1 婚約者と私
私の結婚相手は、正直、我が伯爵家にとって毒にならない人物であれば誰でも良かったんだそうだ。
そうして選ばれたのは、私が気に入ったからという理由で選ばれた、代々優秀な騎士を輩出する平民の青年だ。
キリアン・ウィッドウック。
赤みがかった黒髪に、真っ黒な瞳の青年。
王城勤務の、平民騎士。その剣の才能一つで、騎士爵を賜った人。
「……キリアン……」
大好き。
初めて彼を目にした時はただ〝かっこいい〟だけだった。
十代半ばの少女ならよくある話だ。
『アシュリー嬢、もうこれ以上は』
いつだって彼は私に対して礼儀正しい婚約者だった。
私が十三歳、彼が十七歳の時に婚約をし、欠かさず決まった日時にお茶会をして、時々デートに出かける際にはエスコートをしてくれた。
お互いの誕生日には欠かさず贈り物をしあい、そのお礼にまた贈り物をした。
公の場に出ることもあったし、婚約者として周囲に挨拶だってしたものだ。
しかし、私と婚約してもう三年になるのに、名前で呼ばれたことなんてない。
フィリア・アシュリー。
どこをとっても呼ぶのに難しくなんてない。よくある名前。
見た目だって凡庸な、くすんだ金色にくすんだ青い目の、ぱっとしないよくある人間。
けれどそんなよくある名前の、どこにでもいそうな私は……彼から一度も名前で呼んでもらったことがない。
いつだって彼が私を呼ぶ時は『アシュリー嬢』。
騎士爵を持っていても自分は平民の騎士だから、由緒ある伯爵家のご令嬢の名前を呼ぶのは結婚するまで控えたいって。
跡取りにもなれず、けれど政略結婚をするには派閥のバランスが難しかった我が家。
とはいえどこかの後家や適当な相手と娶わせてしまえばいいなんて考えが起きない程度には家族仲も良好で、私が気に入った相手ならば歓迎だと当時まだ平民騎士だった彼を婚約者に指名したお父様。
でも逆を言えば、それは……キリアンにとって、断れない縁談だったのだと今更になって思い知る。
『アシュリー嬢』
いつだって静かな表情で、感情を揺らすことなく私と接していた彼。
政略結婚でも婚約したのだからいつかは愛してもらえるようにと努力を重ねてきたつもりだ。
料理も習ったし、家宰を取り仕切る術も学んだ。
十二歳の時に女学校に入学していたこともあって、卒業後は家庭教師になって働きに出れば家計の役にも立つはずだと必死に学んだ。
この国では女性も働くことが推奨されるし、婚約関係があれば割と男女の交際についてもおおらかな方であると思う。
そのため、婚約中に深い仲になって結婚までの期間が短くなった……なんて例も少なくなく、私もいつかはキリアンとそうなるんだとばかり思っていた。
たとえ名前で呼ばれず、いつまでも家名呼びされていたとしても。
私ももう十八歳。
卒業も控えた、立派な淑女なのだから。
つい最近まで、そう信じていたのだ。