退職代行は辞めたい
「セレスさん、もう限界です…」
異世界退職代行サービスのオフィスで、田中健太は机に突っ伏していた。33歳になった彼の目の下には深いクマができており、髪の毛も以前より薄くなっている気がする。
「どうしたの、田中さん?」
隣のデスクから、セレスが心配そうに声をかけた。彼女は元お姫様で、今や田中の右腕として活躍している。
「セレスさん…見てくださいよ、この依頼の数」
田中はパソコンの画面を見せた。そこには未処理の依頼が567件も表示されている。
「お姫様、ギルド受付嬢、賢者、盗賊、鍛冶師、魔王、勇者、妖精、詐欺師、秘書、預言者、聖女、ドラゴンテイマー…もう数え切れないくらい助けてきまし
た」
田中は頭を抱えた。
「でも、依頼は減るどころか増える一方で…」
「それは田中さんの仕事が評判だからよ」
セレスは微笑んだ。
「『異世界退職代行サービス』は、もはや伝説になってるわ。『辞めたいけど辞められない人の救世主』って」
「救世主…」
田中は苦笑した。
「でも、僕自身が辞めたくなってるんです」
「え?」
セレスは驚いた。
「だって、毎日朝から晩まで、人の愚痴を聞いて、ブラック企業や圧政者と交渉して、法律を調べて、転職先を探して…休む暇もないんですよ」
田中は立ち上がった。
「昨日なんて、『ダンジョンの魔物』から『辞めたい』って依頼が来たんですよ!『毎日冒険者に倒されるのが辛い』って!」
「あら、それは確かに…」
「魔物の労働問題まで扱うんですか!?範囲が広すぎます!」
その時、オフィスのドアが開いた。
「田中さん、新しい依頼です」
スタッフが書類を持ってきた。
「『神様が辞めたい』って…」
「神様!?」
田中は叫んだ。
「もう無理です!僕、退職代行、辞めます!」
セレスたちは顔を見合わせた。
「でも、田中さんが辞めたら、困ってる人たちは…」
「分かってます!分かってますよ!」
田中は窓の外を見た。
「でも、僕だって人間なんです。毎日他人の人生に関わって、重い責任を背負って…もう疲れました」
「田中さん…」
セレスは心配そうに見つめた。
「それに」
田中は小さな声で続けた。
「僕、元の世界に帰りたいんです」
「え?」
「僕だって、異世界に召喚された勇者と同じなんですよ。気づいたらこの世界にいて、『退職代行』なんて仕事を始めて…でも、本当は元の世界で普通のサラ
リーマンとして働いていたかった」
田中の目に涙が浮かんだ。
「僕にも家族がいたんです。友達もいたんです。でも、もう5年も会ってない…」
その時、オフィスの窓に光る魔法陣が現れた。
「また依頼者…?」
光の中から現れたのは、見慣れたスーツを着た男性だった。
「初めまして、田中健太様。私、『異世界退職代行サービスの退職代行サービス』の佐藤と申します」
「え!?」
田中は目を丸くした。
「退職代行の…退職代行!?」
「はい」
佐藤は丁寧にお辞儀をして、名刺を差し出した。
「田中様、お疲れのご様子ですが、現在のお仕事でお悩みでしょうか?」
田中は名刺を受け取った。そこには確かに『異世界退職代行サービスの退職代行サービス』と書かれている。
「こんなサービスが…存在するんですか?」
「もちろんです。退職代行を行う方々も、時には辞めたくなります。その時のために、私たちがいるんです」
佐藤は資料を取り出した。
「田中様のケースですが、過労、精神的負担、そして何より『元の世界への帰還願望』がありますね」
「は、はい…」
「それは正当な理由です。どんな仕事にも、辞める権利があります。たとえそれが『退職代行』という仕事でもです」
田中は涙が出そうになった。
「でも、僕が辞めたら、困ってる人たちが…」
「大丈夫です」
セレスが言った。
「田中さん、あなたは5年間で何百人もの人を助けてきた。そして、私たちにも退職代行の技術を教えてくれた」
セレスは続ける。
「私がいます。田中さんの意志は、私が継ぎます」
「でも…」
「田中さん」
セレスは田中の手を握った。
「あなたがいつも依頼者に言ってることを思い出して。『自分の人生を、自分で選ぶ権利がある』って」
田中はハッとした。
「それは…」
「田中さんにも、元の世界に帰る権利があるわ。そして、私たちには田中さんを送り出す義務がある」
セレスは微笑んだ。
「さあ、佐藤さん。田中さんを元の世界に帰してあげて」
佐藤は頷いた。
「承知しました。では、田中様。『異世界退職代行サービス』の退職手続きを始めましょう」
一週間後。
オフィスでは、田中の送別会が開かれていた。
これまで田中が助けてきた人々が、次々と訪れた。
「田中さん、本当にありがとうございました!」
セレスティア王女改めセレス、エミリア、アルトゥール、レイラ、グランド、ヴァレリウス、リオン、ティンカたち、ヴィンセント、リディア、カサンドラ、
ルーラ…
「みんな…」
田中は涙を流した。
「僕こそ、みんなに感謝してます。みんなの勇気が、僕を支えてくれました」
「田中さん」
セレスが前に出た。
「あなたは私たちに『自由』をくれました。だから今度は、あなたが自由になる番よ」
「セレスさん…」
「それに、『異世界退職代行サービス』は終わらないわ。私たちが続けるから」
セレスは胸を張った。
「『元お姫様の退職代行スタッフ』として、これからも困ってる人を助けるわ」
「…ありがとう」
田中は深くお辞儀をした。
「では、行ってきます」
佐藤が魔法陣を起動させた。
「田中健太様、元の世界への帰還を開始します」
光が田中を包み込んだ。
「さようなら、みんな!」
「さようなら、田中さん!」
光の中に消えていく田中を、みんなは笑顔で見送った。
【元の世界】
「うっ…」
田中は自分のアパートのベッドで目を覚ました。見慣れた天井、見慣れた部屋。
「夢…だったのか?」
しかし、枕元には『異世界退職代行サービス』の名刺と、みんなからの寄せ書きがあった。
『田中さん、お疲れ様でした。あなたの教えを忘れません - セレス』
『調理器具、送りますね! - グランド』
田中は涙を流しながら笑った。
「本当に…帰ってきたんだ」
携帯電話を見ると、異世界にいた5年間は、こちらの世界では一瞬も経っていなかった。
「これから、普通の生活を…」
しかし、その時。
ピンポーン
インターホンが鳴った。
「はい?」
「田中健太様ですか?私、『退職代行サービス』の山田と申します」
「え!?」
「実は、あなたの会社がブラック企業だと判明しまして…退職のお手伝いに参りました」
田中は笑った。
「退職代行って、どこにでもあるんですね」
「もちろんです。困ってる人がいる限り、私たちは存在します」
山田の言葉に、田中は頷いた。
「分かりました。お願いします」
こうして、田中健太は元の世界でも、退職代行の助けを借りて新しい人生を始めた。
【異世界・異世界退職代行サービス オフィス】
「さあ、次の依頼者は?」
セレスが元気よく言った。
「『ドラゴンが辞めたい』ですね」
「よし、行きましょう!」
セレスは立ち上がった。
「『辞めたい』という声がある限り、私たちは戦い続けるわ!」
オフィスの壁には、田中との思い出の写真が飾られていた。
そして、新しい看板が掲げられた。
『異世界退職代行サービス
創業者:田中健太
現代表:セレス・ルーン
どんな職業でも、辞める権利があります』
窓の外には青空が広がっていた。
田中が始めた「自由への戦い」は、これからも続いていく。
そして、田中自身も、元の世界で自分らしい人生を歩み始めた。
「退職代行」を卒業した男の、新しい物語が今、始まろうとしていた。
【エピローグ】
三ヶ月後。
田中は元の世界で、小さなカフェを開いていた。
『Café Freedom』
看板には、自由を意味する名前が書かれている。
「いらっしゃいませ」
田中は笑顔で客を迎えた。
店内には、異世界での思い出の品々が飾られている。セレスからもらった名刺、グランドが作った調理器具、ティンカたちが縫ってくれたエプロン…
「このカフェ、雰囲気いいですね」
客が言った。
「ありがとうございます。『自由』をテーマにしてるんです」
「自由?」
「はい。誰もが自分らしく生きられる場所を作りたくて」
田中は窓の外を見た。
「以前、『退職代行』という仕事をしていたんです。そこで学んだことを、このカフェに込めています」
客は興味深そうに聞いていた。
「へえ、退職代行…大変な仕事だったんでしょうね」
「ええ。でも、やりがいのある仕事でした」
田中は微笑んだ。
「みんなの『辞めたい』を『辞められた』に変える。それが僕の使命でした」
「素敵ですね」
その時、店のドアが開いた。
「あの、すみません…」
入ってきたのは、疲れ切った表情のサラリーマンだった。
「実は、会社を辞めたいんですけど、言い出せなくて…誰かに相談したくて…」
田中は優しく微笑んだ。
「どうぞ、座ってください。コーヒーでも飲みながら、ゆっくりお話を聞きますよ」
「あ、ありがとうございます…」
サラリーマンは涙を流した。
田中はコーヒーを淹れながら思った。
(ああ、これが僕の新しい『退職代行』なんだな)
形は変わっても、田中健太の「困っている人を助けたい」という想いは変わらない。
異世界でも、現実世界でも。
『Café Freedom』は、今日も誰かの「自由への第一歩」を支える場所として、静かに扉を開けている。
田中健太の物語は、ここで一区切りとなります。
彼が助けてきた人々 - セレス、エミリア、アルトゥール、レイラ、グランド、ヴァレリウス、リオン、ティンカ、ヴィンセント、リディア、カサンドラ、ルーラ、そして数え切れないほどの人々。
彼らは今、それぞれの「自由な人生」を歩んでいます。
そして、田中自身も、ついに自分の「自由」を手に入れました。
「辞める権利」は、誰にでもあります。
それが、この物語が伝えたかったメッセージです。
異世界退職代行サービスは、セレスたちに引き継がれ、これからも多くの人々を救い続けるでしょう。
そして、田中健太は、元の世界で新しい形で人々を支え続けます。
物語は終わりましたが、「自由への戦い」は永遠に続きます。
あなたも、もし「辞めたい」と思ったら、勇気を出してください。
きっと、あなたを助けてくれる誰かがいます。
それでは、また別の物語でお会いしましょう。
ありがとうございました。
暁の裏




