近の人間、ミルクとクッキーもケチってますよ。昨日なんて水とビスケット一枚でしたよ」
「それに」
別の妖精フェアリーが続けた。
「最近の注文、おかしくないですか?『明日のパーティー用にドレス100着』とか、『結婚式用のタキシード50着』とか。明らかに悪用されてますよ」
「そ、それは…」
オベロンも内心分かっていた。最近の人間たちは、妖精を「無料の製造機」として利用しているだけだと。
「それに!」
ティンカが立ち上がった。
「この前なんて、『妖精が作った服』ってブランドで、一着10万ゴールドで売られてたんですよ!私たちの報酬はミルク一杯なのに!」
妖精たちからどよめきが起こった。
「さらに言えば!」
ピクシーも続けた。
「『一晩で50着仕上げないと呪われる』って脅されたこともあります!完全にパワハラです!」
「も、もう我慢の限界です!」
ティンカは針を床に投げた。
「私、妖精仕立屋、辞めます!」
「なんだと!?」
オベロンは顔を真っ赤にした。
「妖精が仕立屋を辞めるなど、前代未聞だぞ!伝統に背く行為だ!」
「伝統より健康が大事です!このままじゃ過労死しますよ!体長15センチしかないのに、人間サイズの服を縫うんですよ!?どう考えても無理があります!」
「そうだそうだ!」
他の妖精たちも賛同し始めた。
その時、部屋の窓に光る魔法陣が現れた。
「魔法陣?こんな時間に?」
光の中から、三人の人物が現れた…が、妖精たちからすると巨大な存在だった。
「うわあ!人間だ!」
妖精たちは慌てて隠れようとした。
「お待ちください!」
田中は優しい声で言った。
「私たち、異世界退職代行サービスの者です。小さな声で『辞めたい』という願いが聞こえてきました」
「た、退職代行?」
ティンカは恐る恐る出てきた。
「はい。私は田中です。こちらはセレスさん」
セレスがしゃがんで目線を合わせた。
「あなたたち、過労で困っているんでしょう?」
「は、はい…でも、私たち小さいし、人間の社会には馴染めないし…」
「大丈夫必ず助けますよ」
翌日、田中たちは妖精たちと面談した。
「まず、現在の労働状況を教えてください」
田中がノートを開いた。
「えっと…」
ティンカは指を折って数えた。
「労働時間は一日9時間、週7日なので…週63時間です」
「それは完全にアウトですね。労働基準法では週40時間が上限です」
「えぇ!?法律があるんですか!?」
妖精たちは驚いた。
「もちろんです。それに、給料がミルクとクッキーだけというのも違法です」
セレスが説明した。
「最低賃金法というものがあって、きちんと金銭で支払わないといけないのよ」
「お金…もらえるんですか…」
ピクシーの目がキラキラした。
「それに」
カイルが資料を見せた。
「『妖精が作った服』として売られているドレス、一着10万ゴールドですね。月に1500着作っているから、売上は15億ゴールド」
「じゅ、15億!?」
「あなたたち20人で作っているから、一人当たり月7500万ゴールドの価値を生み出しています。それなのに報酬はミルクだけ。これは完全な搾取です」
妖精たちは怒りで震えた。
「そして何より」
田中は真剣な表情で言った。
「『伝統だから我慢しろ』というのは、労働問題の常套句です。伝統だろうと、違法は違法です」
「で、でも…」
オベロンが口を開いた。
「妖精仕立屋を辞めたら、私たちは何をすればいいんです?これしかできないんですよ」
「いいえ」
セレスが微笑んだ。
「あなたたちは『裁縫の天才』じゃない。考えてみて、体長15センチで人間サイズの服を作れるなんて、どれだけすごい技術か」
「そ、そう言われると…」
「それに」
セレスが続けた。
「あなたたちが本当に作りたいものは何ですか?」
ティンカは少し考えて答えた。
「本当は…妖精サイズの可愛い服を作りたいです。人間の服は大きすぎて、デザインも地味だし、楽しくないんです」
「私も!」「私も!」
他の妖精たちも声を上げた。
「妖精の服を作りたい!」
「もっとキラキラした服!」
「フリフリのドレス!」
田中は微笑んだ。
「では、『妖精専門アトリエ』を開業しましょう」
「え?」
「妖精の、妖精による、妖精のための服屋です。最近、妖精の間でもファッションに目覚める子が増えているそうですよ」
妖精たちの目が輝いた。
一週間後。
【妖精仕立屋利用者協会にて】
「妖精たちが仕事を辞める?ふざけるな!」
協会長のグレゴリーは激怒した。肥満体の商人で、妖精の服を高値で転売して大儲けしていた。
「無料で服を作ってくれる妖精がいなくなったら、我々の商売が成り立たない!」
「でも、それは不当な搾取です」
田中は冷静に資料を見せた。
「妖精たちは労働基準法違反の環境で働かされ、報酬もほとんど払われていません」
「ミルクとクッキーを払ってるだろ!それが伝統だ!」
「伝統だろうと、法律違反は法律違反です」
田中の声が厳しくなった。
「それに、あなた方は妖精の作った服を一着10万ゴールドで売っている。その利益は月15億ゴールド。妖精たちへの還元は?」
「そ、それは…」
「ゼロですよね」
セレスが言った。
「私、元王女として言わせてもらうけど、これは完全な奴隷制度よ」
「奴隷だと!?失礼な!」
「では、何と呼べばいいの?無給で、休みなく、夜通し働かせて、脅迫までしているのに」
グレゴリーは言葉に詰まった。
「それに」
セレスが別の資料を見せた。
「妖精労働保護法というものがあります。妖精に対する不当な労働を強要した場合、罰金刑または禁固刑です」
「な、何だって!?」
「あなた方の行為は、すべてこの法律に違反しています。告発すれば、確実に有罪です」
グレゴリーは汗を拭いた。
「ま、待ってくれ!話し合おう!」
「話し合いは終わりです」
田中は立ち上がった。
「妖精たちは明日から出勤しません。今後、彼らに接触することも禁止します」
「そんな…服の注文が…」
「自分たちで作ればいいでしょう」
セレスは冷たく言い放った。
「人に頼らず、自分で働く。当たり前のことよ」
一ヶ月後。
森の奥深く、巨大な樹の中に『ティンカの妖精専門アトリエ』がオープンした。
「いらっしゃいませ〜!」
ティンカは元気よく客の妖精を迎えた。店内には、妖精サイズの可愛らしい服が並んでいる。
キラキラのドレス、フリフリのスカート、花びらのケープ、葉っぱの帽子…。
「わあ!可愛い!これ、全部あなた達が作ったの?」
客の妖精が目を輝かせた。
「はい!全部手作りです!人間の服と違って、妖精サイズだから楽しく作れるんですよ!」
「これください!あ、これも!」
妖精の客は次々と服を買っていった。
値段は1着10シルバー。人間の服に比べれば安いが、材料費が安いため利益率は高い。
「ティンカ、今月の売上すごいよ!」
ピクシーが帳簿を見せた。
「月収100ゴールド超えた!」
「本当!?」
以前はミルクとクッキーだけだったのに、今は立派な収入がある。しかも労働時間は1日6時間、週5日だけ。
「それに、楽しいですよね!」
フェアリーが笑顔で言った。
「自分たちの好きなデザインを作れて、お客さんも喜んでくれて」
「うん!これが本当の仕事だよね!」
その時、店に田中たちが訪れた。
「ティンカさん、調子はどうですか?」
「田中さん!最高です!」
ティンカは嬉しそうに飛び跳ねた。
「毎日楽しくて、お客さんに喜んでもらえて、しかもちゃんとお給料ももらえて!」
「それは良かった」
セレスも微笑んだ。
「あのブラック企業、今どうなってるか知ってますか?」
「え?」
田中がニヤリと笑った。
「自分たちで服を作ろうとしたけど、全然できなくて、結局廃業しましたよ」
「ざまあみろです!」
妖精たちは笑った。
「それに」
田中が続ける。
「あなたたちのアトリエの評判を聞いて、他の妖精仕立屋グループも次々と独立を始めたそうです」
「本当ですか!?」
「ええ。『妖精にも働く権利がある』という運動が広がっているんです」
ティンカは涙を浮かべた。
「私たちが…きっかけに…」
「そうよ」
セレスが優しく言った。
「小さくても、声を上げれば世界は変わる。あなたたちが証明したのよ」
その夜、アトリエでは小さなパーティーが開かれた。
妖精たちは自分たちで作った可愛い服を着て、歌って踊った。
「みんな、乾杯!」
ティンカがミルクのグラスを掲げた。
「自由に!」
「自由に!」
妖精たちのグラスがカチンと鳴った。
もう夜通し働く必要はない。
もう脅される必要はない。
もう搾取される必要はない。
彼女たちは自由だった。
そして、体長15センチの小さな反逆者たちは、大きな世界を変え始めていた。
「善意」や「伝統」や「やりがい」という言葉で、正当な報酬や休息を奪われている人は、現実にも少なくありません。
体長15センチの妖精たちは、「小さな存在」「弱い立場」の象徴です。新人社員、派遣労働者、フリーランス…立場の弱い人ほど、声を上げづらい。
でも、ティンカたちが証明したように、どんなに小さな存在でも、「これはおかしい」と声を上げる権利があります。
コメディタッチで描きましたが、笑いながらも「あれ?これって現実にもあるよね…」と気づいてもらえたら嬉しいです。
体長15センチの小さな反逆者たちが、大きな世界を変え始めた。
あなたにも、きっとできます。
暁の裏




