ギルド受付嬢は辞めたい
「おつかれさまでした!今日もたくさんの冒険者様にお会いできて嬉しかったです♪」
王都冒険者ギルドの受付カウンター前で、エミリア・ローズウッドは今日も完璧な営業スマイルを浮かべていた。しかし、最後の冒険者が去ると同時に、その笑顔はすっと消えた。
「はあ…」
深いため息と共に、カウンターに突っ伏す。金色の髪が机に散らばった。
「エミリア、また溜息?お疲れ様」
隣の受付カウンターから、先輩のマリアが心配そうに声をかけた。
「すみません、マリア先輩…」
エミリアは顔を上げたが、その表情には疲労の色が濃く出ていた。
「今日もセクハラ冒険者の相手、大変だったわね。特にあの『炎の勇者』って名乗ってる男」
「ああ、あの人…」
エミリアの表情が曇る。今日だけで何度「君みたいな美人と一緒にクエストに行けたらなぁ」と言われただろう。断ると「つれないなぁ」と不機嫌になる。
「でも、お客様だから…」
「お客様だからって、何でも我慢する必要はないのよ?」
マリアは眉をひそめた。
「エミリア、あなた最近おかしいわよ。前はもっと毅然としてたのに」
確かに、エミリアも変わってしまった。ギルド受付嬢になって3年。最初は冒険者たちとの交流が楽しかった。しかし…
「マリア先輩、私たちって『商品』なんですかね?」
「え?」
「この前、ギルド長が言ってたんです。『受付嬢は看板娘だ。愛想良く、美しく、冒険者たちの癒しになれ』って」
エミリアの声には諦めが混じっていた。
「笑顔で接客するのは当然だけど、最近はそれ以上のことを求められてる気がして…」
実際、ギルドの方針は年々エスカレートしていた。制服のスカート丈は短くなり、胸元も開いている。「愛想良く」の基準も厳しくなり、少しでも表情が硬いと注意される。
「冒険者の要求も激しくなってるし…」
今日だけでも、
「一緒に飲みに行こう」(断ったら「サービス悪い」とクレーム)
「連絡先教えて」(断ったら「他のギルドに行く」と脅し)
「膝の上に座って説明して」(上司は「お客様の要望だから」と言うだけ)
などの要求があった。
「でも、辞めるわけにもいかないし…」
エミリアの家は貧しく、両親の薬代と弟の学費のために働いている。ギルド受付嬢の給料は他の仕事より良いため、簡単に辞められない。
「エミリア!明日は『冒険者感謝祭』の準備だ!衣装合わせがあるから早く来なさい!」
奥からギルド長のバルトスの声が響いた。
「『冒険者感謝祭』…」
エミリアの顔がさらに青ざめた。年に一度の大イベントで、受付嬢たちがダンサー衣装を着て冒険者たちを接待する。昨年は酔った冒険者にセクハラされ、逃げ出したくなった。
「今年はもっと『サービス精神』を見せろって言われてるの…」
その時、ギルドの窓に光る魔法陣が現れた。
「あら?」
光の中から現れたのは、スーツを着た男性だった。
「初めまして、エミリアさん。私、異世界退職代行サービスの田中と申します」
「た、退職代行?」
エミリアは慌てて辺りを見回した。幸い、他に人はいない。
「はい。お疲れのご様子ですが、現在のお仕事でお悩みでしょうか?」
田中健太は優しい笑顔で名刺を差し出した。エミリアは恐る恐るそれを受け取る。
「で、でも…ギルドの受付嬢を辞めるなんて…」
「どんな理由でお悩みですか?」
健太の声には批判や軽蔑はなく、ただ純粋に心配している響きがあった。その優しさに、エミリアの心の防壁が崩れた。
「私…もう疲れちゃって…」
涙と共に、すべてを話し始めた。セクハラの日常化、エスカレートする要求、「商品」として扱われる屈辱、それでも家族のために我慢しなければならない現実。
健太は最後まで黙って聞いていた。
「エミリアさん、あなたは何も悪くありません」
「でも、私が弱いから…」
「違います。あなたは十分すぎるほど頑張っている。問題はシステムの方です」
健太は資料を取り出した。
「実は、ギルド業界にも『労働環境改善法』というものがあるんです。セクハラ被害や過度な接客要求は、明確な法律違反なんですよ」
「そんな法律が…?」
「はい。でも多くのギルドが隠しているか、無視しているんです。エミリアさんには、適切な労働環境で働く権利があります」
健太は続けた。
「そして、エミリアさんの『おもてなしの技術』は、もっと健全な環境で活かせます」
「おもてなしの技術?」
「はい。3年間、様々な冒険者と接してきた経験、クエストの管理能力、コミュニケーション技術…これらは非常に価値の高いスキルです」
健太は新しい資料を見せた。
「例えば、『冒険者専門コンサルタント』という仕事はいかがでしょう?」
「コンサルタント?」
「冒険者たちの能力を分析し、最適なパーティ編成やクエスト選択をアドバイスする仕事です。最近、冒険者の死亡率を下げるために需要が高まっているんです」
エミリアの目が輝いた。
「それなら…冒険者の皆さんの役に立てるかも」
「その通りです。そして何より、対等なビジネスパートナーとして接することができます。セクハラなど論外です」
「でも…家族のことが…」
「ご安心ください。コンサルタントの収入は、ギルド受付嬢より高額です。それに、独立開業も可能ですから、将来的にはもっと稼げるでしょう」
エミリアは希望に胸を膨らませたが、すぐに不安な表情になった。
「でも、ギルド長が辞めさせてくれるでしょうか…?」
「それも大丈夫です。実は、『労働環境改善法』違反のギルドは、営業停止処分を受けるリスクがあります」
健太は説明した。
「適切な手続きを踏めば、ギルド側も円満に送り出すしかありません。むしろ、問題が表面化する前に穏便に済ませたいはずです」
一週間後。
「失礼いたします。異世界退職代行サービスの田中と申します」
健太はギルド長室のドアをノックし、堂々と入室した。
「な、何の用だ?」
バルトス・ギルド長は机の向こうで身構えた。50代の太った男性で、普段は威張り散らしているが、今は明らかに動揺している。
「エミリア・ローズウッドの退職に関してご相談に参りました」
健太は名刺と共に、厚い資料ファイルを机に置いた。
「エミリアが辞める?そんな話は聞いていないぞ!」
「はい、本日付けで退職させていただきます」
健太の声は丁寧だが、断固としていた。
「ふざけるな!急に辞めるなど認められん!契約違反だ!」
バルトスは机を叩いた。
「でしたら、こちらをご覧ください」
健太は資料を開いた。そこには、ギルドで日常的に行われているセクハラ行為の詳細な記録があった。
「これは…」
「エミリアさんが記録していた『業務日誌』です。労働環境改善法第15条に違反する行為が、3年間で127件記録されています」
バルトスの顔が青ざめた。
「特に問題なのは、ギルド長であるあなた自身が『愛想良く接客しろ。それも仕事のうちだ』と、セクハラ行為を容認、むしろ推奨していることです」
「そ、それは…お客様サービスの一環で…」
「第23条では『労働者の人格を否定する接客要求』を明確に禁止しています。また、来月の『冒険者感謝祭』でエミリアさんに強制しようとしている内容は、第31条の『性的な接客業務の強要』に該当します」
健太は冷静に法的根拠を示していく。
「ちょ、ちょっと待て…」
「これらの違反が発覚した場合、ギルドの営業許可取り消し、さらには刑事告発の可能性もあります」
バルトスは汗を拭いながら、資料をめくった。そこには他の受付嬢たちの証言も記録されていた。
「しかし、エミリアさんは円満に退職を希望されています。労働局への通報も、現時点では考えておりません」
健太は優しい表情に戻った。
「つまり…」
「はい。エミリアさんの退職を承認していただき、今後の労働環境改善をお約束いただければ、この件は穏便に済ませることができます」
バルトスは慌てて頷いた。
「わ、分かった!エミリアの退職は認める!それに、今後は労働環境の改善も…」
「ありがとうございます。それでは、退職に関する書類にサインをお願いします」
健太は退職届と労働環境改善の約束書を差し出した。
「『円満な転職支援』として処理していただければと思います。彼女の3年間の貢献に感謝の意を示していただけると、なお良いですね」
バルトスは素直に頷いた。田中の前では、普段の威圧的な態度など微塵も見せられなかった。
「エミリアさん、お疲れ様でした。無事に退職が承認されました」
翌日、ギルドの外で健太はエミリアに報告した。
「本当ですか?ギルド長、何も言わなかったんですか?」
「はい。『円満な転職支援』として、快く送り出してくださいました。それに、今後の労働環境改善もお約束いただきました」
エミリアの目に涙が浮かんだ。
「田中さん、本当にありがとうございます…一人じゃ絶対に言えませんでした」
「それが私たちの仕事ですから。エミリアさんは何も悪くありません。堂々と新しいスタートを切ってください」
「それに、後任の方針も変わるそうです。受付嬢の制服も変更されて、セクハラ対策も強化されるとか」
「本当?それは良かった!」
マリアも安心した表情を浮かべた。
「レッドクロウ・パーティの皆さん、この編成でしたら『森の魔獣討伐』クエストが最適ですね」
エミリアは自分のオフィスで、冒険者パーティにアドバイスしていた。彼女の前にいる冒険者たちの表情は真剣で、尊敬の念すら感じられる。
「さすがエミリアさん!このアドバイス通りにしたら、前回より効率が3倍上がりました!」
戦士のリーダーが感謝を込めて言った。
「ありがとうございます。でも、安全第一でお願いしますね」
エミリアは微笑んだ。それは営業スマイルではなく、心からの笑顔だった。
コンサルタントとして独立して半年。クチコミで評判が広がり、今では予約が一ヶ月待ちの人気ぶりだ。収入も以前の倍以上になり、家族の生活も安定した。
何より嬉しいのは、冒険者たちから「先生」と呼ばれ、対等なパートナーとして尊重されることだった。
「エミリアさんのおかげで、僕たちも安心してクエストに挑戦できます」
若い魔法使いの青年が言った。
「そう言っていただけると、この仕事をしていて良かったと思います」
窓の外を見ると、かつて働いていたギルドが見えた。あそこで働く受付嬢たちの労働環境も改善されたと聞く。
「田中さんに感謝しないと」
エミリアは心から思った。あの時、退職代行を頼まなければ、今でも「笑顔の仮面」を被り続けていただろう。
今の彼女は、本当の意味で冒険者たちの役に立っている。セクハラに怯えることなく、自分の専門知識で人を助けている。
「次の予約の方はどちらかしら?」
スケジュール帳を確認しながら、エミリアは充実感に満ちた一日の終わりを迎えた。
彼女の新しい人生は、まさに冒険の始まりだった。彼女自身が冒険の主人公だ。
【完】




