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令和のチャラ男、光源氏に転生する  作者: ヴァイオレット式部
2/3

中編

 牛車に揺られ招かれた左大臣邸では、丁重なもてなしを受けた。


 この時代に貴重な湯をふんだんに使った檜風呂にゆったりと浸からせてくれる、これを歓待と呼ばずして何と言おう。貸してもらった客間でくつろいでいると、左大臣がやってきた。


「若君がよろしければ、お母上のご実家、二条のお屋敷を整えさせましょう。もちろん、お寂しければ我が家にいてくださってもよろしいのですよ」


「こんなに良くしていただいて居候までするわけにはまいりません。官位を得たら必ず対価はお支払いしますから、二条院を使えるようにしてください」


「官位に対価などと、子供がそのように気を遣うものではありませんよ。……しかし、そうですな。若君の元服の折、加冠の役など務めさせていただければこの上ない光栄に存じます」


 確かに、もう親父があてにならないもんな。


「夕餉の準備が整いましたら、使いの者を寄こします」


 そう言って部屋を出て行った左大臣を見送り、俺は脇息にもたれかかった。


 血のつながった親父はクソなのに、ほぼ他人みたいな左大臣がこんなに親切にしてくれるなんて、世の中まだまだ捨てたもんじゃねぇな。まぁ、左大臣だってそれなりに俺へ取り入る理由はあるんだろうが、現段階ではクソ親父より断然マシだ。


「クソ親父……親父、か」


 俺は、自分ではとっくに親父を見限っていると思っていたけれど、親父のカーチャンに対する愛情だけは、信じていたらしい。カーチャンそっくりな女を屈託もなく新しい母親と紹介されたのが、気持ち悪くて仕方ない。


 だってさ、カーチャンと同じ顔をした女でいいなら、カーチャンはなんのために死んだんだ。確かにカーチャンは自分の不幸に酔った若干痛い女だったかもしれないが、こんなの、あまりにもかわいそうじゃないか。


「……あなた、大丈夫?」


 そのとき、俺の前に小さな影が差した。とっさに顔を上げると、わずかに開いた妻戸の隙間から女の子がこちらを窺っている。さらさらとした黒髪を肩口で切りそろえ、眉も剃らず、化粧もしていない少女の姿は、裳着(女子の成人)を済ませていないことを意味していた。しかし、身長からして俺よりは年上のようだ。


 ぱたり、という落涙の音で自分が泣いていたことに気づいた俺は、狩衣の袖でぐいと目元を拭った。初対面の女の子に泣き顔を見られた自分がダサくて、少々そっけなく質問を返す。


「なんでもない。君は誰?」


「わたくしは左大臣家が長女、葵よ。夕餉の支度が整ったから、お父様に第二皇子殿下を呼んでくるよう頼まれたの。あなたは皇子様の侍女かしら?若君がどこにいるのか知らない?ひょっとして若君にいじめられたの?」


 真面目で正義感の強そうな少女――葵は、夕暮れ時の薄暗い室内に臆することなく入ってきて、はたと立ち止まった。ようやく俺の服装が男子の童姿だと気づいたらしい。


「えっ」


 高位貴族の子女らしく言葉こそ飲み込んだけれど、その顔には「男の子?こんな奇麗な子が?」と書いてあった。その顔が可愛らしくも間抜けで、俺が笑いをかみ殺していると、葵はむっとしたように横を向いてしまった。


「ごめんごめん、俺が君の探している第二皇子だよ。すぐに名乗らなかった俺が悪い。暗かったし、俺のこと心配してくれて他のことに気が回らなかったんだろ?ありがとう」


 葵は大きな目をまん丸に見開いて赤面し、それからまたツンとそっぽを向いた。この子めちゃくちゃかわいくないか。


「そっ、それは、わたくしのほうこそ若君に無礼を働いたこと、謝罪いたしますわ。こちらへどうぞ」


 葵についていった先では既に左大臣一家が勢ぞろいしている。客人へ供される食事は客間へ運ばれることもあるけれど、左大臣は気落ちしている俺を気遣って家族の晩餐に招待してくれたのだった。


 俺が未成年のためか、叔母である北の方すら簾も使わず座しているのが少し意外だ。ほかには葵の兄だというやんちゃそうな少年もいた。


 席に着くと各々の前に食事が配された掛盤が運ばれてきた。漆器に盛られているのは、俺が常々提唱している柔らかく炊いた白米に、昆布と魚の干物の出汁で煮た野菜、同じ出汁に味噌を溶いた汁物、そして楕円の平べったいハンバーグだ。まぁ、ハンバーグの肉は山鳥らしいし、パン粉も胡椒もないのでどちらかというとデカいつくねだ。


 とはいえかつてに比べれば格段に複雑な工程を経た料理は、栄養バランスも味も上出来だ。


「うめー!」


葵の兄ちゃんが俺の心の声を代弁し、


「はしたないわよ、お兄様」


と葵がたしなめている。


「葵の言う通りですよ。皇子殿下の御前で何ですか、あなたは」


 長男をしかりつける北の方と、それをにこにこと見守る左大臣。なんというか、ほっこりする家族の団欒だ。もう何年も前に吹っ切ったことのはずなのに、不意に前世の家族を思い出した。


「……若君?息子がうるさくしてごめんなさいね。それとも食事がお口に合いませんでしたか?」


 葵の前で二度も泣くまいとこらえていると、北の方が気づかわしそうにしている。


「いいえ、とてもおいしいです、叔母上。ただ、こんなににぎやかで温かい食事は、あまり経験がなく……ごめんなさい、楽しい食事の席で、気を遣わせてしまいました」


 俺が左大臣邸へやってきた経緯を夫から聞いていたであろう北の方は、「……お兄様も、仕方のない方ね。こんな幼い人にまで心痛をかけて」と呟き、俺には安心させるように微笑みかけた。でもその笑顔が少々黒いのは気のせいだろうか。


 クソ親父の妹と最初は警戒していたけど、叔母さんはひょっとしたら兄貴の無自覚な傲慢に振り回された被害者なのかもしれない。一気に親近感が沸いた。やっぱりちょっと怖いけど。



 それから二条院が整うまでの間、俺は左大臣邸で世話になった。親父へは左大臣が連絡を入れてくれたというし、そもそも親父は俺への興味を失っているのか、宮中から余計な横やりが入ることもない。


 俺は葵の兄ちゃんと蹴鞠で遊んだり、釣殿で葵と並んで笛や琴を奏でたり、前世で読んだ漫画やなろー小説を平安風にアレンジして二人に読み聞かせたりと、左大臣家の兄妹との親交を深めていった。


 以前、左大臣は自分の娘と俺を結婚させたいと言っていたし、露骨に葵と親しくさせよう、という意図はわかっていた。でも、それがあんまり不快ではなかったのは、左大臣夫妻が俺を心配する気持ちだって本物だとわかったし、何より葵たちと過ごす時間が楽しかったからだ。


 一見つんけんしているようで、目を輝かせて俺の話に聞き入る葵。その表情が、ふと前世のクラスメイトだったあの子と被った。顔も声も、何なら性格だってそんなに似ていないはずなのに。


---


 前世の俺は勉強全般が苦手だった。特に、高校生になってから古典が大っ嫌いになった。教科担当のジジイがクソだったからだ。


 授業中、答えられなければ罵倒は当たり前。定期テストの平均点をわざわざ男女別で出して、毎回女子の平均点が低いことをこき下ろすのも、聞いていて気分が悪かった。


 極力奴とかかわりたくなくて理系クラスを選択したのだが、そこでも中の下くらいの成績だった俺とは違い、あの子、クラスメイトの更科さんは理系科目なら抜群の女の子だった。


 まぁ、古典だけは俺と似たり寄ったりだったけど。お下げに眼鏡の、見た目だけならいかにも文学少女だったのにな。


 性格も大人しい感じで、古典の時間はクソ教師に目の敵にされていた。とはいえ卒業してしまえばクソ教師との接点もなくなる、はずだった。



 クラスの才女たる更科さんとおバカの俺では当然進路も別だったが、偶然にも通っている大学は近かった。大学の最寄り駅で、顔を合わせれば話をするようになった。特に、同じ漫画やなろー小説を愛読していることを知ってからは話も弾んだものだった。


 その日も俺、更科さんの順で電車を待っていた。共通の推し漫画についてお互い熱弁をふるっていたのを覚えている。そんなとき、俺たちの後ろに並んできたのがクソ教師だった。


『おぉい、更科ぁ。お前、立木と同じ大学かぁ?理系科目だけよくても古典をよく学ばんからFラン大学なんざ通う羽目になるんだぞぉ?』


 大学の視察か、その周辺に用事でもあったのか。なぜあの時そこにあいつが来たのか、理由は知らないし興味もねぇ。ただ、クソ教師が高校時代のノリで絡んできた瞬間、それまで楽しげだった更科さんの表情が一気に曇った。それが見過ごせなかった。


『あのさ、先生。俺は確かに底辺大学だけど、更科さんは近所の難関大学の学生さんだぜ?教え子の進路くらい把握しといたら?』


 俺に指摘されたジジイは怒りで顔を真っ赤にして、でも矛先を向けたのは俺ではなく更科さんだった。大学生になって少しあか抜けた更科さんをじろじろと見て、にちゃぁっとした笑みを浮かべた。男の俺ですら怖気が走るような笑みだった。


『だとしても、馬鹿とかかわるとますます馬鹿になるぞぉ?これだから女はダメなんだ、何なら先生が個人的に指導してやろう。更科は前からダメな女だったからなぁ?』


『や、やめてください!』


 更科さんの肩に伸びてきたクソ教師の手を、俺は思いっきり叩き落とした。


『何のつもりだ立木ぃ!?』


 叫んだクソ教師の前で、俺のスマホがピコンと鳴る。更科さんに声をかけてきたあたりから、一連の流れをこっそり録音しておいたのだ。


『とーっちゃった、録っちゃった。現役高校教師の問題発言~!これ、ネットに流すなり教育委員会に提出するなりしたらどうなるのかな?』


 冷静に考えれば決定的なことは言ってはいないし、ネットに流したところで音声だけでは個人情報の特定も難しいだろうし、厳重注意で済むだろう。が、俺が煽りに煽ったせいでクソ教師は冷静さを失っていた。


『よ、よこせ!!!』


 叫びながらクソ教師は勢いよく俺にぶつかってきた。ぶくぶくに太った奴のタックルを受けた俺は、ダサいことに線路へ転がり落ち、そこへ運悪く電車が。


『いやぁああああああぁっ!!!立木君、立木君っ!!!』


『わ、わしは何も悪くない!!!』


 いや、悪いのはお前だけだクソ教師。


 痛ぇな、俺死ぬのかな。


 口うるさいながらも大学まで行かせてくれた親に、何も返せなかった。


 ガキの頃いつも泣かされてばっかりだった兄貴と姉貴、やっと、泣かせてやることができるかな。


 ああ、でも、更科さんは、そんな風に泣かないでほしい。君のせいじゃない、俺がバカなだけだったんだ……。


 そんなことを考えながら、前世の俺は十八年の人生に幕を閉じたのだった。


---


「若君?どうなさったのですか?」


 陰陽師が魑魅魍魎をぶった切る平安版・俺Tueeee小説を語っていた俺がふと黙り込んだせいだろう。葵が不思議そうにこちらを見つめていた。ちなみに葵の兄ちゃんは飽きたのか側仕え相手に蹴鞠の練習していた。自由人かな。


「……なんでもないよ」


 葵に心配をかけたくなくてそう言ったけれど、肝心の葵はぷぅっと頬を膨らませた。


「初めてお会いした時もそうでした。若君は、なんでもなくないのに、何でもないとおっしゃる。お辛いなら教えてほしい、です」


 若君の力になりたいのに、と歯がゆそうに言いながらも、照れが勝ってきたのか徐々に視線が下がっていく。心から俺のことを心配してくれる女の子。なんだろう、胸のあたりがぎゅんってする。


「葵は、お姉さんみたいだね」


 俺も照れ隠しでそう言ったけど、そんなの全然本心じゃなかった。少なくとも前世の狂暴姉貴は、こんなに可愛くなかった。まぁ、仲が悪いわけでもなかったけどさ。


「そうですよ。わたくしは若君より四つもお姉さんなんですから!もっと頼ってくださって、いいのです」


 葵はそう胸を張って、みずらに結った俺の髪をゆるゆると撫でてくれた。


「わたくしには意地悪な兄さましかいなかったから、弟ができたみたいで嬉しい。皇子様に対して、不敬かもしれませんが」


「そんなことないよ。葵の優しさにも、兄君の明るさにも、もちろん左大臣ご夫妻の配慮にも救われている。ありがとう、葵」


 俺が笑顔を向けると、


「わたくし、時々若君がうんと大人に見えます」


葵は自分がふがいなさそうにつぶやいた。うん、俺は前世も含めれば三十手前のおじさんだもんな。その感想も間違いではない。……精神的には十三も年下の女の子にこんな感情を抱くなんて、ひょっとして俺は若い女を嫁にした親父のこと馬鹿にできないのか?


「ナ、ナニヲイッテイルノサ、ボク光源氏きゅうさいだよ!」


 半ば自分に言い聞かせるように宣言すると、その言い方が面白かったのか、葵はコロコロした笑い声をあげた。つられて俺も笑い出し、二人でひとしきり笑った後は、しんみりした沈黙が訪れる。


「明日、ですね。二条院の改修が終わるの」


「……うん」


 そう、この日は俺が左大臣邸で過ごす最後の日だった。明日にはカーチャンの実家の修繕が終わり、俺はそちらへ移ることになる。


「わたくしも数日後の陰陽師が選んだ日に、裳着の儀式に臨みます」


 それも知っている。葵が成人したら、きっとこうして会うのは、難しくなる。


「文を出すよ。俺、和歌は苦手だけど、たくさん勉強して葵に恥ずかしくない歌が送れるようになる」


「……はい。楽しみにしております。私、も……」


 たくさん文を出す、と続けようとしてくれたのだろうか。それは女性側から言うには少々はしたないとされていて、言葉を濁した葵だったけれど、その表情は切に俺との別れを惜しんでくれていた。


「あのさ、葵にとって今の俺は弟みたいなものかもしれないけど。俺が元服するまで、待っていてくれないかな」


「……え?」


 葵は左大臣家のたった一人のお姫様だ。その気になれば、きっと東宮妃にだってなれる。可愛くて気立てがよくて、高位貴族の娘にふさわしくあれるよう教養を磨いてきた努力の人だ。そんな人の将来を縛るだなんて、よくないとわかっているのに、申し出ずにはいられなかった。


「俺、葵が好きだよ。成人して官位を得たら必ず迎えに行くから、待っていてほしい」


 それを聞いた葵は大きな目をこぼれそうなくらい見開いて、普段のすました顔からはかけ離れた顔でぽかんと口を開いて、それからみるみる真っ赤になった。もじもじ、そわそわ、と手にしていた毬をもてあそび、視線をさ迷わせ、か細い声で答える。


「……お父様は、反対しないと、思います。かねてからわたくしと若君の婚姻を望んで……いえ、いいえ、違うのです。たとえ、お父様が反対したって、関係ありません」


 そして顔を上げた葵は、いつもの凛とした表情の彼女だった。


「わたくしも、若君をお慕いしております。待っています、あなたが望んでくださるのなら、喜んで」


 最高にかわいらしい笑顔で言われて、歓喜しない男がいるだろうか。もろ手を振りかざし歓声を上げた俺の拳は、いつの間にかこちらへやってきていた葵の兄ちゃんの顔面にぶち当たっていた。


「い、いよぉ、お二人さん。話はついたか?」


 殴られながらも揶揄うようなにやにや笑いを浮かべるお義兄さんに、


「お、お兄様!?いつからそこに!!?」


「うわああああああ、殴ってすいませんけど空気読めよあんた!!!」


俺たちはそろって絶叫を挙げたのだった。

ところでこの話は前編の前書きに書いた通りフィクションですが、わざわざテストの平均点を男女別で集計して毎回「女はだめだ」とのたまった古典教師は作者の実体験です。さすがに駅の下りは創作ですが、それにしたって今だったら大問題。


元気にしてるかなぁ、S崎先生www

十数年経って悪行をネットに晒されたりするので普段から行いには気を付けたいものですねwww

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