第三話 マンタ
「この花、ひと束お願いします」
おばあちゃんの納骨から一月、わたしはお墓参りのためにお花屋さんに立ち寄った。せっかくの日曜日だし有効に使おう。
ちなみに買ったのは菜の花だ。
あの告白の後は特に何もなかった。
向こうが諦めたのか、それとも冷めたか。
どうなのかはわからないが面倒ごとにならなくてよかった。
「おばぁさんの墓参りかい?」
「そんなところです」
白髪のおばあちゃんが話しかけてきた。
ここは老夫婦が2人でひらいたこの町唯一のお花屋さんだ。
わたしが生まれた時にはもうあったらしく、通りかかってはお話をするくらいの仲ではある。
「また来ますね」
「おおきにねー」
わたしはお花を持ってお墓のある山に向かって歩き始めた。
もう桜も全て散ってしまった。つい先週までは山の上にしぶとく桜の色が残っていたけれど、今はもうすっかり平凡な山の色になってしまった。
車で行った時の道とさっき見て覚えた地図とを照らし合わせながら私は山に登る舗装された道路を見つけた。
結構急だがここぐらいしか道ない。
わたしはそう思って坂を登り始めた。
実を言うとわたしは自信を持って記憶力がいいと言える。
一度会った人の顔は忘れないし、半年ぐらい前までの食べたものを思い出せと言われれば思い出せる。地図だって地名と漢字まで完璧である。
さぞ勉強ができるだろうと考えると思うが最近はそうもいかない。記述問題とかも増えてきたし数学とかになると記憶だけではどうにもならない。人並みに努力がいる。
ただ、みんなが長い時間をかけて行う暗記をすっ飛ばさせるのはいいとこだけどね。
実際、一年の時はテストの順位は1とか2だったし。
お察しの通り、かは知らないけれどこの町は結構田舎だと思う。
畑ばっかりの田舎ではなくて、都市部から離れた郊外にあるような田舎。そんなかんじ。
うちの高校は結構有名な頭いいとこだけど、裏にガッツリ山とか森とかあるし。
その分、家賃とか安いらしいけど。
坂をある程度登ると先に墓場の事務所が見えてきた。
わたしはその建物を横目に見ながら通り過ぎ、おばあちゃんの墓へと階段を登った。
お墓につき、わたしは買ってきたお花をお墓の両脇にさした。
何を思うでもなくわたしはしゃがんで目をつむり、手を合わせた。
「さてと」
わたしはそう言って立ち上がり、振り向いた。
先月まではあんなに桜に満ちていたのに、今ではもう葉の緑しかない。奥に見える街と、そのまた奥の海が一番綺麗だ。
わたしはこの墓場の一際大きいあの木に向かって歩き始めた。
先月は半ば無理やりあそこに向かったが、今日はしっかりと舗装された道や階段を使おう。
そうして向かっていると、案の定、髪のせいで顔がほぼ見えない男子、満月君がしゃがんでいるのが見えた。前と変わらず全身黒い。
満月君は立ち上がって、こちらに目を向けた。
なんか、またか、って顔をしている。
いや、実際は顔が見えているわけじゃない。
ただ、かろうじて見える口元というか、醸し出す雰囲気というか、それらがそんな感じである。
「こんにちは満月君、偶然だね〜?」
わたしはそう言って満月君の前に立った。
「こんにちは、えっと、帰りますからね」
前、引き止められたのを引きずってるらしい。
「別にいいよ?付いてくだけだし」
「それは、どこまで?」
「君の目的地まで」
つまり家まで。
次は、マジかよ、という顔である。
失礼じゃない?
「…………なんか、悪い人に追いかけられそうな人ですね」
小声で、多分こんなことを言ったと思う。
「誰にでもいうわけじゃないよ?」
「そういうところだと思うんですけど」
はて、どういうことだろうか…………
わたしの頭に?が一つ。
わたしが少し目を離すと、満月君は振り返って帰ろうとしていた。
引き留めようとも思ったが、そうか、付いていけばいいのか。
わたしは速足で満月君の隣へ行った。
満月君と並んで歩いていると、身長差を感じてしまう。
満月君のほうをちらっと見ると、顔を見るのに首が痛い。
近すぎるのかな。
きっと満月君が高すぎるだけだ。わたしが小さいわけじゃない。うん。そういうわけじゃない。
「あの、どこまでついてくるつもりですか」
満月君は少し私から離れつつそういった。
先ほど一度聞かれた質問だが、わたしは少し悩んで答えた。
「…………目的地まで?」
「なぜ?」
「友達と遊ぶのに何がしたいとか特にないと思うけど」
「ともだち…………そういうもんですか」
「そういうもんだよ」
そこからはやや静かに歩いたと思う。
わたしが山を登った道の反対側の道は人が通るのがやっとで、道はあるものの舗装されていない山道だった。
「ほんとにここ通るの?」
「帰ってもいいですよ?」
少し期待と嘲笑のこもった声だったと思う
「まさか」
そういって私は満月君の後ろをついていった
ーーーーー
そして数分後。
…………後悔。その言葉が浮かんだ。
結構きつい。
「はあ、はあ、ねえ、道きつくない?」
坂道なわけではない。なんなら下り道だ。
ただ、起伏というか、山道特有の歩きづらさというか。
「足と振っているうでを同時に出してみてください。
少し楽ですよ」
「なるほど?」
満月君は疲れることなく、歩いていた。
わたしは、右足を出したとき右腕を前に振り、逆も同じようにした。
まあ、多少楽になったかな?
大体麓までつくと、奥のほうにわたしの高校が見えた。
つまりここは、学校の裏の森か。
「家ここらへんなの?」
「まあ、そうですね」
それから十分ほど歩くと、なんかログハウスみたいな大きめの家が見えてきた。
「もしかして、あの家?」
「まあ」
金持ちすぎん?
なんかもう…………別荘じゃん。
「ちなみに、本当に入るつもりですか?」
「そのために来たんだよ?」
満月君は少し悩むそぶりを見せた。
「…………じゃあ、少し待っててくれます?」
「いいけど…………」
そうして、満月君は家の中に入っていった。
よく見ると、生け垣にきれいな金色の月のような模様がある。
5分ほど経って、満月君は家から出てきた。
まだいるんだ…………という感じで私のことを見て、
「どうぞ…………」
と言って、また家の中に入っていった。
わたしは家の敷地に入り、綺麗な庭を見つつ扉の中に入った。
「おじゃましまーす!」
わたしはそういって家に上がり込んだ。
家は、なんというか、洋画でしか見ないような別荘みたいだった。
玄関とリビングの区別がないのか、入った瞬間、その広さに驚いた。
まず左手の壁には暖炉があった。隣に薪が積まれていて崩れないようにだろうか、縄で縛ってある。
奥の方には大きなキッチンがあった。冷蔵庫もめっちゃ大きくて高価そうな柄がある。
リビングに敷かれている絨毯もなかなか高そうなものばかりだし、ソファもデカくてふかふかそうだ。
わたしはそのソファに腰をかけた。
目の前にあるテレビも、映画で見るような壁掛けのテレビで異様にデカい。
本当に金持ちの家だな。
わたしはテレビの横にあるものに気づいた。
「あれは…………ベース?」
わたしはエレキギターのようなものを指差しながら尋ねた。
「そうですけど…………よくわかりましたね」
「こう見えて記憶力がいいからね。
音楽の教科書ごとき丸暗記よ」
「それは記憶力の範疇ではないのでは…………」
そう言って満月君は目の前のテーブルにお茶を置いた。
「ありがとう!」
さっきの移動で疲れたわたしは、お茶を勢いで飲み干した。
満月君はキッチンのほうに戻っていった。
「というか、なんであそこにいたんですか?」
あそこというのは墓場のことかな。
「一応、わたしのおばあちゃんの命日でもあるんだよ?今日は」
「…………そうなんですね」
「それに、またねって言ったでしょ?」
満月君は思い出すようなそぶりをして、ああ、とつぶやいた。
というか歩いてる時からほぼ顔を合わせてくれない。
やっぱり嫌われてるのかな。
満月君は何かキッチンで作業を続けている。
「満月君って身長どんくらいなの?」
「あんまり覚えてないですけど、180前後だと思います」
でっか。
あって175とかだと思った。
いや。
わたしが小さいのではなく、満月君が大きいだけなのだ。そうだ。そう考えよう。
「このギターとかって満月君の?」
わたしは周りにちらほら置いてあるギターとかを見ながら言った。
「一応は自分のです。自分が親に頼んで買ってもらったものばかりですが…………」
誕プレとかかな?
やっぱり、金持ちの家は違うな~。
「あの」
満月君は手を止めて、私のほうを見た。
ごろごろしていたわたしは、ソファにもたれかかりながら
「なあに?」
と答えた。
「名字で呼ぶのやめてくれませんか
その、別にあなたが悪いわけじゃないですが、少し癪に障ります」
そういうのならやめよう。
「じゃあ、影君、とか?」
「まあ、そっちのほうがいいですかね」
じゃあこれからは影君って呼ぶことにしよう。
「去年初めて影君の名前聞いたとき、エイのほうだと思っちゃった」
「えい?」
影君はまた手を動かし始めた。
「えっとね.........ほら、マンタっていうじゃん?魚のほうの」
「マンタ…………ああなるほど」
「そう、そっちのほうかなって思っちゃったんだよね
影君の名前の由来って何なの?」
満月君は少し手を止めてから、また手を動かし始めた。
「名は体を表すというでしょう
生まれた時から根暗だったんじゃないですかね」
なんかだいぶテキトーにこたえられてしまった。
「そういうんじゃないんじゃない?もう少しいい意味かもよ?」
「そうかもしれませんね…………あなたはどうなんですか?
葉菜さん、でしたよね。名前」
一応覚えてくれてたんだ…………なんというか、意外。
「ん~~?私の名前は大したものじゃないからいいよ」
「…………」
私は少しわざとらしく伸びをしながらだるそうに答えた。
影君はこっちをちらっと見たのちに作業を終えて、キッチンから出てきた。
「自分は部屋に行きます、帰るときは二階の突き当り右の部屋をノックしてください。
鍵を閉めたいので」
そういって、影君は階段を上っていった。
階段もなかなかおしゃれだな。
……………………ん?
いや。
客人ですが?
放置ですか?
帰りたくなったら言えと。
…………なるほど。
ありえんくない?
テレビ横にあるゲーム機何?
遊ぶためではなくて?
わたしはソファの上で胡坐をかき腕を組んだ。
どうすればいいだろう。
帰りはさっき通った道か、学校への道をたどればいい。
だがしかし。
せっかくここまで来たんだ、無駄足にはしたくない。
「部屋に凸…………」
男子高校生の部屋…………興味はある。
何を期待してるのかは知らないけど、好奇心がある。
さてとどうしたものか。
まあ普通に凸ればいいか。
そこからわたしの行動は早かった。
ーー影視点ーー
最悪だ。
先月会った時から嫌な予感はしてた。
あの陽キャ特有の遠慮のなさと合理性がない行動。
それでも普通、家までは来ないだろう家までは!
どっかの同人漫画シチュじゃねえか!
…………?
待て。
一旦、落ち着こう。
俺は部屋の中に入って鍵を閉め、パソコンの前に座った。
そして俺はいろんな瓶とか紙パックとかが並んでいる棚に目を向けた。
けれど危なかった。
リビングにあった角瓶やら日本酒やら、一応倉庫に隠すことができた。
部屋にある酒は…………まあ、見られることはないだろう。
それにしても、マンタ…………ねえ。
俺はパソコンを起動させつつメモ帳にマンタと書いた。
最近の悩みは、ネット活動を始めるための名前についてだった。
そのメモ帳には様々な言葉が書いてある。
恥ずくなって塗りつぶしてあるものもしばしば。
さてどうしたものか。
そう思いつつ俺は机にメモ帳を置いた。
パソコンも起動したので俺はDTMやらを起動させていった。
そう。一応俺は作曲家だ。
何年か前からボカロを絵が描ける幼馴染と一緒に投稿していたが、この際個人チャンネルを立ち上げようと思っているのだ。
といったものの、そんなに売れたことはない。収益化までに何年かかったことか。あの時はほんと地獄だった。機材を買うお金がたまらずに延々停滞していた時期でもあったし…………
そういえばさっき葉菜さんの話し方が一瞬変だった気がする。
もしかして…………
そう思っていると、ドアノブがガチャガチャと回す音が聞こえてきた。
俺は鍵をかけといてよかったとほっと胸を撫でおろし、椅子から立った。
そのまま、扉に向かい鍵を開けた。
ドアノブに手をかけると、回された。
「お邪魔しまーす!」
…………え?
俺は驚きで少し後ろに下がってしまった。
それがダメだった。
扉が勢いよく開き、そいつは
「これが、男子高校生の自室かー。なるほどね~。」
と言って部屋を見渡している。
まずい。
「あの、帰る気なら早く部屋から出て行って…………」
「…………?これ…………」
と言ってこいつは棚からウイスキーの角瓶を持ち上げた。
終わった。
そう思った瞬間、俺の体は動き出してその角瓶を荒々しく奪い取った。
「え………………えっと、あの、その……………………」
俺はそいつの顔を見ることなく、感情で口を動かした。
「か、帰ってください!」
俺はそう怒鳴りつけたと思う。
そのまま俺は角瓶を机に置いて、少し落ち着いた声で言葉をつづけた。
「ここであったことを忘れろなんて言わないです
でも、これを人に話すことは違うはずです
あなただって命に代えても守り抜きたいような秘密の一つや二つあると思います
例えば…………」
俺は彼女に名前の由来を聞いた時を思い出した。
「誰にも見せたことのない裏の顔とか」
ちらっと顔を見ると真顔、というか驚き?困惑だろうかそんな表情が見えた。
ビンゴか。
「…………わかった、言わない。言わないけど条件がある。」
条件?ふざけるなよ…………
俺はその感情を押し殺した。
「…………何でしょう?」
「これからも、ここに来たら家に入れて」
少し拍子抜けな回答だった。
まあ…………仕方ないか。
「わかりました」
俺はベッドに座って頭を抱えた。
「わかったので、もう、帰ってください…………」
そういうと部屋の扉が閉まった後、階段を下りていく音が聞こえた。
しばらくして、玄関から人が出ていく音も聞こえた。
「……………………クソが」
俺はベッドから立ち上がり、小さめのグラスコップを取り出し、ウイスキーを注いだ。
いつもなら少し薄めるが、今日はそのまま一気に飲み干した。
不味い。
俺は部屋から出て下に降り、キッチンに向かった。
グラスコップに水を入れて少し口に含んだ。
のどに水が流れていく感覚が妙に気持ち悪い。
俺は近くにあったアコギを手に取って、ソファに座った。
「さて、これからどうしたもんか」
その不安とは裏腹に、手は愉快な曲を弾き始めた。
花屋の老夫婦
何十年も花屋を経営している。
仲睦まじく町きってのおしどり夫婦。
おばあちゃんとも昔馴染みらしく、お葬式の時のお花もここからのものだった。