下北の夏
小学生に成り、初めての夏休み、父達は、仕事で一緒に行け無く、6つ年上の兄と
二人で下北の大畑まで汽車で行く
昭和40年の頃の僕の夏休みの話しす。僕は小学校に入学し、初めての、夏休みに、兄(6歳上)と一緒に、下北半島の赤G村(母の故郷)に行った時の体験談見たいなものです。僕の父は、魚群探知機や発電機(船で使う)等の電気配配線や修理等の仕事をして居て、本当は、親同伴なのですが、仕事の都合上、両親は、行けなく、僕と兄で行く事になりまた。母(いいかい、ひで防[秀和]、弟の面倒を、ちゃんと、見るんだよ、無駄使いは、しない様に、お腹が空いたら、握りしめを、リュックに入れたから、飲み物だけ買いなさい)。兄(分かった、心配性なんだから、赤G村に行くのは、何回も行ってるから、大丈夫)。母(お前の心配は、してないが、こう[弟]が、初めてで、迷子に成る可能性が、有るし、汽車に長く乗り、飽きるかも知れないから、手を繋いだら、離さない様に、こう[高次]、兄ちゃんの言う事を、ちゃんと聞いて、大人しくしてるんよ!)。父(ひでかず[秀和]、高次を、頼む)。兄(うん、任せて)。翌朝5時に、兄と2人で、駅に向かい、兄(お利口さんに、してたら途中の駅で、お菓子を買ってあげる)。(本当に)、その時の僕は、お菓子を、買って貰える事が、嬉しすぎ、赤G村の事は、忘れていた。駅に着き、僕達が乗る蒸気機関車が、白い蒸気と黒煙を上げながら、待機してた。渡り廊下を通り、汽車内部に入り(この頃、指定席は無く)空いてる席に座り、発車するのを、わくわくしながら、待ってました。僕達が乗った時は、ガラガラだった席が、発車時刻の時には、ほぼ満席でした。汽笛が鳴り、ゆっくり動き出す。無人駅を数個超え、尻内駅(現在は八戸駅)で乗り換え、大間経由、むつ大畑線に乗り換え、構内の売店で、ミカンジュース2つと、かち割り飴(べっ甲飴で、ちっちゃなハンマー付き)を、買い、汽車に乗り、出発を、待って居る間、兄が、かち割り飴を、2つに割って、僕達は、舐めながら、待つこと50分、汽笛が鳴り、ゆっくり動き出した。しばらく走り、数駅過ぎ次の駅、三沢駅に着き、兄(この近くに、k牧温泉ていう、風呂屋が有るんだよ。遠くから、ここの温泉に来る、お客さんが居る位、三沢では、有名なんだよ)。(兄ちゃん、今度、家族で、三沢の温泉に、入りに来ようよ!)。兄(こうが、お利口さんに、していれば、多分、連れて来てくれると思よ)。しばらく乗って居ると、お尻が痛くなり、僕は、立ったり、座ったりを繰り返しながらいると、兄(丁度、お腹も減った頃だし、握りしめにするか!)。リックから、握りしめを2つ(僕達の母は普通サイズじゃ無く、普通サイズを2つ合わせて1個の、握りしめで四個、おかずは、無く、海苔と中の具は、味噌大根と梅干しでした)を朝飯に2個、残りは、昼飯にしました。当時は、ホ-ムに、弁当、お茶等の売り子さん達が居て、(お弁当、お茶!)と叫びながら、ホ-ムで売って居て、お茶を二つ買いました。しばらく駅を数駅越え次の駅は、むつ大畑駅、じいちゃん夫婦が駅で待って居ると兄が言いました。5時間位汽車に乗り、むつ大畑駅に着き、待合室で、じいちゃん夫婦が、僕達兄弟を出迎えてくれました。じいちゃん(ひで坊、こうちゃん、大きく成ったねぇ~)。ばあちゃん(本当に、赤ん坊の時以来だね)。後から、兄に聞いた所、僕が1歳の時、家族で、赤G村に行ったらしい。駅からバスに乗り換え、40分位で、赤G村に着きました。赤G村は山と海に囲まれた村で、漁業と山に村人の畑が有り、男達は、漁え、女達は、畑えと分業の様な物でした。じいちゃんの家は、昔ながらの大きな漁師の家で、近くには、川が流れてて、村唯一の駄菓子や日用品など売ってるお店が、一件だけ有り、銭湯は、有るが、この村から、バスで、十分位の所に、下風呂温泉が有ります。家(母の実家)入り、叔父二人(僕達の母が、長女で、下に、妹二人[別の村に嫁いで]、弟二人が居る)叔父二人が、昼飯を、食べに、漁から来ていた。叔父(長男、喜世一)、叔父(次男、湯宇次)が居て、喜叔父(ひで坊、良く来た、隣は、こうか、大きく成ったなぁ)。湯叔父(ひで坊、こうは、何年生に成った)。兄(小学校に入ったばかりの1年生)。叔父達(おぉ、1年生かぁ~、ゆっくりして行きなさい)。この頃、じいちゃんは、漁師を、子供達(叔父2人)に、譲り、破れた網の修理や釣り針の補強等をしていました。じいちゃん(長く汽車に乗って、疲れたろう、居間で、休むと良い)。ばあちゃん(休んだら、昼ご飯出来てるから)と言い、ばあちゃんは、何処かに、出かけました。5分位で戻って来たばあちゃんの手には、ジュ-スとオロナミン(ドリンク)が、竹籠に、入っていました。この村唯一の食料や雑貨店で、じいちゃんの家から歩いて、2分の所に有り、このお店に欲しい物が、無ければ、バスで、田名部町か大畑町迄買いに行くらしい。少し休んで昼食、叔父達が釣って来た、メバル、タコ、アブラメ(アイナメ)等、飲み物は、ドリンクと、パインジュース等、ご飯は、母の握りめし、ばあちゃんが、握りしめを見るなり(ひで坊、和香[母の名前]の握りしめだな、もう少し、小さく握れと、言え!)じいちゃんや叔父達も(かんなり、おっきいな)と笑われました。ちなみに、この村の方言で、ずいぶん大きいなぁ~と言ってます。ばあちゃんは、(ご飯足りる)、兄と僕は、腹いっぱいと答えた。叔父2人は、午後の漁に出かけ、僕達兄弟は、叔母達が使ってた部屋に、荷物を置き、兄が(こう、浜に行かないか?)と言い、見せたい物が有ると言い、じいちゃんに兄が(浜に、行って来る)。じいちゃん(暗く成る前に、帰って来い!)、二人頷く。浜は、歩いて5分位、潮溜まりが、続くゴツゴツする磯を歩き、岩壁の岩肌を指差し、大小の足跡が、クッキリ付いて、兄(この村に伝わる弁慶と牛若丸の足形だよ)。そこは、多分、壊れない様に石膏か、セメント?で固めて有り、兄が大きな足跡なら、こうが、入れると言い、大きい足跡に僕は入り膝を抱えて、入りました。後でこの浜の名前を聞いたら、ちぢり浜と言うそうです。兄(明日、この潮溜まりで、泳ぎ方を教えるから)と言い、僕達は、じいちゃんの家に、帰りました。
翌日、兄と海岸の潮溜まりに、行き泳ぎ方を習いました。最初は、潮溜まりの浅い(僕のお腹辺りの水位)に、浮き輪を入れて、バタ足、次に、浮き輪無しで、兄に支えて貰いながら、少しずつ、慣れると、僕が立って、首の所に水位が、来る潮溜まりで、兄の補助で、何とか、泳ぐ格好までで、前に進むのは、ちょっとで(夏休み期間迄に、泳げる様になるよ)と兄、兄も、この潮溜まりで、叔父達に、泳ぎを習ったとの事、それから、じいちゃんの家に、戻り裏庭の下は、岩が連なりる海なので、晩御飯前に僕は、浮き輪に捕まり海で、泳ぎました。その際、安全の為漁から戻って来た、叔父2人に見て貰い、泳ぎ、足の腿辺りが、チクチクし、痒くなり、海から、上がり、右の腿の辺りが赤く腫れてました。叔父は(クラゲに舐められたなぁ~)と笑いながら、軟膏を、僕の右の腿に塗ってくれました。夕ご飯時、兄含め皆に、笑われ(こうちゃん、クラゲに、滑られたの(刺された)痛いかぁ~)とじいちゃん、僕(最初は、痛かったけど、段々痒くなったよ)。ばあちゃん(痒いちゃ駄目、腫れるから)と苦笑い。どうやら、じいちゃんの家の下の海には、小さなクラゲが、たまに流れ着くらしい。当時は、痒みや、切り傷に軟膏を塗るか、キンカンを痒みや虫刺されに塗って居ました、余程の事が無いと病院には、行きませんし、医療費も高めでした。まして、ここは、田舎の村でも、診療所は、皆無で、大畑町か田名部町まで行かないと病院は、無いです。切りキズや虫刺されは、万能軟膏で済ませます、勿論、消毒液や赤チンキもあります。翌日、兄と二人で、ばあちゃんの手伝いでジャガイモ掘りと、すぐり(カシス)、山イチゴ等採り、じいちゃんの家の真向かいが山道が有り、歩いて30分位の所に、ばあちゃん(京佐家)の畑が有り、ジャガイモの他、ネギ、珠な(玉ねぎ)、人参等が有り、兄とばあちゃんは、ジャガイモと人参採り、僕は、周りに生えてるスグリと野イチゴ採り、僕位の高さ(110cm位)に実が成って青いやつは、まだ熟れて無く、赤いやつは、柔らかく熟れている物と、野苺を、竹籠の小さいのに、一杯に成る迄採り約30分で籠一杯に成り、ばあちゃんと兄は、背負い籠に沢山ジャガイモと、人参を入れ、近くの川で、ジャガイモと人参の土等を、洗い流し家に帰る。山の中腹は村人達の墓地が有り、じいちゃんの御先祖もここに眠る、ばあちゃんは、この村出身では無く、青森市出身で、この村に嫁いだそうです。ちなみに、村人は、ばあちゃんをアネと呼び、嫁いだ時、綺麗な着物を着た姉様が呼びやすい様にアネと呼ぶらしい。兄も、アネと呼ぶので、僕もアネと、呼びます。家に着くと、叔父達が帰って居て、アブラメ(アイナメ)とマイワシ等を家に置き、残りは、漁協の人に三輪トラックで来て貰い、残りの魚を積み込みました。(当時は、田舎には、車が無く大きな会社か、漁協しか持って無かった)。ばあちゃんは、採ってきた野菜と魚を調理し晩のおかずにしました。魚は、焼くか煮るか刺身にし、野菜は、煮て魚和え、すぐりは、デザート、野苺は、苺ジャ厶で、美味しかったです。翌日は、2人の叔父と僕達兄弟で、漁の手伝い。朝4時船着き場に向かい、舟と岸壁を繋ぐもやえ縄を外し、近海に出ました。40分位で漁場にき、喜叔父は、舟の運転で、弟叔父は、天蚕糸(オモリと針が幾つもついてる)を海の丁度良い深さまで降ろし、手の感覚で、上げたり、下げたりを繰り返し行い、掛かった瞬間、テグスを引き上げ、魚を針から外し生け簀に入れるのが兄で、餌を付けるのが僕、最初の内は順調だったが、辺りが明るく成る頃は波が出て、舟が揺らぎ始め、二人の叔父と兄は平気な顔、僕は、余りの揺れに船酔いし、針に餌を付ける事が、難しく、兄を含め叔父達も(こんな揺れで船酔いとは、まだまだ、甘い、これから、もっと、荒くなる)と言い、笑われた。兄が、酔い止めの薬を持って居たので、酔い止めを貰い、幾らかましに成り、餌付け再開、昼迄続け、昼飯を食べに、家に戻る。午前中に捕った魚を選別し、イカ箱に入れ漁協に連絡し魚を持って行って貰う。昼飯を済ませ、小休止して、沖漁に戻る、昼過ぎると、波は激しさを増し、船酔いしやすく成り、湯叔父、酔い止めと、渡されたのは大きな梅干し(ばあちゃんが漬けた)を口に運び、酸っぱいのと、しょっぱいのとで船酔いは、少し、良くなりまた。30分位で漁場に着き、揺れながら、餌を何とか付け、夕暮れまで、頑張りました。夕暮れに成ると波はおさまり、凪状態、帰りは楽でした。船着き場に着き、自分達が食べる分と漁協に出す魚の選別をし、家に帰る頃は、漁協のトラック(当時は、三輪の中型)が来て居て、魚の積み込みを手伝って、家に入りました。翌日は、叔父達が、漁休みで、湯叔父は、アネと、田名部町に、買い物に出かけ、僕達兄弟は、喜叔父の提案で、舟釣り、釣り竿は、叔父のお古を、餌は、イワシで、朝6時に出て、沖まで30分位で着き、いかりを下し、叔父含め、釣り大会、最初に、アタリが来たのは、喜叔父、次に兄で、僕は、中々アタリが来ません、見兼ねた兄が、(ゆっくり、竿を上げたり、下げたりを繰り返すんだよ)と言い、そしたら、アタリが来て、余りの強い引きに、身体を持って行かれそうになり、慌てて、兄が身体を押さえ、叔父がゆっくり、糸を巻きなさいと、言い、30分ほどの格闘で、要約水面に上がった姿を、見た叔父は(まあまあの、水蛸、タモを持って来るから、ひで坊、こうの身体押さえてろぅ)とい、タモですくい、40cm位の水蛸で、墨を吐きながら、舟の生け簀に入れました。兄(初めての釣りで、タコ釣るなんて)と、叔父と2人で、笑われました。叔父と兄は、メバルとアブラメ、黒ソイ等を、結構釣り上げ、僕はタコの格闘で疲れて小休止、お昼近くで一旦家に戻り、昼飯を食べてたら、ばあちゃん達が買い物から帰ってたら、湯叔父が(水蛸、誰が釣った、ひで坊か?)、兄(こうだよ、最初、身体事、海に引っ張られそうになって、慌てて、身体を押さた)。ばあちゃん初め皆で笑い転げて、じいちゃん(こうちゃん、大漁だなぁ)と言て、また、皆で笑う。午後から、湯叔父も加わり、釣り大会再開。僕は湯叔父に、釣り方やを学び、喜叔父と兄は、それぞれの釣り方で、沖に着くと、波は午前中とは違い、そんなに、荒く無く、舟が揺らぐ程度で、釣り日和でした。湯叔父(良いかこう、オモリが海底に着いたら少し巻き上げ、ゆっくり竿を上下させ、魚のアタリが無かったら、少し巻き上げ、又上下ゆっくりし、魚がコッンコッンと当たっても、巻かず、竿先がぐいっと海に引き込まれたら、巻きながら、竿を立てる、これを、繰り返し行い、魚が、見えて来たら、タモで、すくってやるからな)。言われた道理やってみたら、海の真ん中位の所?で、竿がしなり、海に引き込まれそうになり、竿を引き糸を巻きを繰り返ししたら、黒い魚影が、見え、湯叔父が、タモを持っ来て(こう、竿をもっと立てろ)と言い、思いっきり、竿を立て、魚を舟近くまで来た時、すくい上げ、28cmの黒ソイでした。兄と喜叔父も(おぉ、まあまあの大きさだな、良く釣り上げたな) と喜んで、くれました。兄(喜叔父、こうに負けられ無いなぁ) 。喜叔父に、当たりが来て、竿のしなり方も、僕とは違い、グッィ-ンと持って行かれたそうな勢いで、巻きながら、竿を立ての繰り返しで、50分格闘し、釣り上げたのが、マダイ( 綺麗な赤色)で、95cmの大物でした。次に、兄に当たりが来て、竿のしなりは有るけど、天蚕糸だけズリズリ持って行かれ、巻いたり、戻したりを繰り返し、40分位で、要約魚影が見え、ゆっくり巻きながら、竿を立て、要約上がったのが、真蛸で頭から足まで、48cm有りました。兄(真蛸かぁ、ソイか、メバルだと思ったが〜) と残念がっていました。次は、湯叔父の竿に引は、軽くしなる程度で、竿自体がブルブルと震えて(サバだなぁ、まぁ、良いか)と言い、釣り上げたら、サバ36cmの大きいサイズでした。次は僕の竿に引きを感じ、糸を巻きましたが余りにも、引きが強すぎ、巻くのを止めたら、叔父二人が(カスペ[エイ]だから、糸を切ろ、ひで防、切ってやれ、竿事持って行かれる)。すかさず、兄が、ハサミで、糸を切りました。釣り針と仕掛けは、湯叔父が付けてくれました。喜叔父(糸を切らなければ、竿を持って行かれた、こうも海に、落ちてた、そんぐらい、かんなり大きい、カスペだ)。皆で沢山(大体25 匹位)釣り、夕暮れ時に成ったので、家に帰りました。陸に上がると僕だけ身体が揺れる感覚が取れず、晩飯まで、横になり、じいちゃんが、酔ったかと声を掛け、叔父達は(波の揺れで、こう、まだ酔ってる見たいだぁ~)と言い、くすくす笑った。夕食に大きい魚は刺し身に後は、煮付けと焼き魚、野菜はニンジンと白菜等、味噌汁は、アラ汁(ソイの骨と真鯛の骨でダシを取り、具は玉ねぎ)、デザートは、昔瓜(田舎メロン)と夏みかん、香煎( 氷が入ったドロットした甘い飲み物)。皆でアレやコレやで騒ぎながら食べたので、楽しい夕食でした。ばあちゃんが、僕達に買ってくれた、花火を裏庭で、皆で、やり、湯叔父(こう、ヘビ花火、やって見るか)。と言い、真っ黒な丸い物に火を点けたら、煙がもくもく上がり、すす見たいな物が連なり蛇の動くように、火が消える迄連なり消えたら、ただのすすで、触ったら、手が真っ黒くすすだらけに成りました。後は、定番の線香花火と、ネズミ花火です。翌朝は、浜に行き、泳ぎの練習で、僕が立って、首の所までの、水位で、練習です。今日は、あいにくの曇り空で、少し、肌寒いです。兄に、補助をお願いし、少しずつ、前に、進み、補助無しで、泳いだら、最初は、良かったのですが、潮溜まりの真ん中で、沈みました。その度兄に、助けられ、(もう少しだよ)と、元気付けられ、何とか形?になりました。形はめちゃくちゃでも泳ぎきりました。その後は、潮溜まりの深い所で、ウニ採りと、つぶ貝採りを、して昼に帰りました。帰って直ぐに、醤油とミリンと砂糖少々鍋で、つぶ貝を煮込み、煮上がりに爪楊枝をつぶ貝に1個1個刺し皿に並べて、ウニは、殻を割り、中の肝等を、洗い流し、生のまま小皿に並べる、叔父二人も昼に帰って来て、海老や布海苔や毎イワシを焼いて、食べました。翌日は、兄と2人で、下風呂温泉に、行きました。この村から、バス(当時は、ボンネットバス)で、10分ほどで着き、風間浦漁港の停留所から、歩きで、5分位の所に、大きな木造の旅館兼温泉が、有り、辺りは、硫黄の匂いで、(兄ちゃん、煮卵の黄身の強い匂いが、するね)、兄(この温泉は、山からのお湯を引いて、硫黄の匂いが強いんだよ)。中に入り、湯気で、洗い場や湯槽が、見えませんでした。当時の下風呂温泉は、硫黄の匂いと乳白色のお湯で、床は、木の床で、所々、硫黄の結晶で白くなって、滑りやすい。最初は、熱くて入れなかったけど、少しずつ慣らして、入り、洗い場に向かうけど、床がヌルヌルで、歩くと滑り、転びそうに成った時、兄が、僕の腕を掴んで(大丈夫か、こう、ここは、滑るから、気を付ける様に)。温泉客は、少なく、僕たち兄弟が、上がる頃、地元の人とか、おじいちゃんやおばあちゃん達が、入りに来てました。風呂上がりに、牛乳とコ-匕-牛乳を、買って、兄は、牛乳を、僕は、コ-匕-牛乳を、飲み、少し休んで、浜辺のバス停まで、行き、帰りは、16時でした。家に着き、じいちゃん(こうちゃん、風呂は、どうだった。ひで坊、湯は、熱く無かったか?)、兄(こうは、熱がってたけど、最初だけだったよ)、アネ(こうちゃん、お湯が、ヌルヌルして、滑らなかた?)。(最初は、転びそうに、成ったけど、兄ちゃんが、支えてくれて、大丈夫だったよ)。今度、皆で、行こうと、じいちゃんが、皆で頷きました。温泉の効能か分かりませんが、気持ち、肌が、ツルツルに、成った気がしました。晩飯は、小豆御飯で、この村の作り方かは、知りませんが、甘い豆に赤飯で、おかずは、ところてん(この村は、天草を煮て作る自家製)と魚やウサギ肉(畑の野菜等を、食い散らかすので、罠を仕掛けて獲った)に、野菜等にデザートは、夏みかんとスイカ、バナナ(町のス-パ-で買って来た)と、昔瓜で美味しく、頂きまた。この頃は、テレビは、お金持ちか、役所関係の人達しか、持ってなく、まして、田舎なので、ラジオが情報源で、叔父達も、明日の天気予報を聞いてました。夜は、波の音が、岩に打つかる音で、初日は、眠れなく、兄が、だし綿のを丸めて作った耳栓を、くれて、(幾らか、ましに、成った?)と兄、(少しだけど、波の音が、小さく成ったよ)と僕、でも、長く居ると、波の音も、気に成らなくなって来ます。翌日、兄の友達(地元の子)が、遊びに来て、兄(弟のこうだ、仲良くしてな~)。地元の子(こうちゃん、大[まさる]だ、宜しく)。三人で、浜に泳ぎの練習を兼ねて、行き、僕は、潮溜まりの浅瀬で、泳ぎの練習で、兄達は、鮑採り、昼近くで、兄と大君は、鮑6個にウニ4個採り、兄と大君で、均等に分け、昼飯を、食べたら、又浜に、今度は、兄と大君で、僕の泳ぎ方を、見てくれるらしい。
昼飯の後、潮溜まりに行くと、大君と知らない女の子が居ました。兄(香枝、久し振り、弟のこうだ、宜しく)、香枝(ひでちゃんに、弟いたっけ)。兄(小学校に上がって、初めての夏休みだから、連れて来た)。香枝(ふぅ~ん、1年生なんだ、大の妹の、香枝[かえ]だよ、私は、2年生だよ、仲良くしてね!)。僕(こうです、宜しく)。潮溜りの長く深い所で、泳ぎの練習。大君は、兄より下の4年生です。香枝ちゃんは、流石地元子、深い潮溜まりを、スイスイ泳いでました。僕は、首の所までの水位の所で、泳ぎ、後少しの所で、沈みました。香枝(もっと、バタ足を大きく、水をかく様に!)と、兄と大君は、僕が、沈む前に、補助してくれました。しばらく泳ぎ、夕暮れに成ったので、また明日と言い別れました。家に帰る途中に山間に高い橋が架かってたのを見て僕(兄ちゃん、あの橋は、何?)と聞いたら、昔トロッコが、通った陸橋と言う運搬用の橋らしい。じいちゃんに、聞いたら、昔、炭鉱で、石炭を運ぶトロッコ列車の陸橋だとの事でした。翌朝は、早く目が覚め、居間に行くと、じいちゃんが居て、若い時の昔話しを聞きました。じいちゃんの先祖は、京都の侍で、合戦で敗れ、この村に逃げ延び、落ち着いたそうで、明治維新が始まり、廃刀令(刀を持つ事を禁止)が出来、先祖の刀を何本も、海に捨てたと、言ってた。じいちゃんの先祖は、京都の出で、苗字は、京左と言い、この村で、漁師として受け継がれたそうです。じいちゃんは、船に詳しく、ミカンの皮を2つにかさねたのを見て、これは、アフリカの原住民の舟に似ていると、言い、色々船の事を僕に、教えてくれました。僕(じいちゃん、あそこに、有るガラス玉の大きいのは、なぁに?)、じいちゃん(浮きだよ、網の端に括り付けて、オモリを付けて沈ませ、翌日網を回収しに、目印にも成るんだよ)。僕(今は、使ってないの?)。じいちゃん(たまに、使うけど、プラスチックの浮きが、多く使うかな、ガラスだと、割れたりするし、プラスチックの方が、安くて、丈夫だから)。と寂しい笑顔でした。朝ご飯は、フキの味噌汁と納豆、キュウリ、ふぐのともあえ、ひじき、レンコンの味噌和え等、美味しかったです。ちなみに、アネは、旅館の娘で、料理長から、ふぐの捌き方や、毒の有る部分を、教わって、村では、アネしか、ふぐを、捌けないそうです。朝早くに、大君と香枝ちゃんが、迎えに来て、僕達兄弟とで、僕の泳ぎの練習です。潮溜まりの深く長めの所で、どうしても、クロ-ルは出来なく、香枝(ひでちゃん、クロ-ルでなく、平泳ぎの方が良いのでは?)。兄(平泳ぎからの方が、覚えやすいかぁ)で、平泳ぎに変えたら、何とか、潮溜まりの最後まで、泳ぎきりました。お昼近く迄練習し、お昼ご飯の後に、又泳ぎの練習。昼飯後、深く長い潮溜まりで、平泳ぎの練習、香枝(蛙の泳ぐ様に、足で水を蹴る感じ)、大(カエルの泳ぎを真似する様に)、頭では、イメージ出来ても、身体が、付いていきません、兄(少し、休んでから、練習すれば良い)。僕は、小休止で、兄達は、つぶ貝採りに、香枝ちゃんは、こうやって、平泳ぎする(手本)を見せてくれました。何とか平泳ぎは、出来て、香枝(今度は、浅い潮溜まりで、クロ-ルの練習)と言って、香枝ちゃんのコ-チが、始まりました。香枝(ばた足をゆっくり)、沈みそうに成ると、香枝ちゃんが、補助し、今度は、兄達も、(もう少し、もう少し)と、激励し、何とか泳ぎきりました。暗く成ったので、又明日と約束し、帰りました。晩御飯は、兄の取って来た、つぶ貝の味噌汁と具は、ほうれん草、夏イカの刺身と、アブラメのごま味噌和え、デザートは、スモモとスイカでした。翌日は、兄と大君兄妹と香枝ちゃんの友達の多惠ちゃんが加わり、クロ-ルの練習。香枝(もっと、ゆっくりと)、多惠(息継ぎは、ちゃんと、2回目の水をかいた時に)。兄と大君は、苦笑い。間小休止、昼近くに成り、一旦皆で、昼飯の為、解散後、又浜え、集合、夕暮れ迄、何とか形に成り、明日の約束をし、解散!翌朝、兄に(あの高くて大きな陸橋に行って見たい)と僕、兄(行っても良いけど、危ないから、手を繋いで、離さない様に!)。翌朝、朝飯前に山の陸橋に、30分位で着き、陸橋の幅は、2メ-トル位有り、線路幅は、60センチ位有り、赤く錆び付いてた、兄の手を握り締めて、(兄ちゃん、眺めが良いね、村が見通せる位、凄いね!)、兄(下を見るなよ、危ないから)、(何故、下を見ちゃ駄目なの?)と僕。下を見ると、余りにも高過ぎて、落ちそうに成るからだそうです。真ん中の辺りで、引返し家に、戻りました。朝飯は、鮑を薄切りにし、醤油とわさび、イカの刺身、そうめん(器に水と氷を入れた)、梅ジュ-ス、イカ下足の煮物、生野菜等、ほうれん草とフキの味噌汁、デザ-トは、昔瓜とスグリ、美味しく食べました。大君兄妹と友達の多惠ちゃんが迎えに来て、僕の泳ぎの練習(特訓?)で、皆で、浜にいきました。潮溜まりの形が金魚に似ている、金魚のふけんど(金魚の形の深い所)で、クロ-ルの練習、兄達は、補助に香枝ちゃん達は、指導えと、(水をかく様に、バタ足は、ゆっくり!)と香枝ちゃん、兄達は、くすくす小さく笑い、多恵ちゃんも、思わずクスクス笑いました。昼近くに、何とか泳ぎきり、息継ぎだけは、上手くできませんでした。昼なので、一旦解散し、昼過ぎから、釣りをする事になり、それぞれ、釣り道具を持ち寄り(僕達兄弟は、叔父達のお古を)、釣り大会の始まりです。餌は、つぶ貝、カラス貝などを殻を割って、針に付け、最初は、地元の子達( メバル、アブラメ、黒ソイ)、次に兄(メバル28cm)、僕(アブラメ23cm)、地元っ子には、叶いません、日が暮れるまでで、明日の約束をして、別れました。翌日は、村祭りで、地元の子達と僕達兄弟が祭りの飾り付けや、缶詰の空缶に穴を幾つも空けロウソクを入れ、即席ちょうちんを20個作り、村を練り歩く、夜に缶詰ちょうちんを子供達が棒の先にくくり付け、先頭は、大人の人が村の印のちょうちんを持ち、最後尾も大人達がみまもる形で、練り歩く真ん中には、地元子が、ちっちゃな鈴を鳴らし、二キロ足らずの村を歩き折り返しして、終わる質素な祭りです。終わると各自で、家に帰り、宴会、じいちゃんの家には、叔父達の舟仲間や、大君一家と多恵ちゃんが来て、僕達は、ジュ-ス、大人達は酒とつまみの枝豆でした。香枝(多恵、夏休みのドリル[宿題]やった~)、多恵(後少しで、終わるよ)、香枝(ふぅ~ん、じぁ、後で、答え合わせしょう)。大(何が、答え合わせだぁ~、半分しかドリルやって無いくせに!) 。兄(カンニングか~、香枝)、香枝(ふ~んだ、あくまでも、答え合わせ!)。大(こうちゃん、香枝みたくなっちゃぁ、駄目だよ、ドリルは、夏休みの中間位に、終わらせて、後は、遊びに!)。兄(大は、ドリル、終わったのか?)、大(まぁ、終わった、親父が、終わるまで、付きっきりで、間違えたりしたら、ゲンコツが飛んで来るから)。多恵(こうちゃん、ドリルは、終わった?)。僕(此処に、来た夜に、兄ちゃんが、見てくれて、1週間で、何とか、終わったよ、後は、自由研究だけ)。僕(香枝ちゃんや、多惠ちゃんは、自由研究、何するの?)。多恵(虫の生態かなぁ)、香枝(下風呂温泉の効能)。僕(凄いね、僕は、魚の種類にするかなぁ)、兄(へ~え、こうの自由研究、魚の種類、一杯あるぞぉ~)。大(大丈夫、わい[俺]が、教えてあげる)。僕(大君、助かります) 、兄(大、な[おまえ]の自由研究終わったかぁ)。大(ほとんど、終わった)。兄(何にした?)、大(先祖の家系図)。皆で、ふぅ~んて、頷く、香枝(適当に、書いたんじゃない?)。大(この前、親父が、家系図だして、それを、見て書いた)。僕(多恵ちゃん、虫の生態って?)。多恵(蝉とか、クワガタ等は、山奥に行かないと、見れないから、畑の土のケラ虫とか、バッタやオニヤンマ等を、観察しノ-トに書く)。ケラ虫。
香枝(ケラ虫?あれは、苦手だぁ~、)。僕(何故、苦手なの?、ケラ虫って、どんな、姿してるの?)、兄(こうは、見た事ないかぁ、今度、アネと畑に行った時、捕まえてやる)。多惠(ケラ虫は、ちっちゃい虫、香枝、なして、嫌なの?)香枝(ケラ虫だけは、嫌、気持ち悪い)。兄(なして、気持ち悪い?ちっちゃいけど、ただの虫)。大(香枝、ケラ虫に、挟まれて、嫌いに成ったなぁー、こうちゃん、ケラ虫を、捕まえて、ケラ虫、ケラ虫、ね[お前]のじぃのえ[家]どったらだぁ[どんなだ]~と言うと、ちっちゃな手で、広げる動作をし、こったらだぁ[このくらい]とアクションをするよ)。僕(へぇ~、観て見たい)と言うと、多惠(今度、畑に行く事が、あったら、取って来てあげる)。その晩は、皆で、お喋りして、11時頃まで、宴会でした。翌朝、兄と2人で、ふきの葉を取りに、山へ行き、背負いかごに、沢山取り、家に、帰り、ふきの葉を水洗いし、赤飯を、ふきの葉に包み、神棚や、仏壇に上げ、近くの集会所兼神社にも、幾つか、赤飯(ふきの葉で包んだ)と、らくが(砂糖菓子)を、上げに、僕達兄弟と村の子達が、行きました。お盆のお供えでした。そこでも、兄は村の子達に(ひでちゃん、ひでちゃん)と、慕われ、僕を村の子達に(弟のこうだ、皆仲良くしてくれ)。皆は頷き、ひでちゃんのおんず(弟)かぁ~、と言い、僕(こうです、宜しく)。皆(う〜ん)。村の子達がそれぞれ名前を言いましたが、2人しか覚えられませんでした。皆と別れ、家では、ふきの葉包の赤飯が夕食に、ふきの香りと、赤飯の美味しさ、ところてんと、モロキュウ、鮑と夏イカの刺身に、ふきの茎の味噌汁、アンコウのとも和え、デザートは、林檎と昔瓜と棒つきアイスでした。明日は、叔母二人がお盆だから、帰って来ると、じいちゃんが、言ってた。翌朝、叔母二人が、来て(ひで坊、隣、こうちゃんかぁ~、大っきく成ったねぇ~)。兄(小学校に上がって、始めての、夏休みだから、連れて来た)。叔母達(などの[お前達]、親は?)、兄(仕事の関係で、来れない)。叔母は盆でも、忙しいのか?、兄(船の夏イカから、秋イカに変え、電球やら、配線やらで、忙しい)。兄(こう、こっちの叔母さんが、大間に居る智由叔母で、隣の叔母は、風間浦に居る、志奈おばだよ)。僕(おばちゃん達、こうです)。志奈(こうちゃん、おらほの[私]の佳寿子と同じ、1年生だぁ~)。兄(佳寿ちゃんと、同じだぁか~)。後から、兄に聞くと、志奈叔母の末娘が、僕と同じ歳らしい。智由叔母の子供は、兄より、3つ上の男の子らしい。志奈叔母は、声が大きく、豪快に笑い、智由叔母は、アネに似て、話し方が、静かで、控え目でした。皆、神棚や仏壇に、線香を灯し、朝飯は、皆でわいわい賑やかでした。翌朝は、皆で、ご先祖のお墓参り、ラクガやコクワ酒、野花に線香、ロウソク、お菓子類を持つて行き、墓の周りを綺麗に掃除し、ロウソクと線香を灯し、野花を飾り、上げ物をお供えして、家に帰りました。じいちゃん(本当は、坊さんを呼んで、お経を読んで、貰うけど、坊さんも、忙しく、沢山の檀家さんの家々を、回らなければならいく、今年は、来れないらしい)。
叔母達(お盆だし、坊さんも、稼ぎ時だぁ~)。アネ(御先祖も、皆で来て、喜んでいると思うよ)。僕達が、帰る頃は、沢山の村人が、お墓参りに、来てました。叔母達は、明日には、それぞれの家に帰り、お盆の支度をするらしい。晩飯は、赤飯やそうめん、イカや鮑の刺し身、鯛飯等で、大人達は、酒やビ-ル、僕達は、香煎やジュ-スで、夜遅く迄、宴会でした。翌朝は、叔母達は、バスで、朝早くに、帰りました。朝飯を食べてたら、多恵ちゃんが、遊びに来て、多恵(こうちゃん、ケラ虫捕また)。
僕。顔は虫で、モグラの手に似た爪が有り、身体は、細長く真ん中辺りを抓むと、手を広げたり、閉じたし、もがいてました。多恵(ケラ虫、ケラ虫、ね[お前]のじぃ[じいちゃん]のえ[家]、どったらだぁ~)と言うと、手を広げ、このくらいだとアクションをし、兄と多恵ちゃんは、くすくす笑い、僕は(面白いねぇ~)。次に大君兄妹が、来て、大(香枝、ケラ虫有るから、外で待ってる)、兄と多恵ちゃんが、くすくす笑う。今日は、皆で、恐山に、行く約束をしてました。村から、バスを、乗り継ぎ、大間で、恐山行のバスに、乗り換え、着いたのが、お昼前で、小さな太鼓橋や綺麗な湖、宇曽利湖、大きな門を通り、入場料を払い、先ず目に付くのが、大きなお地蔵さんが並ぶ、側に、お供え用の大きな台に、お菓子や風車、兄(このお地蔵さんは、水子地蔵と言って、お母さんのお腹で、亡くなったり、事故で、子供を亡くしたりした人達が、お菓子や風車や花等を飾る為のお地蔵さんなんだよ)。村の子達は、知ってる見たいで、その辺に、転がっている石を、石の山に、積み上げて居ました。僕達兄弟も、石の山に、積み上げました。恐山は、恐い位の静けさで、烏や鳶の声が、響き渡り、硫黄の匂いと、場所により、ぶくぶくと煙と黄色の蒸気を噴き出して、大(ここは、地獄沼って呼ばれてる所だよ)。僕(兄ちゃん、アネが言ってた、血の池は何処?)。兄(もう少し、先かな)。香枝(硫黄の臭いと烏の鳴き声で、怖いし寂し過ぎる!)。多惠(香恵、何回も、来て、怖がるってかぁ~)。大(こうちゃんが、居るから、ねご[猫]かぶってらぁ)。香恵(無ぁんも、ねごかぶってネェよ)。皆で、大笑いしました。歩いてる途中も、石の山が、所々有り、板柵で覆われてる所が、血の池、僕達が行った時は、真っ赤と言うより、朱色の濃い色でした。僕(これが、血の池か)。池の中央に石仏が有り、湯気が、立ちのぼりボコボコ沸いてました。何となく、あの世と、この世をつないでる気に成ります(個人の感想です)。香恵(恐山にも、温泉が有るよ)。僕(入る、お客さん居るの?)。大(主に、御参りの人か、お風呂好きの人達、かも)。多恵(地元の人は、薬研[やげん]温泉か、下風呂[しもふろ]温泉だもねぇ~)。兄(お昼過ぎたから、大間町に、降りて、食堂で、昼飯だな)。恐山を後に、大間町の食堂で、ウニ丼とイカ刺しを、皆で食べて、奥戸川(オコッペ川)を見に行き、兄(この川は、河童が出ると噂の川だよ)。大(わい、ほの[私の家]親父も、奥戸川には、河童がでるって、しべってたぁ[話してた])。多枝(わいほ[私]のじさま[爺さん]も、河童が、イタズラするから、川で、泳がない様にと、看板を立てたらしいと、しゃべってた)。帰りのバスは、皆静かで歩き疲れだと思います。村に着くと、明日の約束をして、別れました。晩飯の時、じいちゃんに奥戸川の河童について聞いてたら、じいちゃん(見た訳でわ無いが、じいちゃんの若い頃、川で溺れる子供が居て、何人かは、お尻が、何かに、食べられた跡が残った噂が有り、子供の中には、河童の姿を見たと言ってた)。叔父達(迷信か、大っきな魚の見間違いで無いか)。じいちゃんは、何かの生き物の奇形かじゃぁ無いかと、言ってました。翌朝、自由研究を書く為、何時ものメンバーで、魚釣りしに、近場の浜に行き、釣れた魚や、大君の知ってる、魚等をノ-トに書き、たまにしか、釣れないハモも、多恵ちゃんに教えて貰い書きました。僕(皆、ありがとう。香枝ちゃん、多恵ちゃん、自由研究は、終わったの?)、香枝(この前、家族で、下風呂温泉に行き、効能等を、温泉宿の人から、聞き書いたよ)。多惠(自由研究は、大体終わり)。香枝(多恵、ドリルの答え合わせだけだなぁ)。香恵を除き、皆で、くすくす笑う。3日後、僕達の夏休みも、残り少なく、今日は、家に帰る日、朝6時の大畑駅のバスにのり、見送りには、大君兄妹と多惠ちゃんとじいちゃん夫婦、駅までは、喜叔父が付き添いで、皆に、又、来年の、夏休みに来ると、約束して、別れた。大畑駅に、着き、叔父と別れ、汽車で、帰路に着きました。余談ですが、帰りの汽車で、乗客が、窓を閉め忘れ、トンネル通過の際、客室は、汽車の黒煙で、僕達も、他の乗客も、息苦しさと、咽るのとで、大変で、車掌が、走って来て、窓を閉めて、事なきを得ました。母
僕(面白かったよ、来年の夏休みも、行く約束して来たよ)。兄(最初は、大人しく、借りて来た猫見たいだったけど、少しづつ慣れて来たら、おんず[弟]も、はしゃいでた)。父(来年は、仕事を、早く終わらせ、家族全員で行こうな~)。僕の赤G村の夏休みの体験は、終わりです。
赤が村で、叔父2人と船釣りや漁の手伝い山の畑や海遊び、地元の子達との交流等、色々な体験や遊びに村祭り等を夏休みいっぱい過ごす話しです。




