伝説の鍛冶師は辞めたい
「また…壊れて戻ってきた…」
鍛冶工房の奥で、ドワーフの鍛冶師グランド・アイアンハートは、目の前に置かれた剣の残骸を見つめていた。
60年かけて完成させた最高傑作「炎竜の牙」。それが、わずか2週間で真っ二つに折れて戻ってきた。
「グランドの親方、この剣が壊れたんで、新しいの作ってくださいよ」
剣を持ち込んだ冒険者は、まるでファーストフード店で注文するかのような軽い口調で言った。
「…どうやって使ったんだ?」
グランドは震える声で尋ねた。
「ああ、ダンジョンで宝箱をこじ開けるのに使ったら折れちゃいまして」
「宝箱を…こじ開ける?」
グランドの顔が真っ赤になった。
「この剣は、伝説の炎竜の鱗を溶かして鍛えた、世界に一本しかない剣なんだぞ!それを宝箱のこじ開けに…!」
「いやいや、道具なんだから使わないと意味ないでしょ?それに、『伝説の鍛冶師』なんだから、すぐ新しいの作れますよね?」
冒険者の言葉に、グランドは言葉を失った。
「それと、次のやつはもうちょっとデザイン派手にしてください。地味だと自慢できないんで」
冒険者が帰った後、グランドは工房の椅子に座り込んだ。
「60年…60年かけて、完璧な一振りを作ったのに…」
壁には、過去に作った武器たちの「遺影」が飾られていた。
『氷結の槍』…壁に飾る装飾品にされた挙句、落下して破損。
『雷神の鎧』…一度も戦闘で使われず、倉庫で眠っていた。
『風切りの短剣』…バーベキューの串として使われて刃が曲がった。
『大地の盾』…子供の遊び道具にされて傷だらけ。
「俺が命を削って作った作品が…こんな扱いを…」
グランドは150歳のドワーフだった。鍛冶師になって130年。「伝説の鍛冶師」と呼ばれるようになって50年。
しかし、伝説になればなるほど、苦しみは増していった。
「グランドの作った武器なら絶対に壊れないだろ?」
「伝説の鍛冶師なんだから、すぐ修理できるよね?」
「有名な職人の作品だから、高く売れるぞ」
彼の作品は「道具」ではなく「ブランド品」として扱われ、本来の価値を理解されることは少なかった。
コンコン
「親方、また注文が来ました」
弟子のトーリンが工房に入ってきた。
「王国騎士団から100本、貴族連合から50本、冒険者ギルドから200本…」
「無理だ」
グランドは首を横に振った。
「一本一本、丁寧に作れば、年間5本が限界だ。それなのに350本だと?」
「でも、『伝説の鍛冶師』なんだから、早く作れて当然だって…」
「伝説だから何でもできると思うな!」
グランドは立ち上がった。
「俺だって、一本一本、魂を込めて作ってるんだ。それを理解せずに、ただ数だけ求めやがって…」
その時、工房の窓に光る魔法陣が現れた。
「魔法陣?」
光の中から、三人の人物が現れた。
「初めまして、グランド様。私、異世界退職代行サービスの田中と申します」
「私はセレス、退職代行スタッフです」
「退職代行?」
グランドは困惑した。
「はい。お疲れのご様子ですが、現在のお仕事でお悩みでしょうか?」
田中の優しい声に、グランドの心の防壁が崩れた。
「辞めたい…鍛冶師、辞めたいんだ…」
そして、すべてを話した。作品が雑に扱われる苦しみ、理不尽な大量注文、「伝説」という看板の重圧、そして何より、「自分が本当に作りたいもの」を作れない現実。
本当に作りたかったもの
「グランド様、一つお聞きしたいのですが」
田中は尋ねた。
「あなたが本当に作りたいものは何ですか?」
「え?」
「武器や防具以外で、作りたいものはありますか?」
グランドは一瞬考え込んだ後、工房の隅に歩いていった。そこには布で覆われた何かがあった。
布を外すと、そこには美しい鉄製の調理器具セットがあった。
フライパン、鍋、包丁、おたま、すべてが芸術品のような美しさで、機能性も考え抜かれたデザインだった。
「これは…」
セレスが驚きの声を上げた。
「美しい…こんなに繊細な細工は見たことがないわ」
「これが…俺が本当に作りたかったものだ」
グランドは優しい目で調理器具を見つめた。
「武器は人を傷つける。でも、調理器具は人を幸せにする。美味しい料理を作り、家族を笑顔にする。そんな道具を作りたかったんだ」
「素晴らしい考えですね」
田中は微笑んだ。
「でも、『伝説の鍛冶師』が調理器具なんか作ったら、笑われる。『何を勘違いしてるんだ』って言われるに決まってる」
グランドは悔しそうに拳を握った。
「だから、誰にも見せずに、一人で趣味として作ってきた」
セレスが口を開いた。
「グランドさん、私にも似たような経験があります」
「え?」
「私も『お姫様らしく』を演じ続けて疲れました。でも、今は自分らしく生きています」
「つまり…」
田中が説明した。
「『伝説の鍛冶師』というのは、周りが勝手に作ったイメージです。本当のあなたは、調理器具職人になりたかったんですね」
グランドは静かに頷いた。
「では、鍛冶師を辞めて、新しい道を歩みましょう」
一週間後。
「グランドが鍛冶師を辞める?冗談ではない!」
武器管理局長のバルドリックは激怒した。
「彼は王国の宝だぞ!彼の武器があるから、我が国は軍事強国なんだ!」
「でも、それはグランド様の意志ではありません」
田中は冷静に資料を差し出した。
「これをご覧ください。グランド様が過去30年間に作った武器300本の『その後』を調査した結果です」
バルドリックは資料を読んだ。そこには衝撃的な内容が書かれていた。
実戦で使用された:15%
装飾品として飾られた:30%
転売された:25%
倉庫で放置:20%
破損・紛失:10%
「なんと…」
「グランド様は一本一本、命を削るように作っています。それなのに、85%は本来の目的で使われていません」
田中は続けた。
「それに、こちらをご覧ください」
別の資料には、破損した武器の使用状況が記されていた。
「宝箱のこじ開け、バーベキューの串、壁の装飾、子供のおもちゃ…これが、『伝説の武器』の扱いですか?」
バルドリックは何も言えなかった。
「グランド様は130年間、誠実に働いてきました。しかし、その作品は正当に評価されず、雑に扱われてきた。これは職人への冒涜です」
「しかし、彼がいなくなったら、王国の武器生産が…」
「それは王国の問題です」
田中の声が厳しくなった。
「グランド様を『武器製造機』として扱い、彼の意見を無視してきたツケです」
「だが、契約が…」
「契約書を見せてください」
田中は契約書を詳しく調べた。
「この契約には『武器のみ製造する』とは書かれていません。つまり、グランド様は何を作るかを選ぶ権利があります」
「それは詭弁だ!」
「法律は法律です。それに、『伝説の鍛冶師』という肩書きも、グランド様が望んだものではありません。勝手に付けられた看板です」
田中は最後通告をした。
「グランド様の退職を認めてください。さもなければ、『王国が職人を搾取している』事実を公表します」
バルドリックは長い沈黙の後、深くため息をついた。
「…分かった。グランドの退職を認めよう」
三ヶ月後。
王都の下町に、小さな店がオープンした。
『グランドの幸せ調理器具店』
店内には、美しい鉄製の調理器具が並んでいた。フライパン、鍋、包丁、おたま…どれも実用性と美しさを兼ね備えている。
「いらっしゃいませ」
グランドは笑顔で客を迎えた。以前の疲れた表情は消え、生き生きとしていた。
「あの、このフライパン、本当にあの『伝説の鍛冶師』グランド様が作ったんですか?」
若い主婦が驚いて尋ねた。
「ああ。でも、『伝説』はもう辞めたんだ。今は普通の調理器具職人さ」
「でも、こんなに安くていいんですか?伝説の…」
「いいんだよ」
グランドは優しく微笑んだ。
「武器は一本何百万ゴールドもしたが、それは殺すための道具だったからだ。でも、これは幸せを作る道具だ。だから、みんなに使ってほしい」
主婦はフライパンを購入し、嬉しそうに帰っていった。
一週間後、その主婦が再び店を訪れた。
「グランドさん!あのフライパン、本当に素晴らしいです!料理がこんなに楽しくなるなんて!」
「そうか、それは良かった」
「主人も子供たちも、『最近のママの料理、すごく美味しい』って喜んでくれて…」
主婦の目には涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます。このフライパンのおかげで、家族がもっと笑顔になりました」
その言葉を聞いて、グランドの目にも涙が浮かんだ。
130年間で、初めて自分の作品に「ありがとう」と言われた。
武器を作っていた時は、「強い」「すごい」とは言われたが、心からの感謝を言われたことは一度もなかった。
「こちらこそ、ありがとう」
グランドは深くお辞儀をした。
客が帰った後、田中たちが店を訪れた。
「グランドさん、調子はどうですか?」
「最高だよ、田中さん」
グランドは輝く笑顔で答えた。
「毎日が楽しくて仕方がない。客が喜んでくれて、『ありがとう』って言ってくれる。武器を作ってた130年より、この3ヶ月の方がずっと幸せだ」
店には、主婦たちの口コミで客が増えていた。
「グランドの調理器具を使うと、料理が美味しくなる」
「丈夫で使いやすい」
「値段も良心的」
そして何より、
「作った人の優しさが伝わってくる」
その評判は広がり、今では予約が殺到していた。
「ねえ、田中さん」
グランドは窓の外を見た。
「『伝説』って、必ずしも良いものじゃないんだな」
「そうですね」
田中も窓の外を見た。
「大切なのは、肩書きじゃなくて、自分が何をしたいか、誰を幸せにしたいか、ですから」
グランドは頷いた。
工房の壁には、もう武器の「遺影」はない。
代わりに、客からの感謝の手紙が飾られていた。
『グランドさんのフライパンで作った料理を食べて、主人がプロポーズしてくれました』
『息子が初めて料理を手伝ってくれるようになりました』
『おばあちゃんの形見のレシピを、このお鍋で再現できました』
これこそが、グランドが本当に求めていた「伝説」だった。
人を傷つける伝説ではなく、人を幸せにする伝説。
「さあ、今日も作るか」
グランドは作業台に向かった。
ハンマーを握る手に、もう迷いはなかった。
この話では、職人の作品が正当に評価されない苦しみ、「伝説」という看板の重圧、そして本当に作りたいものを作る喜びを描きました。武器という「破壊の道具」から調理器具という「創造の道具」への転換は、人生の価値観の転換でもあります。
暁の裏




