魔王秘書は辞めたい
「魔王様、本日のご予定です。午前10時、四天王会議。午後2時、人間界侵略作戦会議。午後5時、闇の商人との商談。午後7時…」
「ストップ!」
新魔王ザルガンは頭を抱えた。
「リディア、昨日も同じスケジュールだったぞ!」
「はい、毎日同じです」
魔王秘書リディア・ナイトシェードは、無表情で答えた。黒髪を厳格なお団子にまとめた28歳の彼女は、魔王城で15年間秘書として働いている。
「それはおかしいだろ!魔王にも休みが…」
「魔王に休みなどありません。先代ヴァレリウス様も毎日働いておられました」
「あの人、最終的に辞めたじゃないか!」
ザルガンは叫んだ。
「それは…先代様が軟弱だったからです」
リディアは冷たく言い放った。
「魔王たるもの、休むなど言語道断。食事は執務室で済ませ、睡眠は4時間。これが伝統です」
「伝統って…俺、魔王になって1ヶ月でもう10キロ痩せたんだけど!?」
確かに、ザルガンはやつれていた。元々は屈強な戦士だったが、今では目の下にクマができ、頬はこけている。
「それは魔王様の自己管理の問題です」
「自己管理の問題じゃない!スケジュールが過酷すぎるんだ!」
ザルガンは立ち上がった。
「第一、『人間界侵略作戦会議』って何だ?もう人間と戦争する時代じゃないだろ!」
「伝統です」
「伝統、伝統って!リディア、お前は魔王城のすべての伝統を守りすぎなんだよ!」
リディアは眉一つ動かさなかった。
「私は完璧な秘書です。魔王様のスケジュール管理、書類整理、来客対応、すべて完璧にこなします」
「完璧すぎて、魔王が壊れるんだよ!」
ザルガンは頭を抱えた。
その時、扉がバタンと開いた。
「魔王様!大変です!」
四天王の一人、魔剣士グリムが飛び込んできた。
「どうした?」
「城の食堂が閉鎖されました!」
「なんだと!?」
「リディア様が『経費削減』のため、食堂を廃止すると…」
ザルガンはリディアを見た。
「リディア、これはどういうことだ?」
「魔王城の経費が膨らんでいます。食堂の維持費は年間3000ゴールド。これを削減すれば…」
「待て待て!食堂を閉鎖したら、城で働く300人の魔族はどうやって食事するんだ?」
「各自で用意すればよいかと」
「無茶苦茶だ!」
グリムが叫んだ。
「それに、リディア様は昨日、訓練場の照明も消しました!『昼間は太陽光で十分』って!」
「訓練場は地下だから太陽光入らないんだけど!?」
ザルガンは頭を抱えた。
「さらに!」
別の四天王、魔導師エクリプスが入ってきた。
「リディア様が『会議は立ったまま行うべき』と言って、会議室の椅子を全部撤去しました!」
「効率化です」
リディアは涼しい顔で言った。
「立ったままなら、会議が長引きません」
「でも昨日の会議、3時間だったぞ!?足が棒になったわ!」
「それは議題が多かったからです」
ザルガンは深くため息をついた。
「リディア、お前は優秀すぎる。でも、優秀すぎて周りが見えていないんだ」
「魔王様、それは誤解です。私は常に周囲を…」
「じゃあ、城の廊下で倒れてた魔族見なかったか?過労で」
「…それは自己管理の…」
「自己管理じゃない!お前が深夜2時に『緊急書類』って叩き起こしたからだろ!」
リディアは少し黙った。
「あれは…重要な書類でした」
「『魔王城の廊下の雑巾の在庫確認』が緊急案件か!?」
ザルガンは叫んだ。
「在庫管理は重要です」
「深夜2時にやることじゃない!」
その時、城の窓に光る魔法陣が現れた。
「また?今度は何だ?」
光の中から、見覚えのあるスーツ姿の男性が現れた。
「お久しぶりです、ザルガン魔王様。異世界退職代行サービスの佐藤です」
「佐藤さん!?」
ザルガンは驚いた。前魔王ヴァレリウスの退職を手伝った人物だ。
「今日は、リディア様のご相談に参りました」
「え?俺じゃなくて?」
「はい。実は、リディア様から『退職したい』とのご依頼を受けまして」
「え!?」
ザルガンとリディアが同時に声を上げた。
「佐藤さん、何かの間違いでは?私、退職したいなんて一言も…」
「いいえ」
佐藤は端末を見せた。
『魔王秘書、辞めたい。でも辞められない。完璧でいなければならない。誰も私の苦しみを分かってくれない。助けて』
「これは…」
リディアの顔が青ざめた。
「昨夜、あなたが酔って書いた日記です」
「日記!?見ないでください!」
リディアは初めて感情を露わにした。
「リディア様、正直に話しましょう」
佐藤は優しく言った。
「あなたも、もう限界なのでは?」
リディアは震える手で眼鏡を外した。そして、突然泣き崩れた。
「もう…無理なんです…」
「リディア!?」
ザルガンは驚いた。常に完璧だった秘書が、初めて弱音を吐いた。
「15年間…ずっと完璧な秘書でいなきゃいけなくて…一度も休まず、一度もミスせず、常に魔王様のために…でも、もう疲れたんです…」
涙が止まらない。
「先代ヴァレリウス様が辞められたとき、私は思ったんです。『私も辞めたい』って。でも、私が辞めたら魔王城が回らない。だから我慢して…でも新しい魔王様が来て、仕事は倍になって…」
「倍って…」
ザルガンは気づいた。
「そうか、お前、先代の時のスケジュールをそのまま俺にも適用してたのか…」
「だって…完璧な秘書は、スケジュールを隙間なく埋めるものだと教わって…」
「誰がそんなこと教えたんだ!?」
佐藤が資料を取り出した。
「魔王城秘書マニュアル、発行300年前。『完璧な秘書は休まず、笑わず、ミスせず』」
「300年前!?」
ザルガンは驚いた。
「これ、完全にブラック企業のマニュアルじゃないか!」
「でも、伝統だから…」
「伝統が間違ってるんだよ!」
ザルガンはリディアの肩を掴んだ。
「なあ、リディア。お前、最後に笑ったのいつだ?」
「え…?」
「最後に休日を取ったのは?」
「…15年前です」
「15年!?」
ザルガンは絶句した。
「趣味は?」
「…ありません」
「友達は?」
「…いません」
「恋人は?」
「そんな時間…」
ザルガンは深くため息をついた。
「お前、人生楽しんでないだろ…」
リディアは黙っていた。
「佐藤さん」
ザルガンは真剣な表情で言った。
「リディアを助けてやってください。こんな働き方、おかしいです」
「承知しました」
佐藤は微笑んだ。
「では、リディア様。退職後のご希望はありますか?」
「希望…ですか?」
リディアは考え込んだ。
「私…実は…」
小さな声で言った。
「花屋さんになりたいんです」
「え?」
ザルガンは驚いた。
「花が…好きなんです。でも、魔王城には花を植える場所もないし、秘書は感情を表に出してはいけないから…ずっと我慢してました」
リディアは恥ずかしそうに言った。
「可愛い花に囲まれて、お客さんに笑顔で『ありがとうございます』って言える仕事…憧れてました」
ザルガンは、初めてリディアの「人間らしい」一面を見た。
「素晴らしいじゃないですか!」
佐藤は目を輝かせた。
「花屋は、まさにリディア様にぴったりです!」
「でも…私、花の知識なんて…」
「大丈夫です!」
佐藤は資料を見せた。
「リディア様の『完璧主義』『細やかな気配り』『スケジュール管理能力』は、花屋でも大いに役立ちます!」
「本当ですか?」
「ええ!花の水やりスケジュール、在庫管理、お客様対応…すべてリディア様の得意分野です!」
リディアの目が輝いた。
「それに」
佐藤は続けた。
「『元魔王城秘書の花屋』って、話題性抜群ですよ!」
一週間後。
「リディアが辞める!?」
魔王城の魔族たちは、最初は困惑した。
「でも、彼女がいないと城が…」
「いや、待てよ」
グリムが言った。
「彼女がいなくなったら、深夜に叩き起こされなくなるんじゃ…」
「訓練場の照明も戻るかも…」
「食堂も再開できる!」
次第に、魔族たちは喜び始めた。
「リディア様、お幸せに!」
「花屋、頑張ってください!」
意外にも、送別会は大盛況だった。
そして現在。
「いらっしゃいませ!」
王都の下町に、小さな花屋『リディアの小さな花園』がオープンした。
店内には色とりどりの花が並び、甘い香りが漂っている。
「あの…このバラの花束、お願いできますか?」
若い男性客が恥ずかしそうに言った。
「かしこまりました!プロポーズですか?」
リディアは笑顔で答えた。その表情は、魔王城時代とは別人のように明るい。
「は、はい…」
「でしたら、赤いバラに白いカスミソウを添えましょう。花言葉は『あなたを愛しています』と『清らかな心』。完璧な組み合わせです!」
リディアは手際よく、美しい花束を作り上げた。
「す、すごい…プロみたいですね」
「ふふ、15年間、完璧を追求してきましたから」
客が帰った後、佐藤が店を訪れた。
「リディアさん、調子はどうですか?」
「最高です!」
リディアは満面の笑みで答えた。
「毎日、花に囲まれて、お客様の笑顔を見て…こんなに幸せでいいのかなって思います」
「それは良かった」
佐藤も微笑んだ。
「ところで、魔王城は大丈夫なんでしょうか?」
「ああ、それが…」
佐藤は笑った。
「新しい秘書、5人体制になったそうですよ」
「5人!?」
「リディア様が一人でやっていた仕事量が、いかに異常だったかということです」
リディアは苦笑した。
「そうですよね…完璧すぎたんですよね、私」
店の奥には、魔王城時代の写真が一枚飾られていた。無表情のリディアと、前魔王ヴァレリウス、そして魔族たち。
「でも、あの経験も無駄じゃなかったです」
リディアは花に水をやりながら言った。
「完璧主義のおかげで、花の管理も完璧にできますから」
その時、店のドアが開いた。
「あら、いらっしゃいませ…って、魔王様!?」
なんと、ザルガンが店を訪れていた。
「よお、リディア。元気そうだな」
「魔王様、どうされたんですか?」
「いや、城の謁見室に花を飾ろうと思ってな。お前に選んでほしい」
ザルガンは照れくさそうに言った。
「新しい秘書たちが『魔王城、殺風景すぎる』って言うんだよ」
リディアは笑った。
「では、ヒマワリはいかがですか?花言葉は『あなたを見つめる』。魔王様にぴったりです」
「俺を見つめるって…なんか恥ずかしいな」
二人は笑った。
ザルガンが帰った後、リディアは窓の外を見た。
夕日に染まる街並み、行き交う人々、穏やかな時間。
「魔王城秘書も悪くなかったけど…」
彼女は小さくつぶやいた。
「やっぱり、自分らしく生きるのが一番ね」
店には、今日もお客さんが訪れる。
そして、リディアは今日も笑顔で花を手渡す。
完璧な秘書は辞めたけど、完璧な笑顔は健在だった。
【後日談】
魔王城では、新秘書5人体制が大好評だった。
「リディア様一人に押し付けてたなんて、今思えば狂気だったな」
ザルガンはつぶやいた。
そして、『魔王城秘書マニュアル』は全面改訂された。
新しいマニュアルの第一条:
『秘書も人間(魔族)である。休め、笑え、人生を楽しめ』
これを書いたのは、他でもないザルガン自身だった。
「前任者の犠牲の上に、今の俺たちがいる。二度とあんな働き方はさせない」
魔王城の改革は、一輪の花から始まったのだった。
今回の「魔王秘書編」、いかがでしたでしょうか。
実は、この物語は「魔王編」のヴァレリウスが辞めた後の魔王城を描きたくて生まれました。新魔王ザルガンは就任早々、前任者の尻拭いならぬ「完璧すぎる秘書」という新たな問題に直面することに(笑)。
リディアというキャラクターは、「優秀すぎるが故に自分を追い詰めてしまう人」の象徴です。完璧主義、過労、感情の抑圧…現代社会にも通じる問題を、コミカルに描いてみました。
特に気に入っているのは「300年前の秘書マニュアル」という設定。伝統という名のもとに、誰も疑問を持たなかった労働環境。これ、現実でもよくありますよね。
そして、リディアの転職先が「花屋」というのがポイントです。完璧主義や細やかな気配りは、使い方次第で自分も周りも幸せにできる。スキルに罪はない、使い方が問題なんです。
コミカル要素満載でお届けしましたが、「完璧である必要はない」「自分らしく生きていい」というメッセージは、真面目に込めました。
次はどんな職業の人が辞めたがるのか…お楽しみに!
暁の裏




